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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
77/154

77 王都 3−2

 美しい貴公子と貴婦人。

 最初は名前以外、お互いが誰なのかも知らず、知り得た時には、後戻りできないほど、彼等はお互いのものとなっていた。

 愛は秘かに育まれた。

 レストラウドの出生の疑惑を知った時、アンゼリカは自分の体の変化に気がついていた。

 ゆったりとした衣装で人目を憚っていても、いつまでも隠し遂せるはずもなく、アンゼリカは臨月を前に秘かに王宮を抜けだし、故王妃が少女時代を過ごした尼僧院に身を隠した。

 父王には病と偽るが、王からの言葉は何もなかった。

 公爵レストラウドはその直後、突然侵攻してきたザカリエとの戦に駆り出されてしまう。

 アンゼリカには愛する男の子どもを産んだことに些かの悔いもない。やがて生まれたのは娘であった。

 王宮に戻ったアンゼリカは父にこの事を告げた。王は激昂し、彼女とその恋人、そして娘をも口汚く罵倒した。

 王が怒りのあまり、発作を起こさなければ、母子は殺されていたかもしれなかった。しかし、そんな時でも王はアンゼリカに、レストラウドが自分の子かもしれないということを告げていなかった。

 危機を感じ、逃げ出したアンゼリカは、故王妃にも仕えていた信頼できる侍女に生まれた女児を隠させる。

 この事件で、母子が共に過ごせた時間は余りにも僅かになった。

 だが、彼女は幸福だった。

 二人は心から愛し合っていたのだ。

 戦場から密かに戻ったレストラウドは、愛し児に名前を(さず)ける。


 レーニエ


 風変りな響きのこの名は、レストラウドが娘に与えた最初の贈り物だった。

 彼は戦地に戻ってからも、しばしば手紙で様子を聞きたがるほど娘を愛した。

 赤ん坊のレーニエは色が白く、髪の色も薄かったが、公爵も輝かしい金髪だったので、アンゼリカは何も不思議には思わなかった。

 瞳の色は暗赤色の珍しい色であったが、この事も当時はそれほど目立たず、レーニエは王宮の奥で大切に慈しまれた。

 なのに二歳の誕生日を目前に、最愛の娘は何者かに奪われてしまう。

 その頃レストラウドは。王都を長く離れていた。奇しくも、彼が将となって率いた大きな戦いに勝利し、王宮中が浮かれていた時期である。

 アンゼリカは苦悩と悲嘆の極みに陥ったが、嘆き悲しむだけではなかった。

 彼女は強い女性だった。

 果断なアンゼリカは、怒涛のような捜索を開始する。しかし、生まれた女児が攫われてしまったことは、戦地のレストラウドには伝えられなかった。

 アンゼリカはレーニエを一刻も早く見つけ出し、数奇な運命の元に生まれた娘に、身の置き場所を整えてやることが自分の責務だと考え、手を尽くした。

 しかし、まだ何の権限も与えられていない王女の身では、信頼できる股肱(ここう)の数も少なく、ついにレーニエの行方を見失ってしまう。

 彼女は追い詰められ苦悩した。

 殺されたとは思えなかった。仮にも神聖な王家の血をひく子どもが、それほど軽々しく命を奪われるはずはない。

 エルファラン王家の血は古く、かつては神格化されていたほどなのだ。

 そして彼女は疑っていた。

 この非道な行いは、老境に差し掛かり病がちになった国王、つまり父、アルバインの差し金ではないのかと。

 彼は有能な政治家であったが、冷酷な男でもあった。

 彼はレストラウドを我が子だと思ってはいなかったと思うが、あらゆる可能性を(おもんぱか)って、このような非道な行いに出たのかもしれない。

 しかし、最愛の娘を見つけられないまま、アンゼリカが苦しんでいるまさにその時、レストラウド戦死の知らせが伝わる。

 レーニエが攫われて数日後の事だった。

 レストラウドの戦死は、彼が采配を振るった戦いの直後で、遺体には大きな矢傷があったとされている。

 アンゼリカは一時、半狂乱となる。

 その頃の記憶がほとんど残っていないほどだ。

 彼の後を追って死ななかったのは、娘がいたからだと、アンゼリカは今もそう思っている。しかし、運命は正気を忘れる温情を長くは与えてくれなかった。

 レストラウドが戦死してわずか三月後、アルフレド三世は病死した。

 その遺言と、王位の空白期間をよしとせぬ人々の手によって、ただちに女王、ソリル二世が即位する。

 女王となってからも、アンゼリカは娘の探索の手を緩めず、先王の側近を厳しく尋問したが、娘の行方はようとして知れなかった。

 あらゆる手を尽くし、ようやく前王に逆らって牢獄に繋がれていた、かつての従者から、西の王領の外れに「罪人の塔」と呼ばれる、忘れられた場所の事を聞いた時には、アルバイン三世が死んで二年の歳月が流れていた。

 領地の管理者でさえも知らなかった場所。

 それは塔と言うにはあまりにみすぼらしく、樹木に浸食された朽ち果てた場所で、そこに建物があるとわからないほどの廃墟だった。

 知らせを受けてすぐ駆けつけ、辿りついたその場所で彼女は見た。

 老人のような白い髪、そして、見えているのかいないのか、わからない空ろな赤い瞳の子どもを。

 痩せこけた体にボロを被せられ、汚らしい寝台に寝かされっぱなしの哀れな姿を。

 それから十四年。

 よもや育つまいと覚悟した娘は今、美しく成長した。ただ、その不思議な色の瞳には何の希望も映してはいなかった。

 母の心はきり、と痛んだ。

 このままではいけない。

 この娘は、あのレスターの忘れ形見だと言うのに。あの熱い血潮が流れていると言うのに。

「レーニエ……そなた、ここ……王宮を出てゆくつもりはありませぬか?」

「え……?」

 レーニエは黙って小首を傾けた。

「陛下! なんという事をおっしゃるのですか!」

 オリイが驚愕の叫びをあげる。

「そなたをここに閉じ込め、ひた隠しにしてきたのは私です。もう二度とそなたを奪われたくなかった、心無い噂や好奇の目に晒して傷つけたくはなかったからです。今更こんなことを言うのは、身勝手で非情な事だともわかっています。けれど、このままここにいては未来がない」

「……」

「十四年前、あの塔でそなたを見つけ出した時は、正直いくらも育たないのではと覚悟をしましたが、こうして立派に大きくなってくれた。そなたは優しく、忍耐強い自慢の娘です。あの方の子どもです。強い翼を持っていたレスターの」

「……ここを出て、どこへ行けと言われますか?」

 レーニエは静かに問うた

「レーニエ様!」

「陛下! 無体な事を! レーニエ様はこの家しかご存じないのです。そんな……今更ここを出て、生きてゆかれるはずがありませぬ! お考えなおしを」

「もとより無理強いは致しませぬ、オリイ。レーニエ、そなたが望まぬのなら、どこにもやりませぬ。ただ、もしも……と思うたのです。王室にはいくつか天領があります。そなたさえよければ、あまり大きくはなく気候のよい豊かな土地を差し上げましょう。治政などする必要のないように、取り計らうこともできます」

「……土地を?」

「そうです。これがこの母の誕生祝いと思ってもらってもよい。財も、臣も、必要なら新しい名も贈りましょう。返事は今すぐでなくて良いのですよ。突然のことでさぞや驚かれたでしょうから。皆で相談し、よく考え……」

「ゆきまする」

「え!?」

「お気持ち、ありがたく頂戴したく存じまする」

「レーニエ様!」

「なんという事を!」

 オリイとサリアが悲鳴に近い声を上げた。

「行かれますか?」

 女王も驚いている。しかしその声は落ち着いており、迷わず自己決定をした己が娘を見つめていた。

「はい。それに誠に恐れ多き事なれど、私には望む地があるのです」

「よい。どこなりとも差し上げる。ですが、そなたの望む地とは……?」

 女王は強い興味を惹かれて尋ねた。

「ありがたきお言葉、深く感謝いたします。私は……そう、北へ行きとうございます。財も臣も要りませぬ。私に王位継承などの権利があるならば、それも返上いたします」

「レーニエ! そなたは……」

「母上、私にとっては、家も血も誇るべきものではありません。でも、いつかは誇らしく思える日が来るかもしれない。お申し出、何よりの祝いでございます。どうかこの私に、新しい翼を賜りください」

 レーニエは母に向かってゆっくり膝を折った。




レーニエちゃんの過去でした。

パパのレストラウドは派手派手の武人。美男。

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