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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
124/154

123 帰還8

 時間を少し遡る。

 ファイザルは、着飾った人々から話しかけられても忍耐強く、且つ礼儀正しく応対した。

 戦の話を聞きたがる貴族は多かったが、一部の貴婦人からの秋波は露骨で、こっそり耳元で自分の部屋を囁いていく剛の者もいる。

 こう言う時、セルバローならもっとスマートにあしらえるのだろうが、いかんせん、自分はそれほど口が達者な訳ではない。

 そのセルバローは食うだけ食い飲むだけ飲むと、気に入ったご婦人とどこかに消えてしまった。

 相変わらずこういう事には抜群に手際がいい。

 奴め、どこへ雲隠れしたんだか……ったく、こんな時だけは奴が羨ましい。

「ファイザル様は、どなたか決まった方はいらっしゃるの?」

 踊り終わり、体を離そうとした腕に手をかけ、貴婦人が問いかける。やや潤んだ瞳の意図するところは明白だ。

 しかし、ファイザルが何も答えないうちに元老院の重鎮だという、紳士から末娘だと紹介された若い婦人と、またしても踊るはめになった。

 舞踏は下手ではないつもりだが、こうも押し付けられるのは辟易だ。

 国王が退席した後、この広間全体が薔薇色に浮かれているようだった。

 ようやく曲が終わり、名残惜しそうな婦人を席まで送ってゆく。すぐさま自分の手を取ってもらおうと大勢の貴婦人たちが群がってくるなか、通り過ぎる召使から伝言を渡された。

 伝言の主はわからなかったが、周囲に丁寧に断って、広間の隅で書きつけを読むと、送り主はなんとオリイだった。

 二階正面の廊下にて。

 僭越ながら、同封のものはお好きにお使いくださいませ。

 全て了解済みですので。

 伝言に添えて、優雅な形の小箱が添えられている。

 それには文字が彫りつけてあった。ファイザルは小箱の中身を確かめると、ポケットに捻じ込み、急いで広間を後にした。

 二階の回廊の扉を開けると、薄暗く冷たい空間に幽玄のような人影が浮かんでいる。正面の柱に背をあずけて俯くレーニエの姿であった。

 ファイザルは、愛しさとも切なさとも言えない感情が胸を満たしていくのを感じ、足早に近づく。淡い金色の柔らかいドレスの胸元が大きく刳れている。

 あんな服を着せてはいけないな、と勝手な考えが頭をよぎる。

 宮廷ではどんな男が見ているかわからないのに。こんなに無自覚で無防備では、少しも安心できない。

 ファイザルは逸る心を抑え、足音を忍ばせた。まるで獲物を狙う猛獣のように。

 声をかけると驚いたように顔を上げる。

 自分が発する言葉に素直に反応する姿はあどけなくも、蠱惑に満ちて。

 暗がりの狩りは楽しかったが、長く続ける気はない。

 唇を奪い、首尾よく舞踏に(いざな)う。暗い回廊で繰り広げられる二人だけの夜会。

 甘い旋律が心まで痺れさせてしまうようだった。

 レーニエは慣れない舞踏に緊張気味である。全て自分が導くつもりであった。

 ーーが。

 焦燥感に身を焼くことになったのは、どちらか。

 薄い布越しに感じる柔らかな肌の感触。体つきは華奢なのに、腰を包む掌にはその下に続く曲線の気配を伝えてくる。

 帯の位置も、豊かになりつつある胸を強調するようで、この衣装を着つけたのも有能極まりない官女オリイなら、そのけしからぬ意図は見え見えだった。

 レーニエが気づかない事をいい事に、ファイザルはその体に触れてゆく。しかし、その事で追い詰められていったのは、他でもない自分だった。

 初夏の夜風はどこか艶めいて、広い空間を吹き抜けてゆく。


「もう限界だ」

 (かす)れた声でそう呟くと、ファイザルはいきなりレーニエを片手で抱え上げるとつかつかと回廊を横切り、半時前に自分が入って来た奥の扉を開けた。

「え!? あ、あの?」

 立派な外廊下は、回廊よりさらに薄暗い。

 当然だ。二階以上は立ち入り禁止になっている。きっと階下に向かうどの扉も、固く閉ざされているのに違いない。

 ファイザルは幾つもの廊下を抜け、階上に向かう階段を上がって行く。

 三階……四階……五階。そこが最上階だ。

「あのヨシュア……? どこへ行くの?」

 ファイザルの腕の中で、不安そうな声が揺れる。

「オリイさんから預かった鍵の合う部屋へ」

 レーニエには何の事だかさっぱりわからない。ファイザルの腕に抱かれたまま、どんどん廊下を運ばれてゆく。

「鍵? でも、私は帰らなければ……皆が心配するかも」

「それもオリイさんが手配済みです。有能な方ですね? 私の片腕になってもらいたいくらいだ」

 一番奥の部屋でやっとファイザルは立ち止まった。

 上着の中から小箱を取り出し、蓋に刻まれた文字が扉の文字と同じだと確認する。

 親指で箱を開けると、小さな鍵が掌に滑り落ちた。鍵穴に差し込む。乾いた音がして扉が開いた。

 真っ暗だと思われた室内に、小さな灯りが灯っている。これもオリイの仕業だろう、ファイザルは秘かににやりと笑った。

 ぼんやりした明りに照らされた部屋は、貴賓室のようで大変豪華な(しつら)いだった。入ってきたところは居間なのか、優美な曲線を描く猫足の椅子や卓が数多く置かれている。

 しかし、明かりのおかげでぶつからずに歩けそうだった。そして闇を透かした奥には寝室に続くと思われる扉があった。

 背後でもう一度鍵のかかる音がして、室内は完全に閉ざされる。

「ヨシュア……?」

 細い声は不安に満たされていた。

 突然の展開に怯えているのだろう、微かに震える体。関節が白くなるほど強く軍服を掴んでいる。

「大丈夫です。怖がらないで」

 ゆっくりとレーニエを下ろし、背後から優しく抱きすくめながら耳たぶを舐めるほどの距離で男は囁く。

 安心させるように触れるだけのキスを髪に幾つも落とした。

「レナ……俺がどんなにあなたを愛しているかわかりますか?」

「う……うん」

「じゃあ、これから起きることもわかる?」

 そのまま唇が首筋を這い、交差された手の平が胸の隆起を包み込む。

「……っ!」

 細く息を引く気配。

「抱きたい……レナ」

 首を滑った唇が袖を吊っている紐を(くわ)え、ゆっくりと引っ張ってゆく。胸を掴んでいた指が器用に帯の花結びを解く。

 それはまるで絹の鞘が緩み、生まれたての蝶が現れてくるのにも似て。

「あ、の……」

 たっぷりと当惑を含んだ声さえ快く。

「俺のものになるのは嫌ですか?」

「い……や、じゃない」

 ふるふると首を振るも、言葉に反して震える肩。

「でも怖いのでしょう? 正直におっしゃい」

 助け舟を出してやると、素直に顎がこくんと下がった。

 その顎にも口づけを落とす。自分が彼女の怯えをわわかっていると知ったほうが気が楽になるだろう。

 だが、どんなに怖がっていたとしても、もう引き返せないことも教えなくてはならない。

「大丈夫、全て俺に任せて。一度は諦めた。だからもう待てない。レナ、あなたを俺のものにする」

 低く熱く囁く声に、レーニエは再び小さく頷いた。

 緩んだ衣服が軽い音と共に足もとに滑り落ちた。

 衣服自体は柔らかい布でできているはずなのに、音だけはやたらと大きく聞こえる。

 さすがにレーニエにも、その意味するところを理解できるようになっていた。やたらと大きな動悸の音が自分の頭蓋に響いている。

 おそらく胸を覆っているファイザルの掌に、自分の鼓動は直接伝わっているのだろう。

 いつかはこうなる事をわかっていたはずなのに、心が、体がついて行けていない。

 や、なんで、今頃になって震える……これでは情けない自分が、この人にわかってしまうではないか!

「ヨシュア……」

 泣きそうな声は酷く混乱した胸の内を表している。

 しかし、彼は何も言わず、宥めるように震える肩を優しく抱きなおしただけであった。

 掌の中の肌は蕩けるように、しっとりと皮膚に吸いついてくる。

 今すぐ荒々しく覆い被さり、全てを奪ってしまいたい。けれども性急にしてしまっては一層怯えさせるだろう。

 長く戦場にあった彼にとって、このような衝動を覚えるのも、それを抑えつけるのも久々の経験だった。

 怖がらせてはいけない。ゆっくり時間をかけて体も心も(ほど)いてゆく。自分はこの娘より十以上も年上で、充分な経験もある。

 だが。

 頭ではわかっているのにーー。

 信じられないくらい体が急いている。

 小僧ではあるまいし……なんて体たらくだ。

 ファイザルは己を嘲笑った。それ程この娘に狂わされている。

 舌打ちしたい気持ちを打ち消すため、抱きしめる腕に力を込めた。レーニエが漏らす溜息が手の甲に懸る。

 逸るな。

 肌を晒した肩を、自分の熱で包み込むように包んでやる。

「うろたえておられる」

 背に流れる髪を分けて白い背中を露わにすると、ファイザルは背骨に唇を押しあてた。脇の下から差し伸べた手は、両の膨らみに柔らかく触れている。

「は……」

 摩擦される甘い痛みにしなやかな背が(しな)る。ファイザルはその仕草に満足したように低く笑い、浮き出た肩甲骨に歯を立てた。

 次第に彼は膝を屈してゆく。

 熱い唇は脊椎を愛撫しながらゆっくりと下がり、腰の窪みに辿りついた。

 レーニエの体の硬い部分も、柔らかい部分も溶かされるように触れられ、熱くされてゆく。

「や、ヨシュ……」

 大きな掌と唇で与えられる甘い刺激は、次第にレーニエの足から立っている力を奪っていった。しかし、ふらつく体は腰に回る腕でしっかり支えられ、逃れることは叶わない。

 支えるものを求め、普段よりずっと低い位置にある逞しい肩を必死で掴んだ。

「そう。俺に体を預けて、力を抜いて」

 聞き慣れた声が、先ほどの舞踏の時と同じことを囁く。

 立ち上がった彼が首筋に顔を埋めた。こんなに近い距離なのに、まるで違う次元から聞こえるよう——熱く濡れたものが肩の稜線をなぞってゆく。

「あっ……!」

 そして

 レーニエの膝が崩れた。



表現をだいぶ丸くしました。

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― 新着の感想 ―
これはこれで中々に扇情的な! 素晴らし!
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