125 帰還9−2
「オリイの手引きの腕前は、なかなかでありましたろう?」
「では! 夕べ……」
「そう、あれには昔から、私の悪事の片棒を担がせておりましたからねぇ。ええ、私が企んだのです。あなたがあまりに屋内に閉じこもってばかりいるものだから」
「……企んだ」
「そんなに、あっけに取られなくともいいではありませんか? 女王といえどお堅いばかりではありません。これでも昔は、お父上といろんな悪さを致しましたからね」
「悪さ?」
「まぁ、今はまだ言いますまい。その内話してあげましょう。それでしつこいようですが、具合はどうですか?」
まだ笑いの残滓を口元に残し、女王は改めて娘に向き直った。
「少し体がだるいかも。あとは眠いだけです」
どう誤魔化したところで、全て見抜かれているのだろうと観念したレーニエは、正直に白状する。
「なるほど。最初はまぁそんなものです。寝間での殿方のお振る舞いには驚いただろうけど」
「少しだけ」
額まで真っ赤になり、女王の前でありながら、掛布で顔を覆ってしまった。
「ファイザル殿はお優しかったのでしょう? 今朝もあなたの体をしきりに案じておられた」
「……デスカ」
「もう少し回復されたら、できたら今日中に顔を見せて差し上げるがよい」
「は……はい。そのようにいたします」
レーニエは尚も顔を隠したまま、小さく呟いた。
「ご昼食の用意が整いました」
サリアが遠慮がちに寝室に顔を出した。
「こちらでお上がりになりますか? それともお居間で?」
「そうねぇ。レーニエや? どうしますか」
「起きます。病でもないのに寝台で食事をとるなど、懸命に働いておられる人びとに対し恥ずべきこと」
そういうと、レーニエは布団を剥ぐ。
「まぁ、あまり無理をせずに」
「大丈夫です。サリア、ガウンを。顔を洗う。髪を梳いて」
「畏まりました」
レーニエは勢いよく寝台を滑りおりた。
朝食を摂れなかったレーニエの為に用意された昼食は、いつもより品数が多かった。
焼きたての軽パンに蜂蜜やクリーム、果物の甘煮。冷たいスープは澄んでいて、きれいな形に切った野菜が色とりどりに浮いている。
肉類は少なく、替わりに甘味を付けた乳酪と炒り卵が用意され、生の果物を盛った大皿もある。いずれもレーニエの好物ばかりであった。
「まぁ、まるで修道院の食事のよう」
そう思いながら女王は明るい窓際に設けられた席に腰を下ろす。開け放たれた窓から、初夏の風が絶え間なく流れ込んできていた。
「そうでしょうか? ノヴァの地は美味しい野菜が沢山取れるので、つい我が食卓もそうなってしまうのですが」
「ですが、肉類も多めに取らないと体ができませんよ」
「はぁ。何度か注意されました。夕食にはなるべくそうしているつもりです」
「そうなさい。あなたもいつかは御子を、と望まれるのなら」
「え?」
レーニエは、サリアが渡してくれる剥いた果物の小皿を取ろうとしたまま固まった。
「どうなのですか? 欲しくはありませんか?」
「子……私にもできるのでしょうか?」
「そうですね。望めば、多分。ただオリイの話では、あなたは初潮を迎えてまだ二年ぐらいとか。ですからすぐと言う訳にはいかないかもですが。でも、その時の為に今から体をつくらなければ」
うっとりとレーニエはあらぬ方を眺めていたが、突然我に返ると、果物の皿を脇に置き、花びらのような形に盛られていた燻製肉の薄切りに手を伸ばした。
自分で皿に取り分けると、むしゃむしゃと食べ始める。
——わかりやすい子だこと
女王は微笑んだ。
サリアもその様子を見守りながら果物を切り分けたり、冷たい飲み物を甲斐甲斐しく給仕している。
「まぁ、御子の事はさておき、その前にする事がありますでしょ」
「はぁ」
レーニエはまだ頑張って食べている。
「はぁ、じゃないでしょ。直きに花嫁衣装が出来上がります」
「え!?」
驚いてレーニエはナイフを置いた。
「花嫁衣装?」
「あのねぇ。御子もいいけれど、もう少し身近な予定の事を考えて下さいね。実はね、そなたがノヴァの地から戻って、私に休戦使節大使を願い出てからすぐにオリイに準備させておりました。近々こう言う日が来ると思ってね。あれやこれやで仮縫いもできませなんだが、寸法はわかりましたからね。もうすぐしたら試着に持って参ることでしょう?」
「私の……で、ございますか?」
「他の誰に必要だというのです」
「はぁ」
「残念ながら、華々しい式典は上げてやれませぬ」
「式典などは、私は望んではおりませぬ。ヨシュアも、きっと」
「まぁそうではありましょうが、これはある意味、あなたのお披露目でもあるのです。わが弟ルザラン、その子ども達、元老院議長オリビエ、そしてオリイの家族には参列してもらおうと思うのです」
「そうですか」
式典その物にはあまり興味が持てない様子のレーニエであったが、ふと思い出したようにサリアを見た。
「そう言えばフェル、フェルナンドはどうしているの? サリア」
フェルディナンドは、レーニエと共にファラミアまで帰って来たが、一日王宮で休息しただけで、中断していた学問の続きを受けるため、慌ただしく士官学校に戻っていたのだ。
「はい。一昨日会った時は元気にしておりましたよ。相変わらず生意気で。ヒューイも同様ですが、彼は王立科学院で学びたいとも申しておりました」
「そうなの? 一度会いたいな。フェルの通う学校の様子も見てみたいし……母上、構わないでしょうか?」
「ええ、段取りさえきちんとつけるならね。ただ、目立たないようにするのですよ。あなたの容姿がどうのというのではなく、これは婦女子ならば当然のこと。現在都の治安は下町も含めて概ねいいとは聞いていますが、それでも万が一という事もある。我らの知らぬ小路や横丁もあるであろ。必ず事前に報告し、複数の護衛と、サリアには必ず付き添ってもらう事」
「はい」
レーニエは素直に頷いた。
「そなたはこの地で生まれたのにも拘らず、この地の事を知らないでしょう?これから都は一年で最も華やかな季節を迎えます。住めば都とはよく申したもの。そなたも少しは楽しまれるとよい」
「そう致します。ご厚情感謝いたします」
「だけども、不用意な行動はお控えなさいね。どうもあなたは、そういう傾向にあるとファイザル殿もおっしゃられていたし」
「ヨシュアが? ひどい」
レーニエは、ファイザルが何を母に言上したのか、気になった。身に覚えはたくさんある。今まで幾度叱られたことか。
「彼は正直ですよ。それで結婚式ですが、ファイザル殿の方は、特に御身内の方はおられないと言う事なので、フローレス、ドルリーの両将軍が親代わりにおいでいただけるようです」
「はい」
「準備や段取りは私に任せてください」
結っていない髪が緑の風に揺れる。ゆったりした簡素な白い服を無造作に纏ってお茶を飲む娘は、母親の目から見てもたおやかに美しかった。
「あなたはただ、愛されることだけを考えておればよい。宝石も衣装も欲しい物があればオリイに申しつけなさい」
「は。でも、私は……その」
「いいのです。たまには母親らしい事をさせて下さい。そなたには随分長い間、辛い思いをさせてきたのですから」
「そんな……そのような事は少しも感じておりませぬ」
不意に声が途切れる。
女王は哀惜とも悲哀ともとれる表情を浮かべて、娘の赤い瞳を覗き込んだ。
この娘の不思議な容貌。王家にも公爵家にも見られない髪や瞳の色は、一体どこから来たのだろうか?
塔の暗い部屋で初めてレーニエを見た時、父も含め、王家の罪を一身に背おうた運命の子どもだと感じた。
今ならばわかるが、それはあながち、外れていた訳ではなかった。
あのような劣悪な環境で幼児期を過ごし、その後十年以上に渡る隠者のような暮らしを強いていたにも関わらず、この娘の美しい性質は損なわれることはなかったのだ。
運命の子、か……。
小鳥は雄雄しく羽ばたいて古巣を捨て、終に自分の力で新たな巣を大樹の上に掛けた。これが運命の子と言わずしてなんであろうか。
「母上。私は、これでよかったのだと思っております。確かに辛い時期は長ごうはございましたが、おかげで私はヨシュアに会えた」
「ええ、あなたの申す通りです。繰り言は似合いませんね。これは喜ばしいことなのですから」
「はい」
「式は一月後です」
「一月、ですか?」
「そなたは一刻も早く、北の地に戻りたいのでありましょうが、ファイザル殿のお勤めの事もある。彼は戦の後始末や、軍の再編成で死ぬほど忙しいと聞きます」
「そう……ですね」
「しかし、それがすんだら、しばらく休暇を取られるがよろしかろう。あの方もずいぶん長く苦労をされたようだから。二人でゆるりと過ごされるがよい。ですが、それまでは」
「はい」
「この母に娘孝行をさせて下さい。あなたに負い目などもうない。もともとそなたに負い目など、なかったのです」
「母上。ありがとうございます。どのように感謝の言葉を申し上げたらよいのか、私にはわか……わかりませぬ」
レーニエは瞳を潤ませて俯いた。
「まぁ、そう堅苦しく振る舞うものではありませんよ。私たちはこれからも親子なのですからね。さぁ、お顔を上げて!」
母は娘の柔らかな頬に指を添えた。
「はい」
「レーニエや」
「はい?」
「幸せですか?」
「はい!」
きりりと眉を上げ、レーニエは莞爾と微笑んだ。
この章、終わりです。次回新章。
活動報告を書きました。




