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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第一部 ノヴァの地の新領主
17/154

17 領主の役割 4

 領主館は、セヴェレの大森林から軍の砦を抜けて、村に至る街道沿いにある。

 つまり、領民たちが帰るには、領主館のそばを通らなければならない。村の方角から見ると、北に館があると言う訳だ。

 だからここに子どもを預けておく事は、森で働く親にとって大変都合がいい。

 伐採のシーズンも半ばを過ぎ、村人たちも兵士も次第に作業効率を上げ、予定していた本数をほぼ伐り終えた。

「さぁ! みんなご飯は食べたわね。もうすぐお迎えが来るわよ。支度して! いない子はいない?」

「いないのにどうやって返事すんだよ……」

 サリアの号令に、ぼそりと突っ込みを入れるアダンの息子ヒューイ。彼は、今年から父親のアダンに森に入ることを許されたが、まだ一日を通しての作業は無理なので、一足先に館に帰ってきている。

 喧嘩も強いが面倒見もいいので、すぐ下の妹アーリアと共に、幼い子供たちには慕われていた。

「兄さんったら……あ、レーニエ様だわ、フェルも」

「フェルのやつ、レーニエ様が一緒だと人格変ってやんな」

「そんなことないわ! フェルはいつも素敵だわ」

 玄関ホールに帰り支度をして集合した子ども達を見送りに、レーニエが正面階段を降りて来る。後ろから大人びた顔でフェルも着き従う。

 冬の陽は落ちる寸前で、いかめしいホールは陰気な限りだが、子ども達のさざめきがそんなものを吹き飛ばしている。明日の食事の下ごしらえを終えた女たちも混じって、みんなで男たちの帰りを待っているのだ。

「皆、支度はいいかな? 忘れ物の無いように」

「はぁ~い!」

 優しくレーニエが問うのへ、幼い声が口々に応じる。その様子を見て領主は淡く微笑んだ。

「向こうにカンテラの火が見えた。皆の父様たちは、すぐに戻ってくるから」

「レーニエ様」

 ヒューイが前に進み出る。その手には何冊かの本を抱えていた。

「ん?」

「今日は、この本をお借りしたいと思います」

「ああ……ヒューイは熱心だな。いくらでも持っていくがいい」

「ありがとうございます」

 少し年のいった子ども達には、図書室や厨房への出入りも許している。そこで自分の好きな勉強をしていいことになっていた。

 ヒューイは意外にも本が好きで、レーニエが都から持ってきた多くの本や、昔からここにあった古い羊皮紙の書物に熱心に目を通していた。

「歴史か。フェルは苦手だったな」

 ほんの少し唇をあげたレーニエとは逆に、フェルディナンドは口をへの字に曲げた。

「一応教養としてなら読みました。だけどオ……私は、昔に起きたことより、数学とか科学の方が学びがいがあると思います」

 ヒューイの持つ分厚い歴史書に顔をしかめて主に言い返すのへ、ヒューイが割って入る。

「俺はお前と違って、今まで本を手にする機会も時間もなかったんだよ」

「そうだ。ヒューイは努力家だ」

「レーニエ様の言うとおり。フェルは自信家すぎるのだわ」

「なんだよ。姉さんまで」

 主と姉にたしなめられて、少年は更に口を曲げた。そこにアーリアがやってくる。ヒューイよりは濃い色の金髪で、すらりと背の高い少女だ。

「あの……フェル? これ、今日、私がオリイさんに教えていただいて作ってみたの」

 アーリアがおずおずと差し出した手には、薄い色のリボンが掛けられた焼き菓子がのっていた。両頬が紅に染まっている。

「……よかったら食べて」

「ああ……どうも」

 憮然とした顔のまま、フェルディナンドは、自分より少し背の高いアーリアからお菓子を受け取った。

 その様子を見て、サリアとレーニエがこっそりため息をついている。二人にはアーリアの気持ちがよくわかるのだ。

「レーニエさまぁ」

 そこに可愛らしい声がかかる。

「やぁ、マリか。なんでしょう?」

 鳶色の巻き毛に同じ色の瞳、桃色の頬をした可愛らしい少女にレーニエは、いつものように騎士の礼を取る。ぷにぷにしたほっぺはいつもどおりだが、今日はどことなく心配そうな瞳でレーニエを見上げている。

「あのぉ」

「なんですか?」

「レーニエ様は都から来たって、みんなが言うの。だから、いつか都に帰ってしまうって……本当なの?」

「いいえ、帰りません」

「本当? 春まではいる?」

 ぱぁっと顔が輝いたのを見て、思わずレーニエも柔らかい笑みを浮かべた。

「もっとずっといると思います。なぜ?」

「あのね? 村の外れに姉さんと、私だけしか知らない隠れ場所があるの。隠れ鬼をしても、そこにいたら絶対に見つけられないんだよ。見つからなすぎて、いっつも自分たちで出てきてしまうんだけど……。春になって隠れ鬼ができるようになったら、レーニエ様にその場所を教えてあげようと思って……」

「本当? それは楽しみです」

「父さんにも秘密にしてくれる?」

「約束します。春になるのが楽しみになりました」

「うん! とってもきれいなところなの……春になったらそこでおやつを食べようって、姉さんと話をしてたのよ。レーニエ様も行こうね」

「私も行っていいのですか?」

「うん! お約束!」

「ご招待、謹んでお受けいたします。マリ姫」

 レーニエは幼いマリの手を取り、優しくキスをした。

 レーニエがこんなおどけた様子を見せるのは、幼い子供の前だけなので、サリアもフェルディナンドも内心驚きながら、とても嬉しく見守っている。

 その時、正面扉が大きく開き、寒気と共に大勢の男たちが入ってきた。今日の仕事が終わったのである。

「ただ今戻りました。ああ、みんなそろっているな」

 ファイザルがホールに勢ぞろいした子ども達を見渡して頷く。

 すぐにレーニエと目があった。領主は子どもたちの後ろから駆け寄って出迎える。

「ご苦労だった……ヨシュア」

「今日も皆無事帰還いたしました、レーニエ様。子どもたちのお世話でお疲れではございませぬか」

「う、うん。それは別に……」

 レーニエはほこんでしまいそうな口元を何とか堪えた。

「お父さん! お帰り!」

「ただいま」

「あなた、お疲れ様でした」

「ああ、もう仕事の見通しはついたんだ」

「まぁ、よかった」

「ご領主様のところでは、いい子にしていたかい?」

「あたし一回も泣かなかったわ」

 ここ数日繰り広げられる、家族のさざめき。

 一日働いて疲れ切った男たちは、預けていた自分の子ども達を抱きしめ、夫婦で労い合う。そうして、一様にレーニエやサリア、見送りに出てきたセバストやオリイ達にまで頭を下げ、心から礼を云って家路に着くのだ。

 ものの十分ほどで、騒がしかったホールは静かになった。

「レーニエ様は本当に良くしてくださる。皆そう申しております」

 ファイザルは心から言った。

 このところのご領主様の活動には目を見張るものがあって、森に男たちの食事を運んで彼らを励ました後、屋敷に帰って幼い子ども達の相手をしたり、年かさの子どもに勉強を教えたりしている。

「それほどでもない。あなたの方こそお疲れだろう。今、食事を用意させる。ゆっくりされるがよい」

「いや……もう日が暮れそうですし、これから砦に引き返さなくてはならないので」

 レーニエの誘いを聞いて、顔を輝かせたジャヌーに気がつかないふりで、ファイザルは答えた。

 彼も毎日朝早くから兵を指揮して、事故のないように村人たちの支援をしているので働きづめなのだ。愛用の大剣には、小さなつららがぶら下がっていた。

「あなたも少しは休めばいいのに」

「この仕事を終えたら休みます。一度緊張がほぐれると、なかなか立て直せなくて……不器用なものですから」

「けど今夜ぐらいは……」

「お気遣い感謝致します。しかし、今日のところは戻ります」

 レーニエの再三の勧めを、ファイザルは柔らかく断った。

「そうか……」

 無意識につかんでいた厚い上着の袖口を力なく放し、レーニエはそっと項垂れる。


「ちょっとフェル、あの態度はよくないわよ」

 大階段の下では、サリアがフェルを捕まえて説教を垂れていた。

「なんだよ」

「せっかくアーリアがお菓子を作ってくれたのに。あんたってば無愛想でさ」

「ちゃんと礼は言ったさ」

「そうじゃなくてさ、ん~、なんていうか……もう少し優しい言葉を……。女の子は何にもないのにお菓子なんかくれないわよ。少しファイザル様を見習いなさいよ」

「はぁ? どういう意味? なんで俺があの人を見習わなくちゃいけないんだよ」

「う~、何で気がつかないかなぁ……わが弟ながら、一つのことしか見えてないわ……」

「姉さん? さっきから何をわかんない事言ってんの? 俺はまだ忙しいんだ。大広間の片付けをしないと」

「ああ、わかったわよ……ったくもう……ああ! ジャヌーさん。疲れてるところ悪いんだけど、裏の物置から粉の袋を運んでくれないかしら? お父さんだけでは大変で……」

 サリアは、にやにやしながら二人の会話を聞いていたジャヌーに、取ってつけたように声をかけた。

「よしきた。隊長殿、少し手伝ってきますので、少々お待ちを」

「ああ、ご苦労だな。門で待っている」

 ファイザルの許可を得たジャヌーは、いそいそとサリアの後について行った。

「門まで送ろう」

 なぜかファイザルに顔を見られたくなくて、先立って歩きながらレーニエは呟いた。

「外はかなり冷えています。お風邪を召されてはいけないから」

 辞退しようとするファイザルに答えず、レーニエは自ら扉を開け放つ。

 馬に踏み散らかされた雪が残照をにじませ、わびしい前庭の風景が広がった。今日はよく晴れていたが、その分冷え込みも厳しい。

 押し寄せる寒気も意に介さず、レーニエは正面の階段を下った。向こうに繋がれた馬たちが人の姿を見とめて嬉しげにいななく。

「家族とは、あのように触れ合うものなのだな……」

「レーニエ様……」

「私はあのように迎えられたり、抱きしめてもらった事がなかったから、ここ数日、あのような光景を目にして……何というか……自分まで嬉しくなる」

「ありがとうございます」

 すぐ後ろにつき従いながらファイザルは、緩く編まれた銀髪に話しかけた。

 レーニエは振り向かない。

 門までの石畳はきれいに徐雪がしてあるが、門の向こう見えるはね橋には両側にうず高く雪が積まれているのが見えた。そこまでの短い距離を歩く間、この人は自分に顔を見せないつもりなのだろうか。

「皆、感謝しております。あなたのなさることに。子ども達を預かってくださることで、親たちは安心して存分に働けます。娘たちには働く場を提供してくださっているし。それが村に活気をもたらす」

「……実際に手をわずらわさせているのは、セバストやサリア達だ。それにフェルの方が、私などよりよほど役に立つ。私は屋敷でも、森でも、どこに行っても役立たずで……」

 頑固に振り向こうとしないレーニエの肩を優しくつかみ、ファイザルは己の方を向かせた。

「そんな風に言うものでは。レーニエ様のお気持ちがなければ、皆はもっと苦労していたはずなのです。もっと胸を張っていい」

「……」

 思いがけない強い口調に、赤い瞳が大きく見開かれた。

「あなたはよくやっている。それは紛れもない事実だ」

「ヨシュア……私は」

「ああ……こんなところで立ち話をして申し訳ありません。すっかり頬が冷たくなってしまった」

 無骨な手のひらが白すぎる頬を包み込む。

 冷たい頬が熱い手の中にすっぽり収まった。レーニエは逆らわずに、自分よりかなり高い位置にある青い瞳を見上げた。

「ヨシュア……あの……何かもっと、私に出来ることはないか?」

「今以上に?」

「今以上に」

「ああ……それでは一つだけ」

 親指で顎の骨をなぞりながらファイザルが答えた。レーニエは瞳を輝かせる。

「それは何?」

「仮面を取ってお顔を見せていただけますか?」

「……え?」

 森から帰った後もレーニエは仮面を外さなかった。

 最近は大勢の人前以外では外すこともあるのだが、大勢の男たちの前では、まだその勇気が出ない。

「ご無礼」

 そう言うと、ファイザルはレーニエの頭に手をまわし、後頭で結ばれた紐を引いて解く。はらりと絹のマスクがはがれて落ちた。

「あ……」

「本当なら俺のような者が、あなたに触れていいはずはないのですが……」

「……」

 ファイザルは握った指の背で彼女の頬を撫ぜ、よく見えるように軽く顎に添えた。珠を削ったような顔を真上から覗き込む。

 光彩の大きな瞳には今日最後の陽が写り込み、独特の緋色と混じりあって、それは万華鏡のように見える。

 強く見つめられて、レーニエは思わずその瞼を伏せた。

 無自覚にしているその仕草がまるで口づけをねだっているように見え、ファイザルは思わず体を離した。

「すみません」

「あ……」

 離れることで割り込んできた冷気に戸惑うように、レーニエは少しよろめく。ファイザルの腕が伸びて、再び体が触れあう。

「指揮官殿! お待たせいたしました。サリアさんったら、ちょっとだけって言ったのに結構な数で!」

 背後から仕事を終えたらしい、ジャヌーの声が聞こえてきた。

 苦笑を洩らしたファイザルは、突然腰を大きくかがめる。自分の指先に熱く弾力があるものが押しつけられたのを感じ、レーニエは目を見張った。

 それはついさっき、自分が幼いマリにしたのと同じ行為。

「それでは……お休みなさいませ、レーニエ様。ジャヌー! 行くぞ」

 言うが早いか、ファイザルは身を返す。黒いマントが大きくひるがえってレーニエを軽く打った。

「……」

 暮れなずむ荒野を二騎の騎馬が去ってゆく。

 一瞬だけ唇が触れた指先を、無意識に自分の唇に押しつけ、レーニエはいつまでも黒い門にもたれて彼を見送っていた。




どひーん! ちょっとは萌えて頂けましたでしょうか? え? ファイ兄さんが犯罪者? いや、そんな……少し。

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