137 刹那8−1
「さぁ、こちらでしばらくご休憩を。タッカ—、飲み物をお持ちしろ」
セルバローが示した場所は、広場にある休憩所だった。
そこはかなり広く空間がとられており、丸い噴水を囲むように腰かけが並べられている。
そろそろ薄暮になろうかと言うこの時刻は、夕餉の買い物をする人たちで賑わっていた。荷物を置いて、飲み物を手におしゃべりに興じる者達もたくさんいる。
タッカ—はにっこりと頷くと、飲み物の露天に走ってゆく。
「お疲れではありませんか?」
フェルディナンドは、レーニエに椅子を勧めながら言った。セルバローはその姿を際立たせながらレーニエとシザーラの後ろに立ち、面白そうにあたりを見渡している。
とは言うものの、やっぱり目立つよなぁ。
通りすがりの少女たちが、雷神を指差しながらきゃあきゃあとさざめき合うのを見て、フェルディナンドはげっそりした。
身なりはいたって普通だし、派手な言動も今のところないというのに、とにかくセルバローには人の目が集まる。
しかし、考えようによっては邪な考えを抱く者がいたところで、手の出しようがなかっただろう、と、フェルディナンドは自分を納得させた。
「冷たいおしぼりをお持ちしましょうか?」
「へいき。少し顔が熱いけれど……フェルもここに座って」
「はい」
フェルディナンドは素直にレーニエの横に腰を下ろした。そこへタッカ—が飲み物を持ってやってくる。
「冷たい。美味しい」
飲み物に口を付けてレーニエは微笑んだ。
「それはクワンという果物の果汁を水と氷で割ったものですよ。甘いでしょう?」
「うん。初めて飲んだ。ねぇ、フェル」
「はい?」
「都に戻って以来、なにやかやでゆっくりできなかった。お前とこうして隣あって座るのも久しぶりだねぇ」
「ええ」
「だって、レーニエ様。この子はまだ、学校が終わっていないのだから当たり前ですわ。こちらに帰ってくるなり、さっさと寄宿舎に戻っちゃうんだから。母さんだって寂しがっていたわよ」
サリアもちゃっかりレーニエの横に席を占めていた。シザーラも機嫌よく隣のタッカーと喋りあっている。
「仕方がないじゃないか、姉さん。私はまだ勉強の途中なんだから。一刻も早くいろんな知識や、武芸を習得しなくちゃならない」
「はいはい。あんたの真面目なのはわかったから。でもね、私たちがこちらにいられるのも限られた期間なんだから、タマには家族水入らずで過ごしたっていいんじゃない?」
「私だってそうしたいけど、遊んでいる訳じゃないんだ。今度の任務で単位に穴をあけちゃったんだから大変なの!」
「へぇ〜、それはお偉いこと」
主を挟んで隣に座った姉弟は、両側からぽんぽん言い合っている。なんだかんだ言って仲の良い姉弟なのだ。
レーニエは微笑みながら二人のやり取りを聞いていた。
「美人の姉さんの作ったお菓子を食べてくれるのは、当分レーニエ様だけって訳ね」
「レーニエ様に頂いてもらえるんなら十分じゃないか。姉さんの作るお菓子が美味しいのは知ってるけど、私は当分食べれない」
「あ〜ら、もしかして誰かがあんたに食べさしてくれているのかしらね」
「いないよ! そんなもん。姉さんこそジャヌーの部屋に、こっそり持って行ってるんじゃないの?」
姉の意地の悪い突っ込みに、フェルディナンドはむきになって否定する。なんたってレーニエの前なのだ。
「あら、よくわかるわね。ジャヌーはいつもすっごく喜んでくれるわよ? 食べる量も半端じゃないけど」
「姉さんが作ってくれるからだよ」
「まぁ、生意気な口を」
サリアも利発な弟が、どんどん大人っぽくなっていることに気づいている。危険な任務を遂行して帰ってきてからは特にそうだった。
フェルディナンドが王宮に戻らない理由は、確かに彼の言う通りではあったが、姉のサリアには彼の心情がよく分かっていた。
彼女の弟は、レーニエに複雑な気持ちを抱いているのだ。幼い頃から崇拝し、心をこめて仕えてきた美しく優しい主は、もうすぐ人のものとなる。
わかっていたことだったが、彼女の母親の許しを得て、それは急に現実のものとなった。
ファイザルが彼の気に入る入らないは別として、男としては十二分に尊敬できる人物なだけに、フェルディナンドも一層心中不分明なのだろう。
だからなかなか王宮に、主の元に帰れないのだ。
「そうなの? サリア。ジャヌーにはよく会ってるの?」
涼やかな声でレーニエは問うた。その様子からすれば、何も気づいていない様子だ。
「ええ、まぁタマに。陣中見舞いも兼ねて」
「そう……彼も忙しくしているの?」
「そうですわね。今じゃあの人も少尉ですし」
「おんや、サリアさん。ジャヌーの奴を、あの人だなんて隅におけねぇなぁ」
セルバローが気安くからかった。そんなんじゃないわ、とサリアがすぐさま反論するが、不思議そうなレーニエと目が合った。
「サリア、ジャヌーの事が好きなの?」
お姫様、ど真ん中だし。
さすがのセルバローも呆れるほどのまっすぐな問いに、サリアの頬が染まった。
「まぁ、レーニエ様」
「好きなの?」
「え、ええ、まぁ……わりと」
「そうなの。知らなかった。私は自分の事ばかりで……すまない。これからはサリアをもっと自由に動けるようにする」
「ま! そんな必要ございません! 確かにあの人の事は好きだけれど、レーニエ様の次に、でございますわ! レーニエ様のおそばにいる方が私には大切です!」
「そうなの? でも少しはゆっくり二人で……」
「いーえっ! レーニエ様の、一の侍女の立場は誰にも渡しませんっ!」
「まぁサリアさん、あの金髪の青年の事がお好きだったのね?」
サリアの力説を熱心に聞いていたシザーラも、面白そうに話に加わった。
「で、お式はいつ?」
「だから!」
サリアが勢いよく立ちあがったため、カップの果汁が前の石畳に飛び散った。
「あ〜あ、もったいない」
レーニエが噴き出す。
「……楽しまれておられるようですね」
セルバローがレーニエの肩越しに尋ねる。
「うん、とっても楽しい。だけども……ヨシュアも来られたらよかったのに……」
レーニエは恋路をからかわれているサリアと、そして、広場の向かいの椅子に並んで腰かけている、恋人同士と思しき男女を眺めながらつぶやいた。
「あの人は……」
ヨシュアは今頃何をしているんだろう。
あの広い執務室で難しいお仕事をされているのかな。
私の我儘を許してもらったけど、本当は怒っているんじゃないだろうか?
私は迷惑ばかりかけてばっかりで……。
レーニエは冷たい果汁を口に含む。
なんでヨシュアは私などを選んでくれたんだろう。
あんなに大人で、強くて、なんでもできる人なのに。面倒な出自で、取り柄もない私などを……もしも嫌われてしまったら——
そこまで考えてレーニエは視線を石畳に落とした。
「どうされました? やはりお疲れに?」
気がかりそうにフェルディナンドの黒い瞳が覗きこんでいる。
「いいや? ただ、私はやっぱり我儘だったのかな? こんなことに皆を巻き込んで」
「おや? レーニエ様、せっかくここまで来たのに、あいつの事なんかで御心を痛めるのはよしなさいって」
こともなげにセルバローは言ったが、レーニエは驚いて雷神を振り返った。
「な、なんでわかったの!?」
わからいでか。
セルバローは珍しく、苦笑を漏らした。
「いいからレーニエ様は、今をお楽しみなさい。奴は絶対に怒りゃしませんって」
「そうかな?」
「はい。俺はおん……女性にはウソはつかないんですよ」
セルバローは片目をつむって見せる。
「あなたはヨシュアの事を、昔から知っているのだろう?」
「ええ、まぁ。嫌になるほど」
「あの人は、なぜ私などを選んだのだろう? きっと大勢の女性を知っているはずなのに。もしかしたら同情と義務感で、私を……」
レーニエは薄く唇を噛んだ。
あ〜ららら、お俯きになる。
「ふふふ……気になりますか? あいつの昔の女関係」
叩けば埃が出ます。