十二話「最低な決意」
「じ……こ……?」
マネージャーさんの一言はこの場にいる者全てを戦慄させただろう。
「ええ……」
彼女は無慈悲にも頷いた。
「比奈は……比奈は無事なんですか!?」
マネージャーさんにすがりつくようにして声を上げる。
その事故のせいで比奈は……彼女に何かあったら正気を保てる気がしない。
「比奈自身は大丈夫よ。比奈の乗ったタクシーが事故に遭っただけだから」
「そうですか……よかった」
安堵のため息をつく。
「車の運転手も軽い怪我を負っただけで大きな怪我はないらしいわ。ぶつかった方も意識ははっきりしてるみたいだしそこまで心配する必要もないみたいね」
少なくとも事故で重傷人や死人は出なかったみたいだ。結果を聞いて安心する。強張っていた周りの人達もそれを聞いて胸を撫で下ろしたようだ。
だがほっとしたのも束の間だった。この後比奈はライブを控えているんだ。それはどうなる?
「ライブはどうなるんですか?」
俺の質問にマネージャーさんは視線を落とした。
「……どう足掻いても時間に間に合わないわ。最悪なことに比奈の事故の周辺で渋滞が起きてるらしいの。代えのタクシーを呼んでも、比奈のいる所まで時間がかかるらしくて……」
マネージャーさんは事故の起きた状況を詳しく説明する。何でもサービスエリアに入ろうとした所で突然横から入ってきた車とぶつかったらしい。両者とも軽い怪我で済んだのが奇跡だったと思えるほど車は歪んでしまったようだ。
「……状況はわかりました。それでも一応準備は進めてた方が良いんですよね?」
今度は梨花さんがマネージャーさんに訊ねた。しかしマネージャーさんは顔に難色を浮かべた。
「それも今は……どうしたらいいかわからないの」
「遅れるだけでライブはやるんじゃないんですか!?」
つい強い口調になってしまう。マネージャーさんはすぐに返事を返さなかった。
「正直わからないの。遅れてでもライブをでもやるか、それとも中止にした方がいいのか……」
「中止って……今更無理ですよ。もう人が集まり始めてるんですよ? それなら無理してでもライブをやったほうが――」
「高城君。アイドルとしての比奈の今の状況はわかってるわよね?」
マネージャーさんの目が厳しくなる。
「アイドルとしての彼女は非常に危うい立場にいるの。一度はスキャンダルで人気が低迷したアイドルで、そのスキャンダルは解消されるどころか認めているの。これは『公開恋愛』上仕方ないことだけど――アイドル的にはよく見られていないわ。スレスレで仕事は貰っているけれど、それも厚意があるところだけで今までみたいに使いたがる所は減っているの。今彼女を一番売り出しているのは公開恋愛ラジオとあなた――高城君の存在なのよ」
前よりは多少よくなったとはいえ、比奈は未だ少ない仕事に食いついている状況である。もしかたら今回のライブだって開催出来ることは幸運なことだったのかもしれない。少なくとも比奈を支える誰かの手――それこそ記者の男のホームページ等も含まれるかもしれない――がいたからこそ出来たのだろう。
彼女が人気アイドルのままだったら誰かの手を借りなくても彼女自身の力でライブぐらい開けたのではないか。
「今回のライブの遅刻によって比奈の評判は落ちかねないわ。下手したらそれが原因で今度こそ芸能生命が終わるかもしれないのよ」
「でも土壇場で中止にするよりはまだいいんじゃないですか」
「わかってる。わかってるのよ――でも事故に遭ったばかりの精神状態で比奈はまともに歌えると思うの?」
それには反論出来なかった。ただでさえ仕事が延びたお陰で到着時刻が遅くなる焦り。そこに今回の事故だ。まともな人間なら精神状態はボロボロだろう。
マネージャーさんが中止にするかどうかを悩んでいるのはつまりそういうことだ。比奈に無理をさせてステージに立たせたとしよう。だが事故の影響で上手く行かず、失敗に終わったらファンの人達はどう思うか。ライブの開催時間に遅れたことも含め評判は落ちるだろう。もしかしたらライブを中止にした場合と同じくらい評価は下がるかもしれない。
どっちもどっちの状況なのだ。どちらを選んでも最悪にしかなりえない。
どうする。どうすればいい。何が正解なのかさっぱりわからない。
「お兄ちゃん」
気がつくと恵ちゃんが隣にいた。いや話しかけられる前からいたのか? 衝撃的なことばかり起きて少し前の出来事が曖昧になっている。
「ああ、ごめん恵ちゃん。学校回れそうにない」
「今はもうそんなことどうでもいいよ。そんなことより何でお兄ちゃんが悩んでるの?」
「比奈のアイドル生命がかかってるんだ。そりゃ頭抱えて悩むさ」
選択を誤ったら即おしまいだ。慎重に考えないといけない。
しかし恵ちゃんは素っ頓狂な顔をしていた。
「確かにそうだけど……それはお兄ちゃん達が比奈の都合を考えただけだよね。そういった結果じゃなくてさ、比奈自身がどうしたいのかが重要なんじゃないの?」
「けど……」
「お兄ちゃんがあの宣言をした時もどうなるかって結果を考えてたのかな。私から見たらあれはお兄ちゃんが後先考えずに何とかなれって勢いでやったように思えるんだけど。今回はその時のお兄ちゃんと比奈の立場が入れ替わっただけじゃない? 公開恋愛宣言をするって事前に比奈が知ってたら、お兄ちゃんの都合を考えて止めてたと思うし」
あの時のことを思い出す。俺が公開恋愛宣言を終えた後だ。比奈がやってきて、真っ先に俺のことを心配してくれた。……処女がどうとかも言ってたけど。
思い返してみると状況はかなり違えど、確かに同じ……なのかもしれない。ただ分かったことは俺達の勝手な都合でライブの中止云々を決めるのはおかしいということなのではなかろうか。
「俺……比奈に電話してみます」
マネージャーさんは俺の言葉に頷いた。周りも固唾を飲んで見守ってくれている。
『もしもし……カズ君?』
「比奈……本当に体とか大丈夫か?」
『うん、心配ないよ』
電話に出た比奈の声はいつもの調子で、無事とは分かっていたけど改めてほっとする。
「今は何してんだ?」
『タクシーを待ってるんだけど、その間どうしようもないから事故の処理って感じかな。事故起こすと色々面倒なんだって思ったよ。私も免許取ったら気をつけないとね』
こうして普通に話せる余裕はあるみたいだ。変に気落ちしてなくてよかった。
「なあ、比奈。ライブの事は聞いてるか?」
本題に入る。比奈は果たしてどう思っているのだろうか。
『……うん。遅刻は免れないみたいだね。ライブ当日に他の仕事を入れたのはやっぱり駄目だったかな。次からは絶対に仕事を入れないようにしないと』
比奈は既に「次のこと」を考えている。こうした言い回しをするということはやはり……。
「今日どうしてもライブやりたいか?」
『勿論! 夢見てた初ライブだもん! どんなに遅れても一人でも観客がいてくれたなら私はステージに立つよ。だって私――アイドルだもの』
「そうか……」
比奈はやはりやる気満々だった。俺達の沈んだ気持ちなんか関係なく、彼女は前を見てる。今まで散々悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
「じゃあ――」
俺の口から自然とその言葉が出た。
「俺が比奈を迎えに行く」
『……えっ?』
彼女の驚きは周りの皆と同じものだ。自分自身も自分の口から出た言葉に驚いていた。
でも何となくしっくりときた。
「前に見せただろ。俺、バイクの免許持ってるんだ。取ってから一年以上経ってるから二人乗りもしていいはずだ。それにバイクならどんなに渋滞してても間をすり抜けて走ることが出来る。下手にタクシーを待つより早く学校に着くかもしれない」
今回に限っては俺がでしゃばる必要はないはずだ。今までの事と違って学生一人がどうにかして解決できるようなものじゃない。俺みたいな素人よりもプロのタクシードライバーの方が効率よく安全にここまで運んできてくれるはずだ。
それに俺には演劇を見に行くという大切な約束がある。比奈を迎えに行くということはその大切な約束を破ることになる。大切な約束を放棄してまでやらねばならないことなのかこれは。
言ってることと考えてることが一致しない。どちらが本当の自分の意思なのか。気持ちがぶれて安定しない。
『……うん』
少しの間を挟んで彼女は言った。
『分かった。カズ君のこと待ってる。ずっと、待ってる』
彼女のその一言が俺の決意を固めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
比奈との通話を終え、皆の方に振り向いた。殆どの人が呆気にとられている中最初に口を開いたのは梨花さんだった。
「何言ってるんですか先輩!?」
多分、彼女の言葉はもっともなことだろう。
「比奈さんを迎えに行くって――祥平君との約束忘れたわけじゃないですよね!?」
「ちゃんと覚えてるさ。その上で迎えに行くって言ったんだ」
梨花さんの怒りが伝わってくる。彼女は大好きな人の約束を果たさせるために俺を自由に動けるようにしたのかもしれない。いくら比奈のサポートが俺にしか出来ないとはいえ、二日目には比奈は学校にいないし。二日目に少しぐらい仕事を入れてもよかったはずだ。まあ、考えすぎかもしれないけど、多少はそういった理由も入ってるんじゃないかと思う。
「何で……だって高城先輩が行く必要ないじゃないですか! 必要ないことが祥平君との約束よりも重要って事なんですか!?」
「ああ、そうだ。その二つを天秤にかけて、それで出た答えだよ」
俺は嘘偽りなく彼女の質問に答えた。それが真剣さを伝えることになるからだ。
「……わかりました。そう言えば昨日言ってましたもんね。やる時はやるって」
「そういやそんなこと言ってたな」
「全く手のかかる先輩ですね」
梨花さんは観念したように笑った。だがすぐに表情を引き締める。
「もし比奈さんを迎えに行くんでしたら祥平君のバイクを借りてください。きちんと整備されてますし、馬力も結構あったはずです。今から先輩の家に取りに行くよりは手間がかからないでしょう。それに約束を果たせないことを自分の口からちゃんと伝えてほしいんです」
「言わなきゃ示しがつかないしな。梨花さんの指示に従うよ」
「……ありがとうございます」
梨花さんは周りを見渡し、突っ立ったままの人達に指示を飛ばす。
「では皆さん、一度改めて作業の分担を見直します。それと計算と地理が得意な方は先輩が戻ってくるまでの間、比奈さんがいる地点までの効率のいいルートを構築、かつそこまでの到達時間及び学校に戻ってくるまでの時刻の計算をお願いします。マネージャーさん、比奈さんがどこのサービスエリアにいるか教えてもらえますか」
「え、ええ」
マネージャーさん含め、運営委員達が梨花さんの方に集まっていく。
「バイク借りることが出来たら一度戻ってきてください。それまでに必要なことはこちらでやっておきます」
人がわらわら集まる先から梨花さんの声が飛んできた。俺はおう、と大きな声で返事をした。
「お兄ちゃん、私に出来ることは何かない? 私だけこのまま何もしないのは嫌だよ」
恵ちゃんが服の裾を引っ張って上目遣いで聞いてくる。俺はうーんとしばし悩んで唸る。
「そうだな……どんなに急いでも遅れることは確定だからな。ライブが始まってから比奈が到着するまで観客を暇させないような時間稼ぎを考えてくれないか。今なら教室に若菜ちゃん以外ならいるはずだから、あいつらに事情を話せばきっと協力してくれるはずだ」
「それってかなり重要な役割だね……」
「そうだな。でもこれは現役アイドルの卵の恵ちゃんだから出来ることだ。俺はアイドルのライブで観客の気を引くにはどうしたらいいかわかんないからな」
「卵は余計だよ卵は! ……でも了解! アイドルの片鱗だってことをお兄ちゃんに分からせてやる」
恵ちゃんはあざとくウインクなんかをしてきた。
「お兄ちゃんもきちんと男を見せてこないと駄目だよ」
「ああ、わかってるさ」
俺は今から最低なことをしにいく。約束は守れないと伝えた上で物を借りようとしてるんだ。
覚悟を決めるしかない。自分の本音を暴露することになるかもしれない。もしかしたらあの事も赤裸々にしないといけないかもしれない。
とにかくぶつかってみろだ。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」
最低なことをしに行くというのに、爽やかな笑顔を残してやった。
※当作品はフィクションです。
本来高速道路をバイクで二人乗りするには免許を取ってから3年以上及び20歳以上の方のみなので、絶対に真似してはいけません。