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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
125/154

124 帰還9−1

「レーニエや? 体はどんな塩梅(あんばい)ですか? おや」

 穏やかな声がして天蓋の薄布が捲くられ、いつもと同じ濃紺の衣服に身を包んだソリル二世が入って来た。

 彼女の愛娘は、薄い夏用の掛け布団を腰まで下ろし、気持ちよさそうに体を丸めて微睡まどろんでいる。淡い桃色の敷布は、その上に横たわる人を可憐に彩っていた。

 まだ眠っておられたか。昨夜はよほど可愛がられたと見える。

 彼女は安らかな娘の髪を一筋(すく)う。

 時刻は既に正午近く。

 大きく開け放たれた窓からは、風と溢れる陽の光がいっぱいに室内に注ぎ込んでいた。愛娘の白い夜着と渦巻く髪、そして若々しさが母の目に眩しい。

 もう少し眠らせてやろうと女王が自分の影で顔を光から遮ってやった時。

「え……?」

 長い睫毛がゆっくり持ち上がり。

「……母上」

「あらま、起こしてしまいましたね。もう少し寝顔を見ていたかったのですが」

 ぱちりと目を開けた娘の額に、アンゼリカ・ユールは優しく微笑んで接吻した。

 瑠璃宮の最上階、レーニエに与えられた私室。

 王宮に戻った当初、レーニエは三年前までセバスト一家とに住んでいた、王宮奥の小さな屋敷に暮らすと言い張ったが、女王はそれを許さなかった。

 長い苦渋の日々の末に、やっと腕に抱けた娘、そしてもうすぐ愛する男と共に、遥かな北の地へ行ってしまう娘を、今だけはどうしても手元に置きたかったのだ。

 甘えると言う事が苦手のレーニエであったが、母のたっての願いは喜んで受け入れ、瑠璃宮に住まう事を決めた。

 そして、それを聞いて大喜びの女王は、大急ぎでレーニエの使う部屋を準備したのだった。

 最上階は殆どは空いていたので、彼女専用に居間、応接室、寝室、浴室などを整え、世話をするオリイやサリアの部屋も準備した。

「母上、私の事などでお手を煩わせませぬように。戦が終わったばかりで国庫も大変でしょう」

 心配そうにレーニエが言い、こっそりアンゼリカはため息をついた。貧乏性はエルファラン王家の宿命であろうか?

「何をおっしゃっているのです。私の私財で行うのですからね。それに国庫の不如意など、あなたが心配することはありません。どうか私の喜びを取らないでくださいね、娘や? お部屋を準備するのが、こんなに楽しいなんて思いませんでしたよ。お寝間の色調はどんな感じにしましょうかねぇ。あ、あなたは見てはいけませんよ。今大急ぎで準備させていますからね。楽しみにしておいで」

 女王は覗きこもうとするレーニエから、慌てて布見本の冊子をバサバサと隠した。

「あなたにお似合いの、きれいなお部屋にしてあげますからねぇ」


 そして、出来上がった部屋は、あまり選り好みのしないレーニエでさえ、少々入るのを躊躇(ためら)う程の仕上がりになっていた。

 薄い桃地に花束模様の壁紙。

 あちこちに置かれた揃いの調度品は、優雅な曲線に縁取られ、細密な彫刻が施されていたし、椅子や長椅子の座面には、やはり花模様の繻子(しゅす)の布が張られていた。

 室内のあちこちに繊細なレースやリボン、ゆったりとした襞をたっぷりとった薄色の布が掛けられている。つまり、これでもかと言うくらい、お姫様仕様に模様替えされていたのである。

「お母さん、陛下って、こーゆー趣味でいらしたの?」

 呆然と室内を眺めるレーニエを横目で見ながら、サリアは女王を昔から知る母親に尋ねた。

「さぁねぇ、どちらかと言うと、簡素なご趣味だったように思うんだけどねぇ。多分陛下は、こう言う事を一度もされたことがなくて、そして一度はやってみたいと思っておいでだったんだろうねぇ」

 女王自身は服装も、持ち物も質素な趣味である。

 しかし母親としては、美しい容姿を持った娘に美しい部屋で、どんな貴婦人にも負けない生活をして欲しかったのだろう、とオリイは主の気持ちを拝察していった。

 レーニエ自身の趣味は、全く考慮されなかったようだった。

「だけど、これじゃあファイザル様に、あまりに気の毒だわ。もしレーニエ様のお顔を見にこちらに来られたって、こんなお花やリボンだらけのひらひらしたお部屋じゃあ、おくつろぎになれないと思うもの」

 しかし、サリアは内心、禁欲的な軍服に身を包んだあの男が、この部屋でレーニエとお茶を飲んでいるところを、ちょっと見てみたい気もすると思っていた。

 さて、どんな顔をされるか、これは見ものだわ。とびきり可愛い茶器で歓待して差し上げないとね!

「レーニエ様、お気に召されまして?」

 笑いを堪えてサリアが尋ねる。

「え? うん……まぁね。綺麗な部屋だね。気をつけて汚さないようにしなければ」

 以前住んでいた小さな古い屋敷、そしてノヴァゼムーリャの重厚な領主館と、華やかさとは無縁の生活空間に身を置くことに慣れていた姫君は、些か見当違いな感想を漏らした。

 以来レーニエはこの部屋を使っている。


「母上!」

 レーニエは、まるで赤ん坊の揺り籠のように飾られた寝台の上に、慌てて身を起こした。

「お、おはようございます! 私、寝過ごしてしまったようで! 今何時(なんどき)でございましょうか!?」

 身に付けている寝間着は、ひだ飾りやリボンがたっぷり遣われたもので、そのくせ肌が透けて見える上質の亜麻織物であった。

 勿論これも彼女の母が整えたものである。

「ああ、寝ておられよ。オリイからあなたが少し伏せっていると聞いたものでね。様子を見に来たのです」

 敷布を剥いで寝台から身を下ろしかけた娘を押し戻し、ソリル二世は鷹揚に微笑み、自分は枕もとの椅子に腰を下ろす。

「はい、蒸し布。冷たい飲み物はここですよ」

 女王はオリイから渡された盆を示した。国王自ら娘の起床の世話をする光景など、元老院貴族たちは想像がつかぬに違いない。

「しかし、ご公務中では? こんなところに参られてよろしいのですか?」

 手ずから差し出された熱い布を恐縮して受け取り、顔に押し当ててレーニエは疑問を口にした。怠惰を嫌うこの人は、普段夜明けとともに起き、夜遅くまで執務に就いている。午前中は、午後から行う公務の打ち合わせを行ったり、内務省に詰める時間帯ではなかったか。

 自分がこのような時間まで寝ていたことを叱られると思いきや、却って気に掛けさせてしまうなんて、とレーニエは恥じ入って項垂れた。

「母が娘を気づかうのに何の遠慮がありましょうや? まぁ、書記官は慌ててはおったが、まぁ暫く慌てさせておきましょう(少しは慌てりゃいいのよ、いつも人をこき使って!)。少し早いですが、一緒に昼食を取ろうと思って用意させています。眠っていたのでしょ? 朝食も摂っていないようですね。昨夜はあまり眠れなかったと見える」

 ふふふ、と意味ありげな笑いを浮かべながら、女王は娘の乱れた髪を直してやった。

「わたしは別に体調が悪いわけでは! は、ははうえ? 何をご覧に?」

 レーニエはどぎまぎしながら、剥き出しの首筋や布に透ける腕を凝視している母親を見上げた。

「まぁまぁ。こんな赤い頬をするそなたは初めて見ますね。なかなかに可愛らしい。これではファイザル殿もさぞやご満足であったろう」

 薄布を透かせて所々に紅色の痣があるようだ。

 それは決して鮮やかな痕でも、見える所にもつけられている訳でもないが、それだけに男の執着が垣間見れるような気がして、女としては興味深くとも、母親としてはやや複雑で微妙な表情のアンゼリカであった。

「えっ!? 一体何をおっしゃられ……」

「実はね、朝一番に将軍殿と謁見をいたしましたの。かなり強引な申し出ではありましたが、どうしてもと言う事でお会いしたのです。さすがに迅速な対応でした」

「え? ヨシュアと?」

「ええ。それで体はお辛くありませぬか」

「え!?」

 余りの事にレーニエは恥ずかしがるのも忘れて母親を見つめる。

「ふふふ。これはまた酷いうろたえようですね。ファイザル殿はもっと落ち着いておられましたよ。まぁ、あの方とそなたでは、いろいろ違いはありましょうが」

「あの……母上は、その、ヨシュアから何かお聞きに?」

 傍目にも可哀そうなほど狼狽(うろた)え、レーニエは敷布を掴んだ。

「そんな事を聞くのは下世話に言う、野暮と申すもの。この母も教えて差し上げられませぬ。ただ、大事な娘をキズものにした責任は、きりきり負うて貰うとは厳しく申し上げました」

 女王は真面目な顔でレーニエを見下ろした。

「傷? 私はどこも傷ついてなどおりませぬ。母上、あの方に何か申されたのですか?」

 レーニエはガバリと起き上がった。

「ぷっ! うぷぷぷぷぷ」

 散々努力して保ってきた真面目な顔を終に崩し、エルファラン国女王ソリル二世は大口を開けて笑い転げた。

 普段周囲を睥睨(へいげい)する威厳を身に纏った女王の姿しか知らぬ者にとっては、このような姿はさぞかし仰天ものであったろう。

「あは、あはははは!」

「ははうえ? あのぅ……」

 レーニエは、生まれて初めて見る母の爆笑を眺めている。

「レーニエ、レーニエ。そなた、なかなか堪りませぬな。これではファイザル殿もさぞやご苦労を……いえ失礼。しかしまぁ、オリイの教育が良かったのか、悪かったのか、私も久しぶりに笑わさせていただきました。うふふふふ」

 まだ笑い収められず、喰えない母は体をゆすっている。

「オリイの手引きの腕前は、なかなかでありましたろう?」



すみません。ムーンではないので、R部分はカットです。

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― 新着の感想 ―
ええ、仕方ないとは言え、あのシーン。 思い出されます。 いや、なかなかに良かったんですが。
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