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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
104/154

104 障壁19−1

「俺は……」

 どのくらいの時間が流れたか、やがてファイザルは呟くように口を開いた。

「俺は酷く腹を立てていました」

「私に?」

「それもある。だが、それだけではなかった。柄にもなくこの一年、無我夢中で働いたのは、全てあなたを手に入れるためだったのに」

 ファイザルは腕を伸ばしてレーニエから身を引き、強い力で両の肩を掴んだ。

「例えこの身が罪にまみれようとも、あなたを乞える立場に近づきたかった……俺には戦う事しかできなかったから、戦って、勝って……ひたすら勝って地位を得ようとした」

「存じている」

「それなのに、その願いも叶わぬ内に、あなたはここにやって来られた。あれほど隠しておられたご身分までも明らかにされ、王女として立たれた。俺にはどうしたって手が届かない遠い存在になって。その上、和平の絆を確かなものとする、ご婚約の話まで持ち上がる始末だ」

「でも、それは」

「だが、それでも俺は、あなたを守らなければならなかった。少し前までこの地は戦場だったのです。ドーミエの心酔者の情報もあった」

 レーニエに言葉を挟むことを許さず、男は続けた。

「俺は戦を終わりに導くことには成功したかもしれない。しかし、その裏で無性に腹が立ち、混乱し、絶望していた。そして」

 精悍な眉が険しく歪む。

「あの王子の出現だ! 金の王子に銀の王女。皆は口をそろえて褒めそやす。俺には無い身分も、若さも、美貌も、全てもったあの男の傍に立つあなたを見て、俺は気が狂いそうだった!」

「……」

「王女殿下。あなたは紛れもなく、女王陛下のただ一人のお子だ。そして陛下は、あなたを公式に認められるおつもりだという。例え王子との婚姻の話が白紙に戻ったとしても、あなたにはこれからも、降るようにご縁談が持ち込まれるだろう。俺の出る幕などありはしない。だからさっさと思い切ろうとして……なのに……くそっ!」

 言葉とは裏腹に彼は腕に力を込める。衣の下の折れそうな骨を指に感じた。

「……できなかった! どうしても!」

「ヨシュア?」

「あなたはご立派でした。お母上とお父上のお子だと、皆もそう思ったはずです。平和は成るでしょう」

「あなたが命がけでもたらした平和ではないか」

「俺はただの人殺しだ」

「違う! あなたこそ命を掛けて……」

「俺は国の為に戦ったんじゃない! 我欲です。こんな汚れた手で、あなたに触れる事もおこがましいのに! あなたが俺のものになる訳がない。なのに、諦めきれない! 無様で未練がましい男です。俺は……」

 限りなく苦々しい頬笑み。

「さっきこの場所に立つあなたを見て、俺が一瞬、何を思ったか白状いたしましょう」

「……」

「あなたを抱いてこの城壁から飛べば」

「わ!」

 突然ファイザルはレーニエを掬い上げ、絶壁へと一歩踏み出した。レーニエの真下にはもう地面はない。

「あなたを誰にも渡さずにすむ」

 レーニエは腕を伸ばして、逞しい首にしがみついた。

「ふ……申し訳ありません」

 元の場所に後退し、そっと彼女を下ろすとファイザルは皮肉に笑った。

「だが、そうすれば、あなたを誰かに奪われるのを見ることもなく、あなたをこの腕に永久に閉じ込められる」

 ファイザルはレーニエをしっかり抱きなおしたが、その肩が細かく震えていることを感じた。

「すみません。怖かったでしょう?」

 驚かせ過ぎたとファイザルが。レーニエの顔を覗き込む。腕の中の娘は、大きな眼に一杯の涙を溜めていた。

「申し訳ありません。悪い冗談でした、俺があなたを傷つけられる訳がないでしょう?」

 慌ててみても、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出すのを堰き止められない。

 弱々しく見える割にめったに泣かないレーニエの涙に、ファイザルはだんだん心配になってきた。

「お許しを、レナ」

 手袋の先で零れる雫を吸ってやる。レーニエは自分でも睫毛をまたたいて涙を払った。

「ご……ごめんなさい。でも嬉しくて……」

「え?」

「思わず泣いてしまった!」

 無垢にレーニエは笑った。

「は?」

 何を言ってるんだ、この子は。

 たった今、俺に殺されそうになったのじゃないか。

「あなたは、私を嫌いじゃないんだ……」

 まだ濡れた瞳が微笑みを浮かべる。

「たった今、愛していると言ったでしょう!」

 聞いてなかったのかこの子は。

 彼は腕の中で微笑んでいる娘を見下ろした。涙の痕はまだ、頬から消えてはいない。

「あなたを失うと、考えるだけで狂ってしまいそうなのに」

「え!? 本当? でも怒っているともおっしゃったし」

「だからそれは俺が、うわ!」

 突然腕の中に柔らかいものが飛び込んできた、と、同時に掴んでいたマントがなびいて彼の視界を覆う。

 こんな華奢な娘に飛びつかれてもびくともしないが、いきなりの事で心構えができていなかった。

 しかもこの強風、この高所で視界を遮られては危険だった。

「危ないではないですか! 風に飛ばされたらどうするんです」

 たった今、自分がした事を思い出すと、強くは叱れないファイザルは、慌ててレーニエを支える。

 マントが大きく風を孕むと、目方の無い娘は容易くよろけてしまうだろう。

「飛んで見たい」

 太い首にしがみつくとつま先まで浮いてしまう。

 それでも娘は構わずにぶら下がっている。二年前のあの頃でさえ、こんな風にされた事はなかった。

「離しなさい」

「嫌……」

「離す」

「……や」

「レナ!」

 終に雷が落ちた。途端に形の良い眉が思い切り下がる。

 ファイザルは身を屈め、ぶらぶらしているつま先を石の上に下ろしてやる。レーニエは渋々体を離した。

「いい加減にしなさいよ。ほらちゃんと外套の裾を持って! そうだ、思い出した。あなたにどうしてもお聞きしたい事があったんだ」

「え?」

 レーニエはびくりと身を竦ませた。この人がこう言うものの言い方をする時は、たいてい叱られる時なのだ。

「あの時、なぜお逃げにならなかったのです」

「あの時って?」

「路地での襲撃の際のことを言ってるんです。射手が狙いをつけていたでしょう?」

「ああ、あの時。ええと……後ろに小さい子がいたから」

「例えそうであっても、身を竦めるとか頭を庇うとか、やりようはあったはずだ。なのにあなたは」

 真正面から静かに敵を見据えて。

「あの時あなたは。射手を前にして動こうともしなかった! まさか死ぬおつもりだったのですか?」

「……わからない。忘れた」

 あの恐ろしい一瞬を思い出すだけで、大の男がぞっと身を震わすものを、姫君はあっさり「忘れた」とかのたまう。

「忘れた?」

「う……ん、よく思い出せない。ただ逃げるわけにはいかなかった。声をあげたら誰かが怪我をするかもしれなかった」

 相変わらず自分の事には無頓着な娘に、ファイザルは大きな溜息をついた。

「全て俺の責任です。確かに全力で、あなたに嫌われるように振る舞ってきたし」

 レーニエに自分を見限らせ、自らもレーニエを諦めるために、つまらぬ茶番を演じてきた。

「もう大丈夫。へいき」

 レーニエは大きく頷いた。

「はぁ?」

 一体、どういう自信の持ち方だ……

「二度とあんな真似をなさらないでください。寿命が縮みました」

「ごめんなさい」

「全くあなたと言う方は……俺はこれから一生振り回されるのかなぁ」

 ファイザルはこれで何度目かわからない溜息をついた。

「一生?」

 その意味を解しかねてレーニエは小首を傾げた。

「一生です。あなたは俺のものになってくれると言うのでしょう? 自分でも愛想が尽きるほど度量が狭く、嫉妬深い男ですが」

「……私はとっくにあなたのものだ」

 一生の意味を考え込みながら、しかしレーニエは受け合った。

 ああ、敵わない。一体どうしたらいいんだ。

 


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