119 帰還5
「とまぁ、こう言う訳です。オリビエ」
「はぁ」
公表したとは言え、レーニエの存在を知っている者はまだ限られていた。
元老院議長で、ソリル二世の友人たるオリビエ・ドゥー・カーン侯爵は、驚きながらも女王の話を冷静に受け止めた。
彼の提案で、戦勝の喜びが冷めないうちに、国民にこの事を発表した方が良いと決められ、公式発表は二週間後となった。
しかし、どういう訳か、レーニエとザカリエ王弟アラメインとの婚約話の噂が勝手に独り歩きしていたのだ。
「ウルフィオーレでの約条の話は、ドルトンからも聞いています。レーニエの話では、アラメイン殿にも想い人がおられると」
「しかし、ザカリエ王宮も国民も平和を保障する『何か』、を目に見える形で欲しているのだと申しております。聞けば王女殿下は、ジキスムント宰相に固く約束したとか。彼の国が、敗戦の痛手から立ち直るには、数年の猶予が必要ですし、国民は国力が弱ったこの時期に何処かの国から攻め込まれてはと、不安があるようで…」
「ふむ。要するに、ザカリエが安心できるような材料があればいいという事でしょう?」
「御意」
「で、策は?」
「う~……考えてはいるのですが。戦後賠償の酌量とか、金属の精錬技術の伝達とかですね。ですが、一つ一つの事柄は些細と見えるようで……もう一つ、印象に残りにくいというか」
「ふぅん」
意味深げに女王はカーンを見つめたが、彼はその視線に嫌な予感がして身構えた。この人物の人となりは、嫌と言うほど知っている。
「な、なにか?」
「それなら、そなた。一年ばかりザカリエに出張して来るがよい。カーン侯爵家も我が姻戚筋ではあるし、大義名分は十分でしょう。何なら家族共々行っていいですから」
しゃあしゃあと女王は言ってのけた。
「っはぁ? 陛下何をおっしゃる! 私には愛する家族が!」
「オリビエや、そなた働き過ぎだ、そろそろ休暇を頂きたいといつもこぼしておるではないですか。よい機会です。なに、一年間の休暇と思えばよいのです。幸い、現在この国に政敵もいないのでしょう?」
「そっ、それはそうですが……そんな女王陛下、突然言われましても、私にだって都合と言うものが……それに」
「おまけにそなたは寒がりだ。神経痛の持病もある。南国でゆっくり静養するがいい。ジキスムント宰相と言ういい話相手もおる事だし」
元老院議長の必死の抗議など全く聞いていない。
「なっ! あんな爺ぃと話したくありませぬ。だいたい私の方が若いんです! それに今は夏だし!」
「まぁそう怒るな、オリビエ殿。若い者の恋路の為に、我ら年寄りが、少しくらい物分かり良くなってやろうではないか。帰国の暁には、何か名誉な閑職を考えておくゆえな」
彼の君主は上機嫌である。
こんなことは滅多にないことであった。
普段は元老院の決定事項に疑義を挟むことはあっても、異論を唱える事はない。それに、戦争が終わった今、国力では圧倒している敗戦国に少しくらい配慮をしても、今後に影響することはない。
エルファランの高位の貴族であり、政治家であるオリビエ・カーンが長期出向する意義は大きい。
取りようによれば、人質のようにも見えるが、もし彼の身に何かあれば、今度こそ国もろとも殲滅させられる事は、身に染みているはずだ。
彼等の身の安全には、ザカリエ側の方が細心の配慮をするだろう。
オリビエは監視役と同時に、助言者なのである。要はジキスムントと共に国を立て直せと言う事なのだ。
おまけに上手くやれば。ザカリエの内情だけでなく、更に南の国々を窺う事もでいきる。
オリビエ・カーンはそこまで考えた。どうせ自分の思考は、女王に読まれていることだろうが。
「はぁあ〜」
彼はすっかり観念してため息をついた。
「陛下、あなたというお方は……では、一族郎党連れて行って構わないので? ちょうど末の孫が外国旅行をしたいと言っておりまして」
「もちろん。そなたの一族は二十人からいるので、ザカリエ王宮は迷惑するかもしれませんがねぇ。あ、それから、明後日の戦勝祝賀の舞踏会にも、一族揃って出席されるがよいぞ。歓待するほどに」
「はぁ~」
レーニエ姫には、このしたたかなおばさんの血が流れておられないとよいのだが……。
さすがに陰険爺ぃと陰口をたたかれた人の娘であると、元老院議長オリビエ・ドゥー・カーンは諦めてがっくりと肩を落とした。
と言う訳で、悲喜劇を孕んだ戦勝祝賀の宴の朝。
「今夜の宴に、母上はご出席されるのでしょう?」
レーニエはおずおずと偉大な母を見た。
「ええ。開宴の辞と、祝辞をするようにと言われています。ですが、私がいては皆が気兼ねしますからね。適当なところで引き上げます。最早、舞踏と言う年でもありませんし。昔から踊りは苦手だったし」
「そうなのですか?」
「ええ、舞踏は好きではありません。父上……レスターと違って……ですが、レーニエ」
「はい」
「あなたは祝賀の宴に出席されたらよい。できるだけ美しく装って」
「いいえ母上。私はそのような場にふさわしくありませぬ」
「何をおっしゃいますか。もう私の娘だと、堂々と胸を張られてよいのですよ」
「御配慮はありがたく思います。ですが、私は華やかな場に慣れておりませぬし……どのように振る舞ってよいかもわかりませぬので……」
「そう」
それはそうかもしれない、と女王は思った。
この宮廷においてレーニエは、初めて社交界にデビューする娘以上に新参者なのだ。女王の一人娘だと言うのに。
「ですがあの方……ファイザル殿は出席されると思いますよ。と言うか、あの方は主賓の一人です。この戦に勝利したのは、あの方の功績に因ることが大きいのですから。この宴はファイザル殿の将軍就任の祝いでもあるのです。彼は言うなれば主役です。出席しなくてはなりません」
「……」
「どうです? 行ってみませんか? 少しだけでも」
「い……いいえ。私はやはり止しておきます」
レーニエは自分の髪や目の色が、どのように人目を集めるか知っていた。それもたいていは良い思い出を伴わない。
ノヴァの地の素朴な人たちでさえ、見慣れるまでに暫くかかったのだ。
ましてや王宮に住まう人は何と思うか……幼い頃の辛い思い出は、まだレーニエの脳裏に影を落としたままなのだ。
それに、今更女王の娘として、どのように振る舞えばよいのかも分からない。自分が罪の子ではないと知っただけで、十分だった。
レーニエは良くも悪くも、自分が注目される事は気が重かったのだ。
「そうですか……まぁ、いいでしょう。あなたの気持もわかります」
「申し訳ありませぬ」
「でも、もし気が向いたら、見るくらいは構わないのではありませんか?
金剛宮の大広間は当日、二階への立ち入りは禁止されていますから、吹き抜けの上から、見ることができますよ。ファイザル殿にとっても晴れの舞台でしょうし。新将軍がどのように振る舞われるのか、あなたがもし見たかったら、こっそり見れるように手配しておきましょう」
「ありがとうございます」
無理強いされなかった事を有りがたく思い、レーニエは丁寧に礼を述べた。
かくして宴の宵の幕が開く。
初夏の夜の空気は、どこか艶めいていた。
女王陛下と友人の会話でした。
さて。舞踏会です。
舞踏会にふさわしい時間に更新しましょう。