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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
46/154

46 領主の選択 8

 午後の木漏れ日が満ちた明るい木立の中に、切り取られたようにぽっかりとした空間があった。

 そこに、古い石壁の名残が残っている。

 なぜ、その部分だけ残っていたかと言うと、そこには古い階段と踊り場があり、周囲より堅固な造りになっていたからだ。

 春の日、レーニエはこっそり屋敷を抜け出し、幼い二人の姉妹と落ち合ってこの場所に来た。

 踊り場を舞台にミリアとマリが歌う可愛らしい歌を聞いたり、村の話をしたりして、三人でおやつを食べたのだ。そしてその時食べた桃の種を植え、秋になってからもう一度来ようと約束して帰った。それは楽しい思い出だった。

 まさか、こんな形でもう一度、ここに来る事になるなんて。

 レーニエは呆然と、古い石壁を見上げた。


「誰だ?」

 男が二人、崩れかけた踊り場の上に立ち、剣を手に幼い少女達の腕を掴んでいる。しゃがれた声が馬上の二人を見つけ、誰何すいかした。

「レーニエ様……馬から決して下りないように」

 ジャヌーが馬を飛び降り、自分も剣の柄に手を掛けて、レーニエの前に立ちはだかった。青年の二の腕にみるみる筋肉が盛り上がる。

「お前……ちょっとでも剣を抜いてみろ。このガキの首をお前の足もとに飛ばしてやる」

 二人の男の内、大柄な方が嘲るようにジャヌーを牽制した。その男に捕まれ、マリは恐怖で声も出ない。真っ白な顔がレーニエの方を向いていた。

「そんな脅しが効くと思っているのか?」

 落ち着いた声でジャヌーが言い返す。しかし、レーニエには青年の逞しい首筋に汗が浮いているのが見えた。

「試してみるかい? 俺は全然構わねぇがな。三つ数えるだけ待ってやる。剣を捨てろ。いぃち……にぃ……」

「……っ!」

 ジャヌーが悔しそうに剣から手を離した。大柄な男の顔に残忍な笑い顔が広がる。後ろにいるもう一人の男は、げっそりやつれた顔で姉のミリアを捕まえている。

「お前たち、何が望みだ?」

 すぐ後ろから涼やかな声がするのへ、愕然とジャヌーが振り向いた。

 いつの間にか馬を下りたレーニエが、ゆっくりと前に進み出ていたのだ。

「レーニエ様! いけません! お下がりください!」

 ジャヌーが声を振り絞るのに構わず、レーニエは、ひたとならず者達を見据えた。

「そなたたちの望みのものを与えるから、二人を放してやってくれないか?」

 ジャヌーが庇うように立ちはだかるのを手で制し、レーニエは二人の男たちに対峙した。

「ほう……これはまた、たいそうな美人が現れたぞ。それも随分気前のいいことをおっしゃっていただけるようで……あんた何者だ?」

 最後の言葉は凄味を持って二人を打った。

「私は、このノヴァゼムーリャの領主を務めるワルシュタールという者だ。今申したとおり、その二人を解放してくれるのなら、何でもくれてやろう。だから放してやってくれないか。その子たちの父親も祖母も皆、朝から心配して探している」

「ふぅ~ん、これはこれは心優しいご領主様だ。待てよ? 領主ってえ事は、やっぱり男か。残念、こんな美人は見たことがないのによ。だが、こんなチビどものために何でもやるといわっしゃる。ありがてぇこった、なぁ、マンレイ?」

 男は後ろの仲間を振り返った。

 マンレイと呼ばれた男は、やせていて顔色が悪く、しとどに汗をかいていたが、血走った目でレーニエをちらと見た。腕に掴まれたミリアは恐怖にひきつった顔で、妹とレーニエを見つめている。

「……よかろう。なら俺たちが要求するだけの金と、当面の食い物、馬二頭。そして薬を持って来い。そうしたらこのガキどもは放してやる」

 前に立つ男が嫌な笑いを浮かべながら、レーニエに提案した。

「薬?」

「ああ、熱冷まし、化膿止め……思いつく限り何でもだ。それ以上詮索するな!」

「わかった。食べ物は今すぐ用意ができる。熱さましくらいなら薬も入っている……ほら」

 そう言うとレーニエは、ジャヌーの馬の荷袋からオリイが用意した籠を下し、彼らの目の前で蓋を開けた。そこにはおいしそうなパンや菓子、チーズや飲み物の瓶までもぎっしり入っていた。

「こりゃあすごい。ご領主様には野遊びにでも出かけられるところだったのかな? まぁいい、お前がそれを持ってこっちまで来い」

 男はレーニエに向かって怒鳴った。

「いけません、レーニエ様! 私が……」

 ジャヌーが言いかけるが、すぐに遮られる。

「うるさい! お前だ! 早くしろ!」

 レーニエはジャヌーに頷くと、静かに歩を進めた。

「マンレイ、受け取れ! ガキは俺が見とく。動くなよ」

 男はミリアに凄い一瞥いちべつをくれると、マンレイに顎をしゃくった。顔色の悪い男は言われたとおり、レーニエに近づくと籠を奪い取り、元の場所に駆け戻った。

「へっへっ! こりゃありがたい。なんだか酒まで入っているぜ」

 それはオリイがアンナ婆さんのために用意した、痛み止め入りの薬用酒なのだが、男たちは知らずに素直に喜んでいた。

「受け取った。後は金と馬だ! 早く行って取って来い!」

「それは構わないが、条件がある」

「なんだと? そんなことを言える立場か?」

「立場のことはよくわからないが、その二人と私を交換してはくれないか? この場には私が残ろう」

 レーニエが静かに提案するのをジャヌーのみならず、ならず者二人までもが驚愕で目を見張った。

「レーニエ様!」

 ジャヌーの絶叫が明るい木立に木霊する。

「何? 何言ってやがる? この美人さんはよう」

「だから、その子たちの替わりに、私が人質になろうと言っているのだ」

「お前が? 正気か?」

「正気だとも。その子達には母親がなく、父親が一生懸命に働いて彼女らを育てている。家はそれほど豊かではない。それに引き替え、私は何もすることのない、ただの道楽貴族だ。お前たちの要求する金品も私の家の者が用意する。どうだ? 私の方が人質にふさわしかろう」

「レーニエ様! なりません。人質ならば私がっ!」

 必死の形相でジャヌーが領主を押しとどめる。ごつい両手が強く肩を掴んだ。

「いや、それは……」

 まずいだろう、とレーニエは思った。

 どう見ても、この二人組よりジャヌー一人の方が強いに決まっている。

 第一、体格からして違う。筋肉が盛り上がったむき出しの二の腕をみてレーニエは首を振った。ダメだ、彼等が受け入れるはずがない。

「お前は黙ってろ! 俺はこのご領主様と話をしている。いらねぇ事を抜かすんなら、子どもを一人失う事になるぞ」

 主犯格と思われる厳つい男がジャヌーを威圧した。

 短剣の切っ先が幼い頬をつつく。血は出ていないが、マリは声もなく蒼白になって震えている。ジャヌーは黙るしかない。

「どうなのだ?」

 レーニエは重ねて問うた。

 彼女の態度が、かえってならず者たちに警戒心を生んだようだった。

「おきれいな領主様よう……いったい何を考えていやがる? ご領主様自ら人質だと? あり得ねぇ話だ。俺たちを騙そうたってそうはいかねぇぞ。お前が何かを企んでいない保証はどこにもねぇ。だが、俺たちは本気だ。戦場では何人も殺した。今更ガキの一人や二人殺ったところで、良心はぴりっとも痛まねぇ。わかってんのか!」

 ぷっちりした頬を短剣の先がなぞった。丸いほっぺたに白く刃痕がつく。

「騙すつもりは毛頭ない。保障もできないが、私の言葉を信用してもらうしかない。だから……頼むからその短剣をマリからどけてくれ!」

 レーニエは冷静に話をしよう努力しているようだったが、恐怖に喘ぐマリの様子を見ていられなくなったらしく、最後には切羽詰まった様子で懇願した。

 男たちは黙って目を見かわした。やがて、前に立っている男が決心したように頷いてみせる。

「……ああ、わかったぜ。お情け深いご領主様のご提案に沿う事にしよう。一人で前に出ろ。ゆっくり階段を上がって来い」

「レーニエ様……お願いです……お止めくだい、後生ですから」

 ジャヌーが小声で哀願するのへ、静かに頷き、レーニエはゆっくりと前に進んだ。

「待て、そこで止まれ! マントを脱いで地面に落とすんだ。武器を持っていないか確かめる。おい! 手を頭の後ろで組め! マンレイ、もう一度行って確かめて来い!」

 レーニエが階段の下でマントを落とすと、男たちは腰に剣帯が吊るされていないことを認めた。顔色の悪い男が下りてきて、手を上げたレーニエの体を触って確かめた。

 言うまでもなくレーニエは武器を持っていない。そのことは直に分かったらしく、マンレイはすぐに手を放したが、その顔には驚愕の色が浮かんでいた。

「よし、上がって来い!」

 レーニエがゆっくりかつて壁の上に上がるための階段だった場所を登り切ると、幼い二人の姉妹がしがみついてきた。

「うわぁあん!」

「レーニエ様ぁ!」

「無事でよかった……!」

 レーニエがマリのそばにしゃがむと、マリはそれまで耐えてきたのが限界だったらしく、堰を切ったように泣き声をあげた。ミリアも同じで、妹が泣くのを見て、同じように泣き出してしまう。

「ミリア、マリも無事でよかった。よしよし、よく頑張りましたね。もう大丈夫。大きな声で泣くと、このおじさんが怒るかもしれない。もう、泣くのをやめて」

 二人を抱きしめながらレーニエは、朝から生きた心地がしなかっただろう二人を、なだめた。

「さぁ、二人ともお家に帰りなさい。ジャヌーが送ってくれるから」

 レーニエはそう言って男たちを見上げた。妙な顔をしてそのやり取りを眺めていたリーダー格の男が頷く。レーニエは二人を押し出した。

「レーニエ様は?」

「一緒に帰らないの?」

「私は、この人たちと少しお話をしてから帰ります。皆に心配しないようにって伝えてください。ミリア……さぁ、行って」

 転がるように階段を駆け降りた二人は、すぐにジャヌーに抱きとめられた。しかし、ジャヌーの瞳はずっとレーニエを見つめている。

「ジャヌー、二人を家に送り届けてくれ。そしてアンナ婆様には、新たに栄養のあるものを届けてもらって。すまない、ジャヌー、お前には苦しい役目を押しつけてしまう事になった」

 レーニエは心から詫びた。白銀の頭が下がる。

「レーニエ様……」

「だが、私のことはいいから。そう皆に伝えて」

 顔を上げてレーニエは言った。

「聞いた通りだ、若いの。お前は職業軍人だろう? わかるぜ。どうせすぐ上官に知らせるんだろうが、おかしな動きをしたら遠慮なくこの美人の命を貰う。まぁ、その前にさせてもらうことがあるかもしれないがな。」

 男の示唆しさを正確に受け取り、ジャヌーの顔は憤怒に染まった。食い詰めた男たちが腹を満たしたら、次にすることは決まっているのだ。

 レーニエが何も気がついていない事が救いだったが、それも時間の問題だ。こういう輩は相手が男でも女でも関係ないのだ。

 自分より弱い、その上美しいものが手に入ったとなれば、容赦なく酷い仕打ちをするだろう。ジャヌーは絶望の余り、足から力が抜けてしまいそうだった。

「貴様ら……その方に無礼な真似をしてみろ。ただですむと思うなよ」

 憎悪をこめてジャヌーは二人を睨みつけたが、男たちは動じる風もなかった。

「ははは! 聞いたかマンレイ? 色男も大変だな。ほら、金額はこの通りだ。二時間後にこの場所まで持って来い。お前一人で届けるんだぜ。遅れたら美人の命はないと思えよ。さぁ、さっさとガキを連れて行け! おっと、馬は置いて行け」

 男は指で要求する金額を示すと、ジャヌーを犬でも払うように追い払った。ジャヌーがレーニエを見ると、領主は唇に頬笑みさえ浮かべて頷く。

 ジャヌーは、もう自分ではどうすることも出来ないことを悟った。レーニエに一礼すると、両腕に姉妹を抱えて走り出す。

 畜生、畜生! 何でこんなことに

 ジャヌーが最後に見たのは、明るい金色の木立を背景に輝く白銀の髪と、緋色の瞳。恐怖でも、諦観でもない、形容し難い不思議な表情を浮かべた美しい――

 レーニエ様……!

 心臓を怪物の手で、握りつぶされる感覚がジャヌーを襲う。

「ぐぬぅ」

 あの……あの方を少しでも傷つけたなら、あいつら二人とも殺してやる……俺のこの手で、必ず!

 青年は歯を食いしばった。

 指揮官殿に、ファイザル指揮官殿に知らせなくては!

 木立が切れる。

 眩しい秋の光の溢れる草原を、ジャヌーは村の方角に疾走した。




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