115 帰還2−2
「私は、一歳で攫われたあの子を気が狂うほど探し、数年の時を経てやっと見つけた。そして二度とそんな事のないよう、その存在を隠しました。不名誉な噂の上に、あの風変りな容貌。最初はとても育つまい、と覚悟したくらい発育が悪かったということもあって……これ以上苦しませたくなかったのです」
ファイザルは深く頷いた。
確かに乳児期に母親の元から引き離され、塔の中に閉じ込められたのでは、発育も悪くなろうし、精神的な傷も負うだろう。
「そして、忠実な侍女であり、友人でもあったオリイの家族にあれを託した。彼らの愛情を受けて、あの子はゆっくりと成長していったのです」
「はい」
その結びつきは、ファイザルもよく承知している。彼等はレーニエを慈しみ、守ることを至上と思っているのだった。その娘や息子までも。
「ですが、あの子は、自分が罪深い存在だと強く思いこんでいた。オリイ達以外には誰とも会おうとせず、私もそれを認めてしまった。それがいけなかったのです。本当なら、もっと早くに明らかにするべきだったのです。私の失態です」
女王はふっくらとした唇を噛んだ。
「だがまぁ、順序を追って話しましょう。レスターの母上は、名をファナ殿と申され、我が父、アルバインの傍で仕えておられた。父上の後宮に召されたのも事実でした。しかし、後宮に召された時、彼女は既に身ごもっていたのです。自分でも気がつかれなかったほどですから、おそらく二ヵ月にも達していなかった頃のことでしょう。この事は、ファナ殿の侍女だった方の娘を探し出して確認しました。その侍女は、うすうす気がついていたそうです」
「成程……しかし、頭では理解できますが、その辺りのご婦人の微妙な御事情は、男には、そのようなものなのだろうと無理に納得するしかありませぬ。その元侍女殿の話は確かなのでございますか? ご本人に直接お話が聞けたのではないでしょう?」
ファイザルは疑義をはさんだ。
「ええ、しかし確かです。元侍女の方は既に亡くなられておられましたが、娘御はファラミアからほど近いところに今もご健在で、母御の書かれた記録を、我が腹心の者に示して下さいました。古い長持ちの中から引っ張り出されたそうで、間違いなく本物です。お願いして借り受け、私も綿密に調べましたが」
「……」
ファイザルは無言で頷いた。女王の情報収集能力はなかなかだと思ったのだ。やはりこの人は、実地の人である。
「で、ここからは本当に王家の、言わば隠された醜聞と言う訳なのですが」
女王は小さな溜息をつくと、話を続ける。
「記録によると、ファナ殿の恋人は、我が父アルバインの従兄弟だったらしいのです」
「従兄弟?」
従兄弟ならば何も問題はないではないか。ファイザルは女王が醜聞と言った意味がわからなかった。
この話にはまだ先があるのだ。
「従兄弟殿は、名をエディンと言われたが、エディン殿の事は別に秘密でも何でもありません。私の幼いころに亡くなられたし、一度もお会いしたこともないので、そう言う方がいたという事を聞いたことがあるだけで。エディン殿は庶出で、王位継承権もなかったそうです。身分だけなら、立派な従兄弟は他にもいましたしね」
「よくある話です」
「そう。彼は臣下として育てられ、跡目争いなどは起り得ませんでした。ただエディン殿は父と同い年で、非常な美男であられたとか。また、文武に優れた才能豊かな方で、周りの人達から愛されるお人柄だったらしいのです。ちょうどレスターのように」
「その方がブレスラウ公の、本当のお父上と言う訳ですか」
「そう。ファナ殿は恋人と契られたが、御子を宿したことを知らずに後宮に上がられた。だから我が父とレスターの顔が、ある程度似ていてもなんの不思議もない。父親同士が従兄弟だったのだから。実際、エディン殿と父上は、幼い頃は仲が良くてあられたとか。しかし、武芸でも学問でも……そしておそらく恋でも、エディン殿は父を凌いでおられた」
「その事も記録に?」
「まぁ、エディン殿のことなら、下位とはいえ王族ではあるし、いろいろな所に記録は残っていました。私もいくつか確認しましたが、優れた人物であったことは間違いないでしょう。継承権こそなかったものの、父は折にふれて、彼と比べられたに違いありません。アルバインが彼より勝っていたものは、血筋だけだったのです」
女王は自分の実の父の名を呼び捨てにしている。
よほど先王の所業を許し難く思っているらしい。唇が引き結ばれ、整った眉が厳しく吊り上がっていた。
「そして、アルバインは長ずるにつれ、この優秀な従兄弟を次第に疎ましく思うようになったのでしょう。父を知ってる者なら誰でも容易に想像できます。長く鬱憤を募らせて、恐らく最後には酷く憎んでいたのでしょうねぇ。彼の恋人、ファナ殿を奪って、無理やり後宮に召し上げたくらいだから。しかも、それだけではなくて。エディン殿は、お身内の些細な不手際を大きく取り上げられ、家も名も剥奪される懲罰を受けられた」
「冤罪だったと言うのですか」
「間違いなく。アルバインの非道は、それだけに留まりませんでした。彼はエディン殿をファラミアから追放し、領地とは名ばかりの貧しい土地に追いやった。おそらくファナ殿の命を盾に脅されたエディン殿は、黙って王宮を去り、数年後、かの地で起きた争いによって亡くなられたといいます」
口にこそ出さなかったが、むごい話だとファイザルは思った。
家と名ならともかく、愛するものを奪われたなら自分ならどうするだろうか? 考えるだけで血が煮える。
おそらく僅かに表情に出たのだろう。女王は同意するように苦く笑い、彼に頷いた。
「その通りです。もっと早くに調べていれば、あの子に辛い思いをさせずに済んだものを! しかし、これで我らの疑いは晴れた。ブレスラウ公レストラウドは、エディン殿とファナ殿の子。決して我が弟などではない。この事は既に元老院に報告してあります。二度と我らを謗らせませぬ」
「……ご立派です、陛下」
ファイザルは火花を散らすような女王の瞳を見て頷いた。だが、刹那の激しい怒りは、すぐに成りを潜める。
「ところでな、ファイザル殿。話は少し飛ぶのですが」
急に口調を変えて、女王はファイザルを見た。
「その地の名をご存じですか?」
「は? エディン様が赴任され、亡くなられた土地……で、ございますか? 貧しく、かつて争いが起きた地方。お話の内容からすると、今から四十年くらい前?」
ファイザルはしばらく考えていたが、やがてはっと青い眼を見張った。
「まさか!」
「ふふふ、お察しの通り」
ソリル二世はにやりと笑った。