67 戦場 2−2
驚いた。一瞬バレたかと思ったじゃないか。
フェルディナンドは扉をゆっくり閉めてから大きく息をついた。
だけど、あの人がドーミエ将軍に疎まれて、無理やり引退させられたヴァン・ジキスムント宰相の孫娘なのか。さすがに鋭いな。
さっき聞いた感じでは、どうやら彼女はアラメイン王弟の幼馴染で……もしかすると、これは面白い事を聞けたかも。もう少し聞けなかったのは残念だけど。
それから数日、フェルディナンドは、いつものように仕事をこなしながら、情報を集めた。
それは暇を持て余している貴婦人達であったり、同じ小姓仲間であったり、下働きの女中たちからであったが、それによると、どうやらジキスムント宰相の孫娘シザーラは、現在二十五歳。
幼い頃から祖父について王室の私宮殿にも出入りしていたためか、二つ違いのアラメイン王弟とは乳兄弟のような間柄だったと言う事だった。
そして、ザカリエ建国当初の功労者であるジキスムントは、戦功をタテに台頭してきたドーミエ将軍にうとまれ、現在は自分の領地の僧院に隠遁していると言う事を知った。
知れば知るほど、まだまだ知りたくなる。
戦争終結のカギはおそらくジキスムントにあるようだ。しかし、迂闊な行動は禁物だ。その孫娘のシザーラは、お喋りばかりの宮廷雀ではない。
ある小姓の話では、シザーラは宰相ジキスムントに、女ながらも一番自分に近い政治手腕を持っていると言わしめた娘だったと言う事だった。
王族は無理でも、なんとかしてシザーラ嬢に近づけないものだろうか?
フェルディナンドは考えを巡らせた。
そんなある日。
思いもかけず、フェルディナンドは、ある貴婦人からシザーラへの届け物を頼まれたのだった。
シザーラは、貴婦人達の暮らす芙蓉宮には部屋を持っていない。
王宮の外れ、ほとんど隅っこと言ってもいいような棟に、年老いた母親とひっそり暮らしている。
かつては一族で王宮内に一つの屋敷を賜って暮らしていたほど、力のある家柄だったのだが、祖父は失脚、父は謎の病死という不幸な事態が続き、今では領地のほとんどをドーミエ将軍に取り上げられ、王宮の一隅に侘び住まいをしているのだ。
だがこの間の茶会でも分かったように、この名家に対する宮廷人達や国民の尊敬と信頼はいまだ失われていない。
人々はここ数年、一向に止む気配のない戦争と税に、すっかり疲弊しきっているのだ。
「どなた?」
フェルディナンドは、かなり古びた小さな建物の扉を叩いた。
「お届けものにあがりました」
扉を開けてくれたのは、年配の侍女だった。
「エカード子爵令嬢様より、シザーラ様に頼まれたご本だとか」
「あらまぁ」
侍女は、とりあえずこちらへと言って、さほど広くもない客間にフェルディナンドを通してくれた。
節約のためだろう、部屋は火も入れられず、空気が寒々しい。
「シザーラ様はただ今、別のお客人と会われているのです。申し訳ありませんがしばらくこちらでお待ち願えますか? しばらくかかるかもしれませんが。それとも、私がご本をお預かりいたしましょうか?」
「私なら構いません。お待ちします。くれぐれもよしなにと仰せつかった物を、直接御本人にお渡ししなければ、使者の役目を全うしたことになりませんから」
これはもっともな意見だったので、侍女は礼をして下がった。
しばらくして茶が運ばれてくると、もう一度お待ちくださいと念を押され、フェルディナンドは一人になった。
庭からよく晴れた冬の光が背の高い窓から射し込む。
この国はエルファラン国より南に位置するため、冬の寒さはそれほどではない。だが、暖炉も焚かれていない部屋は冷え冷えと陰気だった。
フェルディナンドはゆっくり庭に面した扉を開ける。
庭はあまり広くないが、たくさんの木が植えられており、手入れもほとんどされていない。
雪が降らないのはいいが、色あせた落ち葉や草がそのままになっているのは、見映えがよくないな。
フェルディナンドは外に出て二階を見上げた。
彼には大体どの部屋が貴人の部屋かがわかるのだ。うまい具合、このあたりと目星をつけた部屋の窓は、細く開けられていた。
おそらく錆びついてきちんと閉まらないのだろう。
不用心な造りだ。これが国の恩人の孫娘に対する仕打ちなのか
少年はしばらく佇んでいたが、不意にはっと息を潜めた。
風の音に掻き消されるほど、微かな声が降ってきたのだ。
フェルディナンドは、壁際に立っているよく茂った常盤木に足をかけた。
幹には夏の名残の蔓草が絡みついており、さしたる苦労もなく二階の窓まで張りだした枝まで登ることができる。
窓から中を覗き込むわけにはいかないが、かなり近くまで寄ることが出来た。よく茂った葉と、窓際に飾られた観葉植物がうまく少年の体を隠してくれる。
……よし、さっきよりよく聞こえる。
間違いない。この良く通る声はシザーラの声だ。もう一人は低くて聞き取りにくい。男か。
一体誰だろう……もう少し窓際に来てくれないかな?
フェルディナンドは、ぎりぎりまで体をずらして窓際ににじり寄った。ほとんど壁に耳をつけないばかりに近寄ることができたが、落ちたらただではすまない。それに万が一、窓から顔を出されたとき身を隠す術がない。しかし彼は躊躇わなかった。
あの年老いた侍女以外に、この屋敷に仕える者はまずいない。先ほど案内された部屋の様子や、玄関の佇まいから彼はそう判断していたのだ。
フェルディナンドは、しばらくそのままじっと耳を澄ましていた。
やがて少年の薄い唇がうすく引き上げられた。
フェル、悪い子です!




