表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
90/154

90 障壁 8

「ファイザル様!」

 サリアは非常に驚いて薄く扉を開ける。

 廊下の暗がりには見知った長身の影。()げた頬に鉄色の髪が懸り、獰猛に光る眼は非日常をまとっている。

「突然まかり越し申し訳ありません。入れてもらえますか?」

「それは……無理です」

「知っています。こちらにザカリエ王弟と宰相が来ておられるのでしょう?」

「え? あの……」

「そうなのでしょう?」

 有無を言わせぬ問い。鋭い瞳。

「ええ、そうですわ」

 この男の目から何もごまかせまい。サリアは意を決して頷いた。

「廊下は人目がある。中に入れて下さい」

 サリアは諦めて、ファイザルを控えの間に招き入れた。

「レーニエ様はあちらですか?」

「奥のお部屋です。お二人も」

 サリアは背後の部屋を振り返った。その視線を追ってファイザルは奥の扉を見つめる。

「あなたは、これが何のための会見かご存知なのですか?」

「存じません。でも、お入りになってはいけません」

「そうですか。極秘の内容なのですね」

 あらかじめ想定内だったのだろう、特に驚きもぜず彼は受け、隣室へ続く扉の前に立った。

 内部を伺っても、元市庁舎の来賓用の部屋の扉は重厚で、気配は感じられるものの、言葉までは聞きとれない。

「それにしても、こんな夜更けに内々のご会見とは、余ほど重要な駆け引きがあるようですね」

「わかっているなら、何をしにいらっしゃったの?」

 サリアはきつい調子で、壁に背をあずけて立つ男に言葉を投げた。彼はやや俯いていたが、その声にうっすらと顔を上げた。

「私の役目は大使殿下の身の安全。ザカリエ側はお二人とのことだが、万が一と言う事がある。部屋には入らないが、ここでお待ちいたします。何かあれば直ぐに飛び込む所存です」

「遅すぎますわよ」

 サリアの口調は厳しかった。

「来るのが遅すぎるって言ったんです。あなたはなぜ、レーニエ様に何も言ってくださいませんの?」

「……」

「どんな思いでレーニエ様がここに来られたと、知っておられるのかしら?」

「サリアさん」

 鋼鉄の声がサリアを遮る。しかし、彼女は怯まず、厳しい瞳を睨みかえした。

「なんでしょう?」

「ここはまだ戦場なのです」

「戦場? レーニエ様は和平の大使ですのよ」

「それはそうです。ですが、ここが戦場である事には変わりがありません。散り散りになったドーミエ軍の残党の中には、私や、軍に恨みを抱くものがいます。警戒はしても、市民に紛れて、そんな輩が入り込んでいないとは保証できない」

「それがレーニエ様と何の関係が」

「私と親しく言葉を交わしてるところを、見られたりしたら、レーニエ様の御身まで危うくなる」

「まぁ、それは本当ですの?」

「残念ながら本当です。今後も私は、必要最低限の関わりしか持たないつもりです。サリアさんからも、そのようにお伝えください」

「それは……勿論。でも……本当にそれだけ? それだけの理由でファイザル様はレーニエ様を黙殺されたの?」

 サリアの追及は容赦ない。

「どうなのです、ファイザル様」

「あなたには敵わないな。今言ったことは紛れもなく本当ですが、確かにそれだけではない」

「では何なのです? なぜあなたはレーニエ様を悲しませるの? ノヴァの地でお二人はあんなに……」

「言えません。勘弁してください」

 ファイザルは、再びサリアが言い募ろうとするのを遮った。しかし、その声には先程のような厳しさがない。

「あの方は何も変わられていない……いつまでも純粋で、高貴で、お美しい。俺には……」

 眩しすぎる、と最後の言葉は声にならず、サリアには届かなかった。

「ええ、そうですわ。レーニエ様の御心は少しも変わっておられませぬ。と、言う事は、変わったのは、あなたと言う事ですわね? ファイザル様」

「そう思ってもらって結構です。申し訳ありません」

「でも、あなたは―――」

 サリアがまだ言い返そうとした時、奥の扉が静かに開いた。

「レーニエ様!」

 サリアが主に声を掛ける。

「サリア、待たせてすまな……あ!」

 自ら扉を開けて王弟と宰相を送るつもりだったレーニエは、控えの間に入るや否や、真正面にファイザルがいるのを見て、愕然と立ち竦んだ。

「どうされたのです!」

 ファイザルは、一目でレーニエの様子が晩餐の折とは異なることを見てとった。

「……え?」

 つかつかとファイザルは大股で歩み寄った。

 彼の態度には怒りが滲み出ており、レーニエは一歩後退さろうとした。しかし、背中に回った腕がそれを許さない。

「髪を!」

 無骨な指が、切ったばかりの髪を掬い上げる。

 サリアも驚いて駆けより主を見ると、顔の左の脇髪が顎の辺りで斜めに断ち切られている。

「髪? ああ、これは別に……」

 ようやく言われたことを理解し、レーニエは己の髪に手をやった。

「あなたがやったのか?」

 ファイザルはレーニエを片手で抱いたまま、後ろで目を丸くしているザカリエ王弟を睨みつける。

「これはどういうことです! 事と次第によっては……」

「ち、違うの! ヨシュア! ファイザル殿!」

 慌ててレーニエは声を上げた。

 そうでもしなければ、今にも抜刀しそうな殺気をファイザルは滲ませていたのだ。

 ファイザルは顔はアラメインに向けたまま、レーニエに視線だけ流した。

「何があったのです」

 その声は低く厳しい。

「その……えっと、詳しくは言えないのだが、私がお二人に、あることを約束したので、その証しに私が差し上げた」

 レーニエの言葉に、ファイザルはぐるりと彼女に向き直った。両手が腕を掴む。

「約束?」

 鋼鉄の煌めきがレーニエを鋭く射る。

「あの……す……まない。今は言えない。都に、ファラミアに戻ったら、母上にご報告申し上げるので……それまでは」

「……」

 それは思わず目を背けたくなるような、厳しい顔だった。

 腕を掴む指が一瞬強くなったが、それは直ぐに緩んで突き放すように下ろされる。

「ご無礼いたしました。一介の士官の分際で、大使殿下に詰め寄るなどと……申し訳もございませぬ」

 一歩下がって騎士の礼を取る。

 その声も態度も冷静沈着な将官のものであった。レーニエの瞳が怯えたように揺れた。

「よろしいかな?」

 背後の声にファイザルは鋭く向き直った。

 灰色の目に興味深い色を滲ませ、老宰相は敵国の、闘将と言われた戦士に対峙した。

「何でしょうか? ジキスムント宰相閣下」

「レーニエ殿下の申されるとおり、私達は国家間の決めごと……と言うには、あまりに繊細な配慮を要する事柄について話し合った。姫殿下には誠意を尽くしたお言葉を頂き、失礼ながらその証として、この世にも珍しい銀の髪を一筋賜ったのだ。ここに」

 ジキスムント宰相は胸を叩いた。髪はそこに入れてあるらしかった。

「繊細な事柄……」

 ファイザルは苦く呟く。

「左様。姫君は快く御自分の一部をこの爺ぃに下された。そうでありますな、アラメイン様」

「その通りです。レーニエ殿下には、お礼のしようもございませぬ」

 そう言うと、アラメインは晴れやかな笑顔をレーニエに向けた。美しい微笑みをファイザルは睨みつける。

「真に姫殿下には、お姿のお美しさもさることながら、そのお心根の清冽さにこのアラメイン、強く打たれてございます」

「御意。しかし、確かにこれでは左右非対称であまりにお気のどく。そこな侍女殿」

「はい!」

 ジキスムントに指名されて、サリアは、はっと姿勢を正した。

「後で、殿下の御髪を整えて差し上げてくれぬか? 左側だけ短くてはの。これでは少将ならずとも驚かれてしまうでな」

 最後の言葉は、意地悪そうにファイザルに向けて付け加えられた。

 彼は顔を隠すように慎ましく頭を下げている。レーニエは悲しそうにその様子を見つめた。

 ヨシュア。怒っている?

 私が出しゃばって余計な事をしたから……能もないくせに、身分をカサに来て……戦の功労者たるあなたの上に立って……。

 大使殿下だって? ここに来てから一度も名を呼んでくれない……。

 レーニエの想いは、男たちの言葉で中断された。

「委細わかりました。で、ご会見がおすみなら、宿舎までお送りいたしましょう」

「ああ、ありがとう。では、お頼みするとしよう。神将の名も高い「掃討のセス」に護衛してもらえるなどと、贅沢な気分だ」

 ジキスムントは鷹揚に笑った。

「それでは失礼いたしまする。今夜の事はこの爺、生涯忘れませぬ。ではまた明日」

 立ち竦むレーニエに辞儀をし、彼らはゆっくりと部屋を出てゆく。

 ファイザルもそれ(なら)い、扉の直前で深々と辞儀をした。

「失礼いたします。今夜のような無礼は二度といたしませぬ。大使殿下には、どうぞごゆっくりお休みくださいませ」

 静かに扉が閉ざされた。

 レーニエは動けない。

 彼女を突き離してから、ファイザルは一度もレーニエを見はしなかったのだ。




もう少し、もう少しのご辛抱を!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
文野さん! 諦めてはあきまへん。 諦めずに突き進んでくだしゃれ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ