72 戦場 6−1
「セス。ようやくというか、案外早かったと言うか、爺さん達がやって来たぜ」
セルバローが後ろから声をかけた。
早春の平原はよく晴れている。空気は冷たいが、日差しは既に眩しいものがあった。
「そうか、大天幕にお通ししてくれ。俺もすぐに行く」
「うん。ところで、傷の具合はどうだ?」
セルバローの言うのは、ドーミエとの対決で受けた脇腹の大きな傷のことだ。
猛将と言われた彼の剣は重く、実用向きの分厚い皮の胴丸を完全に断ち切り、彼の体にまた一つ大きな傷をつくった。
幸い内臓には達していなかったが、傷口はかなり大きく、軍医が汗を流して縫合したのは僅かに三日前。
しかし、ファイザルはその日と翌日だけ横になっていただけで、今日は朝から起きだし、いろいろ細かい指示を出しに天幕の外に出てきている。
「大丈夫だ」
表情を変えずにファイザルは答えた。
爺さん連中とは、ファイザルの直接の上官の二人の将軍達のことで、今回の戦全体の総司令官かつ責任者は、一応彼らと言う事になっている。
今まではウルフェイン平原の東を、セルバローと共に守っていた。
一年前までは東西五十デリベルに渡って展開していた戦場も、主としてファイザルやセルバローの働きで、このあたりで一番大規模な鉱山、ウルフェイン中央鉱周辺の十デリベルまでに縮小していたのだ。
しかし今は、それももうない。
先日の大戦で敵将ドーミエは、ファイザルによって討ち取られ、降伏宣言こそまだだが、ザカリエ軍は壊滅状態であった。
部隊は散り散りになり、再編成は当分叶わないであろう。
戦は終結した。
しかし、傷跡がすぐに癒える訳もなく、平原や国境沿いに点在する自由都市は、荒れ果ててしまっている。
ファイザル達に恨みを抱く敵の残党や脱走兵も多い。
軍はその後始末に奔走している。万が一にも残兵や伏兵によって、戦闘が再開する事態は避けなければならない。
ファイザルが負傷したと聞いて、将軍達は慌てた。
決戦であり、最大の戦闘でもあった喫緊の戦いにおいて、将軍達は指揮を取ろうと申し出てくれたのだが、いつになく強くファイザルが固辞したので、彼等は引き下がっていたのだ。
将軍達はわかっていた。
指揮官として、また戦士として、老いた自分達より強いのは誰か、兵士たちは誰に心酔しているか。
戦いに勝利し、二十年近く続いた戦争を終わらせるには、どうしたらいいのかを。
彼らはその為に、かつての部下だった男達を戦場に呼び戻したのだから。
「まさかとは思うが、あいつ等、お前の功を横取りしようと言うんじゃないかな?」
セルバローは別に悪気もなく、陽気にそんな事を口にした。
「そんな方々ではない。今回の戦勝については、誰にも文句は言わせない」
「そう言うとは思っていたがな」
「だが……そんな事はどうでもいい」
ファイザルが呟いた言葉は、セルバローには聞こえなかった。
彼は残りの指示をジャヌーに与えると、マントを翻して将軍達に挨拶をするべく天幕に引き返していく。セルバローも続いた。
もうすぐ正午なのだろう、風が生暖かい。
北の地ではまだ雪が残っているのだろうが、この平原には早くも春の風が吹き始めていた。
あちこちで、兵士たちが戦闘の後始末をしている。それは、有りていに申して気持のよい作業ではなかった。
野晒しにされた武器を集めたり、穴を掘って人馬の死骸を埋めてゆくのだ。身元を判別できる遺品は出来るだけ回収しつつ、それは敵味方の遺骸の区別なく行われた。
「おい、我らが指令官殿はおっとこまえだなぁ……顔も態度もさ」
近くで、作業をしていた兵士がジャヌーに話しかける。周辺の男たちも一斉に頷いた。
「ああ……まったくその通りです」
「あんな色男なのに、おっそろしく強いときてる。ドーミエとの一騎打ちをあんたは見たんだろう?」
「俺たちの隊は、かなり距離があって、人づてに聞くだけだったんだよ。どんなだった?」
「……凄い戦いでした」
ジャヌーは慎重に答えた。
「そうだろうなぁ。相手は名うての戦士『バルリングの大熊』、ドーミエ将軍だもんなぁ、あ~、俺も見たかった!」
ああ、おお、と周り中から同意する声が上がった。
「俺の弟は、あいつの軍にやられたんだ。ファイザル様は弟の仇を討ってくれたことになる。俺もその場にいたかったぜ」
年かさの兵士が感慨深げにつぶやいた。
「俺もだ」
「まだ若いのに大した男だ。気難しい古参兵たちも心酔している者が多いんだぜ。これほどの大戦闘だったというのに、犠牲は意外に少なかったのもあるし、何より自分が先頭に立って、敵陣深くまで切り込み、敵将を討ち取ったって言うのが凄いな」
「本物の戦士だ。伝説の神将、ブレスラウ公爵の再来だってみんな噂しているぜ」
「ブレスラウ公爵? お名前だけは存じておりますが、確かこの戦争の初めのころに亡くなられたとか」
「ああ、あんたは若いから知らないだろうがな。俺らの世代では憧れの人だった。若くして亡くなったのが惜しまれる。もしご存命でいらしたら、元帥にはなられてたろう」
「そう言えば、公爵は最後まで一人身だったんだな。世継ぎとかはいらっしゃらないんだろうか? もしいたら、あんたぐらいの年格好だと思うんだが。あんた知らないかね?」
先程の兵士がジャヌーに向かって顎をしゃくったので、指名されたジャヌーはびっくりしてしまった。
「そんなこと言われても……そんな尊い方のことなど、俺なんかにわかる訳はありません」
「もっともだ。ところで、あんたはあの司令官の従卒をずっとやっているのか?」
いくらか若い兵士が親しげに声をかける。その間も皆、穴掘り作業は続行中だ。
「はい。士官学校を出てからずっとです。三年余りになりますか」
「へぇ……じゃあ、あの人の事はよく知ってるんだな? 家族とかはいないのか?」
「いないと思います」
「恋人は?」
「さぁ……」
ジャヌーの脳裏に、たおやかな横顔がよぎる。
「まさか、剣が恋人って訳じゃあないだろうな?」
「まさか! そんなことは」
「違ぇねぇ。剣じゃ抱くには硬すぎらぁ」
「もしかして男色家とか? あ、ひょっとしてあの『雷神』が相手か? あの人もすげぇ強くて美男だからなぁ」
「うわ! 派手だなこりゃ!」
「おい、ひょっとして……あんたも?」
「どひゃ」
男たちが一斉に後退った
「よ、止してくださいよ!」
思わずジャヌーが本気に取ってしまったので、がははと無遠慮な笑いが周り中で起きた。
「ははは! 本気にしたな。純情な兄ちゃんだ」
「いやぁ、悪ぃ、わりぃ。だってあんたも指令官殿も大した男前だからよ~」
「俺は女の子が大好きです!」
「違ぇえねえ! 俺もだ。ああ、早くかーちゃんに会いたいなぁ」
大仕事を成し遂げた男たちは、再びどっと笑った。
女っ気ナッシングですみません。これでも恋物語なんです。