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【完結・改稿】ノヴァゼムーリャの領主  作者: 文野さと
第二部 故郷は心の住まう場所
103/154

103 障壁18

 ウォウン!


 アローウィンの城壁に風がぶつかり、唸り声をあげる。

 城壁の上に寄り添う二つの影は、地上からは見えない。

「……大胆なお方だ。敵国の宰相を手玉に取ろうなどと」

「てだま……? いや、私はそんな大それたことは考えてはいない。ただ……」

「ただ?」

 レーニエがおずおずと顔を上げると、ごまかしは許さないという強い視線に絡めとられた。

「それはそう見えてしまうのかもしれない。ドルトン殿もそう言っておられた」

「王族の婚姻は、国家間の和平の駆け引きの一部なのですよ。あなたもお母上から身を(てい)されよと言われてきたのではないですか? 政治とはそういうものだ」

 ファイザルがしらばっくれて問いかけるのへ、レーニエは、はっきりと言い返した。

「身を呈する? そんな事は言われていない。都を出る時お話をしたけれども、婚姻の話すら聞かされなかった。母上は……」

 レーニエはそこで言葉を切った。

「母上は、私個人に関わる事態が起きたら、自分で判断するようにとおっしゃられた。強く」

「陛下が……そのような事をあなたに?」

「そう……おそらく、陛下も他の者も、こんな話が出されると予見しておられたのだろう。私だけが知らなかった。ただ、自分の意志をしっかり伝えるようにと言われた。皆、私の意志を尊重するだろうと」

 レーニエは自分を抱く男を見上げて言葉を切る。この先を言ってもいいものだろうか?

「だから、私は」

「……」

「婚約はしたくない、とジキスムント殿に申し上げた」

 一気に言葉を吐き出す。

 音を立てて風が垂直に噴き上がる。押さえても押さえても長い髪が男の指に絡んだ。

「あなたは……」

 彼を見つめる赤い瞳を覗きこんで、ファイザルは漸く口を開いた。

「ザカリエ王弟を選ばれないのですか?」

「うん」

「あの人はご身分も、年齢もあなたに相応しい。しかもあんなに美麗な」

「びれい? 確かに感じのよいお方ではあったが……」

 そんなにきれいな人だったかな? と言うように首を傾げた姫君に、ファイザルはため息をついた。

 そう言えばこの娘は、出会った頃、自分を醜いと思い込んでいたのだ。

 周りが散々言いきかせて、やっとそうではないことが理解できたようだが、自分を美しいと思っていないなら、あの金髪碧眼のアラメインを美男だと思えないのも納得できる……。

 いや、そうじゃなくて!

 ファイザルは、妙な方向にずれかけた思考を修正した。どうもこの娘と関わると、つい己を見失ってしまう。以前からそうだった。

「ヨシュア?」

 レーニエは、不安そうに奇妙な顔つきの男を見上げた。

「レーニエ様」

 ファイザルはあらためて腰を抱く手に力を込め、レーニエを己に引き寄せた。

 数奇な星の元に生れ、自分の値打ちをまるで知らず、気をつけてやらねば直ぐに瞳を伏せてしまう娘。俯こうとする顎を持ち上げる。

「はい」

 何を言われるのか、と覚悟を決めたような赤い瞳が彼を映した。

(さら)って逃げると言ったら、あなたは俺についてきてくださいますか?」

 大きな瞳が更に見開かれ、か細く息を引く。

 刹那の後。

「はい」

 ふっくらとした魅惑的な唇から発せられたのは、これ以上は無い簡潔な応え。

 少しぐらいは迷っていいのに。ファイザルは思わず笑ってしまった。

 まったくこの姫君には(かな)わない。

 まさか笑われると思っていなかったのか、たちまち悲しそうに(ひそ)められる眉。

「あの……ヨシュア?」

「ふ……そんな事をあっさり言ってしまわれてよいのですか」

 ぐいと顔を近づけると、ファイザルは重ねて聞いた。

「俺は恐ろしい男です。見たでしょう、あの血なまぐさい戦いを。あなたが正視できないようなおぞましい戦場に、ずっとこの身を沈ませてきたんだ……気づきませんか? 俺から立ち昇る血の匂いに」

 返事の代わりにレーニエは、黒い軍服に包まれた広い胸に頬を寄せた。

 まるで彼の言葉を確かめるように。ファイザルの言葉は、いつもどうしようもなく真実で、なんと言っていいのかわからない。

 ただこの人が自分のした事で苦しんでいる、それだけは良くわかった。

 だから、全てを受け入れたい、そんな気持ちを込めて体をあずける。

「……いいの」

 分厚い布をぎゅっと掴む細く白い指。まるで自分の罪を共有しようとするかのように寄せられた柔らかな頬。

 不意に顔を歪めると、ファイザルは激しい勢いでレーニエを掻き抱いた。捕まるものもない高い壁の上で。

「あ!」

「レナ……レナ……! こんなに穢れた手であなたを抱ける訳がない……それでも俺はあなたを諦められない」

 風の吹きすさぶアローウィンの城壁の上。

 男は華奢な背が(しな)るほどきつく腕を回し、覆い被さる。平原から噴き上げる強い風が彼らを包んだ。

 遠い地平線から、灰と黄の雲がどろどろと沸き上がる空を背景に、二人の人影は一つに重なる。

「愛している」


 男の言葉は風が(さら)ってゆくには、余りに重かった。




おーまーたーせー!(褒められ待ち)

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― 新着の感想 ―
いやあ、もう堪りませんなぁ。 びょうと逆巻く風の音、こんなにも想像力を掻き立てられる色彩豊かな表現、堪りません。
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