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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主

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19 領主の役割 6

「レーニエさま、お湯はこのくらい沸かせばいいのでしょうか?」

 オリイは大きな鍋が湯気を吹いている炉の前から、レーニエを振り返って尋ねた。

 赤々と炉に火が炊かれた領主館の厨房では、オリイとサリアがせわしなく動いている。

 一昨日までは基地の料理人や村の女たちで、ごった返していた館の厨房も、今ではこの二人と、通いの村娘数人が出入りするだけとなっていた。

 その娘たちにも、ここしばらくの忙しさの見返りとして今日は暇を与えたので、今はオリイとサリアの二人しかいない。

 そしてレーニエは、炉のそばに行くことをオリイに厳しく禁じられているので、厨房の入り口付近に突っ立ったまま指示を出していた。

「ああ、あまり沸かしすぎなくていい。ぬるめのお風呂の温度と同じくらいにして」

「かしこまりました」

 オリイは真剣な表情で、大鍋の湯の温度を見ている。

「レーニエ様、この花はいかがいたしますの?」

 サリアは使っていない部屋で乾燥させておいた、リルアの花を籠いっぱいに抱えて尋ねた。

「ああ、ちょっと待って。お湯がもう少し沸いてから……私はちょっと物を取ってくる。すぐに戻ってくるから火加減に注意をして」

「はぁ」

「ちょっとサリア、レーニエ様は一体何を始めようって言うんだろう?」

「わからないわ、お母さん。この前フェルがこの花を袋いっぱい持って帰ってきたと思ったら、二人してむしろを広げて何かやってるんだもん。最近のレーニエ様は、以前よりずっと明るくなられて、それはいいんだけど、これはちょっと……謎だわ」

「だけど、私は喜んでいるんだよ。宮にいらした頃は、いつも物憂げになさっていたからね。毎日本を読まれるか、その辺を少し散歩されるぐらいしかご自由がなかったし」

「そぉねぇ……」

 その頃のことを思い出して、サリアは少し遠い目になった。

「いつも哀しそうで、なのにじっと御辛抱されてた。宮廷の貴婦人達の誰よりもおきれいなのに、御自分を恥じてお顔を隠されて、いつも黒い男の子の服をお召しになって……だから、あの時は驚いたわ。まさか、あんな望みをあの方にされるなんてね」

「ああ、そうだったねぇ。あれは十八歳のお誕生日に、何が良いかと尋ねられた時だったわね。あたしも内心たまげたんだけど。絶対に無理だってね」

「私もそう思ったけど、レーニエ様って意外にたくましいお方だったのよね。さすがにあのお方の娘っていうか……」

 逞しいという表現が、自分の主に果たして相応しいかどうか、考えながらサリアは言った。

 その間も火加減に注意を怠らない。普段わがままを言わない主のたっての願いなのだ。

「確かにそれはお血筋かもしれない。こんなところに望んでやってこられて、最初はどうかと思ったけど、今じゃここにきてよかったと思ってるよ。あたしは」

「う~ん、これもあの人のおかげかなぁ……」

「何さ、あの人って誰?」

 娘の呟きを聞きとがめてオリイは振り返った。

 何しろオリイは、レーニエのことを自分の娘も同様に愛しおり、それ以上に忠誠心が熱い。元の主から、彼女の事を託された以上、どんな小さな変化も見逃すわけにいかなかった。

「あの指揮官さんよ。レーニエ様はずいぶん懐いておいでだと思うんだわ」

 サリアは感慨深げにつぶやいた。

「懐いてって、お前。犬じゃあるまいし、失礼だよ」

「だけどレーニエ様って、とっても純真で、世間に毒されてないところがあるでしょ? あのファイザルって人は、優しくて、頼りがいがあって、まさしく男って感じで……レーニエ様の周りに今までいなかったタイプだわよね。しかも逞しくて端正な男前ぶりだし……レーニエ様もずいぶん傾倒されて……傾倒? う~ん……ちがうなぁ、これはもはや……」

 鍋を見ながら、サリアは考え込んでしまった。

「なにを訳のわかんないことを……ぶつぶつと。わかるようにお言い」

「う~、だけど、本当にここに来てからレーニエ様は、お笑いになることが増えたわ。外に出て、村の人たちとお話をされたり。家の中では仮面をなさらなくなったし。外に出かける時も、遠乗りの折は外していかれるの」

「そうだねぇ。それは私もすごくいいことだって思う。だけど、それが全部、ファイザルさんの影響だって言うのかい? 私はこの田舎がよほどお気に召されたのかなとばかり……」

 母親のオリイは普段屋敷の中の仕事がほとんどで、サリアほどファイザルに接する機会があまりないから、レーニエの変化が彼のせいだと気がつかなくても無理もないとサリアは思った。

「いやぁ、影響って言うか、既に……」

「なんだい。思わせぶりだねぇ。まぁ、確かに都ではお目にかかれない男気のある人だよねぇ……」

「ねぇオリイ? そのくらいでいいのではないか?」

 いつの間にか、厨房に戻っていたレーニエが火のそばに寄ってきた。手に書物を抱えている。

「あっ! はい。ええ、こんなものではないでしょうか?」

 オリイは今の話を聞かれやしなかったかとレーニエを見たが、彼女は本の頁を開けるのに忙しく、気にも留めていない様子だった。

「レーニエ様、それ以上こっちに来てはなりませんよ」

「うん……それでは、火加減に注意をして。サリア」

「はっはい!」

「その花を鍋に開けて。一度に」

「ええっ! 花を、ですか? は……はい!」

 サリアは籠の中の乾燥した花を、一気に鍋に流し込んだ。

「……!」

「わぁっ! いい匂い…見て? 母さん、お湯がきれいな薄紅色に染まったわ」

「ほんとだ。それにしてもいい匂いだわぁ。甘すぎなくて、少しピリッとしてて」

 厨房にふくいくたる花の香りが漂った。

「レーニエ様? これはいったい、どういうことなんですか?」

「いや、以前本で読んだのだけど、外国には良い香りの花を乾燥させて、お風呂の湯に浮かべるという習慣があるのだそうだ。中には病気に効能を発揮する種類もあるそうで……」

「へぇ~」

「調べてみたら、この花に似たような外国の花に薬効があると載っていたんで、思いついた。葉の形も似ていたし……」

「それで、温度を気にしてらしたのですね」

「この村に来てから、この花がどこにでも咲いていて、よい香りを放っているので……一度試してみようと前から思ってた」

「こんなどこにでも咲いている花がねぇ。でも確かに、ここ以外ではあまり見かけない花ですわね」

「寒い地方にだけしか咲かない花なのかもしれない……サリア、今日私の入浴の際に、この花を使ってくれないか?」

「ええっ! それは構いませんが、万が一お肌に悪いものであったりしたら……」

「そうか。それは困るな。なら今少し試してみよう。こちらに少し持ってきてくれないか?」

 オリイが小さな鍋に湯を分けて運んでくると、レーニエはさっさとそこに手をつけてしまった。

「レーニエ様!」

「そんなこと私がいたします!」

「もう遅い。うん……別に何ともないな。刺激もない。しばらくつけてみよう」

「じゃあ、私も!」

 サリアも同じようにした。二人の娘の華奢な手が、桃色に染まった湯の中に揺れている。

「この温度で、これだけの色が出るってことは……もっと沢山の花を高温で煮詰めたら、染料としても使えるかもしれないな。今度はそっちの本を調べてみよう」

「染料ですって? 一体レーニエ様は何をされるおつもりなのですか?」

「うん、ちょっと。でも、まだ思ってるだけで……ああ、もういいかな?」

 しばらくしてレーニエが手をあげても、ひりひりするとか変な感じはしなかった。それどころか、皮膚がつるつるしたようで、撫でて見ると心地がいい。

「少し外気に当たってくる」

 レーニエは玄関ホールではなく、厨房の裏口から、裏庭の方に出る。

 空気はやはり冷たく、暖かい厨房から出た身に寒さは染みたが、何もつけていないはずの手はホカホカといつまでも暖かかった。しかも、仄かな花の匂いがいつまでも残っている。

「どうですか?」

「うん、これなら使えるかもしれないな」

「ですが、万一と言う事もあります。お風呂で試すのは私がいたします。よろしいですね」

 レーニエが何をしようとしているのか、さっぱり見当がつかないサリアだったが、聞いても無駄だと諦め、放っておくと何をしでかすか、わからない主が無茶をしないように釘をさすにとどめた。

 しかし当の本人の関心は、別にあるようだ。

「いや、これだけではまだ……もっとちゃんと調べなくては。ジャヌーの話では春には商人が来ると言ってたし。試しに見てもらってもいいかな? なんなら王立科学院に送ってみても」

「……」

 何を思いついたのか、本を見ながら独り言を言っているレーニエを、サリアとオリイは呆気にとられて見つめていた。

「あのね、オリイ、サリア」

 不意にレーニエは書物から顔をあげる。

「はっはい!」

「ともかく、見込みが出たらきちんと皆に話すから、まだ何も聞かないで。そうだ、フェルが帰ったらまた花を摘みに行こう。天気は持つかな?」

「そう言えば朝方は晴れていましたのに、急に暗くなってきましたわね。森で仕事をしている人たちは大丈夫かしら?」

 フェルもヒューイも、村の男たちに混じって朝から森に入っている。男たちにとっては狩りは貴重な現金収入になるとともに、少ない冬の娯楽のうちだということだった。

 狩りをした後、すぐに皮を剥いだり、使える肉はそのまま煙で燻して燻製にしたりする。森での仕事は夕刻までかかる予定だった。

「フェルは昼過ぎには帰ってくると言ってましたけど……」

「そうか、それなら後でその辺りまで迎えに行ってこよう」

「では私がお供を」

「サリアが? ああ、わかった。フェルは馬車で帰ってくるだろうから、私は歩いて行くが、サリアは大丈夫?」

「まぁ! 私が歩けないとお思いですか?」

 サリアはなんだか楽しくなって、心が弾むのを感じている。レーニエが朗らかなのが余ほど嬉しいらしい。

「いやいや。じゃあいっしょに歩いて行こう」

「はい! じゃあ私はお昼の準備を手伝ってきますね。暖かいものを食べて元気をつけて出かけましょう!」


「すごい鹿だったなぁ。あの角はどうするんだろう?」

「都の物好きが買うんじゃないか? 俺は白い小さい奴がたくさん獲れたのがよかった。あの毛皮は柔らかくて、いい値で売れるんだ」

 少年たちは朝の仕事が漸く片付いたので、しばらく自由時間をもらって、森の中を散策していた。

 フェルは最近、ヒューイに教えてもらって、以前レーニエからもらったフユコウジの実の見つけ方を尋ねたり、森の中の歩き方を聞いたりと、館にいてはわからない事を知るようになっている。

 大人たちは伐採地の広場で獲物を解体していた。

 獲った獲物は、すぐには持ち帰らないで、まず森の中で処理をする。

「喉を掻っ切って息の根を止める時には、ちょっとかわいそうな気もしたけど」

「そんなのは都育ちの奴の言い分だね。おまえだって父さんに教えられて罠をかけてたじゃないか」

 ヒューイは馬鹿にしたように言った。

「あれはものは試しで……狩りは初めてだったし」

「その割には、かなり本格的に遠くまで仕掛けに行ってたよなぁ。で、何か獲れたらどうするんだ? 放してやるのか?」

「……」

「たとえ放してやっても、罠でケガをした動物なんか、すぐにほかの獣にやられてしまうぞ。さぁ、どうする?」

 ヒューイは容赦なく追及した。フェルディナンドは顔をしかめて考えていたが、やがて結論に達した。

「やる。急所を一思いに」

「そうだ。それでいいんだ」

 ヒューイはにやりと笑った。

「お前はえらいよなぁ」

 情けなさそうにフェルディナンドは、この年上の友人を見上げた。レーニエの前では決して見せない顔だった。

「えらくねーよ。ここでずっと暮らしていたら当たり前のことだ」

「……」

「俺たちは貧しい。だから生活のために出来ることはなんでもやる。それだけ」

「そうだな」

「おい! 暗くなんなって!」

 すっかり考え込んでしまったフェルディナンドを励ますように、ヒューイは大きく肩をどやしつける。

「さぁ飯にしようか。それから朝しかけた罠をみてまわろうぜ」




嵐の前振り回、ということで。

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