七話「初デートはカメラの前で(前編)」
遂に公開恋愛が正式に始まった。
これに関しての活動をまだ一切していない時点での世間の反応は――あまりよろしくなかった。
まず圧倒的に多かった反応は「公開恋愛の意味がよくわからない」。これは香月比奈の熱烈なファンでもない、一般的なユーザーの反応である。
逆にファンは香月比奈の彼氏……つまり俺のことをとにかく叩きに叩くコメントがよく見られる。まさか地獄に堕ちろを超える罵倒が出てくるとは思いもしなかった。
中には今までとは手のひらを返すように香月比奈そのもののアンチになる人間も多いようだ。見損なったとか裏切り者めみたいな感想が多く、果てには……。
「『このビッチめ』とか書かれる始末よ」
マネージャーさんがはあ、とため息をついた。
「そういった連中に今の比奈を見せてあげたいわ」
ちらっと隣の席に座る香月さんを見る。
テレビの中のはつらつな彼女はどこにいったのか、石のようにかちんこちんに固まっている。あまりの緊張というか照れというか……とにかく『デート』をすることに過敏に思いつめてしまっているらしい。
車に乗ってから彼女がまともに動いたところはマネージャーさんが「昨日、電話で『仕事とはいえ明日初デートだよ!? 彩さん、私どうしたらいい?』と泣きついてきたのよ」と言った時に「言わないで、言わないでぇぇぇえええ」と顔を真っ赤にさせて否定した時ぐらいだ。
不安にならざるを得ないんだが……。
「比奈は仕事になるとスイッチが入るタイプだから本番は大丈夫よ。……多分」
出来たら断言してほしかった。
俺と香月さんはマネージャーさんの運転する車でテレビ局に移動しているところだった。本番前にそこで軽く打ち合わせを行い、その後現地で撮影開始となる手はずだ。
「今回は比奈もこの調子だし、高城君も余裕があったらフォローしてあげてね。テレビ局に着いた後、私は別の仕事で行っちゃうから。でも心配は無用よ。今回の事件の全貌を知ってて、かつこの公開デートの企画を考えてくれたディレクターさんがいるわ。彼の名前は伊賀よ。二人のことを助けてくれるはずだからどんどん頼りなさい」
そういった連絡を聞きつつ、気がつけばテレビ局に到着していた。
マネージャーさんに不安そうな表情で見送られ、「オハヨウゴザイマス」と明らかに棒読みに挨拶する香月さんに続く。
しばらく控え室で待機とのことで俺と香月さんは控え室に入った。
待ってる間簡単にメイクアップアーティスト(マネージャーさん曰くタレントや番組の出演者にメイクを施す人らしい)に簡単なメイクをしてもらう。
香月さんは分かるが俺もすることになるとは。まあ、カメラに映るんだから最低限のことはしておかないと。
ちなみに香月さんはメイク中も放心状態に近く、されるがままだった。まあ自分もよくわからず言われるがままだったけど。
メイクが終わって暫く二人きりの状態が続いた。彼女は相変わらずな状態で、あきらさまに俺と距離を空けていた。
どうしようもない空気の中、コンコンとドアをノックする音がした。
「失礼します、伊賀紘平です」
部屋に入ってきたのはマネージャーさんから聞かされていたディレクターだった。
「お久しぶり、比奈ちゃん。それで君が高城君だね?」
「は、はい。そうです」
香月さんがとてもじゃないが答えられる状態じゃないので代わりに対応する。
「あなたが協力してくれてる伊賀さんですよね?」
「ああ、そうだよ。今後ともよろしくね」
「よろしくお願いします」
部屋に入ってきた伊賀さんと握手を交わす。
「いやしかしこんなことをするなんてね。驚いたよ」
「俺もです」
「だよなあ。比奈ちゃんもそう思ったりしなかった?」
「エエ、ソウデスネ」
駄目だ。彼女の言葉がカタカナだけになってしまっている。
「……こりゃ予想以上だな。事前に聞いていたとはいえ、ちょっと心配だ」
素人である俺も同感だ。
「まあ、とにかくだ。聞いているとは思うけど、君達の公開恋愛の真実を知っているのは関係者の中でも極一部だ。今日のスタッフの中では僕しか知らないと思う。くれぐれも尻尾を出さないように気をつけてね」
「は、はい」
「そんなに緊張することはないよ。普通にやってれば気づかれないことだからさ。比奈ちゃんもあまり気を入れすぎないように。男性タレントと地元ロケするぐらいの気持ちでいいからね。それに今はカメラも回ってない。何も考えずリラックスしてるんだ」
伊賀さんは柔和な顔立ちで更にそこからニコーっと笑った。不思議とその顔を見るとたちまち緊張が和らいでいく。
香月さんも多少落ち着いたようだ。
「じゃあ、これから打ち合わせになるけど、今のままで少しだけ気持ちを入れ替えよう。恋人とかじゃなくて仲の良い知り合い同士が互いに名前で呼び合う。その程度で十分だ。オッケー?」
伊賀さんはこういったことに慣れているのだろう。とにかくリラックス出来るように誘導してくれる。
そう、ちょっとだけ気持ちを入れ替える。変えるのは彼女の呼び名だけ。香月さんから比奈と、ちょっと親しくなっただけ……。と考えるのは簡単だがやっぱりまだ恥ずかしい。家で一人虚しくテレビ画面の香月さんに向かって練習はしていたんだけど。
「か、カズ君」
「え?」
今までの様子からそう呼ばれたのは意外だった。
「私、男の人とで、デートとか初めてでどうしたらいいからわからないけど……一生懸命やるから。一緒に頑張ろうね!」
「デート」という単語を言うだけで顔を赤くする彼女が意を決して……照れながらではあるが言ってくる。
「――ああ!」
力強く返事をする。
彼女のために一肌脱ぐと誓ったのだ。全国民に晒されるといえど、やらねば!
打ち合わせはどういった経路で何をするかといった確認だった。
まず集合場所で俺たちが合流して商店街を歩きながら昼食を取る。その後簡単にエアショッピングを楽しみ、香月さ……比奈が仕事ということで駅の前で別れる、といった流れだ。
ちなみに昼食を取る場所はあらかじめ決まっている。ただ、偶然目に付いて雰囲気が良さそうだったから入ったという風に演じてくれとのこと。
難しいがやるしかない。
打ち合わせが終わると今度は伊賀さんの運転で地元に向かう。
そこで俺と比奈はくつろいで精神を落ち着けた。途中伊賀さんが「詰まってもカンペとかでなるべく援護する」と言ってくれたのは頼もしく、励みになった。
現地に着いた後は簡単なセッティングをし、いよいよ本番が始まる。
本番直前、比奈と嘘の恋人として互いを呼び合い、頑張ろうと励ましあった。
気合十分、さあいくぞ!
最初の待ち合わせはベタに駅前でという設定で時間に少し遅れた体で比奈がやってくるという流れになっている。
カメラがあるせいか周りから視線を感じるが、気にしないように腕時計を見つつ、待っている素振りを見せる。
駅から比奈が小走りでやってくるのが見え、顔をほころばせる。彼女も若干嬉しそうに近寄ってくる。
ここまでは完璧だ。多分、表面上は恋人らしい振る舞いは出来ているはずだ。彼女の笑顔が演技だと思うとちょっと寂しい気もするけど……。
声が聞こえる範囲まで彼女はやってきて、手を振りながら名を叫ぶ。
「カバ……ズくーん」
「なんで!?」
初手、まさかの名前を噛む。
こうして不安に包まれた初デートが始まった。