138 刹那8−2
からかうような下目づかいにレーニエは口籠った。
こういう場合、なんと答えて良いものかさっぱりわからない。
「まぁ、昔は奴も、それなりに遊んだとは思いますがね。そう言う事は本人に聞いた方がいい。レーニエ様がお聞きになったら、きっと答えてくれますよ。(ぷ)」
その時のファイザルの顔をぜひとも見たいと思いながら、セルバローは俯く娘の肩に手を置いた。
「だけど今のあいつはねぇ、あなた以外見えてやしません。元々執着心の薄い奴だから、俺もわりとびっくりですけれども。だから自信をお持ちなさい」
セルバローはついと、滑らかな頬に指を添えた。
人を慰めるなんて柄にない。しかし、どういう訳か、この娘が辛そうな顔をしているのを見たくなかったのだ。つい、構ってしまいたくなる。
あいつも、それにヤられたのだろうさ。
「ほんとぅ?」
「はいです」
ファイザルと同じ大きな掌が、くしゃりと頭をなでた。
「ジャックジーンにそう言ってもらえると、なんだか安心できる」
「なに」
彼は片頬で笑うと、手にしていた飲み物を一気に干し、木製のカップをものの見事に屋台の食器籠に投げ入れて、傍の子どもたちを喜ばせた。
レーニエも微笑みを返してサリアの方に向き直る。
「あんまり目立たないで欲しいんですけど」
二人の会話を聞いていたフェルディナンドぶっすりと呟く。
「そうか?」
「俺はいいですけど、『彼』がさっきから、ひやひやしてこっちを見てますよ」
少年はレーニエに背を向けて、黒い瞳を背後に流した。娘たちは何も気づかずに談笑している。
「ふん、気づいてたか。やっぱりヤな小僧だよ、お前は。しっかし、そんなに心配かねぇ」
「気持ちはわかります。あ、だけど、バレるとうるさそうだから、姉さんには内緒にしてくださいね。《《今》》は」
「ふん、ガキの時分からあんまり聡いと、後がしんどいぜ」
セルバローはにやりと笑った。
「恐れ入ります。気をつけましょう」
雷神の真似をしてフェルディナンドも口角を上げた。その様子は既にいっぱしの戦士の様相だ。
まったく、いいご家来衆に恵まれているよ、このお姫様は。
セルバローは面白そうに、談笑するレーニエの華奢な背を眺めた。
流行の黒い胴着は細い腰と、目立ってきた胸を強調している。中身は推して知るべしであろう。その上にこの素直な気性。
まぁ、あいつが岡惚れするのも分からなくもない
「ねぇレーニエ様?」
市場を見物するのに一番熱心だったシザーラが不意に立ち上がった。
「はい。シザーラ殿」
「さっきから見ていたのですけど、向かいの……ほら、あの緑色の看板のお店に飾ってある布地はとてもよさそうですわ。そう言えば、エルファランの特産品に毛織物や絹織物がありましたわね。ザカリエではエルファランの布地で服を作るのが貴婦人のあこがれですの」
「そうなのですか? 我が領地ではそう言う品は生産しないので、あまり詳しくは知りませんでした」
「ねぇ、あの店でお買い物いたしません?」
「買い物?」
「今のところは劇を見たり、市場を見学したりしただけですわ。買物は女の特権と言います。私あの店で布地をいくつか買い求めたいのです」
「それは素敵。ぜひ私もご一緒したいですわ」
布地と聞いてサリアも元気よく立ちあがった。やれやれとフェルディナンドが先導する。
服地屋の店主は、いきなり店内に乗り込んできた大柄な青年三人、娘三人、品の良い少年一人に魂消ていたが、風変わりな集団はてんでに店内を物色していて、店主には誰も注意を払わない。
「まぁ、これいい感じ。あの人に似合うかしら?」
シザーラは臙脂のしっかりした手触りの布地に見入っている。その店は左側の棚に服地を並べ、右側の棚には仕立て上がった衣類が飾ってあった。
シザーラやサリアは、もっぱら布地の方に興味がある様だった。サリアは自分で針を持って縫う事が得意なのだ。
「あら、それはあの方のことですよね? うわぁ、麗しいご様子にぴったりでございますね」
「本人はいたって地味で、人畜無害なのだけれどもねぇ」
アラメインがいない事をいい事に、シザーラは言いたい放題である。
針を持って布を縫った事のないレーニエは、自分が布を買っても仕方がないと思い、右側の棚に目を向けた。
目を引くのは婦人用の華やかな外出着だが、奥の棚には男性用の衣類も掛けられている。
腕を伸ばして上質の布の手触りを確かめていたレーニエは、たくさん並んで掛かっている衣服の中で、深い藍のマントに目をとめた。
引っ張りだして見ると、これからの季節に合う軽くて丈夫な布地で、縫製もしっかりしている。
「あいつにですか?」
不意に耳元で囁かれ、レーニエはびくりと顔を上げる。にやりと笑った金色の瞳と目が合った。
「え? いや、別に……でもその、なかなか良い品のようだ」
「俺の好みではありませんが。あいつなら好きそうです」
花の髪飾り越しに頬を染めた娘の様子を観察しながら、セルバローの笑いは益々深くなった。
「そうだろう。あなたにはもっと華やかな色目が似合いそうだ」
「ええ、俺はもっと、はっきりした色や模様が好きですな」
「……」
レーニエは何かを考え込みながらマントの襟を持っている。
腕をうんと伸ばさないと、裾を床に引き摺ってしまうので慎重に扱っているのだ。
「全体の感じを見てみたいのでしょう? 俺で試してみますか? 体格は似たようなものだし」
その逡巡の理由を見抜いてセルバローは提案する。
「……頼んでよい?」
おずおずとレーニエは腕を伸ばしてマントを取った。
「ええ。さ。俺の肩に羽織らせてください」
セルバローが身を屈めるのへ、レーニエは丈の長いマントを被せた。
「どうですか?」
うんと背を伸ばして赤毛の男はポーズをとった。
本人の好みではないのだろうが、派手な外見の男に暗い色のマントは、それなりに着る人を引き立て、サマになっている。
「良く似合う……とても素敵だ」
「俺にくださる訳ではないんでしょ?」
「あ、いや……でもそうだな。あなたにも」
「冗談ですって。俺にはいくらでもくれる女がいるもんで」
「そうなの?」
レーニエの目がまん丸になった。
「はっはっは。どうでしょう」
余りに素直な反応にセルバローはついに笑いだした。
「レーニエ様? お買いものはお決まり? あら素敵。ファイザル様に?」
店主に包ませた荷物をタッカーに持たせ、シザーラは棚の陰から顔を出した。その後ろからサリアも続く。こちらは大いに不本意そうなフェルに荷物を持たせている。
「あ……う、うん。サリア、お金」
レーニエは現金を持ったことがない。
買い物ですら初めてなのだ。彼女は想う人への贈り物ですら、自分で買えない事が情けなさそうにサリアに頼んだ。
「あらま。ではこちらへ」
サリアはレーニエからマントを受け取り、それがだれに対しての土産であるかを思って楽しくなりながら代価を支払った。
「さぁ、お嬢様方、そろそろ空腹でありましょう? これから愉快な店でお夕食といたしましょう」
セルバローが陽気に宣言した。