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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
89/154

89 障壁 7

 半刻ほど前。


「ウルフィオーレ市内は既に静まり返っております。広場に居残って最後まで浮かれ騒いでいた連中も、強制的に家に帰しました」

「左様か。いやご苦労」

 ドルリーは上機嫌で、その日最後の報告を持って現れたファイザルに頷きかえした。

 片手には赤い酒がなみなみと注がれた杯を持っている。

 横にはやはり酒の杯を手にしたフローレスが椅子にもたれていた。

「すまぬな、ヨシュア。お前達が休みも取らずに働いておるのに、形だけとはいえ、責任者たる我らがこのように……」

 生真面目なフローレスが杯を卓に置こうとしたが、ファイザルは緩やかに首を振った。

「お気になさいますな。閣下のお気持ちはよくわかります。市民とて同じこと。辛苦の果ての講和は、何よりも嬉しいものでございましょう」

「全てお前のおかげだ、ヨシュア・セス」

 フローレスは心からそう言った。

「その通りだ。どうだ、そなたも一杯ぐらい飲まぬか? イケル口だろ?」

 ドルリーも禿げ頭を赤く光らせて新たな杯を取る。

「いえ、お気持ちだけ頂いておきます。まだ、気を抜くわけにはゆきませぬ」

「お堅いのう……だが、お前からしてみればそうだろうて……すまぬ、今宵だけは浮かれ爺ぃ共を許してくれい」

 将軍達は息子を見るような眼でファイザルを見て笑った。ファイザルも老将軍達の気持ちはよくわかる。

「心ゆくまで浮かれてください」

 ファイザルは理解を込めて頷いた。

 二十年続いた戦争に、人生の多くの部分を費やしてきた彼らなのだし、敬愛する人の血を受けた姫の存在を知り、彼らは心から嬉しいのであろう。

「一つだけ伺いたい事が」

「ん?」

「晩餐の後、ジキスムント卿とアラメイン殿下には、宿舎にお戻りになっておられないとか」

「ああ……その事か。確かに」

「お二人はまだ帰られておられぬ」

 将軍達はそろって頷いた。どうやら事情を知っている様子である。ファイザルは怪訝そうに眼を細めた。

 午後の市民を前にした講和宣言に続き、急遽取り行われた市庁舎での晩餐会は、使節団の荷に積まれていた多くの食材や酒のおかげで、エルファランの体面を保てる豪華なものとなった。

 ファイザルも末席で晩餐のみ参加したが、早々に切り上げ、和平に浮きたつ市中の警備体制を指示したり、庁舎内を見回りをしたりで忙しくしていた。

 大使たちも緊張の連続で、ファイザルは晩餐の終わる頃のレーニエの横顔に疲労の色が濃い事を見てとっていた。食事も殆ど摂っていなかった事も。

 そのすべてが滞りなく終わった今、あの娘はゆっくり休んでいるのだろうか?

「この上まだ政治向きの事があるのでしょうか? お二人はドルトン殿とお話でも?」

「いや、ドルトン殿とは直接話はされない……と思う」

「……どういうことでしょうか?」

 ファイザルの眼が険しくなった。

「ジキスムント卿とアラメイン殿下は、レーニエ殿下のお部屋に行かれた」

「聞いておりませぬ! 警備の者は!?」

 ファイザルは顔色を変えて扉の方へ身を翻したが、フローレスはその背中に声をかけた。

「待て、ヨシュア・セス。今ここでレーニエ殿下に何かあれば、今度こそ国を滅ぼされるだろうことは、ジキスムントはよく承知しておる」

「しかし!」

「そして、ドルトン殿は今シザーラ殿といる。つまり万が一の時の人質だな。それほどの覚悟があると言う事だ。我々も黙っていた訳ではない。反対はしたし、付き添うとも言った。だが、最後はレーニエ様が会うと申されたのだ。我々もひかざるを得なかった。身体検査は厳密に行った。口の中までな。だが、今晩の用向きを考えれば、そんなに警戒することもなかったかもしれん」

「用向き? それは?」

「わからぬかな?」

「……」

 わかりたくもない。

 協定の場にザカリエ王弟が突然現れてから、ファイザルの心中は混乱を極めていた。この状況についても、そして自分自身についても。

「俺は政治家ではありませんから」

 ファイザルは扉に手を掛けたまま言った。非常に気分が悪かった。

「であるか。ふむ……おそらくアラメイン殿は、レーニエ姫殿下に求婚しに行かれたのであろうよ。だから野暮は止す事だ」

 フローレスの言葉にファイザルは愕然と向き直った。

「……求婚?」

「そうだよ。だがまぁ、わしはよい話だと思う。お二人は御身分も年の頃も釣り合う。ついでにご容姿もな。しかも、お二人とも王位継承権や利権、富にさっぱり拘泥(こうでい)されていない。両国をとり持つ関係として、これほど理想的な縁組みはそうはない」

「……理想的」

「早計は禁物だがな。陛下も元老院もこの事を見越して、あの姫殿下を使者としてお寄こしになったのだと、納得できるわい。ん? どうしたヨシュア・セス。恐ろしい顔をしておるぞ、やはり疲れているのではないか?」

 ドルリーは強張ったファイザルを見て杯を置いた。

「お前……」

「いえ、なんでもございませぬ」

 彼の言葉は明瞭だが、声が限りなく低い。

「なんでもないとは思えぬが?」

「確かに伺っていない段取りなので、かなり驚いております。できれば一言伝えてほしかった……俺は王女殿下の安全に責任があります」

「それは我らもだが……しかし」

「失礼。俺はこれからレーニエ殿下のお部屋に向かいます。ご会見の内容がどのようなものであるにせよ、万一と言う事がございますれば、お部屋の前で待機する所存でございます。それに、もしザカリエのお二人が、こちらにお泊りにならぬのであれば、宿舎までお送りする者が必要でしょう」

「そうか……お前に頼んでよいかの」

「は」

「お前も苦労だのう……」

 ドルリーが大げさな溜息をついた。

「王都に戻ったら、必ず良き処遇を進言するでな」

「ありがたきお言葉……では」

 ファイザルは一礼すると大股で部屋を出て行った。



「レーニエ様。お言葉、(まこと)でございますか?」

 レーニエが、自分の思いの丈を述べて口をつぐんだ時、ジキスムントがゆっくりと顔を上げて言った。

「真だ。私などがあなたのような経験豊富な施政者に、こんな事を申すのは笑止千万だろう。けれども今の言葉に偽りはないと約束しよう。私とて和平のためとあれば、いつまでも領地に籠っている訳にもいかぬ。我が身でよければお役に立てて頂きたい」

「お言葉しかと承りました。この爺ぃめの、乾ききった心の内に沁みとおりましてございます」

 ザカリエ宰相、ヴァン・ジキスムントは恭しく頭を下げた。

 灰色の頭部を見つめ、レーニエは慎重に言葉を選ぶ。

 実のところこれが正しい判断なのか、彼女には自信がなかった。自分としてはかなり無理をした言葉なのだが、老宰相に言質を取られてはまずいのかもしれない。

「お顔を上げられよ。ジキスムント殿。私は自分の意志を伝えたまでで、何かを決められる権限はない。既に王位継承権もなく、政治的には全くの無能力者だ。全てはファラミアに帰って母上にご報告申し上げてからのこと」

「しかし、あなたの今のお言葉は」

「私は……いや、私もそれが良いと思いまする」

 意を決したように王弟アラメインも言葉を挟んだ。その白い頬は、先ほどよりも幾分赤みを帯びている。

「けれども、うまくいくかどうか」

「もしジキスムント殿が、この意見をご採用になられたなら、この後は卿をはじめ、ドルトン殿や文官達で宜しく取り計らい、条件などを(まと)められたらいいと思う。目指す方向さえ決まれば、推進するのも可能であろう」

「御意。レーニエ殿下には幾重にも感謝申し上げます。あなた様の言葉は重みがございました。私などには及ばぬ発想で、正直驚きを隠せませぬが」

「……」

 レーニエはいよいよ当惑した。

 この事をファイザルが知ったら何と思うだろうか?

 何の経験もないくせに、勝手にこのような重大な事を進めた愚か者だと、今度こそ本当に嫌われてしまうかもしれない。

 そんな事になればどうすればよいのだろうか?

「大げさにされると、困ってしまう……そんな大それたことを言ったつもりはない。ただ、私でも何か役に立てるのならと、以前から考えていた事を言葉にしたまでだ」

「それでも、ありがたき幸せにございます。これで両国の平和はなると、爺ぃは確信いたしました。これを聞けば、ギベリン陛下もさぞやお喜びになると」

「……そうかな」

 赤い唇が噛みしめられる。

「不安に思われますな。僅かな時間ではございましたが、レーニエ殿下のご誠実さとご献身はよく分かりましたぞ。この爺ぃ、老いぼれてはおりますが、人を見る目は確かなつもりでございます」

「自分でもそう思えたらいいのだが」

 ついさっき大胆な着想を示した人物とは思えないほど、不安げに瞳を揺らす姫君。この娘は、自分の孫娘よりずっと年下だったのだと、老宰相は思い当った。

「そのようなご発想は、誰にでもできる訳ではありませぬ。故に案じられるのも無理はありませぬが……失礼ながらレーニエ様、もう一つお願いの儀が」

「なんだろうか?」

「レーニエ殿下、あなた様の証を何かいただけませんでしょうか」

「私の証?」

「はい、言葉は形を成さぬもの。例え書面にしても確かではありませぬ。

 殿下のお心の証になるような品を頂ければ、私どもが国に帰り、この会見の事を伝える折に、レーニエ様のお心の内を皆に知らしめることができると言うもの」

「しかし、私の持ち物と言っても……」

 物欲のない彼女は宝石も、貴金属もほとんど持っていない。

 周りは至るところ戦争の傷跡だらけだ。民の心を思い、身の周りのものはできるだけ少なくしてここに来た。

「ええっと」

 レーニエはさて、何があるかと思い出そうと首をひねった。

「何か、あなた様を象徴されるような物がございませぬか」

「象徴……身の回り物……ああ、もしかしてこれなら」

 レーニエは背後の机の引き出しから小箱を取り出した。

「これ!」

 レーニエが差し出したものは、母から送られた貴石、ソリル二世を象徴する貴石、ティユールカイトの指輪である。

 濃紺の布が敷かれた小箱の中で、石は秘かな輝きを放っている。

「これはまた!」

 ジキスムントは声を上げた。

「なんとお気前のよい。一国の君主の身代金と言ってもいいような貴重な宝石を」

「構わぬ。これは母から賜った品だが、私のものだから問題ない。さ、受け取られよ」

「……やめておきましょう」

「なぜ? これ以上値打ちのあるものを私は持たない」

「確かにこれは素晴らしい至宝でございます。しかし、いかに貴重なものとはいえ、ただの石でもあります。富裕な物ならば、所有致している場合もございますし、何よりこれは、あなた様のお母上を表すもの」

「母上を表すものは、すなわち私を表す者ではないのか」

 ゆったりと微笑しながらジキスムントは首を振った。

「では何を……」

 レーニエは途方にくれて、悪戯っぽい光りを含んだその瞳を見つめた。

「私は初めからこれを頂こうと決めておりましたよ」

「ええ? それは何?」

「その美しい御髪をいただけませぬか?」

「爺、それは!」

 アラメインは驚いたように腰を浮かす。

「髪? 私の?」

 思いもつかぬ事を聞いて、レーニエも目を見張った。

「左様で。このように珍しいお髪を持つ者はおりませぬ。これぞまさしくレーニエ殿下の証」

「髪……髪って、こんな物でよいのか? 本当に?」

「はい、頂けましょうか?」

「それは無論……でも髪?」

 まだ納得がいかぬ気に首を(ひね)りながら、レーニエは机に取って返し、封書用の短刀を取り上げた。小さいながら鋭利な刃が付いている。

 レーニエはおもむろに首を傾げると、もう一方の手で無造作に(うなじ)から白銀の髪を引っ掴んだ。

「やめてぇ――!」

 老政治家は、狼狽のあまり素っ頓狂な声を上げた。

 彼がそんな声を出したのは何十年ぶりだろう。アラメインはご意見番が卒中でも起こしたかと、思わずその身を支える。

「爺!」

「ちょっと、これ! あなた、何をなさいます!」

 自国の王子の手を振りほどいて、老宰相はレーニエに駆け寄る。

「え? だから髪を」

「誰が、根元からバッサリと申しましたか! ああ、恐ろしい。そんな事をされては再び戦争再開だわい!」

「は?」

 まさに髪に刃を入れる寸前で、レーニエはぴたりと止まっている。

「少しでいいんですよ、ほんの少しで! まったく、何と言うお方だ、あなたは。ご自分の髪が惜しくはないのか!」

「特に」

 不思議そうにレーニエは老宰相を見た。手にはまだ短刀を持っている。

「いったいこれは……何と言う姫だ。髪は女の命と言うではありませんか!」

「知らない。では、どのくらいならいいのだ?」

「このくらい」

 ジキスムントは指先を丸め、自分の灰色の髪を少しばかり摘まんで見せた。

「なぁんだ、雑作もない」

 なんで、自分が髪を切ったら戦争再開につながるのかよくわからないまま、レーニエは絹糸のような髪を一筋掬い上げた。




ファイザルがヘタレだと、アクセス数がどっと減ります。

見たくないのはわかるんだけど、完璧なヒーローよりも、人間味があると思うんですよ。

長い物語なので、谷は当然あります。

ずっといちゃ甘ならこの物語は成立しないんで。

もう少しご辛抱を。

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― 新着の感想 ―
え?! ヘタレだからこそ読むのではないですか! むむむ。 難しいモンですな。
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