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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
88/154

88 障壁 6

 華々しく執り行われた儀式の後、急遽晩餐会が設けられ、使節団の主だったものが出席した。

 それも果てた夜更け。

「レーニエ様、皆様方が参られました」

 サリアが告げた。

 この内々の会談は、ザカリエ側よりドルトンを通じて求められ、レーニエが応じたものだ。

 ドルトンは厳正な身体検査を行う事を条件に、二人を迎え入れることを承知した。

 彼はレーニエに対し、自分はこの件に関して一切口を挟まないことを伝えた。

「私に下された命令の主旨から本件に介入いたしません。レーニエ様の安全は保障いたします」

 レーニエは彼の判断を信じた。とにかく、会わねば何も始まらないと思ったからだ。 


「お通しして」 

 レーニエは、サリアに指示する。

 ザカリエ王弟アラメインと宰相ジキスムント卿、そして最後に影のようにドルトンが入ってきた。

 ジキスムントは丁寧に頭を下げた。ザカリエの二人も同じく深礼をとる。

「今日は大変な一日でありました……さぞやお疲れと存じておりますのに、申し訳ございませぬ」

「構わない。大切なご要件とか。サリア、外せ」

「はい。では、ご用があれば、隣で控えておりますので」

 扉を閉める前に心配そうな一瞥を主に投げかけ、サリアが下がる。

 ジキスムントに目配せをすると、ドルトンも部屋を出た。

「おや、レーニエ姫には男物の服をお召しに?」

 アラメインはシャツに下衣という、レーニエのいつもの服装を見て驚いたようだった。公式の場では王女として振る舞ってきたが、窮屈な服装が元々苦手なレーニエは、私室に戻るとすぐに着替えてしまう。

 髪も解いて後ろで緩く結わえるだけにしてしまうので、彼は初めて見る長い銀髪を珍しそうに眺めた。

「私はゆったりした服装が好きなもので……お見苦しい点はお許し願いたい」

 自分が姫と言われたことを面映(おもは)ゆく感じながら、レーニエは二人に椅子をすすめた。

「いえ、よくお似合いです。私もこのような略装で失礼いたしておりますれば」

「殿下、時が惜しゅうございます。レーニエ殿下、失礼ですが、早速本題に入ってよろしゅうございますか?」

 ジキスムントが自国の王子を遮る。レーニエは無言で頷いた。

「この爺めは失礼ながら、今日一日のご様子を見て、レーニエ様を大陸で一番古い王家のご直系に相応しい、度量の広い方とお見受けいたしました。そのご気性をお見込みいたしまして、単刀直入に申し上げまする。ドルトン殿もこの事はご承知済みで」

「そうか。申せ」

「では申し上げます。エルファラン王室には、ザカリエ王家と姻戚関係を望まれまするか?」

「……」

 レーニエは静かに赤い瞳を見開いた。

 思わず宰相の横に立つアラメインを見たが、彼は何も言わずうつむき加減に座っている。男にしては長い睫毛が物憂そうに伏せられていた。

「いかがでございましょうや?」

「……なるほどな」

 レーニエは柔らかく視線を解いて苦笑を一つ落とした。

「母上の申されたとおりに事が進む」

「ほう……と申しますと?」

「大使の役目を申し出てから、私の知らないところでは、いろいろな準備が整えられていたという事だ」

「おお! それでは。ソリル二世陛下には、この婚姻を既に姫にご相談に?」

「そうではない。貴国から私に個人的な話が持ち出される事もあるだろう、と母上はおっしゃっておられた」

「なるほど。さすがにエルファラン国王陛下は慧眼(けいがん)であらせられる。左様。年齢の釣り合う王子、王女殿下が隣同士の国にいらっしゃるのですから。戦がなければ、いや、ドーミエがいなければ、もっと早くこの話が持ち上がったかも知れませぬな」

 いや、自分はずっと日陰の身だったからそれはないはず……とは言えず、レーニエは黙ったが、ジキスムントは真面目な顔で続けた。

「ですが、これは個人的な話ではありませぬ。我が国は敗戦国。賠償問題は概ね決着がつきそうだが、それだけでは疲弊しきった民は心から安心しませぬ。そこで両王家の結びつきと言う、目に見える形での関係強化を、と考えるのは、人情でございましょう」

「……意味はわかる」

「幸いにも、アラメイン殿下は王弟。レーニエ様はこう申しては失礼ながら、お生まれのご事情の複雑さ故か、王位継承権は既に放棄しておられるとか。もしこの婚姻が実現したとして、両王家にはさしたる波風も立ちますまい。この場合、敗戦国たる国の王族アラメイン殿下の入り婿となりましょうが、レーニエ様には承服頂けましょうや?」

「そんな事を申してよいのか?」

「どういう意味でござりましょう」

「アラメイン殿にはいかが思われる」

 レーニエは老宰相には応えず、なぜか苦しげに自国の宰相の話を聞いている、自分の婚約者になるかもしれない青年の方を向いた。

「私は……はい。国の安寧の為ならば、どんなことでも致す所存で……それが王家に生まれた者の崇高なる義務かと」

 彼は美しい翡翠の目に、哀しみの色を(たた)えて言った。

「そうか」

「アラメイン殿下、その言い方ではいかにも気が進まぬご様子です。レーニエ姫に失礼ではありませんかな?」

「え? いえっ! 私はそう言うつもりではっ!」

 アラメインは酷く狼狽(うろた)えて立ち上がり、レーニエに頭を下げた。

「構わない。アラメイン殿には、正直におっしゃっていただく方が良い」

「しかし、ソリル陛下がそうおっしゃられたという事は、エルファラン王家には異存がないと言う事でありますな」

「さぁ、それは知らぬが、そう言う話が出ることを予見できなかったのは、私だけであろうな」

 苦々しげにレーニエは言った。

「私は事情があって今まで、ずっと隠棲してきたのだから。貴国の事情もよくは知らぬ」

「御意」

 満足そうにジキスムントは頷く。彼の思い通りに話が運んでいるのだろう。

「シザーラ殿はこの事は御存じか?」

 レーニエはアラメインに向かって尋ねた。

「え? は……はい。きちんと話はしてはおりませぬが、彼女は聡明ですから、おそらく全て察しているでしょう。ですが、なぜ今シザーラのことを?」

「知りたいと思って」

「レーニエ殿下。何をおっしゃりたいのか分かりかねますが、これは国同士の決めごとでございますれば、個人の私情など挟む余地はありませぬ。よって、形式的にお伺いするのでありますが」

 ジキスムントは断固とした調子できり出した。

「聞こう」

「レーニエ殿下には、このお話をご承服していただけるのでしょうか?」

 極めて穏やかに且つ紳士的に、ジキスムントは尋ねた。

 レーニエは静かに彼を見つめる。ジキムスントも彼女を見つめ返す。しばらく沈黙が部屋を覆った。

「ジキスムント殿はシザーラ殿のおじい様であらせられるのだろう? 我々の婚姻が成立すれば、シザーラ殿は悲しまれるのではないのか?」

 やがてレーニエが静かに問うた。

「なんと!?」

 外交的演技ではない、本物の驚きの表情が老宰相の灰色の瞳に浮かんだ。

 アラメインも同様である。彼は美しい瞳を見開いて、レーニエを食い入るように見つめている。

「単刀直入に申し上げるが、アラメイン殿とシザーラ殿。お二人は愛し合っておられるのだろう? 以前は婚約もされておられたはず。違うかな」

 極めて平坦にレーニエは続ける。ジキスムントは暫し、紡ぐべき言葉を失った。

 ある意味、正念場とも言うべきこの場で、この姫は一体何を言いだされるのか? 作為があるのか、それとも。

 百戦錬磨の老政治家も、ガラス玉のような赤い瞳に潜む意図を測りかね、深窓の(としか見えない)姫君を見つめる。

 彼に見つめられて震え上がる人間は何人も見たが、レーニエは特に怖気づく様子も見せず、ごく自然に彼の視線を受け止めていた。

「なるほど。先程も感じましたが、貴国はかなり優れた諜報網をお持ちのようですな」

 それはドルトンを通じて(もたら)された、フェルディナンドが苦労して得た情報である。それは昨晩ドルトンに齎されたばかりのものだった。

 レーニエはフェルディナンドが敵国の王宮に潜入し、危険を冒して手に入れた情報を無駄にしたくはなかった。

 今が、今こそが母の示唆した「その時」なのだ。

「事実であろ?」

「エヘン……先程の広間での醜態はともかくとして」

 ジキスムントは軽く咳払いをした。

「アラメイン殿下と我が孫娘の婚約の事も、それが解消されたことも、我が国でも殆どの者が知らないことでしたが、私の不在の間に随分ザカリエ宮廷も墜ちたものだ。そんな情報を容易く入手できるとは」

「容易い訳がない。私の愛する者が命がけで得た貴重な情報だ。無駄になぞできぬ。使うべき時に使うのがよい」

 未だ、王宮内に潜入したままのフェルディナンドの事を想い、レーニエは苦しそうな顔になった。

「それに先ほどのやり取りで、お二方の仲はあの場にいた者達に知れ渡ったも同じだろう。鈍感な私でさえ気がついたのだ。婚約がなぜ解消されたかは知らぬが、お二人はまだ愛し合っておられる、そうだな、アラメイン殿」

「……は」

「誤解の無いように言っておくが、私とて戦が()まり、人々のためになるのであれば、この役立たずの身一つ、国の為に投げ出すに(やぶさ)かではない。

 それがどんなに不本意であっても。しかし、母上は、私に自分の意思で行動するようにおっしゃられた」

 今ならわかる。フェルの事も。

 こう言う時の為に、さまざまな準備をしておく必要があったのだ。何が切り札になるかわからぬものだから。

 だとすれば。

 既に心は決まっている。

「私は想い合う二人を押しのけてまで、この婚姻を進めようとは思わぬ」

 レーニエはアラメインに向かって言った。

「確かに、私とシザーラは愛しあっております」

 苦しげに金髪が揺れる。

「幼いころから一緒に育ち……でも、凡庸な私と違って彼女は聡明で、勉強家で、度胸もあり、私は彼女にずっと憧れておりました。情けない私の相談にのってくれ、その身を危険に晒して。ですから、今回のことで私でも国の役に立てることを示したくて……」

 アラメインは己が両手に顔をうずめてしまう。金の髪が乱れてその額に懸った。

「それでよいと申されるのか?」

 レーニエは項垂れるアラメインに問いかける。見かねてジキスムントが口を挟んだ。

「レーニエ様、しばらく。私はシザーラに諦めよと申しました。彼女も我が孫。女ながらによく政治を学び、国家間の駆け引きの事は弁えております。先ほどもあの娘の方から、この話を進めるように申して来よりましたわ」

「お辛かったであろうな……」

 レーニエはシザーラに、己が心の内を重ねた。

 シザーラ殿の決意の片鱗も私にはない。今この瞬間も、会いたくてたまらないのだから。

「何を仰せられますか。レーニエ様もおっしゃられたではありませぬか。戦は人の心の欲がもたらすもの。ならば施政者同士の絆が深まれば、人々の我欲故の闘争心の抑止力になるはずです。レーニエ殿下、あなたも国王の娘ならば、よく考えてごらんなされよ」

 老宰相の声は厳しかった。


 ドンドンドン


 乱暴なノックの音に、隣室で控えていたサリアは、はっと顔を上げた。

 音はレーニエたちがいる奥の間ではなく、廊下から響いてくる。

 レーニエの居室にザカリエ王弟と宰相が来ている事は、誰にも知られていないはずだった。

「どなたでしょう」

 サリアは用心深く扉に口を寄せ、低く問うた。

「俺です。どうか、開けて下さい」

 扉の向こうから低く錆びた声がした。




わー!

ちゃんと、ちゃんとしますので、見捨てないで!

ご新規様!

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