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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
151/154

151 ノヴァゼムーリャの領主5−1

 婚儀から約一月後。

 夏を謳歌(おうか)する都、ファラミアをレーニエが去る時がやってきた。

 秘された王女にして、北方領土ノヴァゼムーリャの領主、レーニエ・アミ・ディ・エルフィオーレと国軍将軍、ヨシュア・セス・ファイザル。

 彼らは結局、南部ウルフィオーレから戻って、二月以上をこの都で過ごしたことになる。

 通常ならば、国境に面した辺境領主が、それほど長く国元を空けることはまずない。

 エルファラン国は北を除くと、他は隣国との自由国境地帯に接しており、いくら大国とは言っても、国境警備と管理は領主の重要な任の内だからだ。

 領主が留め置かれた理由は、女王ソリル二世がやっと公けにできた愛娘を中々離したがらなかったのと、ザカリエ戦役の英雄ファイザル新将軍が、戦の残務処理——特に戦死した者の遺族に対する対応を、最後まで責任を持とうとしたからであった。

 だが、それも大方は片付いた。

 レーニエが北の領地を離れてから、既に五ヶ月以上になる。

 彼の地では今頃、早い秋の気配が微かに兆す頃だろう。荒野を覆う夏草は既に、色褪せ始めているに違いない。

 都より淡く透明な広い空、針葉樹の上を吹きわたる緑の風、豊かな下生えの中に控え目に咲く花々。そして笑いさざめきながら裸足で駆けてゆく小さな足。

 それらすべてが懐かしく、レーニエはこのところ空ばかり見上げていた。

 帰ろう。

 帰りたい。

 我がノヴァの地へ。

 黄昏の金色の光が惜しみなく降り注ぐ庭を歩きながら、レーニエはサリアを振り返った。背後に紅色や黄色の花をつけた蔓草を従え、まるで幽玄の国の主のようである。

「ヨシュアがね」

 細い指先で長い髪を(もてあそ)びながら、レーニエは呟いた。

「はい」

「もう大丈夫だって」

「左様でございますか」

 サリアも、レーニエが何を言わんとしているか、よくわかっている。

「うん。陛下……母上には今朝がた許しをもらった」

「はい」

「三日後に発つ。準備を」

「畏まりました。大丈夫でございます、既に大方は整っておりますわ」

 サリアの声もどこかうわついている。

「ですが、陛下はなんと仰せになられましたか?」

「息災で、と。そして、年に二月(ふたつき)は必ず帰って来るようにと、それだけ」

「帰ってこられますのでしょう? 都に」

「ああ、来年の春には」

 心穏やかにレーニエは頷いた。

「伐採期と春の畑仕事が終わったら、皆の仕事が少し楽になるだろう? そのくらいから夏にかけて都に戻って来よう。私は夏が苦手だからそれぐらいが丁度いい。それに冬の間、皆が作ってくれたリルアの加工品を広めるにも都合がいい」

「まぁレーニエ様、レーニエ様ったら、すっかり商人のようなもののおっしゃりようですわよ」

 心安だてにサリアは笑った。

「私だって、少しは学んだんだから。経済とか流通とかを。シザーラ殿から」

「そうですわねぇ。お二人はすっかり、気心の知れたご友人になられましたわねぇ」

「うん、いつかきっとシザーラ殿を、ノヴァにお招きしようと思う。ナディア殿ともきっと気が合う」

「それは楽しみですわね」

 同じ年の友人など、王宮の片隅で暮らしていた頃は、考えられなかった事だ。

 しかし、レーニエはあの頃のような陽炎の如き麗人ではない。少し自信無げな部分は残っているものの、自らを覆い隠す仮面も大きな帽子も捨て去った、ごく当り前の二十歳の娘である。

「きっとそういたしましょう、レーニエ様!」

「うん。あ、それと、帰る前にフェルに会いたい。呼んでくれるかな。彼の学校の都合に合わせて構わないから」

「畏まりました。きっと飛んでくると思います。さ、そろそろ中にお入りに。晩餐は陛下とご一緒になさるのでしょう? 支度を致しませんと。陛下は一刻一秒を惜しんで、レーニエ様とお過ごしになりたいご様子ですもの。お待たせしてはいけませんわ」

「そうしよう。ああ……見て、サリア。空が夢のようにきれいだ」

 そう言ってレーニエが見上げた空は、赤や橙、灰に薄紫とありとあらゆる色彩で彩られ、花園と二人の娘を暖かく染め上げていた。


 レーニエの招聘(しょうへい)を受けて、フェルディナンドが彼女の部屋にやって来たのは、翌日の薄暮の頃だった。

「レーニエ様、フェルディナンドが参りました」

「ああ、すぐに通して」

 サリアが引っ込むと、直ぐに士官学校の制服に身を包んだフェルディナンドが入って来た。

 扉の前で騎士の礼を取る少年を、少し眩しそうにレーニエは見つめる。

「フェル! よく来てくれた」

「遅くなりまして申し訳ありません」

 少年は礼の姿勢を取ったまま、まだ床を見ている。

「いや、いいのだ。馬術の試験があったのだろう? 聞いている。お前の都合も考えないで悪かったね」

「いえ、大丈夫です」

「そんなところで立っていないでこっちに来て? ヨシュアはまだ戻らないが、構わないだろう」

 試験があったのは事実だが、フェルディナンドは主席をとる自信はあった。それは筆記試験の直後に行われる実技試験でも然りである。

 だから、帰ろうと思えば、いつでも王宮に帰ることはできたのだったが、フェルディナンドはこの半月の間、一度もレーニエや家族に会いに来なかった。フェルディナンドは意図的に帰らなかったのである。

 愛する人と結ばれた主人の幸せを、喜ばしく思う気持ちに嘘はない。

 しかし、それをずっと傍で眺めていられる程、自分が大人ではない事も、彼は自覚していた。

 だからフェルディナンドは、レーニエが領地に戻るギリギリまで会う事を避けていたのだ。

 けれども、どうしようもなく会いたいと思っていたのも、また事実であった。

「それで試験はうまくいったの?」

 レーニエは鈴の鳴るような声で尋ねる。

「ええ、多分」

 レーニエのためにお茶を淹れようと腰を上げかけたが、それを察したレーニエに制される。

 お茶は姉が運んでくるのだろう。

「そう。フェルは偉いね。もう私なんかよりずっと立派だ」

「いいえ、私はまだまだです。レーニエ様がいらっしゃるから頑張ってこられたのです」

「学校は面白いところだったね。また行ってみたいな」

「来年にでも是非。ですが、今度はもっとお静かにお願いしますね」

 フェルディナンドの言うのは、つい十日程前の出来事である。

 セルバローとファイザルを伴って士官学校を訪れたレーニエは、またしてもちょっとした災難にフェルディナンドを巻き込んでしまったのであった。

「あっ、言ったな。ははは、でも楽しかったから、また趣向を考えておこうかな?」

「お手柔らかにお願いいたします」

 フェルディナンドも笑った。

「でも、おかげで仲良くなれたやつもいるし。ヒューイとも最初は喧嘩からでしたでしょ」

 ヒューイとは、ノヴァでフェルディナンドの友人となった少年である。

 彼もレーニエの支援を得て、都にさまざまな事を学びに来ていた。彼もまだノヴァには帰らないのだ。

 男の子とはやるべき事を見つけると、こうも潔くなれる生き物なのだろうか?

「フェルはすごいね。いつも強くて賢くて優しい」

 そう言うと、レーニエは腰を上げてフェルディナンドの横に座った。

「お前はもう、私と一緒には暮らしてはくれないのだね」

 レーニエは、答えをわかっていて尋ねた。ついと腕を伸ばすと、滑らかな黒髪を梳いてやる。幼い頃よくしていたように。

「申し訳ありません。もう暫く学ばせてください」

「お前の望みなのだから、そうするがいいとは思う。だけど、やっぱり私は寂しい……勝手なものだ」

「レーニエ様には将軍がいらっしゃいます。お寂しい事はありません」

 指先が少年の頬に触れる。

「それはそうだけど……例えノヴァに戻っても、ヨシュアはきっと多忙だと思う。砦に詰めることも多いだろうし、私の傍にばかりはいられない。館には何日か置きに戻って来るだけになるだろう」

「……」

「フェル、学校を卒業したら帰ってきなさ……帰ってきてくれる? ノヴァゼムーリャに、私の元に」

 不意にレーニエは少年の肩を抱き寄せた。

 昔はすっぽりと包みこめた肩は広く、レーニエの方が(すが)りついているように見える。だが、レーニエは優しい姉がするように、何度も何度もフェルディナンドの頭を撫でた。

「ありがとうございます。事情が許せましたならば必ず」

「事情?」

 フェルディナンドは主に抗わず、撫でるがままにされていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

「さぁ、今は何とも言えませんが、いずれ私には様々な任務が与えられるでしょう。私を見込んで与えられた任務ならば、それに応じて国に尽くすのが士官の本懐だと思います」

「……」

 似たような言葉をかつて聞いた事がある。

 それは彼女の愛する男が戦場に向かう直前に言った言葉。その時の男と同じ表情をフェルディナンドはしていた。

「そう……そうなのか」

「申し訳ありません、レーニエ様。こんな言い方になってしまって……でも」

「いいんだ……フェルも、もう一人前の男なのだな。優秀なお前の事だから、きっと国の為に必要な仕事を受けるのだろう。私の事などでわずらわしてしまうのは間違いだった」

「いいえ、私にとってレーニエ様の事は、何よりも大事なのです。今でもこれから先も。でも、私は早く強くなりたい。あなたを守れる強い男に」

「そうか……うん。これからは会いたくなったら、私の方からお前を訪ねよう。でも、危ない事は絶対にしないで」

 レーニエはそういうと両手を肩に添えて少年の白い額に接吻した。もう、少し腰を屈めてもらわなければ届かない額に。

「お願いだから」

「はい。レーニエ様、いつまでもお健やかで。私をいつまでもあなたのフェルディナンドでいさせてください」

「ああ、ああ……無論……フェル、フェルディナンド……愛しているよ、私の弟」

「はい……いつか必ずあなたのもとに戻ります。私は永遠にあなたのものです」

 目じりを滲ませて、自分を見上げる赤い瞳に少年は誓った。



多分フェルは、この先レーニエと暮らすことはないと思います。たまに顔を見せることはあっても。

そしていつか未来で、レーニエの子どもの護衛になるかもしれません。

フェルの学園でのエピソードは番外編です。はちゃめちゃです。

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番外編ですな! 良かったです、読めるのをお待ちしております。
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