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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
83/154

83 障壁 2ー2

「騒がないでよ」

 ジャヌーの隙のない構えにも怯まず、サリアは自分よりよほど大きなジャヌーを睨みつけた。

「こっちへ! ここでは人目があるわ」

 サリアはそう囁いてジャヌーの腕を引っ張ると、どんどん奥へ進み、裏の階段を駆け上がると更に廊下を進む。そこここに警備の兵士が立っているが、サリアは気にもしない。

 二階は使節団の居室になっていて、サリアは一番奥の小さな扉を開けた。どうやらそこはサリアの私室になっているらしい。小さな部屋だが奥にも扉があり、なかなかきちんと(しつら)えられている。

「ここならいいわ」

 サリアはきっと青年を振り返った。

「お久しぶりです。サリアさん」

 ジャヌーは深々と体を折った。

「すみません。昨日はちらりとお見かけしたものの、ご挨拶もできずに……こちらもいろいろ立て込んでいまして……」

「知っているわよ。立て込んでいたのはこっちも同じだわ。って言うか、あなたは、私たちが来る事を知らされてなかったのでしょ?」

「実は……そうです。王家の方が停戦の使者に立たれたとは伺っておりましたが……そのぅ……まさか、ご領主様がえっと……王家の……?」

「そうね。黙っていて悪かったわ。でも、レーニエ様がお望みだったのよ。ノヴァの地でも、今回の事も、出自は明かしたくないと。理由は違うのだけども」

「よくわからないのですが……俺などが伺ってもよければ……でもあの……無理なら」

 何をどのように聞いたらいいのか、朴訥なジャヌーには適切な言葉が見つからない。

「そうね。もうこうなってしまったら仕方がないわ。あなたにも分かった通り、レーニエ様は王家に属される方。それもかなり上位のお血筋の……ね。二年前、一領主としてノヴァの地に赴かれたのは、ご身分やご出生にまつわる桎梏(しっこく)を全てお捨てになられるご決心をされての事だった。理由は言えないけれども」

「……」

「だけど今回、このお役目を(にな)われたのは、初めてご自分のお立場を自覚されてのことなの。このお役目をレーニエ様は望んでお受けになられた――あの方にお会いするために」

「そ、そうなのですか?」

 我ながら間の抜けた相槌(あいづち)だとジャヌーは情けなく思いながら、驚くべきサリアの打ち明け話に聞き入る。

「だけど、レーニエ様の存在はあまり多くの人に知られていなくて。要らぬ憶測を避けるためにも敢えてギリギリまでご自分の事を秘された。まぁ、これは女王陛下の命でもあるのだけどもね」

「じょおう……って、女王――国王陛下ですか?」

「ええそう。まぁ、そのことは今は突っ込まないでね」

「ええっ! ここまで言っといて、後はなしですか?」

 ジャヌーは悲痛な声を上げた。

「悪いわね。昨夜ね、二人のお爺さん……なんとか将軍と、かんとか将軍には、レーニエ様が陛下の手紙を見せて事情を打ち明けたんだけども。お二方とも卒倒しそうなほど驚いていらしたわ」

 それは勿論ドルリーとフローレスの両将軍のことである。サリアは名前を覚える気がないらしい。

「……そんなに大変なご身分の方なのですか……?」

「そうね。まぁ、その内あなたにもわかるわよ。でも、これで大体の事情はわかったでしょう?」

「ええっと……はい」

 とてもそうは思えないジャヌーだったが、今ここで悪い頭を露呈(ろてい)しても仕方がないのでとりあえず黙っておく。

「そう言う訳で、レーニエ様は休戦調停を担う大使としてこの地に来られた。先日の大決戦の折は都におられたの。レーニエ様は、あの方の事が心配で心配でずっと眠れぬご様子で、私は見ちゃいられなかったけれど、今はご立派に振る舞われている」

「……はい」

「激しい大戦だったのでしょ? 私なんかには想像もできないけれど」

 サリアは複雑な表情で大柄な青年を見上げる。

「それはもう……ですが、もうすんだ事です」

「……あなたも無事でよかった。だけど痩せたわね。怪我とか、病気とかは大丈夫だったの?」

 サリアは少しだけ顔を緩めた。

「大丈夫です。俺なんか頑丈だけが取り柄ですから。そりゃ小さい怪我はいっぱいしましたけど、この通り五体満足だし。だけどお言葉嬉しいです。あ、司令官殿は、この間の決戦で敵の将と一騎打ちされた時に、脇腹に負傷されましたが」

「え? そうなの? レーニエ様がお聞きなったらなんと悲しまれるか……」

「あ、でも、もうかれこれ三週間以上経ちますし、お元気です。っていうか、お怪我などものともせずにずっと立ち働いておいでです。どうかご安心を」

「そう。それはまぁ、とりあえず良かった。レーニエ様はいつも心配されてたの。あの方の事もだけど、あなたの事もね……私もだけど」

「俺だって皆さんの事を思い出さない日はありませんでしたよ。砂の上で立ったまま、硬いパンを水で流しこむたび、サリアさんの作る甘くて美味しいお菓子を恋しく思っていました」

「なによ、胃袋で私の事を思い出していたの?」

 途端にサリアは柳眉を吊り上げて見せる。

「いえ! 決してそんな事は!あの、そうではなくて俺はずっと……お会いしたいと……いやその、むにゃむにゃ」

 ジャヌーは耳まで赤くなって俯いた。

「ふ……まぁ許してあげる――会えて嬉しいわよ、ジャヌー」

 サリアはやっと微笑んで大きな瞳を煌めかせた。みるみるジャヌーの顔が輝くのを満足そうに眺める。

「お……俺だってそうです」

 ジャヌーはますます赤くなりながら思わずサリアに一歩踏み出したが、すぐにサリアの表情が厳しく変わる。

「ところで本題だけど」

 まだこの上に本題があるのか? という顔をジャヌーはしたが、サリアはそんな事に頓着しない。ぴしりと青年を見据えた瞳は今度は怒りでキラキラしていた。

「あの態度は一体何なの!?」

「は? 俺何か」

 ジャヌーは自分が叱られたと思って姿勢を正した。

「わからないの? あの方の態度よ! ファイザル大……今は少将様なんだってね! 殿方って御出世されたら、元の任地の領主様のことなんか、きれいさっぱり忘れてしまえるものなのかしら?」

「いや……それは」

 ジャヌーは口ごもった。

 確かにレーニエは田舎領主だったが、身分を隠した直系の王族なのだったら、どっちが偉いかは明らかだ。

「レーニエ様は、この一年あまりそれはお心を痛めておられた。決戦が勝利に終り、ファイザル様がご無事だと知った時のお顔は忘れられないわ!」

「は……はい」

「陛下に使者となるお許しを頂き、会えるのをずっと待ち望んでいらした。だけど、ファイザル様ときたら、お顔をあわすのさえ避けていらっしゃる。公式の場では仕方がないけど……それでも酷すぎる!」

「それはしかし、レーニエ様の方からお召しがあれば……」

「したわよ。御公務中はさすがにご遠慮されたけど、昨夜、私がこっそりあの方を呼びに、お部屋を訪ねたのよ! だけど、扉を開けても下さらなかった! もちろん声もかけて頂けず、無視よ無視! 部屋には明かりが漏れてたのに!」

 思い出しても腹が立つのか、サリアの大きな瞳は泣かんばかりに見開かれ、ジャヌーをねめつける。

「そんな事が……ちっとも存じませんでした」

「遅い時刻だったからね。で、何にも応答がないんで、仕方がないから走り書きを扉の隙間から投げてきたけど、今になっても無しの(つぶて)

「……」

「酷いと思わない? レーニエ様は昨日から食事さえおできになれないくらい嘆かれて……」

「なにか……きっとご事情が……そう、司令官殿には、何かお考えがあるのだと思われます。レーニエ様のご身分を知ってびっくりして、案じられて……」

「あの方はとっくにご存じなのよ。レーニエ様がそうおっしゃったもの」

 ぴしゃりとジャヌーを遮る。

「え!?」

「ご領地で一緒に過ごされた時に打ち明けられたとか。私は詳しくは聞けなかったけど。だから、今更あの方は、驚いたりしてないはず」

「そ、そうだったので?」

「そうよ! だからこんなに腹が立つんだわ!」

「だからきっと何か他に理由が……」

「じゃあ、その理由とやらをはっきり言ったらどうなのよ! きっと自分がどんどん出世するものだから、日蔭者のレーニエ様の事などめんどくさくなってしまったんだわ! ひどい男!」

 怒りが頂点に達したサリアは、きれいに結い上げた鳶色の髪を振り上げた。

「サリア……もうよい」

 その時弱々しい声が背後から聞こえ、ジャヌーははっと振り返った。

 いつの間にか開かれた奥の扉の奥に佇むのは、忘れようにも忘れられない姿。

「レーニエ様!」

 ジャヌーは打たれたように立ち竦んだ。

「ジャヌー……久しぶりだね」

 レーニエはゆっくり部屋に入って来た。

 髪を流し、白く長い部屋着の裾を引く彼女は、長らく男たちばかりの戦場を駆け抜けてきた若者に夢のように見える。それは記憶にあるものより一層儚く、美しい姿だった。

「あああ! レー……ニエ様! ご、ご無沙汰をしております。ご挨拶が遅れ、まことに申し、申し訳……」

 這いつくばるように片膝を折り、感極まった若者は言葉に詰まった。

「よいのだ……私こそすまない。こんなに突然現れて……力もないのに思い上がって休戦使節の長などと……」

 レーニエは体を屈めて仲が良かった青年の肩に触れた。

「何を仰せられますか!」

 がばと、頭をあげてジャヌーは白い顔を見上げる。

「身の程知らずは充分わかっている。あの人もそれをお怒りなのだろう」

 レーニエはふ、と淡い微笑をもらした――それは大層儚く、哀しげなのに見蕩れてしまう程の――

「そんな……そんな事は決して!」

「何かしたかったのだ」

 ジャヌーがおろおろと言いかけるのを遮り、レーニエは言った。

「私にでも役に立てるかもしれないと……私の家の事を聞かれた?」

「は……それは王家の方だとしか……」

「そう……この事が片付いたら、ジャヌーにもきちんと話をするから……それまでは許してほしいのだけれど」

「俺……私の事などお気にかけられることはありません。どうぞ、レーニエ様の思うようになさってください」

「ありがとう……私は、あの人に嫌われても仕方がないのかもしれない……でも、この事に関しては自分の役割を全うするつもりだ。私をここに寄こして下さった方の恩に報いるためにも……」

 まるで戦乙女のようだ――あの人はそう言ってくれた。だから、無様なまねだけは見せまい。決して!

「この役目だけはやり遂げる」

 レーニエは顔を振り上げてきっぱりと言った。


 ジャヌーは悄然と部屋を出た。

 そして大階段を下りた途端、廊下の辻でこちらを見ているファイザルとがっちりと目が合う。その瞳は何の感情も映してはいなかった。

「司令官殿! これはあの……」

 ジャヌーは慌てて大股で上官に走り寄る。

「……」

 ファイザルはジャヌーの背後を見、彼が出てきた方向を確認するとものも言わずに、自分の従卒を力任せに殴り倒した。

「ぐっ!」

 大柄な青年が吹っ飛び、床に横倒しになる。すごい力だった。

「し、司令官殿……」

 打擲(ちょうちゃく)された頬を押さえながら身を起こそうとするジャヌーに、氷のような一瞥を投げると、彼はそのまま興味を失ったように踵を返す。

「いったいどうしたらいいんだ……」

 ジャヌーは切れた唇の血を拭いながら、途方に暮れたようにつぶやいた。



すみません、すみません!

こんなヘタレな男ですみません。以前連載していた時も、この場面はめちゃくちゃ叱られました!

今読み返してもひどいわ。

でも、応援して!(どげざ)

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― 新着の感想 ―
はい。 問題解消です。 確かにヘタレではありますが、それがまた良し。 ファイザルの誠実さも垣間見えますし。 ジャヌーに同情票!
ジャヌーは口ごもった。  確かにレーニエは田舎領主だったが、身分を隠した直系の王族なのだったら、どっちが偉いかは明らかだ。もし、レーニエがファイザルを召喚したら、彼は一も二もなく、この一年あまりそれは…
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