三話「荒唐無稽な案」
連絡が来るまでの数日間、香月比奈について調べてみた。
知人が有名人だとどうしても動向を知りたくなる、応援したくなるといった心情である。
彼女がブレイクしたのはここ半年程前のことで、多人数のアイドルグループが争う中、あえて単身でデビューしたことから話題になったらしい。さらにダンスと演技の上手さも評価され、特に歌に関しては歌手デビューをしてもおかしくない程で、それが人気に拍車をかけたらしい。
後は普通に可愛いこと、ファンとの接触が多いことが人気を底上げし、テレビや雑誌でも引っ張りだこの人気ナンバーワンアイドルとなっている。らしい。
……と、これが俺の集めた香月比奈の情報だった。
相当人気ということはわかっていたがまさかここまでとは、と驚いた。
香月比奈の情報を集めつつ、俺は普段どおりの日常を送っていた。
といっても夏休みだったため、今日はどうやって時間を潰そうかな、といった風にだらだらと一日を過ごしていただけだが。
夏休みを絶賛満喫中の俺に連絡が入ったのはあの日から三日経った昼前のことだった。
連絡を受け、家から最寄りの駅に車で迎えに来てもらうことになった。駅で香月比奈のマネージャーさんと合流し、前回訪れた事務所へ向かった。
香月比奈は先に来ており、前と同じ位置に座っていた。マネージャーさんも前回と同じようにテーブルを挟んだ向かい側の席に座ったので、自分も前と同じところに腰を下ろした。
「とりあえず案が出たから二人には来てもらったわ。早速だけどそれについて話をさせてもらうわ」
マネージャーさんはテーブルに置かれている資料を手に取り、口を開いた。
「今回高城君も一緒に来てもらったのは、この案は二人の協力が必要だからよ」
二人の協力? 一体どういうことだろうか。
素直に二人で頭を下げて事実を否認、徹底的に写真には誤解があると訴える……なんて内容だろうか。
「ごちゃごちゃ説明する前にシンプルに言うとね」
ごくりと息を呑む。何故だか緊張が走る。
香月比奈も強張った表情でマネージャーさんを見つめていた。
「ズバリ、二人で『公開恋愛』をするのよ!!」
マネージャーさんは勢いよく立ち上がり、ガッツポーズをとった。
そして流れるは静寂。少しの間、時間が止まったと本気で錯覚した。
「……は?」
自分はもちろん、香月比奈も困惑していた。
意味が全くわからない。
「訳がわからないと思うけど、詳しいことは今から説明するわ」
咳払いをして彼女は腰を下ろした。
ポカンとしている俺たち二人を置いて話しはじめる。
「まずこちらで色々話し合った結果、これ以外の有力な案は出ていないの。いや、これも有力な案といわれたらどうかと思うけど、とにかく悪いイメージを覆せる可能性を持った案はこれだけね」
「可能性……ですか?」
可能性って確実じゃないような。
「そう、可能性。これはね、一か八かのギャンブルな案なの。外れた場合は比奈の芸能生活は下降の一途を辿るわ。けれど当たった場合は……正直どうなるかわからない。そういった意味でもギャンブルね」
うん、とマネージャーさんは勝手に納得する。
「あの、そもそも公開恋愛って何ですか? 私、意味がよくわからないんですけど」
君だけじゃない。俺もわからない。
「そのままの意味よ。恋愛を公開するの。ほら、ブログなんかは自分の日常を書いてそれを皆に公開するでしょ? それをメディアで、二人の恋愛模様を皆に公開して、知ってもらうないしは見てもらうのよ」
説明を聞いて益々意味がわからなくなった。
恋愛を公開? どうして? それがどうやって彼女の芸能生活を救うのだ?
いや、そもそも根本的に何かおかしい気がする。
「恋愛模様を公開って、俺たち恋人でも何でもないですよ!?」
「そ、そうですよ」
二人で立ち上がって抗議する。
「わかってるわよ。だから二人の協力が必要って言ったのよ。いい? 今回の騒動は二人が恋人同士というデマが流されるの。これを逆手にとろうっていうのよ」
「逆手にって……」
「あえて比奈に恋人がいるとスキャンダルの公開よりも先に公表するの。正式にね。これは大きなニュースになるわ。スキャンダルを隠してしまう程にね」
「大きな話題を作ってうやむやにしようっていうことですか?」
「それは違うわ。写真が載せられることでその裏づけになるはずだもの」
「裏づけにしちゃ意味ないんじゃ……?」
「今回私達が考えていることは比奈が恋愛しているということそのものをプラスに変えようとしているの。アイドルでも恋人が発覚して問題になった人って結構いるわよね? そういうのって恋愛を隠してたから話題になったと思うの。逆に私は恋をしていますって言えばスキャンダルにはならないはずよ」
いや、それは無理があるんじゃないだろうか。
「これは私の意見なんだけどね。アイドルだって人間で、一人の女の子なの。歳も若いし、そりゃあ恋愛の一つや二つしたいって思うわ。けど今のアイドル状況を見てると恋愛禁止っていうのが当たり前になってる。これっておかしいことだと思うの。女の子として、恋や青春をしていいと思うの、私は。恋をしている女の子の方が、普段の何倍も可愛くなるし、アイドルとして一層輝くと思わない?」
マネージャーさんは自分の価値観を熱く語っていた。
自分はそういうのがよくわからないんだけど、香月比奈はどう思ってるんだろうか?
彼女の顔をチラリと見たが、そこからうかがい知ることは出来なかった。
「自分はそれが正しいかどうかはわかりませんが、その公開恋愛? をしても好転しないと思います。やっぱりアイドルってファンの人達に支えられてるから人気があるのであって、彼氏がいるってわかったら冷めて彼女から離れていく人も多いと思うんですが」
「最もな意見ね。けどこちらもその点については考えがあるわ。これを見て」
マネージャーさんは手に持っていた資料をパラパラとめくり、あるページで止めて俺たちに差し出してくる。
資料には『香月比奈のファン層の統計』と書かれている。
大まかな年齢と性別をセットにした円グラフが書かれていて、彼女のファン層が一目でわかるようになっていた。
「で、これが他のアイドルのファン層の平均よ」
ページをめくって新たな円グラフが現れる。
この統計を見る限り香月比奈は他のアイドルに比べて女性ファンが多いようだ。
「二つのグラフを見てもらえばわかると思うけど、比奈は他のアイドルよりも女性ファンが多いのよ。それも若年層のね。この年の女の子ってやっぱり恋に敏感なお年頃でしょ? だからこの公開恋愛によって上手くいけば女性ファンを取り入れることが出来るんじゃないかと考えたわけ」
なんて無茶な案だ。
確かにクラスの女の子達もコイバナは好きだけど、アイドルの恋愛を見て応援するという考えはいきすぎじゃないか?
それに不安要素はまだある。
「いや、まあそれが仮に上手くいったとしてもですよ。女性ファンが多いと言っても、主なファンはやっぱり若年層の男じゃないですか。彼らが愛想つかしたら結局人気は下降するんじゃないんでしょうか?」
「……その点に関してはどうしようもないわね。公開恋愛をしてもしなくても、あの写真が公開されることである程度のファンがいなくなるのは変わらないもの。それならば少しでもプラスがある方がいい、ということで出された案なのよ、これは」
マネージャーさんは資料をパタリと閉じる。
俺はしばし思案し、
「やっぱり荒唐無稽にも程があると思います」
無茶苦茶な案に反対する。
顔を横に向けて香月比奈にも助太刀するよう促した。彼女は逡巡したが、乗っかってくれた。
「わ、私もそう思います」
「うん、普通そう思うわよね」
マネージャーさんはうんうん、とうなずいている。
あれ、思っていた反応と違う。否定しておいて何だけど、提案者が簡単に俺たちに同意していいのか。
「……素直に納得してくれるんですか?」
「そりゃ当然よ。この案が出た時の皆の反応はあなた達と大して変わらないもの。こう……提案した本人もあり得ないと思ったけど一応ってことで口にしてたらしいし。途中の私の意見というか思想は本音だけど、それでも流石にないわーって思うもの」
「そうなんですか……」
何でも今説明したのはとりあえずこの案を最大限合理的に考えてみた結果、らしい。
突然こんな提案をしたときは頭の中身を疑ったが、マネージャーさんやその他の関係者がまともな思考をちゃんと持っていてよかった。
「でも、無茶苦茶なのを分かっていてどうしてこの案を私達に話したんですか?」
確かにそれは気になるところだ。
「……ちょっと無理があるとはいえ、絶対に成功しないとは限らないのよね、この案。一応これからまた話し合う予定だけど、他に何も案が出なかった場合、この案が採用されるかもしれないの。本当に万が一の時だけだけどね。それでもしこれを採用することになった場合、二人の協力が不可欠になるの。だから二人で話し合ってもらって、これをしてもいいか悪いかをまずは決めて欲しいの」
俺たちがここに呼ばれた理由はそのためらしい。
公開恋愛をする場合、二人の協力は勿論、一般人である自分がメディアに出るか否かも決めないといけないらしく、考えることは意外とあるようだ。
「ま、そういうことね。けれど比奈も高城君も前回は色々ゴタゴタしてたせいでお互いまともに口を聞いてないでしょ。結果がどうあれここで交流しておくのは悪くないわ。比奈もこの前、彼にありがとうって言ってないなあって呟いてたじゃない」
「彩さん聞いてたんですか!?」
香月比奈が顔を赤くして声を上げた。
マネージャーさんはそれを華麗にスルーして、
「ということで私はこれで席を外すわね。しばらくの間ここには誰も入らないようにしておくから、ゆっくり話し合いなさい」
マネージャーさんは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「あ、そうそう。二人きりだからってうちの大事なアイドルに手出したら……わかってるわよね?」
ドアを開けて体半分がこちら側だけ見える位置でとんでもない事を言ってきた。
「出しません、絶対出しません」
手を出したくてもそんな勇気まずありません。
マネージャーさんは俺の言葉を聞いたのか聞いていないのかあっという間に出て行った。
気がつくと、部屋には依然変わらぬ位置で座るナンバーワンアイドルと、野獣化はしないと宣言するために勢いよく立ち上がった一般人こと俺が呆然と部屋に取り残されていたのだった。