四話「二人きりの話し合い」
「えっと、その……」
突然の状況に戸惑うしかなかった。
よくよく考えてみればこうした密室で女の子と二人きりになるのは滅多にあることではなく、しかも相手が大人気の美少女アイドルときた。さらにさらに二人の交流は皆無に近い。
ただでさえ気まずい現状であるのに加え、部屋を出る際のマネージャーさんの言葉……多分彼女は冗談のつもりで言ったんだろうけど、それが更なる気まずさを生み出している。初めての二人の交流ということで場を和ませようとでもしたんだろうけど、返って逆効果だ。
どうしたものだろうか。
この後会話をすることを考えたらとりあえず座りたい。だがさっきまで座っていたところだと隣同士になるわけで……。初めての会話にしてはかなり近い距離になり、とてもじゃないがまともでいられる気がしない。だからといってこの場所からマネージャーさんが座っていた向かいの席に移動するのもこの空気の中だと中々厳しいものがある。
「向かい側に座りますね、俺」
悩みに悩んだ末、向かい側に座ることに決めた。こうして口に出せばなんとも思われないだろう。何故か頭を下げつつ、だけど。
「いてっ」
膝がテーブルの角に激突した。軽く言っているが本当は悶えたいほどに痛い。
けれど何も無かったように平然と歩き、ようやく着席することができた。
痛みを我慢して多少顔を歪めながらもさあ、いざと顔を上げると、向かい側に座る香月比奈はくすくす小さく笑っていた。
「あれ、何で笑ってるんですか」
「何かおかしかったんです。おかしいというよりも可愛いっていうか」
かあっと顔が赤くなる。恥ずかしい。緊張しているとはいえこんな醜態を晒すなんて。黒歴史ものだ。
しかし先程よりも場が和んだ……気がする。
彼女の笑顔を眺めているうちに、恥ずかしさとかがどうでもよくなってきた。膝の痛みも心なしか引いていってる。むしろつられて微笑んでしまった。
そうだ、これでいい。彼女はアイドルだけど決して手が届かない存在ではないんだ。普通の子よりもちょっと……いや大分離れているけど、普通の女の子なんだ。
「確かこの前マネージャーさんが同い年って言ってましたよね? それでよかったらタメ口で話してくれませんか。正直緊張しちゃって、タメ口の方が少しは緊張晴れると思うんで」
「私も賛成です。えっと高城君でし……だったよね? あなたもタメ口でお願いしていいかな」
頷いた。
これでようやく話し合う環境が整った。
「この前は名前だけで自己紹介とかしてなかったよね。私は香月比奈。○○高校の二年生です。テレビに出たりCD出したり……自分で言うのもなんだけど、アイドルです」
彼女はぺこりと頭を下げる。
さらさらした黒髪が動きにあわせて揺れる。
「○○高校って俺の通ってる高校から割りと近いぞ」
「そうなの?」
「うん。あ、崎ヶ原高校二年生の高城和晃です」
高校名と名前以外に言うことは特に思いつかなかった。
「崎ヶ原高校か……本当だ。確かに近いね。というか、家からだと崎高の方が近いんだ、私」
「そうなんだ。ということは結構近いところに住んでるんだ」
香月比奈は同じ地元民らしい。
こんな身近にアイドルが住んでいるとは驚いた。
「そうだね。もしかしたら私達、知らないところですれ違ってたりして」
「確かにありそうだ」
「あの付近にはいつから住んでたの?」
「生まれた時から」
「本当に? 私もなんだ」
滑り出しは順調だった。というよりも地元に住んでいるという事実が発覚して急に親近感が湧き上がってきたお陰だろう。彼女も同じ気持ちなのか、随分フランクになってきた気がする。嬉しい限りだ。
「十七年間同じ場所で暮らしてて、数日前に始めて会ったんだね」
数日前のことをいよいよ出してくる。
「そういうことになるな。驚いたよ。あんなあきらさまに絡む男がいるんだなって」
「私も。あそこまでしつこいのは初めてでどうしたらいいか迷ってつい柄にもない声出しちゃった。習った護身術を使おうとしたんだけど、男の人の力には勝てなくて。……実を言うと凄く、怖かった。助けを呼ぼうにも思うように声が出なくて……。だから高城君が助けに来てくれた時は本当に嬉しかった。助けてくれてありがとうございました」
彼女は立ち上がり感謝を込めて頭を下げてきた。
しかし内心は複雑の思いだった。あの時、すぐに助けに走ることができず、誰か他の人が助けるのを願ってた。もっと早く彼女の傍に行くことが出来たなら商店街を走る必要もなくなって、今回の騒動自体も起きることはなかったかもしれないのだ。
「ごめん。その感謝は素直に受け取れない。だってあの時俺は――」
今の心境をそのまま彼女に話した。彼女は落胆するかもしれない。でも仕方ない。これが真実なのだから。
「……え、それだけ?」
しかし彼女はきょとんとしていた。
「それだけって……」
「だって、それ普通じゃないかな? 私だって厄介事には巻き込まれたくないって思うもの。私が感謝してるのは厄介事に巻き込まれるってわかってても、それでも助けに来てくれたことだよ。路地に入ったのも息を整えることだってわかるし、写真を撮られたことに関しては本当に不幸だったとしかいえないはずだよ」
彼女はさらっと言ってのけた。
「……ここまでシリアスに考えてた俺は一体……」
「お、落ち込まないで! そういう風に考えるってことは今回の事に関して真剣になってくれてる証拠でしょ? むしろ嬉しいよ。そこまで考えてくれて」
彼女は顔をこちらに向けると笑顔を浮かべた。
天使のような笑顔に心臓が高鳴った。
「この前も言ってたけど、起こった事はどうしようもないんだし、先の話をしようよ」
「……そうだな」
この話し合いの場はそもそもその先の話……もとい公開恋愛案をどうするかの結論を出すための場だ。
「高城君は公開恋愛についてどう思う?」
「どう思う、か。するしないは置いといて、どうしてこんな切羽詰った案を出したんだろうかっていうのが真っ先に思うことかな」
「それについては彩さんが説明してなかった?」
「してたからこそ思うんだよ。その彩さん――マネージャーさんもこんな案ありえないみたいな感じで言ってたじゃないか。確かに合理的に考えたらプラスに働くかもしれないけど、限りなく低い確率だと思う。それならばスキャンダルに動じず、いつも通り……いやいつも以上に頑張って人気を取り戻した方が確実なんじゃないかって」
「やっぱり高城君も同じこと考えてた?」
「ん? ということは」
「うん、私も同じ考え」
これは驚いた。
「ただね、この前何かいい案が出たのか彩さんに聞いてみたの。その時彩さんはまだ何もないって言ってた。けどその後、一番波に乗ってる時期のマイナスな出来事は今後の芸能活動全てにマイナスの影響を与える。私はそういった芸能人を何人も見てきたって話してた。それに加えてこの事務所もようやく有名になってきたところで、自分で言うのもなんだけど今一番それを支えてるのが私で、そこに私のマイナスイメージがついたら同時に事務所のマイナスにも繋がるってことも話してたんだ」
つまり事務所とアイドル、どちらのためにもダメージは少しでも減らしたい。そこに重点を置いた結果、少しでもプラスが狙えて損害を少なく出来るのがこの公開恋愛ということなんだろう。
「だとしてもこの案が出てくるって普通ありえないよなあ。やっぱそれだけ追い詰められてるってことかな」
「多分そうだと思う。今回の件をどうするかで今後の未来が変わってくるだろうから……」
改めて大変なことをやってしてしまったと思い知る。
たった一枚の写真が一人の人生を、一つの会社を大きく左右することになるなんて。
「それで高城君はこの案が採用されたとしたら、やってもいいと思う?」
「問題はそこだよなあ。そりゃ嘘だとしても人気アイドルと恋愛してる……つまり恋人同士になるのは魅力を感じるけど」
「私はやってみてもいいかなって思うんだけど」
驚いた。まさか彼女がOKを出すなんて全く考えていなかった。
「マジで言ってる?」
「嘘なんてつかないよ。確かに突拍子もないやり方だけど、だからってやられっぱなしじゃなんか悔しいし。だったら一発逆転のチャンスを狙ってみるのもありなんじゃないかなって思って。それに誰もやったことがないことをするのってわくわくしない?」
そう言うと彼女は悪戯に微笑んだ。
彼女はもう少し慎重というか穏やかだと思っていたが間違いだったらしい。意外とギャンブラーで負けず嫌いな性格のようだ。
「もし失敗したとしても、私は諦めない。どんなに追い込まれても、いつも以上に頑張って人気を取り戻して見せる」
香月さんの言葉には強い意志が感じられた。
彼女への見方がまた変わった。
「強いね、香月さんは。けどいいのか? もしやることになったら表向きは恋人関係を強要されることになるわけだけど」
「あー、それはえーっと……き、気合でどうにかするしか」
彼女は困ったのを誤魔化すように笑う。
「俺じゃ君みたいな可愛い子とはつりあわないし、第一香月さんに想い人がいたら申し訳ないんだけど……」
「悲しいけど、彼氏どころか好きな人とか今はいないんだよね。あと私とつりあわないなんてことないよ。むしろ高城君に迷惑かけちゃいそうで心配で……」
「ああ、そこらへんは大丈夫だ。残念なことに彼女居ない歴と生まれてからの日数日時はイコール関係だからさ……」
一流アイドルを前に何を暴露してるんだろうか。自然と涙が零れてきそうだ。
「お、落ち込まないで! 気にすることないよ。わ、私も恋人とか出来たことないから……」
「そうなの?」
「う、うん……」
彼女もずずーんと落ち込む。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
驚きもあるけど申し訳ない気持ちの方が多い。
「しかしそれはそれで問題があるんじゃないか? 二人とも恋愛をまともにしたことがないってことだろ? そんな二人が嘘の恋人関係を演じることが出来るのか……?」
今後の展開を考え、不安になる。彼女も唸っている。
やはり、無理があるかと思ったその時、彼女が不意に手を叩いた。
「大丈夫、なんとかなるよきっと!」
一体その自信はどこからやってきたのだろうか。
どう見ても強がりにしか見えない。
「話逸れちゃったけど、高城君はどうなの? 賛成か反対か」
そういえば自分はまだ結論を出していなかったか。
もし賛成したら……自分は一般の高校生から逸れてしまうだろう。恋愛模様を公開というのがこれから何をしていくことになるかさっぱりわからないが、香月比奈の彼氏としてメディアに曝されるのは確実だ。それによって日常生活に支障が出るかもしれない。ファンの恨みを買って暴言暴力を受けるかもしれない。今までのような「普通」の生活はきっと戻ってこない。
しかし、知ってしまった。彼女の強い意志を。前も垣間見えた彼女の意思が、更に強く感じてしまった。素直に応援してあげたいと、力になってあげたいと思ってしまった。自分に大したことはできないけど……公開恋愛をすることで彼女の助けになれるのならやってみてもいいんじゃないか。
それに認めたくないが、心の奥底では経験したことない「非日常」を俺はずっと求めていた。もしかしたら公開恋愛をすることによって起こる「非日常」が今後の自分への答えを出すきっかけになるかもしれない。
なら、答えは一つしかない。
「こんな俺でよかったら、協力させてください」
「話はまとまったわね」
キリッとした顔つきで答えたが、予想外のマネージャーさんの登場により瞬時に崩れ去った。
「と、突然出てきた!?」
「な、彩さんまさか私達の会話聞いてたんですか!?」
二人の反応にマネージャーさんは微笑みながらメガネの位置を直す。
「いえ、部屋に戻って来た時いい感じに判断を下す瞬間だったので高城君の言葉と同時に入っただけよ」
何故多少の間を空けて入ってきてくれなかったんだろう。
「とにかく意向は決定したようね。採用された場合、二人で協力して公開恋愛をする。間違いないわね?」
俺と香月比奈はお互い顔を見合わせた。
そして同時に
『はい!』
と勢いよく返事をした。




