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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
112/154

111 障壁24

 翌日

 一人の若い旅人がウルフィオーレの街を訪れた。

 マントのフードを深く下しているが、細い体つきであることが見て取れる。背中に小さな荷物を背負っていた。

 昼前の広場は、買い物をする人々で大いに賑わっていた。広場で市が立つのは、つい最近になって復活したことだ。

 旅人は、人混みをいとも容易く掻き分け、広場を横切ると、ひときわ大きな市庁舎が現れた。

 戦火の痕も残ってはいるが、かなり修復されつつあった。セルバローの仕事の成果である。

 彼はしばし逡巡した後、階段を上り庁舎の正面に立った。

「止まれ。こちらは現在ただ今、書状のない者の立ち入りを禁じている。何者か」

 二人の歩哨が立ちはだかり、旅人を誰何(すいか)した。

「知ってますよ。エルファラン国の休戦使節の代表がご逗留されているのでしょ? まぁいいや。私の事はいいから、この書状をドルトン様にお渡し願えませんか」

「何? ドルトン様だと? お前は一体……」

 歩哨の問いに、旅人の彼は小さく笑って頭を振った。

 フードが滑り落ち、ゆるく毛先の遊んだ黒髪が肩の上で揺れる。


「フェル……おお! フェル!」

 レーニエが長衣のすそを翻し、ホールの段を駆け降りる。

「レーニエ様!」

 少年は二年ぶりに会う彼の主を見上げた。

 記憶にあるそれよりも、主は更に美しく輝いている。嬉しいはずなのにフェルディナンドはなぜか心が痛んだ。

「フェル……!」

 レーニエは、自分を見下ろす背丈になった少年を見上げた。

「レーニエ様」

「よく……よく無事で…」

 少年の崇拝する赤い瞳が涙の膜を孕んで潤み、自分を映している。

 一瞬表情が歪んだが、彼はそれを隠すように膝をついた。

「ただ今戻りました」

 綺麗な所作は昔のまま、ただ声だけがあの頃より低く、レーニエの耳を打つ。

「ああ、フェル……」

 たくさんの感情が押し寄せ、レーニエは自分の小姓であった少年に、なんと言っていいのかわからない。

 レーニエは、長年忠実に仕えてくれた、弟とも、友人とも言えるフェルディナンドの両肩に手を置いた。

 かつて彼女の腕に収まった細身の体は、そのしなやかさを残しながら、すっかり逞しくなっている。

 美しい黒髪と青灰色の瞳はそのままだが、少し面長になった面ざしと低くなった声は、この少年が子どもの域から脱しつつあることを示していた。

「よかっ……」

 フェルディナンドの見上げる主の瞳から、ぽたりぽたりと雫がこぼれた。

「レーニエ様」

 フェルディナンドは顔を上げ、にっこりと笑った。それはレーニエの記憶とは少しだけ違う、けれども限りなく懐かしい笑顔。

「何でお泣きになるんです? 俺、結構頑張ったんですよ。どうぞ褒めて下さい」

 昔のままの生意気な態度で、少年は口角を上げた。

「り、立派になられた……フェル……私に抱かせておくれ」

 変わりのない彼の様子に、レーニエはやっと破顔し、屈み込んでその頭を抱きしめる。

「レーニエ様がお元気そうでよかった!」

 フェルディナンドは万感の思いを込めて、主の頬に唇を寄せる。

「大きくなられたな、フェル……先年の秋に手紙を貰った時は、心臓が止まりそうになった。セバストが認めなければ、間諜など絶対に許さないつもりだったんだ、私は。フェル」

「私の方こそ、レーニエ様がこのような場所にお出ましになられるとは思ってもみませんでした。知らせを受けたのは、ついこの間でしたが……私は」

 フェルディナンドは整った唇を噛みしめた。

「肝をつぶしました」

「私もね、私もフェルやヨシュアのように、何かしたかったのだ。それで母上にお願いしてこの地に寄越していただいた」

 ようやくレーニエは涙を収める。

「フェルの消息が掴めないので、シザーラ殿に頼んで探してもらおうと思っていた」

「レーニエ様」

「これで皆で帰れる。フェルとサリアとヨシュア……皆でノヴァゼムーリャに」

「……」

 フェルディナンドが背後を見ると、主従の再会に遠慮して見守っている人々の中にその人物がいた。

 その男は静かな表情で彼等を見つめている。長らく続いた戦争を勝利で終わらせた本人。

 ヨシュア・セス・ファイザル司令官「掃討のセス」。

 二人の男の眼が合った。

「レーニエ様。俺はまだまだ半人前ですけれども、どうかこれからもお仕えさせて下さいませ」

 少年は改めて向き合うと、優雅に騎士の礼をとり、片膝をつくとレーニエの手を額に押し戴き口づけを落とした。


「おいおい、またまた王女殿下に似合いの美少年が現れたぞ。どうする? 斬るか?」

 抱擁を交わす二人を眺めながら、セルバローはニヤニヤしながらファイザルをからかった。二人とも昨日の酒の余韻など微塵も感じさせない。

「彼は殿下の大切なご家族だ」

「へえっ! ご家族。だけど、あの小僧はそう思っているのかな?」

 セルバローの洞察は、相変わらず鋭い。

 ファイザルは黙ってレーニエを見つめていた。


「よかったですね、サリアさん」

 ジャヌーも、もらい泣きしそうになりながら、既に泣いているサリアの肩に手を置いた。

「ほんとに! 後でとっちめてやらなくっちゃ。みんなをこんなに心配させて!」

「いやぁ、もう子ども扱いはダメっすよ。フェルディナンドはもう大人です。男は大人になる時があるんですよ、年じゃなく」

 ジャヌーはわかった風で頷くが、サリアは意にも介さなかった。

「あんたはまだ子供っぽいけど?」

「酷いです。これでも頑張ったんですよ。サリアさんをお守りすることぐらいできます!」

「本当?」

「はい。まだまだ司令官殿のようには参りませんが、俺だってサリアさんの為なら粉骨砕身、鋭意努力いたします。どうぞ試してみてください」

「まぁ、そんな風に真顔で言われると、少しだけ嬉しくなっちゃうわね」

「少しだけなんですか!?」


「ラルフよ、どう思うな?」

 ドルリー老将軍のはげ頭は今日も血色がいい。

「何がだ、サイラス」

 フローレスは上品な白髪頭を傾けた。

「あの王女殿下の事なんだが」

「お美しい方だ。聡明でもあられる」

「ふむ、そうだな。真実、陛下は公にされるおつもりかな?」

 ドルリーは、ここ数日間の疑問を口に出した。彼等もドルトンから事情を聞いていた。

「思うも何も、陛下自身がお決めになられたのだ。あの方の意志は強固だ」

「それは確かに。だが、ブレスラウ公はその出生にも、死にも謎の多い伝説の人物だ。かつて囁かれたあの噂もある」

「私は信じておらん。あれはただの醜聞だ。口さがない奴ばらのな」

 元来慎重なフローレスにしては、断定的な物言いだった。

「なぜそう言える?」

「先王アルバイン陛下は老獪な政治家ではあられた。しかし反面、猜疑心の強い、狭量な方でもあった。そのご子息が、大らかで天衣無縫だったレストラウド様というのは解せん。第一それほど似ておらん。私は昔から信じていなかった。わが王家は、線の細い方々が多く、先王も小柄な方であった。だが、ブレスラウ公は大きな男だったからな。そう……あのヨシュア・セスのように」

「言うわ。だが、アンゼリカ様とて、あの方のご息女だぞ。あの方は女ながら肝の据わった方だ。そなたの理屈はおかしいではないか」

「だから陛下と先王陛下は、仲が悪かったではないか。アンゼリカ様は早くからお父上と離され、お母上の元でお育ちになったからな。失礼ながら先王陛下は、誰の事も信用なさらなかった」

 自らも元老院の一員であるフローレスは、ドルリーよりも政治の裏面に詳しい。

「確かに先王はあまり人気のない方ではあった。だがあの方の治世の間に内政問題の多くは縮小、あるいは解決し、国力が上がったことも事実だ。人好きはしなくても、政治家としては有能だったのだろうよ」

「解決なぁ……ややもすれば独裁と言う言い方もできるが。自由国境にまで鉱山開発を求めた結果、国力は確かに増した。だが、隣国から富を狙われる事にもなったから、この戦争の遠因となったとも言える。ともかく先王陛下も、ブレスラウ公も亡くなったお方達だ。我々は今を見なければならん」

 フローレスは孫娘のようなレーニエと、その小姓であった少年との涙の再会をつくづくと眺めた。

「確かに。だからこそ陛下は今回の件で、レーニエ殿下の事を明るみに出されるおつもりだろう。と言う事は、お二人は血の繋がった関係ではなかったという事だ。それを公明正大になさりたいのであろうよ」

「私に文句はない。レーニエ様は立派にお役目を全うされた」

 老将達は美しい娘を中心に喜び合う、若々しい人々を頼もしそうに見守り、頷きあう。

「これからは彼らの時代であろうよ」


 未明の風は、未だ湿り気を含んで広場の上を流れる。まだ日は明けきってはいないが、後四半刻もすれば人々は起きだし、日々の活動を開始するのだろう。

 市井の人たちにとって、夏の一日は貴重である。

「もう起きられたのですか」

 背後の気配を察し、ファイザルは振り返った。市庁舎の正面の広い露台。

 ファイザルは剣こそ腰に帯びていたが、上着は何も身に付けていない。朝の風に長くなった鉄色の髪が揺れている。

 彼が視線を向けると、歩哨に立っていた兵士達がさっと身を隠した。

「うん……目が覚めてしまった」

 レーニエは、白い寝間着の上に、同色のガウンを羽織っただけで立っていた。素足に華奢な上ばきを履いて、ふわふわと広い露台を横切ってくる。

「また、そんなお姿で……」

 ファイザルは困ったように淡い肩を引き寄せた。

「俺がここにいなかったら、どうするおつもりだったんです」

「ただ、街を見ようと思って」

「兵士達も若いんですからね。少しは思いやってください」

 仕方なさそうにファイザルは、薄いガウンの胸元を合わせた。


 とん


 額に軽い口づけ。

「あなたは夜通しここに?」

「いえ、昨夜はさすがに休みました。今日はいよいよ出立ですし、目が覚めたので。ここには先ほど来たところです」

 この日、朝餐後すぐ大使一行は都に向け、出発する事になっている。

「あなたはもう少し休まれたほうがいい」

「へいき。馬車の中で眠るから……よい天気になりそうで良かった」

 レーニエはファイザルにもたれて街を見渡した。先ほどより空が明るくなっている。

「この街は、あなたの故郷なのでしょう?」

「俺に故郷と言うものがあるとすればね」

 静かに応えた声には何の感慨も伺えなかったが、それが却って哀しいものにレーニエには感じられた。

 この街には、彼しか知らない思い出が残っているのだろう。

 街のそこここに残る戦の傷跡は、そのまま彼の心なのだった。

「いずれ美しく甦る……人々も、この街も」

「――ええ、多分……きっと」

 応えた声はやはり静かで。

 いつかこの人の過去も聞いてみたい……頼んだら話してくれるだろうか?

 レーニエは自分を抱く腕をぎゅっと握った。

 だが今は、今からは未来を見なければ。

「帰るんだ」

 レーニエは遥か北の空に目をやった。

「ええ」

 そっと唇が触れ合う。

 レーニエのそれより少し熱いそれが、啄ばむように上下の唇に触れた。

 掠めるだけの口づけが幾度も幾度も繰り返される。レーニエが焦れて身じろぎしてしまうほどそれはまだるっこしく。

「んんん……嫌、もっと」

「ダメです。今は」

 ファイザルは指を滑らせて柔らかい輪郭をなぞった。

「あなたを本当に、この腕に閉じ込めるまでは」

 そう言った男の頬に光が当たる。

 街は、目覚めの時を迎えようとしていた。



明日から新章です!

ジェットコースターみたいな章でしたね。

お疲れ様でございました。

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