81 障壁 1
「いよいよですね? レーニエ」
「はい。母上、行って参ります」
瑠璃宮は、その日も静かな朝を迎えていた。
この後、停戦使節の一行は首都ファラミアを発つ。
昨夜の会議ではようやく休戦、講和の条件が纏まったところだ。女王はこの五日間、延々と続いた会議の全てに参加し、状況を娘に伝えた。
レーニエは、初めて知る政治の議論や、駆け引きに驚いていた様子だったが、母の話を黙って聞いていた。
「今現在、収集できる全ての情報を分析し、結論を導き出してあります。あなたにも大筋は掴めましたね」
「はい」
「ザカリエの側の使者は、ヴァン・ジキスムント宰相に決定です。彼は百戦錬磨の政治家です。向こうの出方次第では、こちらの出す条件も微妙になってくるでしょう。
ドルトンとよく相談するように。ただ、ジキスムント殿は、不実な人間ではないと私は思っています。これまで我が国と浅からぬ縁のあった人物ですが、人を悪意で見てはなりませぬ」
「はい。全ておっしゃるとおりに致します」
「レーニエ」
「はい」
「もしかすると、あちらはお前に直接、ザカリエ内々の事情を訴えてくるかもしれません」
「内々の?」
「はい。その事情と言うのは、いくつか考えられますが、おそらくあなた個人に直接関わる様な事」
「私個人に、ですか?」
レーニエはどういう事かと考えを巡らすが、自分などに何の話を持ちかけてくるのか見当もつかない。
「そうです。でも、もしその時が来たら、まずはあなた自身で考える事です」
「……」
「そして、考えが決まったら、その事をドルトンに伝えなさい。彼はあなたの意志を最大限に尊重しながら、折衝を進めていくでしょう」
「私の意志? そんなものを通していいのですか」
訳がわからないながら、レーニエは母を見た。
「とにかくしっかりとよく考え、自分の思いを伝えることです」
「わかりました。私などに何を持ちかけられるか、想像がつきませぬが、その時が参ったらよく考えて見ることにいたします。ご示唆、感謝いたしまする」
「それでよい。それから、くれぐれも御身辺には気をつけられるよう。決して、無茶をしてはなりませんよ」
女王は母の顔に戻り、娘の額に口づけを落とした。
「承知いたしました。この私にこのような役目をお許し頂き、本当にありがとうございます。母上も……」
「ええ、母もこの王宮でやるべきことがある。あなたが戻られたらわかります」
「母上も休まる間がございませぬな」
「ええ、あなたのお戻りを、漫然と待っている訳にもいきませぬ。ですがあなたは」
「はい」
「かの地でもし、想うお方と巡り会われたら、その時はどうされるおつもりですか?」
単刀直入に女王は尋ねた。
「まだわかりませぬ。おそらく非常に驚かれると思います。お叱りを受けるやもしれませぬ。ですが、お会いしたい……とても……とても!」
レーニエの唇が震える。
「軽挙はお慎みなさい。ですが、自分を偽りすぎてもいけませんよ」
「はい」
レーニエは母をまっすぐ見つめて答えた。
「よいお顔になられた……では、行かれよ」
「はい。では行って参ります」
レーニエはすっくりと立ち上がった。
立ち姿の美しい娘であった。
深々と一礼すると、長衣の裾を翻して部屋を出てゆく。女王は扉が閉められるまでその後姿を見送った。
ご存分に振る舞われるがよい。我が愛しい娘。
それから南に面した窓辺に向かい、薄青い空に向かって低く呟く。
「レスター……どうか、あの子をお守りください」
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