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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
49/154

49 領主の選択 11

 どのくらいの時が経ったのか。

 洞窟の中は暗く、夜が明けたかどうか、定かではなかった。

 レーニエは眠るつもりはなかったが、できる事もなくて横になっている内に、

 いつの間にかうとうとしていたらしい。小さな焚火の向こう側を見ると、マンレイは薬が効いたのか、よく眠っているようだった。もう一人の男、ブリッツはその隣で背中を向けている。焚火はすっかり熾火になっている。

 レーニエたちがこの場所に辿り着いてから、直ぐに秋の短い日は落ちた。

 かなり冷え込んで、ブリッツは日が暮れてからついに小さな火を起こした。夜になれば煙が流れても見えないだろうと判断したからだ。

 氷室があるせいで、奥から冷気が染み出してくる。幸い粗朶そだはそこら中にあり、試しに小さな火を起しても空気の流れがあるらしく、煙が充満することはなかった。

 熱のせいで弱っているマンレイにはもちろん、マントを与えてしまったレーニエにとっても、火はありがたかった。

 多分今、明け前だ。

 そう判断したレーニエは、そっと起き上った。

 体が痛く、服が煙臭いが何とか動ける。昨日の朝サリアが整えてくれた髪がすっかり乱れてしまっていた。

 レーニエは緩く編んだ髪を解き、項の後ろできつく一つに結わえた。それからゆっくりと起き上がる。マンレイの様子をみるために。

 そっと額に掌を当ててみる。自分が熱を出した時によくオリイやサリア、フェルでさえもこのようにしてくれたが、人に施したことのないレーニエには、彼の熱が高いのか低くなったのか、よくわからなかった。

 ためしに自分の額に手を当ててみたが、自分の方が低いと感じたので、まだ少しは熱が残っているのかもしれない。

「おい。何をしている?」

 ブリッツの低い声がした。彼はマンレイよりも入口に近いところで蹲っていたが、ほとんど眠った様子はなかった。

「何もしない。この者の熱を見ていただけだ。少し下がったような気がするが、まだ熱っぽい。氷がすっかり溶けてしまって……代わりを取って来ようと思うが、構わないか?」

「……」

 ブリッツが返事をしないので、レーニエはそれを承諾と取って、静かに立ち上がった。

 額に置いた布はぐっしょりと濡れている。それをきつく絞って立ち上がった。

 ゆっくりと奥の扉をあけ、閉める。手前の氷は割らずに洞窟の奥に向かった。

 これは昨日から考えていた行動だった。

 昨日、氷室に入った時に、レーニエは頬に微風を感じた。これは洞窟の奥のどこかに風穴がある証拠だった。どこかに抜け穴があるのだ。そして、そうと考えられる理由は、もう一つあった。

 レーニエ達がたどってきた古い壁の跡は昔、領主村を守る為のものだった。キダムから村の歴史を聞いた後、自分でも調べてみたのだ。

 領主館の図書室には、古い本や記録が沢山残っていた。レーニエが読んだ二百年前の領主村の史書には、まだエルファラン国に併合される前のノヴァゼムーリャ地方の様子が記されてあった。それはまだ地方の豪族が相争っている時代で、現在の領主村は、その中でも一番大きな荘園だった。

 記録にはその頃、この地を治めていた豪族が、万が一、敵に包囲された時のために、秘密裏に避難経路を作ったと記されていたのだ。

 記録は古く、地図は大まかだったが、大体今レーニエがいるくらいの場所だったと記憶している。この洞窟がその避難経路だという可能性はある。

 時代が下り、ノヴァの地はエルファラン国に併合され、天領になった。

 そして軍が駐留し、村境の壁が不必要になって、要らなくなった抜け道は忘れ去られ、ただの洞窟として氷室に利用されるようになったのだろう。

 だとすれば、この奥に。

 もしかしたら。

 そこらの石を適当に投げて、氷を割るふりをしながら積まれた氷の裏側に回り込むと、予想通り、レーニエが腰をかがめて通れるくらいの細い穴が見つかった。

 こうなればここを通るしかない。レーニエは迷わずに頭を低くして、その穴に飛び込んだ。

 抜け道は上り坂になっている。これは間違いないようだ。ここらはセヴェレの山々に続く丘陵地帯のはずだから。しかし、ブリッツに気付かれるのは時間の問題だろう。

 自分より大きな男たちだから、ここを通り抜けるのは難儀だろうが、いったん外に出てしまえば、すぐに追いつかれて捕まってしまう。レーニエは出来るだけ身を小さくしながら、先を急いだ。

 無我夢中でしばらく進むと、来た方角からウォンウォンと響く音がする。どうやら逃げたことがわかってしまったらしい。

 しかし、行く手に少しずつ光が見えるのに勇気を得、レーニエが思い切って駆け抜けると、いきなり体が明るい場所に倒れ込んだ。

 洞窟から出られたのだ。

 レーニエの思ったとおり、そこはセヴェレの森の端で、朝霧に木々が霞んで見える。知らない場所だ。ほっと息をついたが、休んでもいられない。村の方角は後ろだが隠れる場所がない。自分の体力では、見つかったらすぐに追いつかれてしまう。

 レーニエは迷わず森の方角へと走った。

 走りながらレーニエは、上着を脱いでその辺りに放る。何かの目くらましか、軍の手がかりになるかもしれない、そう思って。

 いくらも行かない内に遠くに人影が見えた。おそらくきこりか、早朝の茸とりの男らしい。だが自分が助けを求めると、巻き込んでしまいそうで、声はかけられなかった。男はこちらを見たようだが、構わずにひたすら走る。

 しかし、見つかってしまったらしく、後ろから人の気配が近づいてきた。枝をぽきぽき踏みしめる音や、落ち葉をかきわける音が派手に聞こえてくる。

 ダメだ! 捕まるわけにはいかない!

 レーニエは喘いだ。

 父上! 神将と呼ばれていた父上、私にはあなたの血が流れているはず。どうか、私に力と勇気を……父上!

 レーニエは力の限りに地を蹴った。


 それより遡ること数刻前。

 深更。

 ファイザルは例えようもない焦燥感に身を焼かれていた。

 窓の外を眺めても、夜空は曇っていて月もなく、眼を凝らしたところで何も見えない。しかし、彼は窓の前から動こうとはしなかった。

 レーニエと男たちの足取りは、ぷっつり途絶えていた。

 今のところ収穫と言えば、村内にも、南の街道にも、農地や荒野にも、彼らが逃れ出た形跡はないと言う事だけだった。

 それだけは確かだ。残るは、村の北に連なるセヴェレの山並みと、その麓に広がる森林丘陵地帯だけである。包囲網は確実に縮まっている。

 山にはおそらく逃げ込まない。ファイザルはそう考えていた。

 ジャヌーからは、男たちは大して重装備ではなかったと聞いている。この季節に山に入るのは自殺行為だ。

 しかし、手前の森林地帯ならば、籔の茂っている窪地や洞穴などがあり、一晩程度ならなんとか過ごせるかもしれなかった。

 村長むらおさのキダムをはじめ、主だった村人には密かに事の次第を打ち明け、軍が知らない樵小屋や、洞窟の情報をいくつかもらっている。

 ファイザルは、特別に訓練させた夜目のきく斥候部隊を放ち、その辺りをしらみつぶしに探しているが、暗く広大な森林を前に、未だに手がかりはもたらされていなかった。

 明日になればもっと完璧な包囲網が敷ける。しかし、今夜はもう、どうしようもないのか?

 ファイザルは血のにじむほど唇を噛んだ。

 隅に部下が控えていなければ、剣をひっ掴んで飛び出し、馬を駆っていたことだろう。その衝動はこの数時間、彼を酷くさいなんでいた。

 領主拉致の知らせを聞いてから、彼は食事はおろか、水さえも摂っていなかった。心配した部下に何度か軽食を勧められたが、その都度苛立だしげに断った。狂おしい焦燥感に身を焼かれ、何も喉を通るはずもなく、時折吐き気が胃を絞るのを懸命に堪えている。

 今は耐えるべき時なのだ。夜明けに備えて。

 しかし何故、土地勘もない奴らが俺の包囲を、こうも完璧に掻い潜れる?

 それはずっと湧き上がってくる疑問だった。

 日が暮れるまでに打てる手はすべて打ち、必要な人員も動員している。普通なら、とっくに捕えているか、少なくとも、なにがしかの手掛かりを得ているはずだった。

 そして、こういうことに関して、自分は決して無能ではないはずだ。しかし、何故かくも情報が得られないのか?

 まさか……?

 打ち消しても打ち消しても、浮かび上がってくる、ある可能性がある。

 そこには、たおやかな外見に似合わず、思いがけない発想と行動力を持っている娘の姿があった。

 レーニエ様が何か考えて動いておられる?

 キダムによると、領主はこの地方の歴史や遺跡に興味を持ち、熱心に話を聞いたと言う事だった。ジャヌーを供に馬で遠乗りにもよく出かけている。好奇心旺盛な彼女なら、色々なものを見て楽しんだことだろう。だからこの地方について、全く知らない訳ではない。

 レーニエは聡明な娘だ。

 だが、相手は幼い子どもでさえ人質に取ろうと言う、情け無用の男たちだ。そんな彼らに世間知らずの姫君が何をできようものか。自分の身一つ守り切れまい。

 ファイザルは首を振った。

 しかし、もしレーニエが何かをしようとしているのなら、彼女はとりあえず命は無事だと言う事にはならないか? ファイザルは、そんな可能性にすがろうとする自分の弱さを嘲った。

 その時。

 カタリと音がして、斥候の一人が窓から顔をのぞかせた。ファイザルは我にかえって窓を開ける。ジャヌー達、控えている部下たちにも緊張が走った。

「ナタナエルか。なにかあったか?」

 窓外の黒衣に身を包んだ男に向かって、ファイザルは低く問いかけた。

「はい。ここから五千リベル(五キロ)程向こうの崖の下で、馬の嘶きが微かに聞こえたと言う者がおりました。その者は引き続きその辺りを探索中です」

「五千リベルだと? 馬の鳴き声が……」

 馬と言うのはレーニエの愛馬で、彼らが連れ去ったと言う、リアム号のことだろうか。

「はい、ただし一度だけでしたし、ただの農家の迷い馬かもしれませんが、可能性はあります。又、微かにですが煙の臭いがしたとも。奴らが火を焚くとは考えにくいのですが、病人がいるのなら、あるいは。ただ……その辺りは森も藪も深く、おまけに大小の洞窟があり、地形も入り組んでいてわかりにくいので、難渋いたしております。こちらは松明(たいまつ)をつける訳にもゆかず、今夜は月もで出ておりません。しかし、それならそれで余計に可能性があるかと」

「わかった。それはどのあたりだ? 入れ」

「は」

 ファイザルが開け放った窓から、音もなく黒い姿の斥候は部屋に入ってきた。

 それはこのような特殊な事態に備えて特殊な訓練を受けている、一般の兵士とは行動を共にしない者である。ファイザルは机の上に広げてある大きな地図を示す。

「このあたりです」

 そこはこれと言ったものが何にもない、村人も兵士も普段通らないところだった。

 ファイザルの持っている地図は、前任の指揮官が三年前に作った最新のもので、領主村内外の主要な場所や、地形は緻密に網羅されているが、その辺りに限って大体の地形と標高が記入してるだけで、あまり書き込みは見られなかった。警備上大して重要性がなかったためだろう。

 ファイザルも着任したての頃、その地図をもとに、領主村をはじめ、ノヴァゼムーリャ地方を巡ったことがある。しかし、この地はだだっ広い割に何もない場所が多く、ファイザルもすべては巡り切れなかったのだ。そこはそんな場所の一つであった。

 ナタナエルが指した所にあるのは、古い時代の防御壁で、それさえもほとんど原形をとどめていない。

 だがここだ。間違いない。

 ファイザルは確信を持って、レーニエの思考を辿れるような気がした。レーニエは彼がキダムや村人たちに聞き込みをすることを念頭に、自分の行動を決めたのだ。

 もっと早く気がついていれば。

 彼は脱走兵達の心情に立って考えてばかりいたのだ。だが、ノヴァゼムーリャの領主は、型にはまった軍人たちの斜め上を行く。

 レナ! あなたと言う人は……!

 ファイザルはぐっと背を伸ばすと声を張った。瞳が剣呑に輝いている。

「行く! ナタナエル先頭に立て!」

「はっ!」

 外はまだ漆黒の闇。だが、東の雲が切れ始めている。長い夜が明けようとしていたのだ。


「よくも逃げやがったな、若造!」

 ブリッツが抜き身をひっさげて、レーニエに迫ろうとしていた。朝靄はいつに間にか消え失せ、朝日に映える銀髪は格好の目印になる。

 レーニエは振り返る余裕などない。必死で落ち葉を舞いたたせて走る。方向もわからず走っている内に、次第に木立がまばらになってきた。

 どうやら森の切れ目に出てしまったらしい。

 くるくると逃げまわるには、森の中の方が都合がいい。しかし、方向転換などできなかった。二人の差はそれほどまでに縮まっていた。

「もう逃げられねぇぜ! ご領主様よう」

 レーニエが足を止めたのは、崖と言うには、傾斜がある丘の端だった。

 傾斜と言っても、駆け降りるには些か急勾配すぎる。しかも、木の根っこが地表に現れ、瘤のように波打っている。転がり落ちたら大けがをするだろう。高さはざっと十リベル(十メートル)と言うところか。

 レーニエは後ろを振り返った。ブリッツはすぐ向こうの木の下で笑っている。

「覚悟するんだな。なに、安心しな。まだ殺しゃしねぇ、ただ二度とこんなことをしでかさないように、痛い目を見てもらう」

 ブリッツは大股で向かってきた。

 迷っている暇はなかった。レーニエは思い切って斜面を腰から滑り降りた。三リベルほど下がったところに、人一人立てるほどに岩が突き出ている。そこをめがけて。

「おいっ!」

 まさか、弱々しい風貌の若造が、ここまで度胸があるとは考えなかったブリッツは、大慌てで駆けより、斜面を覗き込んだ。

「くそっ!」

 ブリッツは、足場になりそうなところはないか見渡したが、大柄な男が下りていけそうなところは見当たらなかった。

「お前……絶対許さねぇ……根っこを伝って上がって来い! でなけりゃ俺から下りて行くぞ! そんときゃ、殺されるときだと思え!」

 ブリッツが恐ろしい形相で叫ぶ。レーニエは困り果てて彼を見上げた。

「去年の今頃ならこの命、くれてやるにやぶさかではなかった」

「そうかい! ならすぐにお望み通りにしてやるぜ!」

「すまないが、今はできない。私は捕まるわけにはいかないんだ。私が死ぬとある人が困るかもしれない……罪は問わぬから、そなた達も早く逃げるといい」

「うるせぇ! 早く上がって来い! でないとこっちから行くぞ!」

 ブリッツはレーニエの決心が堅いと見たか、今度は自らが斜面を下りようとして、浮き出た太い根を掴んだ。そのままじりじりと根っこを辿りながら、レーニエの立っている岩の付近まで下りてくる。

「へへ……覚悟しやがれ……」

 次はここから滑り降りるしかない、レーニエがそう覚悟を決めた時。

「レナ! どこだ!」

 いましがた逃げて来た方角から、切羽詰まったファイザルの声がとどいた。

「ヨシュア……? ヨシュアか! 私はここだ!」

 声の限りにレーニエは叫んだ。




また6000文字を超えてしまいました。せめて5000台までに絞りたかったのですが・・・。


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― 新着の感想 ―
話を途中で切ってしまうとこの緊迫感が損なわれてしまうので、いた仕方ないかと。
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