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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
142/154

142 刹那11−2

 ——可愛いあの娘は丘の上 亜麻色の髪が風に揺れる

 ——その瞳は誰を映すのだろう 皆あの娘を想ってる

 ——いつか俺を見てほしい 俺だけを見てほしい

 ——愛してる 愛してる 愛してる


 雷神の歌声は高く、よく通る。

 ファイザルのトゥーレの腕前もなかなかのものだった。

 カウンターの客も店主も、いつの間にかその妻までが厨房から出てきて聴き惚れている。


 ——愛してる 愛してる 愛してる

 ——いつかは俺も丘の上 可愛いあの娘を抱きしめるんだ


 最後の和音が静かに煤けた天井に昇華してゆく。

「んふ」

 セルバローは少ない聴衆に向かって優雅に辞儀をして見せた。

 向こうの客たちからパチパチと拍手が鳴るが、レーニエは言葉もない。呆然と二人の男を眺めていた。

「お嬢様は、お二人にこの歌を捧げられたのですよ。いいわねぇ、こんな男前に。アタシもこんなのは初めて見ましたけど。はい! これは私から」

 女将がレーニエに一輪の花を渡した。店の出窓に飾られていたものである。

「ありがとう」

「さ、今度はレナちゃんの番だ」

「え?」

 思いがけない言葉。

「何か歌いなさいよ」

「私は歌など歌えない……」

「いやいや、歌えますとも」

「でも……」

「おい、ジャックジーン。無理を言うのは止せ、お困りだ」

 見かねたファイザルが止めに入るが、雷神はお構いなしである。

「まぁまぁ。何か知っている歌はないんですか? 唱歌とか子守唄でも?」

「子守唄?」

「ええ、何でもいいんですよ。歌はいい。嫌な時でも、歌うと気が晴れることもある」

「そうなの?」

 その言葉にレーニエは顔をあげた。

「ええ」

「子守唄なら。ずっと昔にオリイが聴かせてくれた。その歌なら歌えるかもしれない。とてもあなたのようには歌えないけれども、ジャックジーン」

「なぁに、こいつがあなたに合わせてくれますよ、な? ヨシュア?」

 ファイザルは黙って頷いた。

「子守唄、素敵じゃないですか。さぁ、こちらへ」

 レーニエはセルバローの導くまま店の中央に立ち、女将から貰った花を握りしめている。

 そうして、暫らく逡巡するように小首を傾げていたが、やがて心が決まったように微かに頷くと躊躇いがちに小さな声で歌いだした。

 それは彼女がまだ幼い頃、闇に囚われていた事を思い出して寝つけなかった折にオリイが歌ってくれたもの——


 ——眠れいとし子 この腕に

 ——眠りの国はすぐそばに

 ——門を開いて待っている

 ——眠れいとし子 この腕に

 ——花も 小鳥も お菓子も 絹も

 ——みんなお前の手の中に


 それは変声前の少年のような透きとおった細い声。

 セルバローは勿論、ファイザルもレーニエが歌うところを聞いた事がなかったので非常に驚いていた。

 子守唄らしく、旋律も単純なものなので、直ぐにトゥーレの調子を合わせる事ができ、歌は始まりと同じく静かに終った。

「……」

 歌姫は真っ赤になって俯いている。

 昔を思い出したのか細い肩が震え、セルバローでさえなんと言葉を掛けようかと一瞬間が空いたが、沈黙を破ったのは意外にも、カウンターに陣取っていた年配の男達だった。

「いいぞぉ、可愛いお嬢さん」

「ウチの孫に聴かせてやりたいよ」

 レーニエはぱっと顔を上げた。

「お嬢さんに乾杯!」

「お健やかに!」

 男たちは杯をちょいと上げて酒を干すと、さり気なく自分たちの話しに戻っていった。

「お上手でした。俺を寝かしつける時にも聴かせて欲しいくらいで」

 レーニエが席に戻ると、セルバローも気持ち良さそうに褒めた。

「だけど……恥ずかしい」

 甘い囁きに反応したのは、レーニエではなかった。

「さぁレナ、もう遅い。出ましょう」

 ファイザルはゆっくり楽器を傍らに置くと、腰を上げた。

「出るって……帰るの?」

「ふふ……俺についておいででなさい。親父、世話になった」

 ファイザルはそういうと、懐から銀貨を一枚取り出し、カウンターに置いた。

「こちらの分も、な」

 先ほどの男たちに軽く頷く。店主は心得たように丁寧に礼をした。

「これは過分な」

「構わん……上、いいか?」

「勿論」

 なにやら意味深な会話が頭上で展開しているのだが、レーニエにはわからない。

「約束は昼過ぎだぞ。いいな、ジャックジーン」

 レーニエの肩を抱いて戸口に行きかけたファイザルは、奥でまだ足を投げ出しているセルバローに声を掛けた。

「それはこっちの台詞だ。あまり無茶させるなよ。おやすみ」

「おやすみ、お嬢さん。気をつけてな」

 男たちの声を背に聞き、二人は店を出る。暗い事は暗いが、夜半にはまだ間があるというところか。

「ヨシュア? あの……」

 表に面した厩に行かず、店の脇の路地を入るファイザルに、訳がわからずレーニエは尋ねた。すっぽりと彼のマントに包まれ、顔だけ出している。

「ここはどのあたり? 王宮へ帰るのだろう?」

「ええ、明日の昼までにはね」

「え? 帰らないの」

「帰せません……俺が……ね」

 ちょうど店の裏手に地味な扉があり、ファイザルは静かにそれを開ける。中から狭い階段が現われた。

「ここは?」

「俺の隠れ家」

「隠れ家があるの? 都に?」

「ええ、いくつかね。こちらへ。暗いのでお抱きします」

「あ……うん」

 あっという間に抱え上げられる。ファイザルは夜目が聞くらしく、揺るぎのない足取りで細い階段を昇ってゆく。

「ジャックジーンは?」

「さぁ。多分あそこで朝まで呑んだくれるでしょう」

「眠らないで?」

「一応不寝番ですからね。はじめからそのつもりで、ついて来たのでしょうから」

「え?」

 ファイザルの足が止まり、小さな扉が現われた。

「ここはさっきの店の上に当たります。正確には三階です」

 カチャリ。

 鍵を開けると、ファイザルはそっと床にレーニエを下ろす。よく見えないながらレーニエは暗い室内を見渡した。室内は乾いており、手入れされているようである。

 居間のような部屋と、奥にもう一部屋——おそらく寝間があるのだろう。

「危ないから暫らくそこに。今明かりをつけます。ああ、あった」

 すぐに暗闇の中に手燭をもったファイザルが浮かび上がった。

「ふむ。ここはよく管理されている。ここにして正解だな」

「ここはって、他にもあるの? 隠れ家って?」

「都には後二箇所。国内には七箇所くらいですかね」

「何に使うの?」

「多くは情報収集とか、私服での打ち合わせとか。でも、ここは都で休日をもらった時によく過ごしていた場所で」

「そんなところに私を?」

「現在俺は、休暇中ですからね、レナ」

「あのだけど、遅くなっても私はいいんだけど、皆が心配しないかしら?」

「俺の采配に抜かりはありませんが、気になるなら帰りますか?」

「いいや」

 レーニエはファイザルを見つめたまま、ゆっくりと首を振った。その様子に男は目を細め。

「ふ……今のはウソです。例えあなたに拒まれても今夜はあなたを離せない。そんな格好をして大の男を一日振り回して。俺は気が気ではなかった。おまけに、必死に仕事を片付けて駆けつけてみると、あなたは涼しい顔をして若い男に肩を抱かれていたし」

「だけど……あっ」

 いきなり唇が塞がれてしまい、その先は言う事ができない。

「お喋りの時間は終わりです。覚悟なさい」

 そう言うとファイザルは、ゆっくりとレーニエを引き寄せた。



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