106 障壁21−1
「レーニエ様、ちょっと……あまりくっつかないでください」
自分から抱きこんだはずなのに、腕の中の娘がぴったり体を寄せてくるのに辟易してファイザルは呻いた。
「いや。私はこうしていたい」
「俺が妙な気を起こす恐れがありますので、宜しくない」
ファイザルは半ば本気で言った。
色は濃くても夏服の生地は薄い。ここまで柔らかい体を押しつけられては。その上、甘い香りが立ち上って鼻腔をくすぐるのだ。
「みょうなきって、何?」
「……言えません」
言える訳がない。
「聞きたい」
「俺が頭の中で考えていることを知ったら、あなたはきっと逃げ出してしまうでしょう?」
「そんなことはない!」
「そうか……なら」
「きゃっ!」
片手で胸を覆われてレーニエは思わずびくりと背筋を伸ばし、ファイザルは意地悪そうに微笑んだ。
「ほら、ね?」
「びっくりした……それだけ」
「お痩せになられた?」
「そ、そぉかな?」
レーニエの頬は真っ赤で、無意識に男を煽っている。
「……少しだけ周り道をいたします」
そう言うと、ファイザルはハーレイの速度を落とした。
「うん」
嬉しそうにレーニエは彼に身を預ける。ファイザルは顎を掬い上げ、身を屈めて軽く口づけた。手綱は御さず、馬に任せている。
「ずっとこうしたかった……まったく俺は馬鹿だ。自分ながら呆れてしまう」
「馬鹿じゃない」
「馬鹿です。あなたは必死で伝えようとしてくれたのに、俺は耳も貸さず、それでいて嫉妬に身を焼いていた」
「嫉妬? あ! そうだ」
すっかり忘れていた事を思い出し、レーニエは眉を顰めた。しかし、こんな事を聞いてもよいものだろうか。
「あの……えっとぅ……フレデリカ殿は?」
レーニエは言いにくそうにもじもじと俯いた。フレデリカとは、あの襲撃の直前にファイザルが会っていた婦人のことである。
「フレデリカ?」
「お美しいご婦人だった」
「彼女はずっとこの街に住んでいる女で……若いころは色々教えてもらったことがあるが、今では貴重な情報提供者。それだけです」
「だけど、あなたは……そのぅ……お楽しみとか何とかおっしゃって」
色々ってなんだろう、レ―ニエは真面目に考え込んでいる。
「覚えていたのですか?」
きまりが悪そうにファイザルは尋ねた。
「うん……だって、あなたはフレデリカ殿とその……口づけを……」
「あー、咄嗟の芝居で」
「芝居?」
レーニエは身を捩り振り向こうとしたが、ファイザルに抱き直されてしまう。彼は顔を見られないようにそうしたのだった。
「ええ、彼女にドーミエ残党の情報を聞いている時、突然ノックがして、あなたの声が聞こえたものだから……フレデリカは後で怒っていましたけど」
「なんで?」
「あなたが不埒な俺を見て嫌ってくれたら、あなたを諦められると思って。それでフレデリカは俺に怒ったんです。俺の事を酷い馬鹿だって。まったくその通りですが」
「そうだったの」
ほっとしたようにレーニエは肩の力を抜いた。
「気にしていたのですか?」
「……かなり」
「それは嬉しい。あなたに妬かれるなんて本望だ……だが、今聞くと笑いごとですが、あの時は俺もなりふり構っていなかった。あなたはふらふらと外に出てしまうし」
「うん……あの時は混乱して、ただ悲しくて……何かで気を紛らわせたかった」
「ええ。俺が馬鹿な事をしたせいで、あなたを戦闘に巻きこんでしまった……今でも悔やんでます」
「もうすんだことだ」
「ええ、もう言いません。思い出すだけで背筋が寒くなる……あなたは俺が守る。これからはずっと」
「ずっと? ほんとう?」
レーニエは自分を抱く腕に頬を寄せた。
「本当ですとも。だけど……困ったな。あなたを手に入れるには、まだかなり間があるのに。まだ抱けない」
とん、と髪に唇を落とす。
「一度でも抱けば、きっと一度ですまなくなる」
「いけないの?」
「ええ。俺が俺のけじめをつけてから。あ、『抱く』の意味がわかりますか?」
「……」
なんとなく理解したようにレーニエは頬を染めた。
「おや、わかるのですか? 大人になられましたね。そうです……だから今は奪いません」
「……でも」
「……そんな顔をしない。直ぐにでもそうしたいのを必死に堪えているんですからね。今は残念ながらこれだけです」
そう言うと彼は腕にぎゅっと力を込めた。
さぁさぁどんどん甘くなりますよ!
いいね、お言葉、お待ち申し上げます!