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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
55/154

55 領主の選択 15−1

「ご(しゅ)をお持ちいたしました」

 書見しているレーニエのそばに、サリアは盆を置いた。

 東の地で採れる希少な果実酒が、美しい切り子細工の玻璃はりの瓶に入れられ、暖炉の火に照らされて緋色の輝きを放っている。そして、同じ切り子細工の足の長い杯が二つ。

「ありがとう。だけど、なぜ杯が二つ?」

「え? あ、あら? 本当ですわね、私としたことが間違えました。でもまぁ、せっかく持って来たのですから、こちらに置いておきますね。明日の朝お下げいたします」

「う、うん」

 サリアはとうに気づいている。

 この複雑な事情を抱えた恋人たちが、今宵一夜だけの束の間の逢瀬を遂げようとしていることを。

 だけど、ファイザル様は大人だわ。きっとレーニエ様のお立場を悪くするような事だけはなさらない。絶対に。

「……サリア?」

「ああ、すみません。ぼんやりしてしまって……あ、それと、今夜は冷えますから、上掛けをもう一枚出しておきましたので、よろしければお使いください」

「あ、うん。ありがとう」

「少し早いですけれど、今夜はこれで下がらせていただきます。ごゆっくりお休みくださいませ」

「……おやすみ」

 いつもより念入りにレーニエの夜着を整え、サリアが下がると、レーニエは机の上の美しい細工の杯を不思議そうに眺めた。

 今夜のサリアは、入浴を手伝った時も、いつにもまして丁寧にレーニエを洗いあげ、髪を乾くまで入念にくしけずり、艶を出そうとしていた。おまけに寝間着や上にはおるガウンまで、真新しい上質のレースがふんだんに使われたものを出してきたのだ。

 サリア、なんだかそわそわしているような……何かいいことがあったのかな?

 そう言えば昼間、都から布地が沢山届いたって言ってたような……。

 レーニエの見当違いの想像はさておき、今夜はファイザルが忍んで来ると言った日にあたる。


 朝からレーニエは落ち着かず、遠乗りも止めにして書見と称し、図書室に引き籠っていたが、一向に文字が頭に入らないまま、時間はのろのろと過ぎていった。

 たまりかねて、いっそ一人で馬で出かけようかと思い直した時、折よくミリアとマリが遊びに来てくれ、一緒に絵を描いたり、馬に餌をやったりしてやっと気を紛らわすことができたのだった。

 そして、夕刻になるとレーニエの緊張は最高潮に達した。

 どんな風にヨシュアを迎えたらいいのだろうか……。

 彼がやってくるとしても、おそらく皆が部屋に引き取った後だろうし、そうなればレーニエは寝台で横になっている時刻だ。勿論夜着を着ている。

 寝間着で彼を迎えてもいいものだろうか? 常識外れだと思われないだろうか? 上にきれいなガウンを着てれば構わないのだろうか?

 灯りはどうなのだろう? 目が慣れると暖炉の炎だけで充分なような気もするが、ランプを灯したほうが……だけど、明日になって油が切れていたら、サリアが変に思うかもしれないし……。

 そして何より、ファイザルがどこから入ってくるのか見当もつかなかった。

 まさか、正面から来るとは思えなかったし、多分露台(バルコニー)から入ってくると思うのだが、レーニエの部屋は二階で、どんな風に「忍んで」くるか、想像できなかったが、露台に面した窓の鍵はかけずにおく。

 厚いカーテンを引いてあるから内側からはわからない。

 何を食べたか思い出せない夕食がすんだ時、セバストが外がかなり冷えていると言っていた。

 もしファイザルが、馬を飛ばしてくるならさぞ冷たくなっていると思い、とりあえず自分が所望するふりで、サリアに酒を頼んだところ、どういう訳か、杯が二つ添えられてあったという訳だ。

「はぁあ〜」

 レーニエは、身の入らない書見の振りをやめて大きく息をついた。

 先ほどから胸が大きく鼓動を打っている。暖炉の前の椅子に腰かけているから、冷えるはずがないのに、指先は冷たくて、思わず暖炉にかざしてみる。そのくせ体は火の傍にいたくないほど熱いのだ。

 そして一番肝心なこと。

 今宵、自分の身に何が起きるのかをレーニエは考えた。

 ファイザルに会えることは、何をおいても嬉しかった。

 明日の出立には、彼女も立ち会うことになっている。しかしそれは式典だから、おそらくすべて公の内に済んでしまうだろう。

 それ以外の時間は引き継ぎや、残務処理に費やされるはずで、個人的な時間は取れない。ファイザルもそう思ったから、今夜会いに来ると言ってくれたのだ。

 だが、今夜自分達二人が、どのように過ごすかという、肝心な部分についてはレーニエはわかっていなかった。

 サリアに聞けば教えてくれたのかな? でも尋ねる訳にもいかないし……きっと、とんでもないって叱られる。

 だけど、会いたいの。あの人に会って、声を聞きたい。そして……。

 自分でもどうしようもないくらいに胸が甘くざわつく。

 彼女は腕を胸の前で組んでみた。そうすればこの不思議な昂ぶりが抑えられるかもしれない、そう思って。

 しかし、寄せられた胸の谷間に一昨日の夜、彼が唇を寄せたことを思い出し、却って動悸が高鳴ってしまった。そして胸だけでなく、どういう訳か、体の奥の方に疝痛が走るのだ。

 それはここ最近彼女を悩ませていた感覚であった。

 レーニエは途方にくれて椅子の上で体を丸めた。これではファイザルに変だと思われるかもしれない。

 どうしたらいいんだろう。

「きっと、ヨシュアがわかっているんだろう」

 彼女は自分の膝に顔を埋めて一人ごちた。

「俺が何を?」

「きゃ!」

 低く落ち着き払った声がすぐ近くで聞こえ、心臓が飛び上がった。暗い赤色のカーテンを背景に、闇色のマントを纏った男がその長身を際立たせていた。




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― 新着の感想 ―
レーニエのいじらしさ、ファイザルの苦悩、本当に沢山の人の目に触れて欲しい作品です。 この作品との出会に感謝を。
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