八話「初デートはカメラの前で(後編)」
嘘の恋人である香月比奈とカメラの前で初デート。
それは彼女が俺の呼び名を凄い嚙み方をしたことから始まる……。
「お、比奈」
気持ちを入れ替え、あくまで平静を装う。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たばかりだよ」
お決まりの台詞を言う。
最初アクシデントはあったものの、なんとか軌道は元に戻すことができた。
「時間が惜しいし、移動しながら話すか」
そう言って体の向きを変え、不安そうにこちらを見ている伊賀さんに笑顔を見せて大丈夫と伝える。身を乗り出しかけていた伊賀さんに無事伝わったらしく、彼は身体を引っ込めた。
さて問題はここからだ。最初の危機は乗り越えたものの、デートそのものは始まったばかり。気を引き締めないと。
まずは会話のきっかけを探す。無難に「最近どう?」という質問を考えたが、ここ最近の彼女についてはどうしても公開恋愛関連の話になってしまうし、そうなったら彼氏とされている俺の同意ありでこの企画は設立してるから、なんかおかしくなってしまわないか。
変に深読みしてしまったせいか、俺の口から飛び出た言葉は――。
「比奈、どうだ?」
意味の分からない質問だった。
何を聞いてるんだ俺は、と焦ったところで、横に並んで歩く彼女はぎこちない笑顔で返事をした。
「うん、大丈夫だよ」
……何が?
変な質問をした俺も悪いが、彼女の返答は更に謎を極めた。
お互い何をしたいか分かってないだろう。
これは非常に不味い。
香月さんはまだ緊張状態がほぐれていない。通常時でも「デート」という単語に顔を赤くしたことからそもそも彼女は恋愛事に慣れていないようだ。なのに出会って数日しか顔を会わせてない男と二人きり、かつその様子をカメラに映されている。さらに追い込むように台本なし、そもそも芸能生活がかかっていて、ミスは許されない状況だ。どんなに自分を奮い立たせても、本番で緊張が現れてもおかしくない。
俺は俺のほうで慣れないカメラの前であるのと、心の隅にしまおうとしても、どうしても意識してしまう彼女がアイドルという特殊な存在ということに、どこか落ち着けないでいた。
ここからどう会話を発展させるか焦り始めた時、視界の隅に伊賀さんを捉えた。彼は『目的を昼食に絞って、そこで気持ちを落ち着けて』と書かれたカンペを持っている。
「近況のお話もいいけどさ、時間が時間だからお腹減っちゃった。どこかお店入って食べない?」
香月さんもカンペを見たらしく、そう言った。
「比奈は昼飯食べてこなかったの?」
「カズ君と会う時間が少なくなるのがもったいなくてそのまま来ちゃった」
不意に嘘だとしても少々ドキッとするようなことを言われつつ、店探しに入る。
それから少しの間特に何の問題も起こらなかった。二人で歩きながら目に入った店を吟味しつつ、「なるべく安いところがいいな」、「ファーストフードも悪くないけど、出来たらもうちょっといい店がいいよね」といった会話を交わす。
とはいっても全部演技であり、あらかじめ昼食を取る店は決まっている。今回の企画で唯一台本ありの場所といったらここだけだろう。伊賀さんはそれを利用し、軌道修正を図ったのだろう。
そのお陰で無事その店にやって来られた。少し洒落た店でパスタやピザなどの料理を取り扱っている。値段もお手ごろでボリュームも割りと多いとのこと。ここは比奈のお勧めの店らしく、自分は初めて入る。
中に入るとウェイターが席に案内してくれて、俺たちに続いてカメラやスタッフが続く。店の中には自分達以外おらず、この撮影のために貸切状態であることが窺える。
「比奈は何頼む?」
「えーっと私は……」
手元のメニュー表を見て品を頼む。
待ってる間何か会話しないと、と考えると何故かカメラマンがこちらに近づいてきた。
こんなこと聞いてない、と思ってスタッフの方に目をやると伊賀さんよりも年配のスタッフがカンペを出してきていた。内容は「これで質問を書くから、カメラに向かって答えろ」と書かれている。
まさか、さっきまでのミスを恐れて方向性を変えた……とかか?
わからないが――これは事によっては不味いかもしれない。
最初の質問は「この店に来るのは初めて?」というもの。
「私は何度か来てますね。カズ君と来るのは初めてです」
彼女はここに来るまでに緊張を大分解消していたようだ。テレビの中の比奈で彼女は答えた。
「お、俺はここに入る事自体初めてです」
続けて答える。
年配のスタッフは手にもつスケッチブックをめくる。
次の質問は「なら二人でよく行く店は?」。
「――!!」
恐れていたことが起きた。
二人が恋人に至った過程などはなるべく細かく設定しているが、恋人として二人がどう過ごしているかは考えていない。だからこういった具体的な質問には答えがない。
ちらっと伊賀さんを見るが黙って首を振った。どうやら伊賀さんも手助けが出来なそうだ。自分達でこの新たな危機を打破するしかない。
「そうですね、二人でよく行く店は――」
ざっと頭の中で店を思い浮かべる。彼女が行きそうで、カップルに似合う場所――。
「駅前の喫茶店とかですね」
「ファーストフード店もよく行きます」
え、と思わず呟いた。彼女のほうを見ると、同じように驚き戸惑っている姿が映った。
答えを言うタイミングが被った。しかも出した答えは全く違い、場所的に見ても言い合った店は離れた距離にある。
スタッフ側も答えのズレに不信感を持ったようだ。納得いかない様子で新たなカンペが出される。
二人が好きな料理は、というものだ。
今度はミスをしないように、そしてさっきのミスを取り消せるように答えを考える。
彼女はさっきあまり悩むことなくメニューを決めていた。それにわざわざ今回この店を指定したということはこのお店にはよく来ていること。ならば彼女が頼んだパスタが彼女の好物になるのではないか。
「私が好きなのはサンドイッチですね」
「彼女が好きなのはパスタで、俺が――」
今度はカメラマンさえもえ、と驚いていた。
また被ってしまった。そして余計なことをした、と後悔した。
彼女は俺の答えに合わせ、喫茶店でも人気のメニューであるサンドイッチと答えた。対して自分は彼女にあわせ、勝手に回答してしまった。
お互いがお互いを補完しようとする余り答えがすれ違ってしまった。比奈と恋人になった設定を考えるとここまですれ違った答えになるのはおかしいはずだ。
案の定スタッフは首をかしげ、不審そうにこちらを見ている。
早く、早く料理よ来い。来てくれ。そうじゃないとどんどんボロが出てしまう!
再びカンペがめくられそうになった時、念願の料理が届いた。流石に食事中にスタッフの干渉はないだろう。
「じゃあ食べようか比奈」
「う、うん……」
彼女も失敗で落ち込んでいるようだ。
一口、二口……少しの間無言が続く。
「それにしても俺たち大変なことになっちゃったな」
「公開恋愛のことだよね。ごめんね、カズ君。巻き込んじゃって」
その言葉はどちらかというと現在の状況に対しての本音であった。
彼女は本当に申し訳なさそうな表情をしていた。
この話題は続かず、暗い気持ちだけを残して終わってしまった。
この昼食をきっかけに初デートは『失敗』に向かっていった。
お互いミスをしないように振舞うせいか、気を遣いすぎて中々会話が進まず、いざ会話を試みようとするとどこかでボロが出る。
スタッフも異常な状態に質問やそれ以外にもフォローしてくれた。特に伊賀さんはどうにかしようと必死になっていた。だが、それも意味をなさなかった。
そして時間は進み、二人の別れの時が訪れた。
「私そろそろ仕事に行かないと」
彼女がアイドルということで、仕事のため夕方に別れるという設定だ。別れる場所は皮肉にも比奈と初めて出会った商店街の小さな公園だった。
「……そうか。今日は楽しかったよ」
「私こそ。ありがとね、カズ君」
彼女は無理やり笑ってみせた。
「また、会おうな」
「すぐ会えるよ。私達、恋愛を『公開』してるんだから。前よりももっともっと多く会うことが出来るよ」
「そうだな。でも、仕事じゃなくて普通に二人で会おうな。その時はきっと――今日よりも楽しくしてみせるから」
「うん、楽しみにしてるね、カズ君」
夕日に彼女が照らされて儚い笑顔が浮かび上がった。
「じゃあ、またね」
彼女はそう言って、駆けていった。
彼女が見えなくなったところで今回の撮影は終了した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『ごめんなさい!』
帰りの車内。俺と香月さんは互いに謝りあっていた。
「いや、香月さんが謝ることないさ。俺が下手にフォローしようとか考えたのがいけないんだから」
「ううん、私こそ。余計なこと言っちゃって。私が引っ張らないといけないのに、初っ端から噛むし……」
「ほら二人ともそこまでにしときなさい」
彩さんが止めてくる。
「盛大に失敗しちゃったらしいけど、落ち込むことはないわ。今回の失敗を生かして次にまた頑張ればいいんだから」
彩さんは明るい声で励ましてくれる。
「でも、今回のデートはテレビで流すんですよね?」
「それは……」
「本当にごめんよ、二人とも」
助手席に乗ってる伊賀さんが申し訳なさそうに言う。
「今回の企画は無理やり枠を取ってもらったもので、差し替えとかが利かないんだ。だからあの撮影を何とか編集して流すしかないんだ」
「伊賀も謝る必要は無いわ。無理言って企画とってもらうよう頼んだのは私なんだから。責任があるとしたら私よ」
「いやいやだったら本番でミスした俺が……」
責任を譲り合う。
けれど、こんなことをしても意味なんてないのだ。
「ともかく、起こってしまったことは仕方ないわ」
スキャンダルが起きたときと同じ事を彩さんは言った。
「まだ終わってないわ。最後まで諦めずにいきましょう」
「その通りだ。僕も上に何とかかけあって二人が出せるように計らうよ」
大人二人はまだ希望を捨てていない。
「高城君、私達も頑張ろう」
「ああ、そうだな」
ならば俺たちもその期待に応えねばならない。
しかし、流れは確実に悪い方へ向かっていた。
スポーツではよく「流れ」というのがある。それは今後の試合結果を左右するほどのものだ。そして人生にもそういった流れが存在するならば。
今回のデートはその「流れ」の始まりであった。