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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
43/154

43 領主の選択 5

 秋は深まりゆく。

 良く晴れた日の午後、レーニエとジャヌーは、二人で村の外れの丘まで遠乗りにでかけた。

 ジャヌーがとても好きだという、眺めを見るためだ。昼下がりの光を浴びて金色に輝く、村と荒野を眺める。

 街道は荒地をまっすぐに南へと続いていた。

 あの向こうに都がある。自分はそこからやってきて、フェルディナンドは今、そこにいるのだった。

 レーニエは街道を見据えている。髪は後ろで纏められていたが、緩やかな風がおくれ毛を震わせていた。

「あ……ほらジャヌー、あんなところに林檎の木がある」

 荒野を流れる小川のそばに曲がって生えた林檎の木があるのを、レーニエは目ざとく見つけた。背の高い藪を透かして赤い木の実が陽を弾いたのだ。

「え? ああ、本当だ、今まで気にしませんでしたが、野生のものにしては結構大きな木ですね」

 丘の上からでないと、藪に阻まれて見えにくいので、今まであまり知られなかったのだろう、赤い実が幾つもなっているのが見えた。

 レーニエは林檎が好きで、煮たり焼いたりジャムにしたものをよく食べるが、生の果実も好物で、最近はお茶の時間にはよくサリアに剥いてもらっている。

 村の子ども達が皮ごと齧っているのをよく見かけるので、自分もそうしたいと一度サリアに言ったことがあるが、行儀が悪いと即座に却下されてしまった。

「あの実を取りたい」

 レーニエはそう言うと、軽く馬の腹を蹴って一気に丘を駆け降りた。すぐさまジャヌーも続く。

 馬は皮膚に突きささる硬い藪を嫌がるので、手前で降り、街道の脇に映えている灌木に繋ぐ。レーニエは早速ごそごそと籔を掻き分けて中に入っていった。愛馬リアム号の手綱はそのままに。

「レーニエ様! お待ちくださいって!」

 小さな姿はすぐに藪に隠れて見えなくなった。ジャヌーは二頭の馬を雑木に繋いで後を追った。

「ああ、あった。ここだ」

 ジャヌーが追いつくと、レーニエはでこぼこした斜面に生える林檎の木の下に爪先立っていた。

 藪に隠れた下の方の実はあまり色づきがよくなく、レーニエは懸命に腕を伸ばして上の方の実を取ろうとしている。

「よし取れた。あっ!」

 ジャヌーが代りに取ってやろうと進み出る前に、レーニエは実をもぐ事に成功したが、勢い余ってねじれた根っこに躓き、あっけなく転んでしまった。

「レーニエ様っ!」

「痛……」

 赤い実がコロコロと転がって小川に落ちた。ジャヌーは慌てて駆けより、助け起こすが既に遅く、レーニエは右の足首を押さえている。

「大丈夫ですか!? 申し訳ございません! 捻られたのでしょうか?」

「う……それほどでも……」

「見せてください」

 ジャヌーはそう言うと、レーニエの長靴ちょうかと下履きを取り去った。血管が透けて見える白い甲、桜貝のような爪が現れる。着衣の裾を上げて調べると、細い足首が僅かに腫れているようだ。

「少し腫れがあるようです……ここは? どうです、酷く痛みますか?」

 ジャヌーは、壊れ物でも扱うように掌に白い足を乗せると、甲を軽く押す。

「大丈夫」

「ここは?」

「あ、そこは少し痛い……かな」

「やはり少し捩じられたようですね。そこの小川で冷やしましょう、応急処置ですが、後の痛みが余ほど違ってきますので」

 ジャヌーはそう言うと、レーニエの着衣の裾をたくし上げて、二重に折りあげようとして――

「あっ! ご無礼を……」

 砦での訓練なら、打ち身や捻挫など日常茶飯事だ。傷の手当てなど慣れきっている。ジャヌーはいつものように処置しようと、裾を折り返そうとして、見慣れた毛脛けずねのかわりに、真っ白なはぎを見てしまい、頭の中まで固まった。

「……ジャヌー?」

「あ……や……つい、いつもの習慣で……申し訳ありませんっ!」

 大柄な青年は、耳まで真っ赤になっている。

「ん? どうしたの? 何を謝っているの?」

 なぜ真っ赤になってるのだろうと、レーニエは不思議そうにジャヌーを眺めた。

「あ……じゃあ、レーニエ様、すみませんがご自分で裾を膝まで折り返してもらえますか?」

「うん」

 レーニエが素直に従うと、ジャヌーは再び「ご無礼」と言いながらレーニエを抱え上げ、小川の縁まで連れて行った。

 うわぁ……か、軽い。この方は本当に生きている人間なんだろうか。俺、あんなに白い脚を見てしまって……。

 まだ胸が不規則に鼓動を打っている。

「こちらにおみ足を。かなり冷たいですが、その分効果的だと思います」

 レーニエの顔を見ないようにして、ジャヌーは浅瀬にある平らな石の上にレーニエを下ろした。

「本当だ……冷たい」

 秋なので水かさは僅かだが、澄みきった流れは冷たい。小川に右足を浸しながらレーニエは手のひらまで流れに突っ込む。

「あ、ジャヌー、あれを取ってくれないか」

 レーニエが指したところには、先ほど彼女が自らもいだ林檎の実が浮かんで引っかかっていた。

「あ、はい、かしこまりました……どうぞ」

 ジャヌーは身軽に瀬を渡ると、赤い実を掬い上げ水滴を払いながら座っているレーニエに渡してやった。

「ありがとう」

 領主は嬉しそうに赤い実に歯を立てた。


 ファイザルは、村はずれまで使者を見送り、街道を一人で馬をうたせていた。

 今回の使者のもたらした情報は、どれも捗々《はかばか》しくなく、彼は重苦しい気分で物思いにふけっている。この冬は彼にとって厳しいものになるかもしれなかった。

「ん? あれは」

 ふと眼を上げると馬が二頭、街道の脇に置き去られている。馬はどちらも見覚えのあるもので、大人しく乾いた草を食んでいた。脇の籔に人が分け入った跡がある。

 これは……?

 ファイザルは急いで馬を下り、藪の中に入っていった。探すまでもなく、すぐに辺りは開け、小川に出る。

 そこに見慣れた二人が土手に仲良く並んでいる姿が見えた。その内の一人はどうやら林檎をかじっているらしい。ファイザルは一瞬呆然としたが、目ざとくレーニエの右足が裸足で小川に浸されているのを認めた。

「レーニエ様!」

「え?」

 同時に二人がこちらを振り向いた。驚いている二人に構わず、ファイザルは土手を駆け下り、水に浸けているレーニエの足首を掴んだ。

「わ!」

 仰のけに姿勢を崩すのを難なく支え、長身が屈む。

「足を……足をどうされたのです!?」

 彼は白い足の甲を注意深く調べながら聞いた。

「ああ、さっきそこでちょっと転んで……」

「はい。少しじられたようで、冷やしております」

「ジャヌー、お前が付いていながら」

 ファイザルは厳しい目で自分の従卒を睨んだ。

「もっ、申し訳ありませぬ!」

 ジャヌーは慌てて立ち上がり謝罪する。ファイザルは厳しい横顔を見せている。

 レーニエはのんびり腰かけながら、果物を一口齧った。

 内心の動揺を覆い隠すためにゆっくりと咀嚼する。果物をつかむ指が震えないよう、精一杯握りしめた。

「……いいのだ、ヨシュア。例によって私が我儘を言ったのだ。勝手に転んだのでジャヌーに責はない」

 声が震えないように、わざとゆっくり口をきいている自分がいる。ああ、どうかこの変な動悸の音が彼に気づかれませんように……レーニエは瞳を伏せた。

「しかし……痛むのですか?」

 彼女が目を伏せたことを痛みのせいだと思い、小さな踵を指に挟んだまま、ファイザルは心配そうに尋ねた。

「大して。へいき」

「ですが少し腫れています。軽い捻挫をされたようです。動かさぬ方がいい」

「はい。俺も今日のところはもう、馬に乗らない方がいいと思います。明日も念の為、あまり動かされない方が」

 ジャヌーも言った。

「ええ? 大して痛くないのに……」

 レーニエが抗議の声を上げる。

「捻挫を馬鹿にしてはいけません。ジャヌーの言うとおり、明日までは布で足を固定しておいてください。その方が治りが早い」

「そうなの? わかった……」

 レーニエは残念そうにそう言って、齧り終えた林檎の芯を小川に向かって投げた。赤い果物の欠片がぷかぷか浮かびながら流されてゆく。

「一度やってみたかった」

 領主の行儀の悪さに唖然としている二人に頷き、レーニエは空を見上げた。

「雲が早いな……」

「秋ですから。直に初霜が下りるでしょう」

「そうだな……私がここにきてもうすぐ一年になる」

 考え深げにレーニエは呟く。ファイザルはその横顔を見つめた。

「……そうですね」

「ヨシュア……久しぶりだな」

 不意に振り向き、レーニエはファイザルを見上げた。

「あなたは何故ここに?」

「はい。使者を見送りに」

「使者が来ていたのか……ファラミアから?」

 ファラミアと言うのはこの国の王都だ。

「はい」

「使者殿は何と?」

「様々な情報の伝達を。都の事情も。お聞きになりたい?」

 ファイザルは空を映して明るくなった赤い瞳を覗き込む。

「いや、よそう。私などが聞いたところで何もならない」

 レーニエはファイザルからすっと目を逸らした。

「レーニエ様、すっかりおみ足が冷えました。さ、これでお拭きください」

 ジャヌーが懐から手布を取り出す。レーニエがすっかり冷えてしまった足を小川から上げると、彼は丁寧に水滴を拭いとった。ジャヌーの大きな掌にレーニエの足がすっぽり収まっている。

「ありがとう。ああ……暖かい……」

 嬉しそうにレーニエは瞳を閉じた。

 両手を背後の土手に預け、白い喉が秋の陽に晒されるのを、二人の男は黙って眺めている。

「急に力をお入れにならないでくださいね」

 ジャヌーはそっと足を草の上に下ろした。

「少し御辛抱を。このまま縛ります」

 ファイザルは自分も手布を出して三角形に折った。濡れてしまったジャヌーのものの代わりに足に巻きつける。

「靴は履かない方がいいでしょう。少しきついですが……大丈夫ですか?」

 ファイザルはてきぱきと布を巻いて細い足首を固定した。

「お屋敷に戻られたらオリイ殿に見せて、薬を塗って貰ってください」

「ああ……すまない。足を痛めたのは初めてなのだが、これも経験かな?」

 枯れた下草の上に足を曲げて座り、領主は呑気そうに二人の軍人に笑顔を見せた。

 小川の音がちょろちょろと小さな空間に流れ、細い鳴き声を上げて藪から鳥が飛び立つ。淡青い空に少し雲が出てきたようだった。

「風が出てきました。レーニエ様、そろそろ戻りましょう」

「そう……もうそんな時間か……久しぶりに屋敷で夕食はどう? ヨシュア。たくさん獲れたての野菜を貰ったんだ」

 何でもない風に、レーニエはファイザルに尋ねる。

「ありがとうございます。ですが、私は今日得た新たな報告を分析しなければなりませんので、またの機会に」

「……そう」

 レーニエは顔を伏せた。さもよい足場を探しているようなそぶりで身を屈める。

「では戻ることにしよう。よっと……」

「いけません、力を入れられては。私にお捕まりになってください」

 ジャヌーは腕を貸してレーニエを支えると、彼の上官に向き直った。

「指揮官殿、私はご領主様をお屋敷にお送りしてから砦に戻ります。構いませんね」

 それは彼にしては、珍しく刺々しい声音だった。  ファイザルの答えも待たず、そのまま軽々とレーニエを抱え上げて立ち上がる。

「失礼いたします、レーニエ様。土手を上りますから俺の首に捕まってください。指揮官殿、ではまた後ほど」

「ヨシュア……ではまた……」

 レーニエも手首を軽く振り、束の間、二人の視線が絡み合った。

「お気をつけて」

 何回も抱き上げた軽い体が他の男の腕にある。しかし、ファイザルは黙って頭を下げた。

 体を起してレーニエの表情を追ってみても、既に土手を登ってゆくジャヌーの広い背に隠され、逞しい腕越しに長い髪がゆらゆらと揺れているのが見えるだけだ。

 レナ……

 ファイザルは言葉もなく二人を見送った。




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