147 ノヴァゼムーリャの領主3−1
ある夏の朝、王宮の奥深くで秘かな、しかし神聖な儀式が執り行われた。
その事を知る者は王宮内でも少ない。
臨席者は現国王ソリル二世の弟で宰相のルザラン。立会人として、国王の友人でもある元老院長オリビエ・ドゥー・カーンと、ファイザルの後見人となっているドルリー、フローレス両将軍。
後は昔から国王の侍女で、友人とも言えるオリイとその家族だけであった。
処女王として知られてきた国王に隠し子がいた事は、驚きをもってエルファラン王宮に知られる事となった。
そのため、カーン元老院長は巧みな情報操作でもって、王宮及びファラミア市中に醜聞が蔓延らぬよう細心の注意を払った。
実際に暗躍したのはエルファラン随一の情報通、ハルベリ少将やその配下のドルトンであったが、彼等は真実にほんの少しの虚飾を加えて噂を流し、ソリル二世の若かりし頃の悲恋とその結果について、貴族たちや市民の同情を誘うようにしむけた。
ザカリエ戦役は勝利のうちに終わったものの、南部の州はまだ長の戦火による疲弊から立ち直ってはいず、国内に不安定要素がないに越したことはない。
彼らはこのことが、王室に対する不信の元凶にならぬよう、噂の火種を消したり、あるいは新しく噂をばらまいたりしたが、人々の多くは非難というより、好奇心で持ってこの驚くべき事実に向き合っていた。
なにしろ現国王ソリル二世がまだアンゼリカ・ユールであった頃、恋に落ちたのは今でもエルファランで伝説的な人物、若くして戦死したブレスラウ公と言うのだから、人々は大いに興味をひかれた。
特に女性たちは。並々ならぬ熱の入れようで、悲恋に終わったロマンスに思いを馳せ、語り合った。
当然その忘れ形見である王女の存在も明らかになったが、二十歳になるというその姫君が、とうに王位継承権を放棄しており、体が弱いと言う事で人前に出られぬと言う事も同時に公表されたので、人々は好奇心を掻きたてられながらも、謹厳な女王に遠慮し、表立っては何も変わる事はなかった。
要するに人々は、長きにわたって国を治めてきた質実剛健なエルファラン王室の家風を尊重していたし、お家騒動も派閥争いもないのならば、社交シーズンに話題を提供してくれてありがたいと思いこそすれ、今さら王室を批判することはなかったのである。
それとは別に、ザカリエ戦役を終結に導いた英雄、ファイザル将軍が終に身を固めると言う噂も軍内部で囁かれていた。
特に先日ファラミアの大通り近くの居酒屋から、恋人と一緒に帰ったと言う話は、尾ひれがついて兵士たちの間で交わされたのだ。
しかし、相手がどういう女性かと言う事になると、これまた誰も知らなかった。ファイザルがその名を明かすことは決してなかったし、誰も彼に聞く勇気を持たなかったからだ。
無論、将軍に近しい人たちがその名を明かす事もなかった。
ファイザルがレーニエの事を隠したのは、彼なりに理由がある。
ファイザルが指揮したザカリエとの戦いで命を落とした者は、敵味方合わせて何千人もいる。
国家間の戦争だから、兵士の戦死は止むを得ないのかもしれないが、犠牲者には職業軍人だけでなく女や子供、老人までいるのだ。
愛する人を失って自分を恨む人間は、大勢いるとファイザルは考えている。中には復讐の機会を窺う者もいるかもしれない。
そう言う輩がいたとして、自分が狙われるのは構わないが、レーニエや王室に累が及ぶことだけは、どうしても避けたかったのだ。
だから彼は、自分が結婚すると言う事自体も伏せておきたいと思っていた。
青天の霹靂の様な居酒屋の一件も、同席したのは、彼の親しい関係にある女性の一人と言う事になっている。
幸い、昔散々流した浮き名のおかげで、それは比較的すんなり受け入れられたようであった。
そんな訳で、秘された王女の一件と新将軍の結婚について結び付けられる人は、誰一人いなかったのである。
「レーニエ様のお支度が整いました」
サリアが奥の小部屋から出てきて恭しく辞儀をする。ファイザルはそれを聞いて彼女を迎えようと小さな扉の前に立った。
彼も美々しい将軍の正装に身を包んでいる。待つほどもなく、開いたままの扉の奥から白い姿が出てきた。
「おお!」
それは誰が漏らした感嘆符だったか。
古風なレースに包まれた優雅な花嫁衣装をまとったその姿は、天使もかくや、という程の清らかな美しさだった。
長い白銀の髪は一部を結いあげ、残りは緩く螺旋に巻かれている。
「……」
腰を屈めて腕を差し出すファイザルも、呆然と妻となる人を見つめた。その人は白い頬を染め、紅玉の瞳をやや伏せていた。
「さぁ、広間へ。陛下がお待ちです」
オリイが誇らしそうに促す。
瑠璃宮の窓は大きく開け放たれ、二階にある広間には午前の柔らかな光が斜めから射し込んでいる。
普段は重厚な室内は、侍従達の心づくしの花々で溢れ、明るい雰囲気に様変わりしていた。
数少ない列席者が見守る中、中央に敷かれた敷物の上を歩いてゆく二人がいる。
初夏のさわやかな風が吹き抜け、花嫁のヴェールをさやさやと揺らした。
正面に立つのは母である国王ソリル二世。その背後には大きな絵姿が飾られていた。
滅多に人目にさらされる事の無い、ブレスラウ公、レストラウドの在りし日の姿である。
ソリル二世、アンゼリカも万感の思いを込めて己が娘を見た。
赤子の折に攫われ、一度は失ってしまったと絶望した、最愛の恋人との忘れ形見。漸く見つけ出しても、腕に抱く事は殆ど叶わず、隠者のような生活を強いた。
しかし、長の鬱々とした暮らしにも関わらず、彼女は愛した人の血を受けた娘であった。
決して折れない、しなやかさと強さを持った若枝。
瑞々しく空を目指すそれは蕾を結び、今美しく花咲こうとしている。
強く、頼もしい伴侶を得て。
儀式は簡素なものであった。
レーニエとファイザルは、母である女王ソリル二世の前で宣誓し、永遠の愛を誓った。
そして法律学者で王家の歴史にも詳しい元老院長、カーンが分厚い王家の家譜記録に新たな項を付けたし、二人でそれに名前を書き込む。
たったそれだけで二人は夫婦になったのである。
それでもオリイは、溢れる涙を止めることができず、セバストに苦笑されながら背中を支えてもらっている。
サリアも涙を滲ませながら、主の幸福そうな横顔を見つめていた。
こうしてレーニエとファイザルは夫婦となった。
ここまでの道が長かった!
二人におめでとうを言ってやってください!




