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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
85/154

85 障壁 4−1

 レーニエは静かな視線で前を見据え、皆が立礼をする中、与えられた席に着いた。隣はザカリエ宰相、ヴァン・ジキスムントである。

 ファイザルは一歩退き、会議室全体が見渡せる位置に立っているらしく、レーニエの視界からは捉えられない。

 彼の視線に晒されず、安堵のようなものを感じた自分が情けなく、レーニエはこっそり下唇を噛んだ。

「それではまず、こちらにお目通しを」

 儀礼的な挨拶が済むと、早速ドルトンがこの場を仕切った。

 ジキスムント宰相もこれに異存はないようで、黙って彼の立ち振る舞いを見守っている。

 レーニエは彼を観察したが、後ろで纏められた白髪を垂らした老人は、かつて先王と共に国境を侵犯し、戦を始めた男とは信じられないほど、静かに哲人めいて見えた。

 文官達がこの数日、ぶっ通しでまとめた書紙が双方の代表に配られる。

 そこには戦後賠償の金額と支払方法、期間、そして両国の軍隊の自由国境地帯での活動の限界地点や、鉱山の所有権など、本格的な平和条約の前に取り決めておかなくてはならないことが記されていた。

 戦争の発端となった鉄鉱脈に関しては、例え自由国境地帯に(またが)っていてもエルファラン資本のものにはザカリエには一切の発言権はないものとし、その代わりにエルファランから技術者を派遣し、ザカリエ側の鉱山の開発や留学生の受け入れなど、細かい取り決めがしたためられている。

「方々宜しゅうございますかな? 協議の中でいくつか構文に手間取った条文がございます。その部分のご確認を」

 ドルトンが澱みなく議事を進行させてゆく。

 主な条文が読み上げられ、形式的な質問が双方からなされた。これも筋書き通りの事であるが、レーニエは初めて接する国際舞台に興味を引かれ、一心不乱に聞き入っていた。

「いかがでございましょう」

 やがてドルトンが。自国の使節の長たるレーニエに尋ねる。レーニエは文官達のやり取りを聞きながら、書面に目を通していたが、おもむろに顔を上げた。

「条文はよくできている。事務官には(ねぎら)いの言葉を」

「ありがたきお言葉痛み入りまする。では次にジキスムント宰相閣下には、いかが思し召されますか?」

「異存はない。いかに厳しい条件だとて、敗戦国たる我が国には異論の申しようもないが、降伏条件や賠償額には思いの他、貴国のご配慮が盛り込まれており、感謝している」

「恐れいりまする」

 ドルトンは恭しく頭を下げた。協定はそろそろ終盤を迎えようとしている。

「一つ伺いたい」

 銀の鈴の鳴るような声をレーニエが発したものだから、一同ははっとなって、美しい大使を見つめた。

「恥ずかしながら、私は政治に詳しくないので尋ねるのだが」

 これは予定にはなかったことだったらしく、ドルトンも怪訝そうな眼を向けた。自分の言葉が皆の視線を集めたと知って、レーニエは白い頬をさっと紅潮させる。

「決まり事の流れを遮るつもりはないが」

「構いませぬ。ここは協議の場でございますれば、異論があればなんなりと」

「いや……異論と言うのではないが」

「それは?」

「この協定で本当に戦はなくなるのだろうか?」

「なくすための協定でございますれば」

 ドルトンは慎重に答えた。

「しかし、戦とは人の心が起こすもの。いくら立派な条約が結ばれたところで、人の心が変わらなければ、またいつか同じような事が起こるのではないか。実際、両国は長い間、戦争を続けてきたのであろう?」

「それは……こう申しては、ザカリエの方々に憚りながら、それはドーミエと言う一人の男の野心がもたらしたものでございました」

 ドルトンは、ジキスムントに注意を払いながら答えた。

「それはそうかもしれないが、彼一人では戦は起こせまい。ドーミエ殿を扇動し、迎合、共闘した者たちがいて戦禍は拡大したのだ」

 レーニエは視線を隣国の宰相に流す。

「恐れながら、二十余年の昔、貴国の富を狙ってこの戦を起こしたのは、先代のザカリエ国王陛下でございました。若気の至りとはいえ、私も富国の夢を先王に託したのでございます。レーニエ様のおっしゃるとおり、戦とは人の心の欲が生み出すもの」

 お飾りの小娘が何を言い出すのかと見つめていたジキスムントは、彼女の真摯な意見に真面目に答えた。

「今はいかに愚かなことであったかと、若き日の自分と、先日討たれたドーミエを反面教師にも思いまする……して、レーニエ様には何を言わんとされますかな?」

 老宰相に鋭く問われて、レーニエは暫く考えていたが、やがて言葉を選んで語り出した。

「人の心は弱きもの。私も含めて、な。それでも強く願えば、いくらかは変えることができるかもしれないであろう? 例えば、子ども達への教育。直ぐには答えが出ぬものだし、思うように成果は上がらぬかもしれぬ。しかし、教育は国の(いしずえ)だ。それは国家の仕事だろう?」

 レーニエは、自分が分不相応に意見を述べていることを、頭の片隅で意識していた。

 しかし最初は、縮こまっていた心が、次第に前向きになってくるのも感じている。彼女にはかなぜか、遥かな北に住む素朴な人々が勇気を与えてくれるような気がしたのだ。

「ほう、教育と申されまするか」

「いや、正式な教育も受けていない私が、こんな事を申すのは気が引けるのだが……私の領地は人々は貧しく、子ども達も労働力として親を助け、懸命に働いている。しかし、故あって、私は屋敷で子ども達を預かり、幼い者達に読み書き、年上の者に計算等を教えていたりしたのだが、子ども達は楽しそうに、実によく学ぶ……」

 レーニエは夢見るように、窓の外に視線を遊ばせた。

きっと領地の貧しくとも、純粋に彼女を慕う子ども達を思い浮かべているのだろう。

 ファイザルは仄かな微笑みを浮かべるその様子を見守っていた。

「きちんとした施設や制度、導く人材さえあれば、子ども達は健やかに伸びる。子どもにしっかりした教育を施すことの方が、戦費に国家予算を費やすよりもよほど安く、長く平和を保てるのではないか? これは世慣れぬ者の浅知恵、きれいごとかも知れぬが」

「確かに殿下のおっしゃることは、理想でございましょう。が、貧しき者に教育を施すと要らぬ知恵が付き、不平不満を募らせ、国家の礎を揺るがす事になりかねません」

 意地悪そうにジキスムント宰相は応じた。

「その考えは間違っていると思う。民を正しく導くのは国家の役目だろう」

 レーニエは特に臆するでもなく、威圧するでもなく、極めて自然体で自分の考えを述べた。


「これは……確かに王家の、そしてブレスラウ公爵の血だ。そう思わんか?」

 ドルリーは傍らの同輩に、感心したように呟いた。

「あの姫君はまごうことなく、お母上の果断、お父上の度胸を受け継いでおられる」

「うむ、まさしく。まだまだお若く、自信なさげでいらっしゃるが、お顔立ちもさりながら、あの態度は生まれついての王者のもの」

 フローレスも心から同意する。

「敵だった国の宰相を前に、立派に渡り合っておられるではないか」

「しなやかだ、実にしなやかだ。あの天衣無縫だったお父上を彷彿とさせる」

「だな。それでいて、気品漂うお振る舞いはお母上のものだ」

「陛下からの書簡を読んだときは正直、たまげたがの。このような方がいらっしゃるとは、にわかに信じ難かったが……きっと王宮では大騒ぎになるだろうよ」

「サイラス、私はあのブレスラウ公の血を引く方がいると思っただけで、嬉しくてならんのだ。これは素晴らしい事だ。陛下はよくぞこの姫君をこの地に、我々に遣わせて下さった。亡き公のお導きかも知れぬ」

「うむ。実に」

 ドルリーとフローレス、二人の将軍達の驚きと呟きが、後ろで控えるファイザルに伝わってくる。彼等は食い入るように銀髪の娘を見つめていた。

「施政者に自信と誇りがあれば、民も(おの)ずとついてくると思う。教育が騒乱を産むとは私にはどうしても思えない。だが相すまぬ。協議の腰を折るつもりはなかったのだ」

 将軍達の感慨も知らず、レーニエは隣国の高名な元宰相を前に、熱弁をふるったことを恥じるように黙ってしまった。

「私賛成ですわ」

 キツイ声が近くでしたと思ったら、金褐色の巻き毛の娘が身を乗り出している。

 小柄だが、素晴らしい金褐色の癖っ毛と堂々たる態度のおかげで、実際よりよほど大きく見える。

 彼女は時代遅れのドレスを着てはいたが、もしレーニエがこの場にいなかったら、彼女こそ目立つ存在だったろうと思えるほど存在感があった。

「貴女は、確か」

 先程の名乗りの時に聞いたはずなのだが、他に気を取られていたのでレーニエはすぐには娘の名を思い出せなかった。

「はい。そこなる宰相ジキスムントの孫娘、シザーラ・ヴァン・ジキスムントでございます」

「シザーラ殿」

「レーニエ殿下のおっしゃられる事、このシザーラ、いたく感じ入りました。ですけれども、ご無礼ながら、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「殿下は王家の方と言う事を伺っております。何もそれを疑う訳ではありませぬけれど、どのようなお血筋なのか伺ってもよろしいですか? 王族と申しましても直系、傍系、様々ですわ。確かさっきお名乗りになったお名前は、失礼ながらエルファラン王家の御名ではございませんでした」

「ジキスムント女伯爵、それは無礼な物言いではござらぬか。わが陛下がお認めになっているものを」

 ドルトンが声を上げる。

「シザーラ! 黙りなさい」

 ジキスムントも厳しく孫娘を(たしな)めた。

「よい。偽りではないにせよ、私は生まれついての名ではなく、母上の下された名を名乗った。それと言うのも、私は生まれ持った名など、自分のものだと意識したことがなかったからなのだが」

 いったいこの人は何を言い出すんだ?

 セルバローは上座を見つめて眉をひそめる。

 ファイザルは、まるでそこにいないようになりを潜めているが、神経を研ぎ澄ませて成り行きを見守っていることがその横顔に伺えた。

 レーニエはシザーラと対峙している。

「ご無礼致した。シザーラ殿、それにザカリエの方々。このような場で通り名で押し通すなど、確かにおっしゃる通り失礼極まる」

 レーニエは声を張った。

「我が……我が真の名は、レーニエ・アミ・ディ・エルフィオール。現国王ソリル二世、アンゼリカ・ユール・ディ・エルフィオールは我が母である」



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