18 領主の役割 5
ノヴァゼムーリャの冬は長い。
いつものように、森へ昼の食事を運び終えた領主一行は、二台の荷馬車を騎馬で囲むようにして館に向かっていた。
午後はまだ早いが少し天気が悪く、空はどんよりと曇っている。
しかし、まだ多くの雪が残る冷え込んだ森の中と比べると街道はやはり明るく、傍らに咲き乱れるリルアの花の香りに満ちていた。厳しい仕事が続いた伐採のシーズンも、片づけを含めてようやく明日で終わりである。
「この後の大きな仕事はどういう段取りになっている?」
レーニエは横を行くジャヌーに尋ねた。
「そうですね。明日から三日間、村人には狩りと採集が解禁されます。男たちは狩猟に、女たちは森の木から樹液を集めて糖を作ります」
「狩り?」
樹液を煮詰めて糖を作ることは以前聞いたが、狩猟のことは初めてだった。
「ええ。これはまぁ、最近になって許可されたことのようですが、きつい仕事をこなした人たちにお目こぼしというか……森に住む動物たちを狩って、その毛皮や肉を獲って、収入にしてもよいことになっています」
「どうやって狩る?」
「主に罠です。大きさや数は決められていて、乱獲にならないように軍が管理をしますが」
「ふぅん」
「昼の内にここ! という場所に罠を仕掛けて一晩置き、朝になってから見回ります。うまくいけば、ほとんどの罠に小動物がかかります。冬の獣は肉質は良くないのですが、毛皮は質がいいのです」
横から会話に参加してきたのは、ミリア達の父親のペイザンだった。彼は先頭の荷馬車を御している。彼は小柄で、伐採の時期には後方支援に回ることが多い。
「ペイザン殿も狩りをされるのか?」
「ええ。こうみえて、罠を張るのは得意です。マリが氷滑りの靴を欲しがっているので、毛皮を売った金で買ってやれればと思っていまして」
「ミリアのお古では、お気に召さないと?」
レーニエはぷっちりとしたマリの赤い頬を思い出しながら微笑んだ。
「はっは! その通りで。女の子というものは難しいものですな」
ペイザンは館で待つ幼い姉妹の思い浮かべ、可愛くてならないという風に目を細めた。彼はアダンと同じ歳だが、子どもを得たのが遅く、二人の娘をことのほか可愛がっている。
「ほんとうになぁ。女の子ってよくわからないよなぁ、フェ~ル?」
「なにそれ?」
ジャヌーが意味ありげに目くばせするのにしかめ面を返して、フェルが手綱を振った。少年はヒューイと共に後方の荷駄を御していた。
「サリアさんが言ってたけど、昨日もアーリアからお菓子を貰ったんだって?」
「何? 本当か」
アーリアのすぐ上の兄である、ヒューイが驚いてまじまじとフェルに向き合った。それまで昼食の残りのパンをかじっていたのだが、無理やり飲みくだす。
「だって、くれるというから貰っただけだよ? 断るのも悪いじゃないか。まったく姉さんと言い、お菓子を貰ったくらいで、なんでみんなそんなに大騒ぎするんだ」
「……おまえ」
ヒューイはどう返していいか分からず、言葉に詰まった。こいつは全然馬鹿には見えないが、本当は馬鹿なのだろうか?
「レーニエ様、レーニエ様もそうは思われませんか?」
まさか自分に話が振られるとは思っていなかったレーニエは、うっと首をすくませた。
「さ、さぁ? アーリアの気持ちは何となくわかるような気もするが……」
「じゃあ、俺に教えてくださいませんか?」
「ここで? いや、それは……」
「わかりました。じゃあ、今夜にでも伺いに行きます」
フェルディナンドは頷き、この話はこれで終わりだと言うように再び手綱を振った。
「ちょっとお前、今夜って、夜が更けてからレーニエ様の部屋に行ったりするのか?」
フェルディナンドの肘をつかんで、こそこそとヒューイが耳打ちする。
「行くよ。なんで?」
「何しに行くんだよ?」
「何って……お茶をお持ちしたり、お部屋が冷えていないかとか、ちゃんとお休みになられているか確認したり……後は、他にご用がないか伺ったり……」
「へぇ~、お前よく平気だなぁ」
ヒューイはすっかり感心したようだった。
「なんだよ」
「俺なら、あんなきれいな人に近寄れないよ。寝間着を着てたりするんだろう?」
ヒューイは初めて領主館の図書室で、偶然入ってきた仮面を外したレーニエを見た時、持っている本を取り落としそうになったくらい動転した。
「だって、近づかないと、ご用ができないじゃないか」
「そりゃそうだけど……さすがに貴族様のお小姓は違うなぁ……なんか、ほんとすげぇ。これなら、アーリアをやってもいいかな?」
「さっきから何をぶつぶつ言ってんだ、お前」
「いーや、何にも。そら!」
ヒューイは持っていたパンのかけらを飛んできた鳥に向かって投げてやった。
「男の子はおもしろいな」
喧嘩しているようで、じゃれあっている二人を見てレーニエは呟いた。
「レーニエ様にはあんな時期はありませんでしたか?」
「私の周りに、同じ年頃の子どもは一人もいなかった」
帽子のつばが下がる。
「けど、今は俺がいます。少しだけ歳は上ですが」
ジャヌーはにっと笑った。
「……」
既に女であることを隠してはしていないけれど、積極的に吹聴もしていないレーニエは、何も疑っていないジャヌーに何と返事をしたものか少々困った。
しかし、打ち明けるにしてもここでは変だし、何かきっかけがないと言う方も困る。
そこまで考え、自分では器用に伝えられないので、その内ファイザルから話してもらうことに決めた。
「え? もしかしてお嫌でしたか?」
「そんなことはないが……ふ、そうだな。これからはジャヌーにいろいろ聞いてもらおう」
「そうですよ。俺でよかったらいつでも話してください。そのう……好きな女の子のこととか」
「女の子?」
とても意外なことを聞いたように、レーニエは繰り返した。
「ええ……ああ、そうか。レーニエ様みたいなご身分だと、その辺の女の子を好きになっちゃあいけないのかな」
「そんなことはないと思うが……」
大真面目にレーニエは応じる。
「誰か、お好きな娘はいないんですか?」
「う~ん、ミリアとかマリ……ではだめかな?」
「それは……モンダイでしょう」
「モンダイか? では、ジャヌーは誰かいるのか」
「俺? 俺ですか? 俺は……」
ジャヌーは目の前の美しい若者を眺めた。
この人物の素顔は知っている。一度見たら忘れられないほどの美貌で、ここだけの話、ジャヌーは時々夢に見るくらいなのだ。
「以前はいたんですが、レーニエ様を見てからすごく可愛いと思う娘がいなくなって……あっ、変な意味ではないですよ! 失礼いたしました」
慌てて謝るのを聞き咎めて、ヒューイが横から口を出した。
「何なに? ジャヌーさん、何を真っ赤になってんの?」
「本当だ。あやしいな」
フェルディナンドも意地悪くからかう。
「なっ何もないぞ! あ、なんだその眼は! 大人をからかうんじゃない!」
好きな人?
レーニエは、少年たちにからかわれてムキになっているジャヌーの背を眺めて思う。
「ヨシュアは……」
「え? なんです?」
散々な目にあったジャヌーが辟易した様子で馬を寄せてくる。
「いや……ファイザル指揮官殿は、どうして妻帯されないのかと思って」
「ええ? 指揮官殿ですか? それは俺たちでもわかりません。あの年で何もないってこともないと思いますが……忙しいからじゃないでしょうか?」
「そんなに仕事をされているのか?」
何もないとはどういうことだろうか、と考えこみながらレーニエは聞いた。
「あ~、最近はとくにそうですかね? なんだか休みたくないように仕事をしているようで……いつもの冬なら、もう少しゆっくりするんですが」
「そうか……ジャヌー、お前はあの人をどう思っている?」
「は? どうって……え~と」
思いがけない質問に、ジャヌーはぐるりと視線をまわした。
「まぁ、上官としても、男としても、ものすごく頼りになる人ですよ。勇敢だし、頭はいいし、部下思いで結構話せる人だし。でも、ああ……訓練のときは鬼のようですけど」
「鬼?」
レーニエの知っているファイザルは、いつも穏やかで、有能ではあるが、冷たい人間ではない。訓練の時にはどんな姿を見せるのだろうか。
「ええ。あの人は俺と違って、数々の実戦をくぐり抜けてきた人ですから、戦争の恐ろしさをよく知っています。だから、訓練は手を抜かないんです。新兵の中には逃げ出す奴もいるくらいで……でも何故、指揮官殿のことをお聞きに?」
「本気の戦闘訓練の様子を見てもいいだろうか? この間も少し見たけれど、あれは武器は持っていなかったし」
「ええっ? そりゃやめた方がいいですよ。」
「何故?」
「う……それは訓練用の剣は刃をつぶしてあるとはいっても、木剣ではないので血が全く流れない訳じゃない。見て楽しいものではないし、当たり所によっては気絶もするし、中には吐いたりする奴もいるから、お見苦しいし。レーニエ様のような方が見られるようなものはないです」
「そんなに厳しい訓練をあの人が?」
「厳しいなんて言葉は生ぬるすぎます。とにかく見ない方がいいですよ。指揮官殿の剣技は、そりゃものすごいもので、俺だって訓練の時には胃が縮む思いをすることが何度だってあります。しかし、それくらいでいいんです」
「ほんとうの戦よりは?」
「そうです。南の国境では毎日が死線ですからね。俺の友人であそこに配属された奴がいましたが、この一年音信不通だし……一体生きてるんだか、死んでんだか……。軍隊では俺も指揮官殿も、いつ転属があるかわからないんです。だから、訓練はいくら厳しくったっていい。みんなわかっているんです」
「……」
レーニエはぞっとした。
軍の上層部のことはよく知らないが、配置換えや左遷などの話はいかにもありそうだ。ちょっとしたことで、上官の心底を悪くすれば、あっという間に前線へ転属になるのかもしれない。
ファイザルは、おそらく自分の判断で、耐寒訓練と称し、伐採作業に軍の人員を割いている。こんなことが都に知れたら、よくないのではないだろうか?
「あれ? 俺は何でこんな話をしているんだろう……すみません。ご気分が悪いでしょう?」
青い顔で黙り込んでしまったレーニエを見て、申し訳なさそうに、ジャヌーが眉を寄せた。
「そんなことはない。ただ知りたかった……話してくれてありがとう」
「レーニエ様は……」
「ん?」
一体何を考えておいでで? という言葉をジャヌーは飲み込んだ。聞いても応えてくれないと思ったからだ。
最初出会った頃に比べると、別人のように打ち解けてくれたが、相変わらずこの人はよくわからない。わからないが、そこはかとなく可愛い。いかにも高貴な雰囲気を漂わせながら、フェルに小言を言われてはしゅんとし、村の子ども達に慕われている。
この方はどういう人なのだろうか? 貴族のことはよく知らないが、多分大貴族の落し胤のような御身分なのだろう。
ジャヌーは勝手にそう思っていた。
きっと都では肩身の狭い思いをしていたに違いない。そのせいかどうか、放っておけない末っ子のようについ相手をしたくなる。
だって、なんだかこの方、男とか女とかってことを越えて、ただひたすら可愛いっていうか……。
ジャヌーはにこにこと笑った。
「……ジャヌー?」
物思いから冷めたレーニエが、怪訝な目を向ける。
「いえ、なんでもありません。そうそう、さっきの話の続きですが……村では狩猟が終わると、春の大仕事の前に少し暇ができます。都から行商人がたくさんやってきて市が立ち、ちょっとしたお祭りになりますよ。レーニエ様もぜひご覧になってください」
「そうか。それは楽しみだ。あ、ちょっと待って……フェル、先に行きなさい。わたしはちょっと用がある」
道は館の手前に差し掛かっていた。
そこからは森が切れて、荒野と畑が見渡せる。そこらには沢山の薄紅のリルアの花で満ち溢れていた。レーニエはそこで馬をとめる。
「レーニエ様、じゃあ、私も残ります」
そう言うが早いか、フェルは馬車を飛び降りた。レーニエ個人の護衛のジャヌーも訳が分わからないながら馬をとめた。合図を受けてペイザンとヒューイは挨拶をし、馬車を進める。
館はもう目の前だし、ジャヌーもいるから大丈夫だ。
馬車を見送ってからレーニエは、馬の鞍に着けた荷物入れに手を突っ込み、ごそごそと布袋を取り出した。
唖然としている二人に、レーニエはとんでもないことを言い出した。
「フェル、ジャヌー。申し訳ないが、リルアの花をこの袋いっぱい集めてくれないかな?」
レーニエちゃん、何か思いついたご様子。兄さん一回休み。