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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
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57 領主の選択 16

 レーニエは華奢な手に力を籠め、長い指の隙間に自分の指をこじ入れようと頑張っている。

 夜着の胸元を掴むファイザルの手と格闘しているのだ。

 本当なら手の届かぬ稀人(まれびと)が、こんなに容易く自分などを好きと言っていいものなのだろうか?

ファイザルは、自分の固い決意がこの娘の前では、意味を成さないような気がしてきた。

 起こってはならないことが目の前で起きている。自分はどこまで認めるべきなのだろうか? わからなくなっている。

 否、ただ一つわかるのは。

 自分がどうしようもなくレーニエが愛おしく、胸痛むほど大切な存在だという事だけだった。

 近い未来、どんな男がこの娘を手に入れるのだろうか?

 自分ではない。それだけは確かな事に思えた。

 レーニエはまだ諦めず、汚れ事など知らぬ指先に力を込め、無骨な指を解こうしている。手の甲には、先日の事件で追った傷が瘡蓋として残っていた。それを見たファイザルの力が弱くなる。

「ん!」

 どうしても緩むことはなかった戒めが、諦めたように開いていくのを見て、レーニエの頬が緩んだ。

「……レナ」

 終に硬く握られていた掌が、力を失ったように解け、腕がだらりと下がった。

 同時に寝間着の合わせが緩んで白い胸元が縦に覗く。レーニエは、ほっとしたように目の前の男を見上げ、暗い瞳に自分がどのように映るのか、確かめるように覗き込んだ。

「ヨシュア……先のことは私にはわからない。母の事も今はどうでもいい。今は、あなたに無事に帰ってきてほしいと願うだけ。あなたが大切だ。あなたさえ生きてくれていたら他に何も要らない」

 そう言うと、娘は伸びあがって彼に唇を与えた。ファイザルは言葉もなく、されるがままに柔らかなそれを受けた。次第に呼吸が乱れてゆく。

「未来の事は語らない。今夜は……今夜だけは、あなたの思うように私を愛して」

 緋色の瞳がひた、と彼を見据えた。

「レナ……」

 喘ぐようにファイザルは、己がつけた娘の名を呼ぶ。

「あなたはご自分が何を言っているのか、わかっているのですか?」

「わかってるつもりだ。私は無知で愚かで、世間知らずな子どもで、あなたに相応しくないと言う事は知っている。だけど……今夜は私を好きにして構わない。大人の男の人がするように私を愛して」

 どうすればいいのか、よく知らないながらも、ファイザルの指を解くことに成功したレーニエは、緩んだ襟元の紐を引っ張り、羽織ったガウンと共に寝間着を肩から滑り落とした。鎖骨が露わになり、優雅な丸みが、頂きの(きわ)まで明らかになる。

「……!」

 色が白いとは知っていたが、普段見えない部分はこんなにも白いのか。まるで透きとおるようではないか。

 見てはならないものが、無防備に晒されている。彼は思わず視線を床に落とした。

「……見られないほど、私は変なの?」

 哀しそうな、だが全く見当違いな懸念が漏れるのに、辛うじてまさか、と応じ、ファイザルはゆっくりと顔を上げた。

 炉の火を映して、青い瞳が不思議な色合いに染まっていた。しかし、向かい合っている彼には今、炎を背にしているレーニエの瞳が、どのような色あいを帯びているのかよく見えない。ただ甘い吐息が頬にかかった。

「……どうなっても知りませんよ」

 やがて太い溜息をつき、彼は自分の負けを認めた。

 椅子の背もたれにどっと背中を預ける。レーニエはじっと自分を見つめていた。暖炉の炎に濡れた唇をきらめかせて。

 彼はそろそろと腕を上げ、首筋から肩をなぞると、かろうじて引っかかっている絹の上から柔らかな膨らみに触れる。以前そこに触れたのは、夏が始まろうとする朝の湖の岸辺。

 その時よりも女らしさを増した体の線。掴んだ半球は、心地よい質量をファイザルに伝える。ゆっくりと力を込めると、指先が薄い皮膚に沈んだ。

「お嫌では?」

「いいや?」

 戸惑いながらもレーニエははっきり答えた。

「これは?」

「んっ」

 指をすすめたとたんにびくりと背筋を伸ばして、形の良い眉がひそめられた。

「不快でしたか?」

「ううん。だけど……少し驚いた」

 自分の反応に戸惑うかのように、レーニエは頬を染める。

 女の顔だ……。

 勿論レーニエが女、しかも美しい女だという事は、充分承知していたファイザルだった。しかし、普段は控え目でも、凛々しい態度を崩さない彼女の、このような表情を見せられ、甘い声を洩らすのを聞かされては。そしてそれを知っているのは自分だけなのだ。

 願わくば、俺だけでありたいものだが。

 もう片方の手の人差し指で唇をなぞり、その柔らかい隙間に指先を沈めた。すぐに爪が固い歯にあたり、熱い小さな舌が彼の指を舐めた。そのまま仔猫が乳を舐めるように、ちろちろと濡れた舌が指先を這う。 

 最早若造ではないはずなのに、背筋にぞくりと走る。

 レーニエはわかっていることではない。しかし、天性に備わった媚態なのか、上半身を僅かに揺らせながら半ば瞼を閉じ、小さな唇と舌で硬い指先を一心に愛撫している。

 赤い瞳の美獣。

 ファイザルはどうしても、目の前の娘から目を逸らすことができなかった。

 我知らず大きく息をつく。そうしなければならないほど、追いつめられている自分に気づいて。 

「あなたの全てを見ても?」

 尚も指をくわえながら、仔猫は上目づかいに彼をみた。返事の代わりに、ちゅっと音を立てて指先を吸う。天使のような姿の何という蠱惑こわく。ファイザルは胸を弄っていた手で、白絹の夜着に指を掛けた。

 もしかしたら俺は、とんでもなく恐ろしいものを前にしているのかもしれない……。

 信じられないことに、少し恐れを感じる自分がいる。

 しかし同時に、この類稀たぐいまれな存在を、思うままに翻弄したいという、欲があるのも確かだった。

 俺と言う男はどこまでも罪深い。

 不意に沸いた獰猛な感覚。

 腰を持ち上げて膝で立たせ、優美な隆起に唇を寄せて、ファイザルは自分を嘲笑った。

「くすぐったいよ。なぁに?」

 レーニエが身を捩らせる。

「いえ……暖かくて柔らかい……あなたはどこまでも……素敵だ」

「あなたは……硬いね」

「触ってみますか?」

「うん」

 ファイザルはレーニエを抱きなおすと、両手を取って自分の首筋に導き、上着とシャツの合わせを解いた。

 細い指先が恐る恐る逞しい首筋から両肩をなぞってゆく。

 自分の物とは全く違う硬く、それでいて滑らかな肌。二の腕は縄のような筋肉に鎧われ、ごつごつした骨が浮く肘に続く。

「前も思ったけど、すごく硬いね」

 レーニエは、今度は厚い胸板を撫でながら感心したようにつぶやいた。筋肉とはこのように厳しいものなのか。

「それはまぁ。体が資本ですから」

「ここ、割れてる……いちにぃ……ろく? いやはち」

 指先は次第に大胆になり、脇腹から下腹を這って腹部の筋肉の境目の溝を珍しそうになぞっている。以前湖で見た、無数の傷跡でその指先が止まった。

「……大きな傷。斬られたら、とても痛いのでしょう?」

「そりゃもう」

 ファイザルは笑った

「嫌? 怖い?」

「勿論」

「じゃあ……ずっとここにいたらいいのに……」

 戸惑いながら漏らした言の葉は、ファイザルの胸を鋭く刺した。

 そうだ、もうすぐ自分はこの人を置いて行かなくてはならないのだ。しかし、彼はその考えを振り払うようにレーニエを抱きしめた。今重要なのはその事ではない。

「さぁ……おいで」

 ファイザルはレーニエを抱えて立ち上がった。

「あなたを愛して差し上げたい」





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甘美ながらもそれだけではなく、切なさや苦さがあります。
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