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第十四会 「その、花の代わりに」

 ケヤキの青葉を梅雨が濡らし、表参道に色とりどりの傘の花が開いた。

 雨に追われるように、彩花里は足を速めて石造りのアーチをくぐった。

 ファサードの奥には、パリのカフェを思わせるアトリウムが広がっている。人だかりを覗き込むと、ウエディングドレスの花嫁とタキシードの花婿が、並んで笑顔を振りまいていた。

 花嫁が抱いているチューリップのブーケに目が留まる。それは注文を受けて、彩花里が誂えたものだった。

 フランス語で「記念日」という名を持つこの結婚式場は、彩花里の仕事場のひとつだった。ロビーやバンケットに生花を活け、ときにはリクエストを受けてブーケを製作する。結婚という人生の門出に、文字通り花を添える仕事は、楽しくてやりがいのあるものだった。

 ――その私が、まさか……。

 六月に挙式をした花嫁は、女神に祝福され幸せになるという。

 それが閑散期を凌ぐための結婚式場のプロモーションだと知っていても、ジューンブライドという言葉に、彩花里の胸はときめいた。


 鏡に映った見慣れない自分の姿に、彩花里はちいさなため息をついた。

 厚い化粧が施された顔に細い眉が描かれ、ルージュが唇を艶やかに引き立たせる。普段は年齢より幼く見える顔が、鏡の中で大人びた印象を帯びていく。

 メイクが終わると、着付係の女性が慣れた手つきで、色打掛を羽織らせてくれた。

 彩花里が自ら選んだ緋色の京友禅は、金色の鳳凰が大きく羽ばたき、淡いピンクや紫で染められた花々があふれていた。それはハレの日に身に着ける振袖よりも、はるかにあでやかな、特別な装いだった。

 彩花里の胸元に懐剣の入った袋を刺し入れると、着付係の女性は感心したように目を細めた。

「ほんとに素敵な花嫁姿だわ。和装に慣れた人は、やっぱりさまになるわねえ」

 照れくささと嬉しさが同時に押し寄せ、彩花里は苦笑いを浮かべた。

 着付係が、白いチューリップを束ねたブーケを差し出した。

「赤の色打掛に、良く映えるわね。そういえば彩花里ちゃんが作るブーケは、いつもチューリップね。どうしてなの」

 抱きとったブーケは、ずしりとした手応えがある。それは、その花に込められた人の思いと、その花が背負った物語の重さだ。

「チューリップには、結婚にまつわる伝承があるんです……」

 彩花里が、そう話しはじめたときだった。

「助けて……匿ってください」

 おおよそ場違いな言葉を口走りながら、白無垢を着た本物(・・)の花嫁が、着付室に駆け込んできた。


 荘田(しょうだ)(あずさ)と名乗ったその花嫁は、整った顔立ちに華やかさと気品を漂わせた、美しいという形容がぴったりの女性だった。

 事情を聞くと、まもなく挙式というところまできて、どうしても諦めきれないことがあって、控室から逃げ出してきたのだと涙まじりに話した。

「私には、将来を誓い合った恋人がいるんです。でもその人は生活力が無くて、親にきつく反対されたんです。お前の結婚相手は、昔から決まっている。それがお前にとって、いちばんいいんだと……」

 梓は有名な商社の社長令嬢で、その許嫁は日本で三本の指に入る財閥の跡取りだった。その男と梓は幼馴染みだったが、特別な感情を抱くような相手ではなかったという。

 梓の話を聞きながら、彩花里は自身の幸運に感謝をした。

 先代家元たちは、しきたりやしがらみに囚われず、自由な生き方を貫いてきた。それゆえに風当たりは強いが、おかげで彩花里もまた、なにかを強制されるような生き方はしないで済んでいる。

 話を終えた梓は、申し訳なさそうに頭を下げた。

「お騒がせして、ごめんなさい。貴女は、お幸せにね」

 着付係が「いいえ、この人は」と言いかけたときだった。ドアの向こうから、野太い男の声が響いてきた。

「あずさっ、どこにいるんだ」

 怒号といってもいいほどの声で、梓の身体が竦むのがわかった。

 彩花里が目配せをすると、着付係は着替え用のカーテンを引いて、梓を覆い隠した。

 その直後に、紋付き袴姿の大柄な若い男が、足音も荒く着付室に踏み込んできた。

 ドラマの悪役を思わせる強面の眉間に皺を寄せて、男は大きな声を上げた。

「俺の嫁が、ここに来なかったか?」


 恐れ入りますが、と身元を尋ねた着付係に、男は岩崎(いわさき)斡弥(あつや)と名乗った。

「たとえ新郎様でも、ここは男性の立ち入りをご遠慮いただいております。すぐに支配人を呼びますので、控室でお待ちください」

 着付係が退出を促しても、斡弥は意にも介さなかった。そして室内をじろりと見まわし、引かれたカーテンに目を留めた。

 鼻息も荒く着付係を押しのけた斡弥の前に、彩花里は立ちはだかった。斡弥の足が、ぴたりと止まる。

「なんだ、あんたは。ひとさまの嫁に、用はないぞ」

「いいえ、この人は」と説明しかけた着付係の声は、「どいてくれ」という斡弥の苛立った声に吹き飛ばされた。

 その迫力に、彩花里は気圧された。けれどなぜか、怖いという感情はまったく起きなかった。

 一呼吸おいてから、彩花里はゆっくりと言葉を押し出した。

「私はここのスタッフです。お客様とはいえ、騒動は困ります」

「スタッフのあんたが、どうして花嫁衣裳を着ているんだ」

 それは斡弥からすれば、当然な疑問だろう。だが尋ねられた方の彩花里は、切羽詰まった状況にもかかわらず、気恥ずかしさが先に立った。

 口ごもりながら事情を説明すると、斡弥は「はあ」と語尾を上げて顔をしかめた。

「プロモーションビデオのモデルだと?」

 化粧の上からでもわかるのでないかと思うほど、彩花里の頬が上気する。

「あんたのことは、どうでもいい。梓はどこだ」

 関心を持たれても困るが、どうでもいいとまで切り捨てられると、さすがに傷つく。精一杯の抗議をその視線に乗せて斡弥を見返しながら、彩花里は首を横に振った。

「くそっ。ここまで来て、梓のやつ……。将来は、この国で指折りの大企業の社長夫人だぞ。なんの苦労も心配もない人生を送らせてやるというのに、なにが気に入らないんだ」

 斡弥の独りよがりな物言いを聞いていて、彩花里の胸に、梓の苦悩がすとんと落ちてきた。

「あなたを見ていれば、逃げ出した花嫁の気持ちもわかるわ。きっと、いろんな意味で、意に染まない結婚だったのでしょう」

「梓は子どものころから、俺と結婚すると決まっていたんだ。いまさら、好きだ嫌いだと言うようなことじゃない」

 あまりに横柄な斡弥の言動に、彩花里は怒りを覚える前に呆気にとられた。そして、絶対に梓は渡さないと心に決めた。

 手に持っていたチューリップのブーケを、斡弥の紋付の胸に押し付ける。

 白い花が歪んで、嫌だと訴えた。

 ごめんね、と彩花里は心のなかでチューリップに謝る。

「あなたなんかには、もったいないけど。むりやり花嫁にされる人の身代わりなら、この子は引き受けてくれるはずだわ」

「この花が、梓の身代わりだと?」

「そうよ。きっと知らないでしょうけど、チューリップには、こういうお話が伝わっているの。

 神話の時代のギリシャに、一人の美しい娘がいたの。その娘に一目ぼれをしたウェルトウヌスという神は、毎日のように彼女に言い寄り関係を迫った。娘はそれが嫌だったけれど、相手は神の一人だから怖くて、いつまで断り切れるかわからなかった。思いつめた娘は、貞操の女神として知られるアルテミスに助けを求めたの。話を聞いて娘が可哀想になったアルテミスは、彼女を花の姿に変えてウェルトウヌスから救った。

 娘が姿を変えた花が、チューリップだと言われているわ」

 斡弥は、ばかばかしい、と吐き捨てた。

「俺が、そのウェルトウヌスだと、あんたは言いたいのか?」

 ええ、と肯いた彩花里を、斡弥は見おろすように睨みつけた。

 しかしその眼差しに、どこか寂しげな色が見え隠れしていることに、彩花里は気がついた。

 ――もしかしたら、このひとは……。

 彩花里は、粗野な言動に隠れた、斡弥の気持ちに触れたような気がした。

「もういい。やめだ、やめ。嫌がる女を無理やりものにした、などと言われては俺の沽券にかかわる」

 支配人を呼べ、と着付係に命じた斡弥は、チューリップのブーケに視線を落とした。そして、なにかを吹っ切るように顔を上げたときには、もう不敵と言ってもいい笑みを浮かべていた。

「これは貰っていく。おいアルテミス……」

 この状況では正当だが、個人的には極めて不本意な呼ばれ方に、彩花里は思わず斡弥を睨んだ。

「そういう意味じゃない、気を悪くするな。なんなら、あんた、いまから俺と結婚しないか。準備は万端に整っているし、こんな場所で、しかもこんな身なりで出会ったのも、何かの縁だろう?」

 彩花里は間髪を入れず言い切った。

「お断わりします」

 斡弥は「だろうな」と呟くと、笑みをたたえたままで表情を引き締めた。その顔には、なにかを背負った者だけが持つ諦観が宿っていた。

「チューリップに伝えてくれ……」

 わずかに下がった斡弥の目尻には、きらりと光る名残の雫があった。

「花になっちまったんなら、おまえの咲きたいところで咲けばいい。結納は餞別代りにくれてやる。黄金は球根に、剣は葉に、王冠は花に、だ」

 斡弥は――身代わりのチューリップを抱いた騎士は、愛した娘に別れを告げて背を向けた。その背中は厳つくて逞しかったが、ほんの少し優しげな輪郭を帯びて見えた。

「承知しました」と答えた彩花里の声は、斡弥の豪快な笑い声にかき消された。

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