お助け巫女さん奮闘記
【1】
朝靄の残る境内に、私は竹箒を持って静かに入って行く。春の初めで、朝方はまだ息が白い。私はこの時間が一番好き。まだ自動車の通りも少なく、 少し湿気を帯びた清々しい空気が気持ちいい。スズメの囀りが耳を澄まさなくても聞こえてくる。
私は若葉 藍。十九歳。容姿は、まあ見栄を張って、中の上くらいかな。唯一自慢できそうなのはパッチリした大きな目くらい。
私がこの玲剣神社の巫女に、住み込みで就職してから一年になる。高校三年生の時のある事件がきっかけで、巻きこまれるようにしてここで働くことに なった。でも、特に大学に進学したいとも思わず、かといって普通の会社でOLをやる気にもならなかった私は、割りとすんなりと今の環境を受け入れられた。
境内の石畳を静々と歩く。静かな境内では、自分の巫女衣装の布磨れの音が妙に大きく聞こえる。初詣などで見掛けてちょっぴり憧れていた巫女衣装も 、実は結構大変なのだと着てみて初めて判った。それも今では随分着慣れてきた。高校生のときはずっとポニーテールにしていた髪も、今は巫女用に真っ直ぐ下ろしている。
私はまず境内入り口の階段から掃くことにした。時折、通り掛かった近所の人たちに挨拶をしながら、一段一段丁寧に掃いていく。
こうして、
「うりゃ!」
一心不乱に、
「おりゃ!」
掃いていると、
「どりゃ!」
心が落ち着いて、
「はへぇー」
くるわけないでしょ!
私は竹箒を握り締めて、プルプルと震えた。まったく! 私の大切な安らぎの時間を! あの人は! ていうか、はへぇーって何よ!
怒り心頭に声のする方へ境内を横切っていくと、大岩をくり貫いて作ったという手洗い場の向こうに、神主の小郷平八郎、通称平ちゃんのスキンヘッ ドと裸の背中が見えた。まだ奇声を発しているその背中に怒りをぶつける。
「平ちゃん!」
「とりゃ! ん? おお。若葉君! おはよう! 今日も気持ちのいい朝じゃのう!」
私が大岩を廻りこむのと、平ちゃんが振り向くのが同時だった。
私は平ちゃんの姿を確認して悲鳴を上げた。
「キャー! ちょ、ちょっと! 何て恰好してるんですか!」
「ん? なんじゃ? どこかおかしいかの?」
私が顔を背けながら指差したところを見て、平ちゃんは不思議そうな顔をした。
「なんじゃ、褌がそんなにおかしいかの? これは日本男児の正装じゃぞ?」
踏ん反りかえって、ほれほれと腰を突き出す変態神主に、思いっきり箒で殴りたい衝動を、私はどうにか抑えた。
「いったい何時の話ですか! ていうか、そんな恰好でいったい何をしてるんですか!」
「なにって、乾布摩擦じゃよ。こうして、体をキュッキュッとな」
そう言って平ちゃんは、お尻をこちらに突き出すと、これ見よがしに手にしたタオルをお尻に擦り付ける。
「どこ擦ってるですか! だったらせめて声を出さずにやって下さい! ご近所に変に思われますよ!」
「何を言う。声を出して気合いを入れないと寒いではないか」
だったら止めて下さい!という文句を辛うじて抑えて、私は大きな溜息をついた。
「とにかく! こんな人目に付き易い所で、そんな恰好でやらないで下さい!」
「人目に付くから此処にしたんじゃがのう・・・」
そう呟くと平ちゃんは、悪役のような顔で分厚い胸筋をボディービルダー宜しくピクピクさせてポーズを取った。齢八十を越えているとは思えない全 身筋肉老人だった。
私がジロリと睨むと、平ちゃんは筋肉の肩をしゅんと落として、ぶつぶつと文句を言いながらも社の方へ戻っていった。それこそ泣く子も黙る悪役顔 だけど、中身は気のいいおじいちゃんなのよね。
溜息を一つ突くと、私は境内の清掃を再開した。早く終わらせないと。まだまだやることはいっぱいあるから。
境内と神楽殿の清掃が終わって、今度は事務所で今月の収支管理のファイルを開いた。私は商業系の高校を出ているので此処に来て以来、経理、その 他の事務全般を任されている。元々数字を扱うのは嫌いではないし、もう一つの仕事に比べれば楽なものだ。
「ただいま」
「ただいま~帰ったよ~」
事務所に先輩巫女の二人が入ってきた。お姉さま風のスラッとした月雫 煌さんと、ぽわっとした感じが可愛らしい聖桜 雪さんだ。二人とも私より二歳 年上で美人。巫女衣装も様になっていて憧れちゃう。煌さんは細面に切れ長の涼しげな目元が凛々しい純日本風の美人で、雪さんは逆に全体的に柔らかいラインで、ちょっと 垂れ目っぽいところがとても可愛い。
「あ、お疲れ様でした! 今、お茶煎れますね」
お茶を用意すると、ソファーに座った二人の前に差し出した。煌さんは背筋を伸ばして姿勢良く座って、上品にお茶を一口飲んだ。雪さんはソファーの肘掛けに項垂れて猫のように目を擦っていた。
「うにゃ~ 眠いよ~」
「何言ってるの。あなたはほとんど寝てたじゃない」
ぼやく雪さんに、煌さんはピシャリと言った。
「だってぇ、出番なかったんだもーん」
「どうでしたか? 今回のは?」
私が訊くと、煌さんはにこやかにVサインを出した。
「余裕よ。誠心誠意の説得で、気持ち良く成仏してもらったわ」
それを聞いて雪さんが顔を顰める。
「気持ち良くかなぁ? あれはどう見ても、耐えられなくなって逃げ出したようにしか見えなかったけどなぁ」
「え? どういうことなんです?」
「だってぇ、六時間よ。六時間! 結界で拘束されて身動きできないところへ、休みなく六時間も延々とお説教されたら、いくら現世に未練のある地縛 霊だって、成仏した方がマシって思うわよぉ」
「ろ、六時間、ですか・・・」
私はその時の様子を想像して、確かにそれは耐えられないかもと思った。
「でも、お陰で今回は平穏無事に終わったでしょ? 結果が全てよ。ねぇ? 藍ちゃん?」
「え? あ、はい。そうですね。じゃあ、今回は全部もらえるんですよね? よかった。今月結構厳しかったんですよ」
私は経費のファイルを引っ張り出して、今回の依頼分のチェックをする。依頼主からの申し出で依頼料も規定の金額よりも多くもらっていた。まあ霊 障によって自殺する寸前まで追い詰められていた依頼主は、これで助かるのならどんなにお金を積んでも惜しくはなかったのだと思う。こっちも一応商売だし、もらえるもの はもらっておかないと。
もう一つの仕事。そう、私たちは神社の巫女であると同時に、除霊やお祓いを行う退魔師を仕事としているのだ。
都心から少し離れた多摩市の丘陵地帯の一角に、この玲剣神社はある。大きい神社ではないけれど、かなり古い歴史を持っているみたい。就職したと きに聞いた説明では、この神社は古事記とかに出てくる古い日本の神様で、戦いの神である建御名方神タテミナカタノミコトを祀る須環大社に系を連ねているとのこと。古く から除霊や退魔の仕事をしていて、その筋では有名らしい。
「そうだわ。チェックしなくては」
煌さんはそういうと自分のデスクに移動して、パソコンの電源を入れた。雪さんは絵元結という巫女独特の髪飾りを取ると、髢いわゆる付け髪を外してソファーに寝そべった。巫女は長髪が基本だけど、雪さんはあまり長い髪は嫌いと言って、髢を付けていた。私と煌さんは自分の髪。私のはまだ短めだけど、煌さんの髪は腰の辺りまであって、艶やかで綺麗なストレート。やっぱり恰好よくて羨ましい。
雪さんはソファーで寝ちゃうのかなと思っていたら、不意にヒョコッと起き上がった。こういうところは雪さんってほんとに猫っぽい。
「藍ちゃーん。おやつは、フランゼのモンブランねー」
言われて私は、今月の収入と支出を頭の中でざっと計算する。
「う~ん・・・ 判りました。今回は余分な請求がなかったから、そのくらいはいいでしょう。後で買って来ますね」
「やったぁ! よろしくねー じゃあ、お休みー」
やっぱり寝るんだ。帯外さなくて苦しくないのかな?
雪さんのお家は聖桜流薙刀術の主家で道場も開いている。でも、表向きは薙刀道場だけど、実は代々退魔師を本業としていて、その世界で聖桜の名を知らないものはいないという。雪さんは、そんな有名な聖桜家の中でも、一、二を争う実力者なのだそうだ。普段のおっとりした感じからは全然そうは見えないのだけれど。
「煌さんは、何にします?」
真剣な顔で、パソコンの画面を見入っている煌さんにも聞いてみたけど、返事がない。
「煌さん?」
集中してて聞こえないのかな? 近付いてもう一度訊いてみようとしたら、煌さんが急に小さく笑い始めた。
「ふふふ・・・思っていた通りだわ・・・」
「何がです?」
私もパソコンの画面を覗き込んでみたけど、なんか折れ線グラフのようなものがいっぱい表示されていて、何がなんだかさっぱり判らない。
「昨日投資したIT企業の株価が百円アップしたのよ。一昨日この会社が新ソフトの発売をプレス発表してから、今日には株価も上がると思っていたの よね。これはもう少し様子見て、一気に売りね。ふふふ・・・ふふふふふ」
そう言うと煌さんは忙しくキーボードを打ち始めた。何やら声を掛け難くなってしまったので、私はそっと煌さんの傍から離れた。煌さんは株の投資 が趣味なのだ。かなり効率良く儲けているみたい。ケーキはとりあえず煌さんが好きなタルトにしておけばいいかな。
そんな煌さんも、この業界では超が付くほど有名な陰陽師一族、月雫家の人で、しかも月雫本家の正統な後継者なのだそうだ。どうしてそんなすごい人たちがこんな小さな神社にいるのだろう。そう思って二人に訊いてみたら、揃って「修行のために」と答えた。二人とも充分過ぎるほど強いのに、まだ修行する必要があるの かなと思ったけど、それには笑って答えてくれなかった。そのうち判るからって。
駅前までケーキを買いに行って戻ってくると、一眠りして起きていた雪さんから、お客さんが来ていることを聞いた。
「お客さんですか? どっちの用件でしょう?」
「あっちの、みたいよー いま、平ちゃんが応対してるよ」
あっちとは除霊関係の方。私は買い物に行くのに私服だったので、急いで再度巫女衣装に着替えた。平ちゃんの応対ではお客さんが逃げちゃうかもしれない。私は鏡で絵元結を真っ直ぐに整えると、人数分のお茶を用意して本殿に向かった。
本殿に来てみると、平ちゃんが二人のお客さんの前にデンッと座り、腕を組んで無言で、威圧、もとい接客していた。案の定、お客さんの二人は平ち ゃんの様子に萎縮してしまっている。私は小さな溜息をついて、一礼して静々と入っていった。三人の前にお茶を出して、私は平ちゃんの隣に静かに座った。
「お待たせしまして申し訳ありませんでした。私がご相談を承ります。巫女の若葉と申します」
「あら、可愛らしい巫女さんですこと」
お客さんの一人、品の良さそうなおばあちゃんが優しく微笑みながら言った。
「え? あ、ありがとう御座います」
私はちょっと照れながらそう言って一礼すると、二人のお客さんをさっと観察した。おばあちゃんの方は身なりも良くて落ち着いている。もう一人は 小太りの油っぽいおじさんで、明らかに平ちゃんに怯えているのが判る。私が来てやっとホッとしたようだ。自己紹介によると、おじさんは竹森という不動産屋で、おばあちゃんは松下といって、竹森さんが管理しているアパートの家主ということだった。
「それで、どういったご相談でしょうか?」
「えー、じ、実は、管理させて頂いている松下さんのアパートなんですが・・・ あ、あの・・・その、こんなことをいうとおかしいのでは、ないかと思われるのかもしれませんが・・・」
竹森さんは顔の汗をせかせかとハンカチで拭いながら、チラチラとこちらの様子を窺っている。まあ言い難いのはわかるけど。
「はっきり仰って頂いてよろしいですよ」
私のそうフォローを入れると、意を決したように言った。
「は、はい。実は、出るんです・・・」
突拍子もない話にこちらの反応を窺っているみたいだけど、こちらはそれが本業。
「なるほど、出るんですね? 具体的にどんなものが出るんでしょうか?」
私がそう普通に答えると、二人はお互いを見やって頷いた。
「よかった。信じて頂けて! 実はそのアパートは五年ほど前に建てられたものなんですが、建て上がった当初から不可解なことがよく起きてまして・・・ 最初は些細なことだったんです。置いてあったものが急になくなったり、知らない間に全然別の所に置いてあったり。それが入居者が増え始めた頃から酷くなりまして、夜中に変な音がするだとか、寝ていたら誰かが上に乗ってきたとか、中には大きな化け物を見たという人まで現れて・・・ そのうちお化け屋敷と噂されるようになってしまい、入居者もみんな解約して出ていってしまったのです。それからというもの、いくら家賃を安くしても誰も入ってくれなくなりまして・・・」
そこまで一気に話すと竹森さんは大きく溜息をついた。
「お祓いなどは、なさいましたか?」
これには松下さんが溜め息混じりに答えた。
「ええ。二度ほどお祓いをして頂いたんですが・・・ あまり効果はありませんでしたの。一度はテレビなどにもお出になってる有名な方にお願いしたのですけど・・・」
すると竹森さんが急に声を上げた。
「あんなペテン師! ちょっと御香を焚いて、適当に念仏唱えただけで何百万も! ・・・あ、いや、失礼致しました。つい興奮しまして・・・」
竹森さんが名前を挙げた、そのペテン師という霊媒師は、確かにテレビなどに良く出ていて、尤もらしい口上を並べてはいるけど、専門家からみればデタラメのお祓いを堂々と行っている者だった。ペテン師というのもあながち間違いではない。
「アパートも誰も住んでいないのでは意味がありませんし、それで竹森さんから、このまま放置しておくよりは、更地にして駐車場にでもした方がいい のではとお話もあったですが・・・ でも、あのアパートは亡くなったおじいさんが設計して建てたものなので、思い入れもあるので・・・」
そう寂しそうに言う松下さんが可哀相だった。
「それで、私がたまたま行き付けの飲み屋で、こちらの噂を耳にしまして、最後にもう一度だけ試してみてはと・・・」
このおじさんも見掛けによらず良い人みたい。さっさと駐車場にしてしまえば自分も儲かるところを、松下さんの心情を思ってこうして相談に来るなんて。
「お話はだいたい判りました。まずはそのアパートを見てみないことには、まだ何とも言えませんが・・・ とりあえず、そのアパートの写真か何かあれ ば・・・」
「あります! あります! そう言われると思って持ってきたんです!」
竹森さんが得たりという顔で、持ってきた封筒から何枚かの写真を取り出した。
「拝見致します」
私はその写真が封筒から出された時点から、霊気を感じていた。私の能力は、霊視能力がメイン。小さい頃から霊視能力があったけど、小学生の時に、他のみんなには見えない人が視えると言って気味悪るがられてから、その能力のことは誰にも話してはいない。成長するにつれ、能力も強くなっていき、今では霊の姿はもちろん、写真などの物に籠められた霊気も辿ることができるようになっていた。あともう一つ、触媒能力というのが少しある。その能力が私にあるのを知ったのは、二年前、煌さんたちの除霊儀式に巻き込まれてからだった。
写真を受け取ると、一枚一枚、慎重に見ていく。アパートの全体が写ったものや、入り口付近、部屋の中など、様々なショットがあったけど、それらからはそれほど強い霊気は感じられなかった。そして最後の一枚はアパートの裏庭を撮った写真。
「これは・・・すごいわ・・・」
私は思わず呟いた。写真自体は特に変わったものは写っていない。何もない庭に一抱えほどの大きな石が一つあるだけだった。でも、そこから発せられている霊気はかなり強い。
隣で黙って座っていた平ちゃんが眉をピクリと動かしたみたいだけど、写真に見入っていた私は、それには気付かなかった。
私はその霊気の元を見極めようと、集中して霊気を辿っていく。これは・・・なに? 恨みの念とかではないみたい。人、でもない。なのに、この強い霊気は一体・・・ ん? これはまたちょっと違う感じのものがほんの僅かに。強く感じる霊気を負の霊気とすると、それに相対するような正の霊気みたいな感じ。これはなんだろう?
「すみません、この庭の、この辺りに、以前何かありませんでしたか?」
私は、その写真の庭の一角を指差して松下さんに訊いてみた。
「え? えーと、何かあったかしら・・・ あ、そうだわ! 確かにありました! 確か、その辺りに小さな祠がありましたよ。この大きな石がもう少し左にあって、その上に乗っていましたわ。でも、土地を均すときに邪魔だからって、どかしてしまったんだわ」
なるほど。これは祠の霊気の名残だったのね。ほとんど消えかかっているけど。
「すごいなぁ、そんなことも判るんですか?」
竹森さんが感心したように言う。
「正直申しますと、ちょっと疑っていたんです。こんな若い娘さんで・・・ いや、失礼しました。ちゃんと話を聞いて下さっているのに」
「いえ。構いませんよ。こんな若い者がと、お思いになるのが普通だと思います。でも、信じる信じないは、その方次第ですので・・・」
「い、いえいえ! 今はちゃんと信じていますよ! 信じますとも!」
竹森さんは慌てたようにフォローする。
「私も信じていますよ」
松下さんも優しく微笑みながら言ってくれた。
「ありがとうございます!」
私も感謝を込めてお礼を言った。依頼にくる人の中には、あからさまに信じていないという態度を取る人も少なくはないのから。
「では、あとは実際に現場を見てからにしたいと思います。また日取りなど決まりましたら、ご連絡致しますので。費用に付きましてもその際に。…宜しいですよね?」
最後のは平ちゃんへの確認。平ちゃんはただ黙って頷いた。
そうして、現場住所や連絡先を確認すると、一応料金システムの説明をして、今日は終わりとなった。
【2】
次の日、私は早速現場へ下見に向かった。こういった下見も私の仕事。どんな霊障が起こっているのかを確認して、どういう除霊の儀が必要かを見極める。それによって掛かる費用が変わるので、結構責任重大で大変だけど、それだけ皆が私を信頼して任せてくれているので、嫌だと思ったことはない。
ポシェットから地図を出してアパートを探す。今日は私服だ。さすがに巫女衣装で来るわけにはいかないから。
「えーと、この信号を曲がってすぐ…… あ、あれね」
私はその二階建てのアパートに近付いていく。赤いレンガをふんだんに使っていて、出窓が可愛い。普通であれば人気が出そうな、とてもお洒落なアパートだった。
「うわー。おっ洒落ー。私もこんなとこ住んでみたいなぁ」
それでも、やっぱり誰もいない建物というのは、先入観もあるかもしれないけど何となく薄気味悪かった。
まずは少し離れた所から、そのアパートを見渡してみる。ここから見る限りには特に異常は見られない。問題の裏庭は最後にして、とりあえずアパートの中を見てみることにした。
預かってきたマスターキーを取り出して一部屋ずつ見てまわる。長い間使われていないので、どの部屋も少しカビ臭かったけど、どこも異常はない。浮遊霊が少し居たけど、何か悪さをするようなものではないと思う。地縛霊の気配も感じない。ということはやっぱり、あそこね。
私は一旦アパートの正面に戻って、建物沿いに裏へゆっくりと周る。すると裏庭に入ろうとした瞬間、足元を白い物が横切った。
「キャッ!」
私はビックリして後ろへ飛び退いた。
「な、なに! 今の!」
暫くその場でじっとしていると、猫の鳴き声が聞こえて、私はホッと胸を撫で下ろした。
「な、なーんだー 猫ちゃんか。もうビックリしたー」
そう言って再び裏庭に入ってみると、白い猫が毛繕いをしている。そして私に気付くと一鳴きして、奥の方へ走っていった。それを目で追って顔を上げると、また驚いた。
「うわー、猫がいっぱい!」
裏庭は猫の溜まり場になっているみたい。色々な種類の猫が、じゃれ合ったり、丸まって寝たりしている。ちょうど日なたになっていて暖かいし、誰も住んでいないからのんびりできるのだろう。その猫達の向こうの角が、写真で見た問題の場所だった。
猫達を驚かさないように、そうっと一歩踏み出す。その瞬間、裏庭に居た猫達が一斉に私の方を見た。
「!」
猫達は微動だにせずに私をじっと見ている。私も右足を踏み出したままの形で、まるで金縛りにでもあったように固まってしまった。そして、今まで感じられなかった霊気が突然襲ってきた。あまりに強い霊気に首筋がピリピリする。これは霊気というより、むしろ妖気。私はそのままの姿勢で、その妖気の元を探る。そして辿り着いた視線の先には、写真にあった大きな石の上に、こちらに背を向けて寝そべっている灰色の毛並みの猫がいた。
「…あ、あの猫は…」
私の呟きが聞こえたのか、その灰色の猫は片方の耳をピクンとさせて、のっそりと首を持ち上げてこちらを向く。面倒くさそうにゆっくりと目を開けた猫は、私を見ると、ニヤッと笑った。
『ナンダ…今度ハ、ドンナヤツカト思ッタガ、タダノ娘ッコカ』
「! ね、猫が喋った!」
私はビックリして思わず叫んだ。それで固まっていた体がフッと軽くなる。
『ン? ワシノ声ガ聞コエルノカ? フンッ! 多少ハデキルヨウダノ』
その猫はそう言って起き上がると、体ごとこちらに向けて石の上に座り直す。これは参ったわ。霊どころか、化け猫だったとは。さすがにそれは予想していなかった。
「お前が元凶ね!」
『元凶ジャト? 失礼ナ娘ッコジャノウ。ワシガイッタイ何ヲシタトイウノジャ?』
そう言って首を傾けるところだけは普通の猫っぽいけど、この禍々しい妖気は洒落にならない。
「何って、お前がここに住んでいた人達を脅かして追い出したんでしょう!」
『ナンジャ、ソンナコトカ? 何百年ブリニ、アノ糞忌々シイ坊主ノ呪縛ヲトカレテ出テミレバ、鬱陶シイ人間ドモガオッタノデノ。チョイト脅カシテヤッタラ、ミンナ逃ゲ出シオッタワイ』
呪縛を解かれた? じゃあやっぱり前にあった祠がこの化け猫を封印していたんだわ。それを動かしてしまったから封印が解かれて出てきたのね。
「鬱陶しいなら、こんなところじゃなくて、どこか山の方へ移ったら? ここは人間が住むところよ」
『ナンジャト? ワシハ何百年モ前カラ此処ニオッタンジャ。ヌシラ人間ガ、アトカラ勝手ニ住処ヲ作ッタンジャロウガ!』
化け猫はそういうと、クワッと牙を剥いた。妖気が一層強まる。未だ嘗て感じたことのない妖気にたじろいだ。
「くっ!」
これはちょっと私の手には負えないわ。ここは一旦出直した方が良さそうね。私は一歩ずつ後ろへ後退する。
『ナンジャ? モウ帰ルノカノ? 久シブリノ話相手ニチョウドヨカッタノニノー』
「心配しなくてもまた来るわ。・・・あなたを退治しにね」
『退治? ワシヲカ? 娘ッコガ? フォッフォッフォ! 面白ソウジャノウ! イイジャロウ! 相手シテヤロウテ! ワシハココカラ動カンデ、イツデモ来ルガヨカロウテ! フォッフォッフォ!』
化け猫は大口を開けて高笑いを続けている。悔しいけど、私はその場を撤退した。
神社に戻って、私は皆に下見の様子を報告した。
「化け猫? 動物霊とかじゃなくて?」
「そうなんです。私もビックリしました」
今までも動物霊とかの事例はあったけど、化け猫というのは初めてみたい。雪さんも信じられないって顔してる。因みに動物霊の場合、霊障は比較的小さいが、お祓いするのは結構厄介。何しろ言葉が通じないから。それに理性がないから攻撃的。でも、こちらは憑依されている人を傷付ける訳にはいかないから、抑え付けたり縛り上げたりと大騒ぎになってしまう。
「喋る猫ね・・・ とすると・・・」
煌さんが記憶を探るように形の良い顎に指を当てて考え込む。
「何か心当たりありますか?」
私と雪さんは期待を込めて煌さんの答えを待つ。退魔師としての経験は煌さんが一番長い。
「うむむっ! これはっ!」
そこへ突然、黙ってお茶を啜っていた平ちゃんが大声を上げた。
「どうしました? あ、何か判ったんですか?」
平ちゃんは真剣な顔で一点を見詰めている。
「茶柱が立っておる! うむむっ! これは不吉な!」
みんなが一斉にずっこけた。平ちゃんはそのまま、不吉な不吉なと繰り返しながら事務所を出て行ってしまった。
「もう! なんなのよ! ていうか、茶柱って縁起がいいんじゃなかったでしたっけ?」
私が怒っていうのも、煌さんが苦笑しながら話を戻した。
「筋肉ジジイはさておき、封印されていたというのも考慮すると、恐らく、猫又ね」
「猫又、ですか? うーん、聞いたことあるような無いような…」
名前だけは昔話とかで聞いたことがあるような気がする。でもそんなものが実在するとは。
「猫が長い年月生きていると猫又に変じるとか、飼い猫が死んだ主人の亡骸を跨ぐと猫又になるとか言われているわ。尻尾が二つに分かれているのが特徴ね。そいつの尻尾はどうだった?」
「うっ。すみません・・・ そこまで見てなかったです・・・」
猫が喋っていることと、強い妖気に当てられて、そこまでは見ていなかった。
「まあ、いずれにしろ、今までのように簡単にはいかなそうね。今度はちょっと本気でやらなくちゃね」
「よ~し! 久しぶりに一暴れしますか!」
煌さんも、雪さんもやる気満々だった。それに対し、本気でと聞いた私は、逆にちょっと憂鬱になる。
「…あの、やっぱり私も行かなくちゃ、ですよね?」
「それはそうよ~ 藍ちゃんがいてくれないと、本気出せないじゃん」
「そうね。ここは藍ちゃんにも頑張ってもらわないとね」
あっさり二人に言われて私は溜息をついた。なぜ私が憂鬱になるかというと、それは私のもう一つの能力、触媒能力のせいだった。何故か私がいると、近くにいる能力者たちの力が増すらしい。平ちゃんや煌さんの話では、霊媒師や陰陽師たちは気のエネルギーで呪術を成していくのだけど、私が大地の気のエネルギーを吸収し易い体質らしく、私を触媒として、そのエネルギーを取り込むことで力を増幅させられるのだそうだ。でも、一度それをやると、私は異様に食欲旺盛になってしまい、二、三日はいつもの倍以上食べてしまう。大地のエネルギーが通って体中の細胞が活性化されるからだと平ちゃんは言っていたけど、食べた分はきっちりと体重に反映されるので、元に戻すのが大変なのだ。
「心配しないで、余分に掛かった食費は経費で落としていいからね」
にこやかに言う煌さんの言葉は、残念ながら私には慰めにはならなかった。
【3】
依頼主の竹森さんと松下さんに連絡して、お祓いの詳細について説明した。さすがに化け猫退治ですとは言えないので、かなり強い動物霊で、祠を移動してしまったのが原因で悪さをするようになったらしいということにした。相手が化け猫では、ちょっと(で済むのかしら?)危険が伴うけど、こういうお祓いでは依頼人の立会いが原則なので、明日の夜九時に例のアパートへ来てもらうようにお願いをした。わざわざ夜に行うのは、できるだけ人目を避けるためだ。
明けて翌日の夜。
私たち三人は神社のワゴン車でそのアパートへ向かう。アパートに着くと、竹森さんたちは先に到着していた。
「お待たせ致しました。こちらは、本日、お祓いの儀を行います、巫女の月雫と聖桜です」
煌さんと雪さんが優雅にお辞儀をする。竹森さんが一瞬二人に見惚れてボケっとしたけど、慌てて挨拶を返す。私はそんな竹森さんの様子にクスリと笑った。仕方ないわね。二人は女の私が見惚れるくらい美人なんだから。
「では、早速始めさせて頂きます」
そういうと、私たち三人は手分けしてアパート周辺に、煌さんが作った人払いのお札を貼っていく。これを貼っておくと、他の人達がこのエリアに入って来なくなり、またエリア内で起こったことを意識しなくなるという。特に今回は相手が化け猫なので、念入りにしておく必要がある。
一通りお札を貼り終えると、みんなでアパートの裏庭に向かう。裏庭に入ると、相変わらずたくさんの猫たちがいた。例の猫又と思われる灰色の化け猫も、昨日と同じように岩の上に座っている。
『ナンジャ。モウ来ヌト思ッテオッタガ、来オッタカ、娘ッコ。ソレニナントモ勇マシクモ、メンコイ恰好ジャノウ』
「…もう一度だけ訊くわよ。何処か人里離れた山奥にでも移るというなら、見逃してあげるわよ?」
私はその化け猫の軽口を無視して最後通告を出した。戦わずに済むならそれに越したことはない。
『見逃スジャト? 子供ノ戯言モ、度ガ過ギルト、オ仕置キガ必要ジャゾ?』
そうして、クワッと牙を剥いて、妖気を噴出させる。良く見ると尻尾が二つに分かれている。やはり猫又だったんだ。
「どうしても移る気はないのね?」
『クドイ!』
「なら仕方ないわね。力尽くでも消えてもらうわ」
『面白イ! ヤッテミルガイイ! アノ坊主モ、ワシヲ封印スルノガ精一杯ジャッタカラノ! 娘ッコトテ容赦ハセヌゾ!』
すると、煌さんと雪さんが私の前にすっと出て、厳然と言い放つ。
「あなたの相手は私達よ!」
『フン! 娘ッコガ何人来ヨウガ、同ジコト!』
猫又の目が一瞬光った。すると裏庭にいた他の猫たちの目も一斉に光る。煌さんは懐から術符を取り出し、雪さんは持っていた薙刀の鞘を払った。
「まずは私がお相手しよう」
雪さんはそう言うと一歩前に出て薙刀を構える。狭い庭なので二人並んでは戦えない。私と煌さんは一旦後ろへ下がった。竹森さんたちは中庭の入り口付近で呆然としている。
「危ないので下がっていて下さい」
「あ、あれは、なんです? 一体誰と話していたんです?」
松下さんが不安げに訊いてきた。やはり猫又の声は誰にでも聞こえるというわけではないみたい。
「あれは、この地に封印されていた、悪霊です。かなり強い霊が取り憑いていますので危険です。下がっていてください」
私がそう言うと、二人にもこの場の異様な雰囲気は判るらしく、言われた通りに下がった。
「…聖桜流破魔演舞、参る」
こうして薙刀を構えた雪さんには、いつものホケッとした感じは全くない。一部の隙もなく刃を下にして斜に構えた姿は何度見ても格好良くて惚れ惚れしちゃう。
猫たちが一斉に動いた。牙と爪を剥き出しにして、普通の猫では有り得ない跳躍力で雪さんに飛び掛ってくる。
「笑止」
雪さんは少しも慌てず、薙刀を一旋する。すると猫たちはまるで見えない壁にでも当たったかのように、尽く弾き飛ばされた。速過ぎて私にはその太刀筋なんて全然見えない。あんな重そうなものをすごい。でも、猫たちも普通ではなかった。弾き飛ばされて地面に落ちる寸前に、身を捻って足から着地すると、再び尻尾と毛を逆立てて攻撃姿勢をとった。
『マダマダ。コレカラジャゾ?』
猫又はそう言うと、大きな鳴き声を一つ上げる。すると、隣の家との境にある塀の上に、一匹、また一匹と猫達が現れ始めた。そして塀の上にびっしりと猫達が並び、私たちはすっかり囲まれた状態になってしまった。
「質より量か。所詮猫の考えることなんて、こんなもんね」
煌さんは少しも動じずに言い放った。
『ソノ減ラズグチガ、イツマデツヅクカナ? カカレ!』
猫又の声に、猫達が再び飛び掛かってきた。
「出でよ。式神。風魔!」
煌さんが手にした数枚の術符を投げると、それは紙切れから、白い鳥のような形に変化し、襲い掛かってくる猫たちを次々と撃退していく。
猫たちは、私や竹森さんたちにも、襲い掛かってきた。
「煌さん!」
私が叫ぶと、煌さんは懐から別の術符を出して、こちらに放つ。
「出でよ! 十二天将、ニの式神! 騰蛇!」
術符はスルスルと伸びていって、大きな蛇、騰蛇に変じる。騰蛇は猫たちをその長大な尻尾で打ち飛ばした。そして、私たちを護るように胴体で囲むと、長い舌をチロチロさせて猫たちを威嚇する。よく見れば首らしきところの下辺りに小さな羽が生えていて、パタパタとしているのが可愛らしい。でも、式神を初めて見た竹森さんたちは真っ青になって震え上がっている。
「わ、わ、わ、若葉さん! こ、こ、これは、い、い、いったい!」
「大丈夫ですよ。これは、式神といって、煌さんの使い魔ですから。私達を護ってくれます」
「ほ、ほ、ほんとに?」
竹森さんが震えながら言うと、騰蛇が大きな頭をこちらに回してチロっと舌を出した。任せろって言ってるみたい。でも竹森さんは悲鳴を上げて松下さんにしがみ付いた。
「なんですか。男のくせにみっともないですわよ」
松下さんは、多少青い顔をしているけど、案外冷静だった。さすが歳の功。
その間にも、煌さんと雪さんは猫たちを次々と撃退していく。でも殺してはいないみたい。操られてるだけだもんね。二人ともさすがだわ。
そして数分経つころには、飛び掛ってくる猫はいなくなっていた。
「もう終わりか? 準備運動にもならぬぞ」
あれだけ激しく動いたのに、雪さんは息も乱さず言い放つ。
『…フン! 少シハヤルヨウダノ!』
言うが早いか、猫又は飛び出して雪さんに飛び掛る。
「ぬんっ!」
雪さんは猫又に向かって薙刀を振るった。今度は手加減しない。でも、信じられないことに、猫又はそれをヒラリと躱した。雪さんは返す刃で再度猫又を薙ぎに掛かる。でも、それも掻い潜って猫又は牙を剥いて雪さんに飛び掛った。
「ちっ!」
雪さんは辛うじてその牙を柄の部分で受ける。猫又が噛み付いたところを、すかさず抑え込もうとしたけど、寸前に猫又は逃れて距離を取った。
『ドウシタ? ソンナモノデハ、ワシニ掠リモセンゾ?』
猫又は馬鹿にしたように、ニヤリと笑う。
「…面白い」
雪さんは無表情にそう言うと、薙刀を構え直す。
「…聖桜流旋風乱舞」
その技の名を聞いた私と煌さんは、ギョッとした。 lang=EN-US>
「ま、待って! 雪さん! そ、その技は……」
私は慌てて止めようと叫んだけど、遅かった。雪さんは薙刀をヒュンヒュンと振り回し始める。徐々にスピードが増していき、薙刀が見えなくなり、空気を切る音だけが響き渡る。
「・・・奥義、裂殺」
雪さんが呟くと同時に、見えない無数の真空の鎌が猫又に襲い掛かった。要するに無数のカマイタチだ。
『ムッ!』
猫又が慌てて飛び退ると、今いた場所の地面がザザッと抉られた。逃れた猫又を追って、次々にカマイタチが襲い掛かる。植木の根元近くの逃れた猫又はギリギリでそれを躱す。すると、植木がカマイタチでバッサリ斬られて倒れる。それを見て私は悲鳴を上げた。
「いやーっ! 植木が!! 弁償代が! 駄目っ! そっちに逃げないで! あー! 塀に穴がっ! いやー! そっちはやめてぇ! あぁー! アパートの壁が削れたぁー」
周りに被害が出ると、その分がお祓い費用から引かれてしまう。あまり派手に暴れると最終的にマイナスになり兼ねない。特に今月は厳しいし。
やっと雪さんの乱れ打ちが止まった。さすがに雪さんも肩で大きく息をしている。それよりも、まるで局所的な竜巻でも発生したかのような裏庭の惨状に私は、暗澹たる思いで大きな溜息をついた。
「はあ、はあ、・・・なかなかやるわね」
『ヌシモ、ナカナカヤリオルノ』
さすがの猫又も全く無傷とはいかなかったみたい。体の所々に血が滲んでいる。
「次は、私が相手よ」
煌さんが前に出た。術符を持った手をサッと構える。でも、お願いだからこれ以上被害を大きくしないで下さいね。
『式神使イカ・・・面倒ジャノウ・・・ ナラバ、ワシモソロソロ本気デイクカノ』
そういうと猫又は塀に飛び乗って、表の方へ走っていってしまった。
「あ、待て!」
ここまで来て逃がしてしまっては、元も子もない。私達は慌てて後を追った。
【4】
表の通りに出ると、猫又は逃げずに道の真ん中で待っていた。
『・・・オ遊ビハコレデ、オ終イジャ』
すると、猫又はビクンッと震えたかと思うと、体がみるみる大きくなっていく。私達が呆然と見つめる中、ついには、大きな虎ほどの大きさになってしまった。
『コレガワシノ本当ノ姿ジャ! ドウジャ! ドウシタ? 声モ出ヌカ? フォッフォッフォッ!!』
猫又は真っ赤な大口を開けて、高笑いをした。でも私達にそんな脅しなんて全然効かない。
「…いよいよほんとに化け物じみてきたわね。じゃあ、私達も本気でいきましょうか?」
「うむ。藍ちゃん、頼む」
「え? あ。は、はい!」
私は、二人の背後に移動し、意識を集中する。この一年でだいぶ要領が良くなってきた。両手を二人の背中に向けて、気を送るイメージを思い浮かべる。まず大地に流れる地脈を探る。 ・・・あった。右手後方に細いけどしっかりした地脈がある。イメージでその地脈に手を伸ばして掴む。 ・・・よし、繋がった。大きな気が流れ込んでくる。次に足元を意識して、自分の身体をポンプのようにイメージさせて、その気を吸い上げる。すると何か熱いものが足元から上がってくるような感覚がしてきた。それは足から徐々に上がっていき、腰、お腹、胸と通って両腕から手の平へと集まっていく。そして更に、手の平から煌さんたちの背中へ流れるイメージを思い浮かべると、手の平から淡い金色の光のようなものが流れ出て、イメージ通り煌さんたちの背中に辿り着く。
「む! 来た」
「うん。いい感じね。ありがとう。藍ちゃん」
煌さんたちに、特に見た目の変化があるわけじゃないけど、うまくいったみたい。グゥ~。やだ、もう! 早速お腹空いてきちゃったよ~
「さあ、化け猫。覚悟しなさい!」
煌さんが手にした四枚の術符を放った。その術符たちは猫又の四方を囲むように空中に停滞する。
「東に青龍! 西に白虎! 南に朱雀! 北に玄武! 出でよ! 四大天将!」
東の術符が藍い龍に変化し、西のが白い虎に、南のが鳳凰に、北のが蛇尾をもつ大亀に変化した。
「月雫陰陽秘術! 四大天将封魔束陣!」
そうして煌さんが印を結ぶと、四大天将たちが一際輝いた。
『グッ! コ、コザカシイ真似ヲ!』
猫又が苦しげにもがくけど、まるでがんじがらめにされたみたいに動けない。煌さんってやっぱりすごい!
「雪!」
印を結んだまま煌さんが雪さんを促した。
「承知!」
ヒュンと薙刀を一振りして、刃を頭上に掲げる。
「聖桜流秘奥義! 崩山滅魔斬!」
刃が青白く輝いた。凄まじい霊気が迸る。
「滅ッ!」
『ヌウゥゥッ!』
鋭い踏み込みで一気に薙刀を振り下ろした。これで決まりね。よかったぁ。これ以上被害が増えなくて。と、思った瞬間、
ガキンッ!
予想外に鈍い音が夜の通りに響いた。
「う、うそ……」
私は目にした光景が信じられなかった。猫又は、雪さんの必殺、無敵な一撃をなんと口で、正確にはその鋭い牙で受け止めているのだ。
「…ば、ばかな!」
雪さんも有り得ないことに愕然とする。
そして次の瞬間、猫又はその刃を噛み砕いてしまった。さらに激しい唸り声を上げて全身を震わせると、煌さんの最強の呪縛までも弾き返す。四大天将たちは術符に戻ってしまい、更に燃えて跡形もなくなった。
猫又は雄叫びを上げる。
『効カヌ! 効カヌハ! 人間風情ニ、ワシヲ倒セルワケガナイワ!』
そう言って真っ直ぐに突進してきた。煌さんと雪さんが慌てて避けようとしたが、間に合わず猫又に弾き飛ばされて、アパートの塀に打ち付けられた。
「煌さん! 雪さん!」
私は倒れ臥した二人に駆け寄ろうとしたが、猫又がのっそりと行く手を塞いだ。
「…駄目… 藍ちゃん… 逃げて!」
煌さんが弱々しく言ったけど、猫又に睨まれた私は身動きが取れなかった。きっと動いた瞬間に飛び掛かってくるに違いない。私は初めてこの仕事の危険性を実感して恐怖した。これまで煌さんたちが負けるなんてことがなかったから、どこかで楽観していたのだ。
『ク、ク、ク、スグニハ殺サンヨ。タップリイタブッテヤルワ』
猫又が大口を開けて飛び掛かってきた。私はただ目をギュッと瞑ることしかできない。きっとあの鋭い牙で、猫がネズミをいたぶるように咬み殺されるのだ。
恐怖に身を固くしていたけど、なかなかその瞬間が訪れない。不思議に思って、恐る恐る目を開けてみると、猫又は飛び掛かろうとした体勢のまま、じっと私を見詰めていた。いいえ、違う。私の後ろの方を凝視しているのだ。猫又に警戒しつつ、私も一瞬振り返って後ろを見てみたけど、暗い通りには何も見えない。いったいどうしたのかしら?
カラン…コロン…
その音を聞いた猫又は、ビクッとして一歩後ろへ後退った。
カラン、コロン。カラン、コロン。
ああ、これは下駄の音だわ。振り返って暗い通りを見やる。誰だろ? 今時下駄なんて。
徐々に下駄の音が近付いてきて、街灯の明かりの下にその姿が現れた。
「・・・平ちゃん!」
現れたのは、小郷神主だった。いつもの着崩した神主の衣装に下駄を鳴らしている。
「苦戦しているようじゃのう」
私の横で立ち止まると、倒れている二人を見て言った。
「無事かの?」
煌さんと雪さんは何とか身を起こして弱々しく頷く。
それを確認すると、平ちゃんはハタと猫又を見据える。
「こりゃまた奇怪なもんが出てきたのう?」
『ヌ・・・ ヌゥゥ・・・ オ、オ前ハ・・・・・・』
どういうわけか、猫又は平ちゃんを恐れているみたい。二股の尻尾が下がって、耳が垂れている。そりゃ泣く子も黙る悪役顔だけど。
「はて? どこかで会ったことがあったかの? 化け猫の知り合いはおらんと思ったがの」
とぼけて言う平ちゃんに、猫又は明らかに腰が引けている。
『ソ、ソノ顔・・・ オ、オ前ハ、アノ坊主ニ繋ガル者カ?』
「坊主じゃと? ・・・おお、思い出したわい! そういえば、ご先祖様でどこかの化け物を退治したとか聞いたことがあったのう。与太話かと思っとったが、なんじゃ。お主がそれだったか? しかし、退治じゃのうて、封印しただけだったか。まあ。そういう話は時が経つとだんだんでかくなるからの」
『ヌゥ・・・ アノ糞坊主ノオカゲデ、ワシハ何百年モ、冷タイ岩ノ下ニ閉ジ込メラレタンジャ・・・ コノ恨ミ、キッチリ晴ラシテクレヨウゾ!』
尻込みしていた猫又は、奮起して再び攻撃態勢になった。
『コノ何百年ノ間ニ、力ヲ蓄エテキタンジャ! アノ時ノヨウニハイカヌゾ!』
「じゃから、それは御先祖さまで、わしがやったんじゃないというに。さて、どうしたものか。まあ、まずは暇潰しに遊んでやってもよいぞ。ほれ? 掛かって来んかい?」
平ちゃんは、小馬鹿にしたように言う。私はギョッとして、慌てて平ちゃんから離れた。巻き添えにされたら堪らない。
『フ、フザケオッテ!!』
憤慨した猫又は一気に間合いを詰めて、牙を剥いて平ちゃんに襲い掛かった。
「ほいな」
平ちゃんはまるで緊張感のない掛け声で軽く右手を振った。裏拳が猫又の横面にヒットすると、大して力を入れているようには見えなかったのに、それだけで猫又は吹っ飛んで、右手の民家の塀に叩きつけられた。
『ガッ、ハッ…!』
猫又は口端から血を垂らしてもがいたが、すぐに起き上がる。
「なんじゃ。恨みを晴らすと言うなら、もっと本気で掛かってこんかい?」
猫又は再び飛び掛った。先ほどより速い。
「あ、ほいっと」
平ちゃんが今度は左手を振るうと、また猫又は吹っ飛んで今度は左の塀に叩き付けられる。
私はそれを呆然と見ていた。今まで平ちゃんが退魔の仕事をするを見たことがなかったのだ。無駄に筋肉隆々としているから力はあるんだろうなとは思っていたけど、煌さんや雪さんの攻撃も跳ね返した猫又を、まるで子猫でも相手してるかのようにあしらっている。
『グッ! ガッ… バ、馬鹿ナ… コンナハズハ…』
猫又は口から血を吐き出して呻いた。
「つまらんのー その程度かの? さて、時間も遅いでの。御先祖様の不始末は、わしが清算するかの。面倒じゃが、仕方ないの」
そういうと平ちゃんは、羽織を脱いで、老人とは思えない筋肉な上半身を晒した。これ見よがしに胸筋をピクピクさせている。猫又は後退りながら、忙しなく辺りをキョロキョロ見回す。
「ゆくぞ」
平ちゃんが言うのと、猫又が身を翻して逃げ出したのが、ほとんど同時だった。でも、猫又は二、三歩走ったところで動けなくなる。平ちゃんが猫又の尻尾を掴んでいるのだ。かなり距離があったはずなのに、すごい。動きが全然見えなかった。平ちゃんって、ほんとに八十歳? 呆れるほどの強さだわ。
「ふんっ!」
平ちゃんは尻尾を掴んだ腕を振ると、体重にしたら倍はありそうな猫又を軽々と投げ飛ばした。
猫又はアパートの塀に叩き付けられ、塀を粉砕して崩折れた。って、塀を粉砕して! いやー! 平ちゃん、何てことを! また修理代が・・・
平ちゃんは、下駄を鳴らしながらゆっくりと猫又に近付いていく。猫又は何とか起き上がったが、既に満身創痍で、戦意も喪失していた。動かない体を引き摺って、なんとか平ちゃんから逃げようとする。
『・・・タ、助ケテ・・・ 頼ム・・・』
すぐ傍に立った平ちゃんに、猫又は命乞いをする。平ちゃんはそれを面白くなさそうに見やった。
「ここは、既に人間の世界じゃ。ここを去って、二度と人間に関わらないと誓うなら、命だけは助けてやるが?」
それを聞いた猫又は地面に平伏して、慌てて言った。
『誓ウ! ココヲ去ル! ドコカノ山奥デ、二度ト人里ニハ来ヌ! 約束ジャ!』
「なんだ、つまらんのう。ならば二度と悪さをするでないぞ。さて、帰るかの」
そう言って平ちゃんはあっさり猫又に背を向けた。平伏していた猫又は口元をニヤっとさせて、平ちゃんの背中に飛び掛かる。
『馬鹿メッ!』
だけど、平ちゃんはそれを予想していたのか、クルリと振り返った。
「馬鹿は、お前じゃ」
ダンッと大きく踏み出し、腰溜めに構えた右拳を一気に突き出すと、猫又の腹に平ちゃんの拳がめり込んだ。その拳の一撃は衝撃波を伴っていて、猫又の全身を内部で粉々に打ち砕く。そして、それでも衰えない衝撃波は猫又の体を通り抜け、後ろにあったアパートの壁をも打ち砕いた。って、あーッ! また壊したッ!
息絶えた猫又の体は、見る見る小さくなっていき、普通の猫の大きさに戻ると、まるで年月を早送りしたかのように、干乾び、そして骨だけになって、最後には粉々の砂になってしまった。
「終わった・・・」
パッカーン
通りに乾いた軽い音が響く。
「・・・痛いではないか、若葉君。なにするのじゃ?」
平ちゃんの後頭部を思いっきり叩いた草履を履き直して、私は叫んだ。
「なにするじゃないですよ! どうするんですか! こんなに壊しちゃって!」
私は粉々になった塀と、崩れ落ちたアパートの壁を指差した。
「んー、 まあなんじゃ。結果良ければ全て良しじゃよ。わっはっは!」
「全然良くないです! 笑って誤魔化さないで下さい!」
私が詰め寄ると、平ちゃんは耳に小指を突っ込んで言った。
「ん~? よう聞こえんの~ 最近耳が遠くなっての~ あー腰も痛くなってきおったわい。まったく歳には勝てんの~ 早く帰って休まなくては」
そう言って平ちゃんはわざとらしく腰を擦りながら、そそくさと逃げていってしまった。そんな筋肉してて、何か腰が痛いですか! まったくもう! 都合が悪くなると、すぐに年寄りの振りするんだから!
「あー じゃあ、藍ちゃん。私達も早く帰って傷の手当てしなくちゃだから、後は宜しくね」
「よろしく~」
いつの間にか回復していた煌さんと雪さんも、そそくさとワゴン車に乗り込んでそのまま帰ってしまった。 あッ! 置いてかれた! グゥ~ あぁもう! 怒ったら余計お腹空いてきちゃったじゃない!
「あの・・・ 終わった、んですよね?」
拳を握り締めてプルプルと震えている私に、松下さんが遠慮がちに声を掛けてきた。
「え? あ、は、はい! とりあえずお祓いは終わりました。 あれ? 竹森さんは?」
松下さんが指差した方を見ると、竹森さんはアパートの入り口の壁に寄り掛かって項垂れていた。どうやら猫又が変化したのを見て気を失ったらしい。
「・・・あれは一体、なんだったんでしょう?」
「あれは猫又という化け物だったみたいです。何百年も前のお坊さんが退治して封印したらしいですが・・・」
「信じられないようなお話ですけど、これが現実なんですね・・・」
崩れたアパートの壁を見ながら、しみじみと言う松下さんに、私は苦笑いしか返せない。
「でも、よかったわ。これでもう大丈夫なのですよね?」
ついさっきまで猫又だった砂の山が、夜風に飛ばされて消えていく。
「はい。もう心配ありません。除霊完了しました」
三日後。
竹森さんからアパートの修理代の連絡があった。お祓い料金から修理代を引くと、結局マイナスになってしまった。私は電卓の眺めて溜息をつく。今月もまた赤字だわ・・・ それに触媒能力で活性化された食欲のお陰で、見事に二キロも体重が増えてしまった。またダイエットをしなければならなくなって憂鬱な気分。
・・・それなのに、この人たちは!
「ねぇ~藍ちゃ~ん。フランゼのモンブラン食べたーい」
「駄目です! 今月はもう余裕ありません!」
「えー じゃあ、せめて、中村屋のロールケーキ食べたーい」
「どれも駄目です! そこにあるので我慢して下さい!」
「えー こんな海苔巻せんべい、いやだよー」
ソファーで子供のように駄々をこねる雪さんを放っておいて、再び赤字だらけの帳簿に向き直ると、今度は煌さんが遠慮がちに声を掛けてきた。
「あ、あの、藍ちゃん?」
「駄目です」
「・・・まだ何にも言ってないけど」
「どうせ、パソコン古いから新しいのにしたいとか、インターネット遅いからブロード何とかにしたいって言うんじゃないですか?」
「・・・よく解ったわね」
「そんなパンフ持ってたらすぐに判りますよ。とにかく、駄目です! 色々欲しかったら、物を壊さずに仕事して下さい!」
煌さんが肩を落として引き下がると、またしても別の声が掛かる。
「あー 若葉君。わしの褌の替え、知らんかね?」
「もう! 知りませ・・・ キャー! またそんな恰好で! そんなもの知りません! 自分で探して下さい!」
「・・・最近の若いもんは、年寄りに冷たいのう」
ブツブツ言う平ちゃんを横目で睨む。
「なんですか??」
「い、いや! 何でもないて! さて、また外で乾布摩擦でも・・・」
「止・め・て・ください!」
~完~




