九話「選択」
家の中で待機しているとチャイムが鳴る。どうやら最後の一人が来たようだ。
「……よく来てくれたな、比奈」
「一人で塞ぎ込んでるよりは誰かといた方が楽だから……むしろお礼を言うのは私の方だよ」
彼女はやはり元気という状態には程遠い。けれど今日の目的のためには来てくれないと困ったことになる。なのでこうして集合に応じてくれたのは嬉しかった。
比奈を家に上げる。
「全員揃ったな」
俺の家には安定のメンバー、由香梨、若菜ちゃん、久志、直弘が先に来ていた。
「わざわざ来てもらってすまない。これは俺と比奈がどうにかするべきことなんだけど、俺も比奈も八方塞がりなんだ。だから、とりあえず何が起きたかを聞いて欲しい」
皆を家に集めたのは言うまでもなく、恵ちゃん騒動の解決のためである。直弘に尻を叩かれ、梨花さんには背を押してもらった。後は俺たちが歩き出すだけだった。
まずは皆に状況を説明する。比奈の親友であるアイドルの卵、恵ちゃん。彼女が卵から孵化することが難しくなり、細かい事情を聞いたは良いが、今度は比奈との関係が悪化してしまったということを。
「これが俺たちが直面してる問題だ。今回は以前のように――公開恋愛の時と同じってわけにはいかない」
そもそもあれは比奈の人気を最低限復活させることが出来ればどうにかなる問題だった。元々比奈には人気があったし、何かしら刺激を与えさえすればある程度人気は戻ると踏み、予想通り上手く問題解決に至ることができた。
しかし、今回は違う。酷なことだが彼女の失敗は誰のせいでもなく、自身が招いたものなので外野の俺達が頑張れば即問題解決――というわけにはいかない。
彼女に対し俺たちはどうすればいいのか、何をすればいいのか。まるでゴールのない迷宮に迷い込んだ気分だ。
「何でもいい。思いついたことを適当でいいから言ってほしい」
だから、その迷宮にこの場でゴールを作ってみせる。
「いやー、難しい問題だね」
由香梨は唸りながら腕を組む。
「成る程。これは……中々話せないわけだ」
俺を焚きつけた直弘が弱気になってやがる。
「香月さんと安岡さんの関係が悪化した。まずはこれを直すのがいいんじゃないかな」
「……久保田君に賛成」
久志と若菜ちゃんが発言する。
「うん、恵とは仲直りしたい。けど今は……会うのが怖い」
比奈の言葉は当然だ。ただでさえ気が立っている所に嫌われている人間が会いに行こうとしているのだ。どんな罵詈雑言が放たれるか気が気じゃないだろう。そう考えると嫌われている相手と仲直りしたいなんて正気の沙汰じゃないのかもしれない。
しかし、俺は確信していた。恵ちゃんのあの暴言は勢いで言ってしまっただけであると。梨花さんの話を聞いた俺にはそうとしか思えなかった。
「まあ、何をするにも恵ちゃんとは会う必要があるから、比奈と恵ちゃんの関係についてはその時になるな」
それに会ったら会ったで嫌でもその話もしないといけなくなるだろう。
「その何かするって言うのだけど」
由香梨が手を上げて口を開く。
「言い方悪くなっちゃうけど、比奈の時と違って二人に直接の原因はないわけだよね。なら、比奈とその恵さんが仲直りするだけで他に何かする必要ないんじゃないかなって思うんだけど」
客観的に見たら由香梨の意見は最もである。
だが、
「菊池の言うとおりかもしれない。ただ今回はそうはいかない。細かい事はわからないが、だからこうして和晃は皆を集めたんだと思う。違うか?」
直弘が俺の言葉を代弁してくれる。彼の問いに頷く。
「今回、おいそれと見過ごすには知り過ぎたし、関わり過ぎた。それに一番納得いってないのは比奈なんじゃないかと思ってさ」
比奈がかつて体験した辛い思い。あの時と同じ状況が目前に迫っている。彼女は何も出来ない自分にきっとやきもきしていたはずだ。そうじゃなきゃ「諦める」と決意をした人間を、即座に真っ向から否定するなんてことしないだろう。
「うん……こんな形で終わらせたくなんかない。恵にはまだ諦めてほしくない」
やっぱり彼女ならそう思っていると信じていた。
しかし声を萎ませながら彼女は言葉は続かせる。
「けど、それは私の我侭だから。私が諦めて欲しくないだけ。まだ夢を捨てないで欲しいって思ってるだけなの。恵だって雨が降ったあの日から凄く……凄く悩んだはず。だって恵も私と同じように小さい頃からアイドルを夢見てたわけだから。何年も見続けていた夢を諦める――そんな決断は軽々しく出来るはずがない。でも彼女はその選択を選んだ。彼女の今の心境を理解できない私なんかが、簡単に彼女の選択を取りやめさせるなんて、そんなの愚かすぎるよ……」
比奈もわかっているのだ。自分が彼女にしてやりたいことは、自分の考えを押し付けようとしているだけだと。自分本位なだけだと。それがどれだけ罪のあることなのか、彼女は知っている。
「――我侭を人に押し付けちゃいけないのか?」
だから、俺は否定する。その行為が決して非道のものではないと。
「我侭を押し付けることの何が悪い。相手に何かしてもらう時、人は皆自分の考えを押し付けてる。学校だったら、誰かに委員長になってほしいだとか、班のリーダーになってほしいって頼む時とか。今日だってそうだ。ここにいる全員に、俺の家に来て欲しいと自分の我侭を押し付けた」
「それは言い方によるものだと思うんだけど。例えそうだとしても、今回のはそういったものとは比べられるものじゃ――」
「俺だって、比奈にはドでかいもんを押し付けたんだぞ」
比奈は俺の言葉に頭をかしげる。
「カズ君に何かされたっけ?」
「ああ、したさ。そうだな……ここにいる皆と友達になって欲しいっていうのもあったな。けどそんなことよりももっとドでかいものだ。俺達の『公開恋愛』だよ」
「『公開恋愛』が……?」
比奈は訳がわからない、といった風にきょとんとする。
「公開恋愛は一度失敗したな。俺も比奈も諦めかけてた。そんな時に俺は君の想いを聞いた。それがきっかけであの宣言をすることにしたんだ。どうしてかわかるか?」
比奈は首を横に振る。
「あの時比奈は夢が終わることに対して悔しいって言った。それを聞いて、俺は彼女にはまだ夢を続けさせたいって思った。だから比奈にはまだアイドルでいてほしいっていう我侭を俺は実現させたんだ」
「確かにその時の私は諦めかけてた。でも、恵とは違ってその選択肢は選んでなかった。そういった意味で全然違うよ! そんなのこじつけじゃない!」
比奈の声が一際大きくなる。感情が露になり始めていた。
「今回と前回は確かに全然違う。けど『我侭を押し付ける』というだけなら根本的に同じだと思う。……まあ、言っておいてなんだが、所詮こじつけだよ」
「だったら――もうそんなこと言わないで! 希望があるようなことを口にしないで!」
感情が高ぶったせいか、比奈は泣き出しそうだった。
それでも俺は止まるわけにはいかなかった。ここで怯んだら、比奈はまた苦しみを背負って悲しみながら前に進むことになるから。そんなこと――絶対に許さない!
「比奈はちゃんとわかってるじゃないか! 我侭を押し付けるっていうことがどんなに罪深いことなのか。わかっていてもなお、恵ちゃんに諦めてほしくないって思ってる。そこで比奈は自分の意思を相手にぶつけることもせず、黙って彼女を見過ごすのか。恵ちゃんはそれでいいかもしれない。けど比奈はどうなんだ。今までと同じように出来るのか? かつてどうすることも出来なかった辛さを、今回もまた何もせずに終わらせて。お前の想いは全て無下にされたままでいいのかよ!」
「何を言って――」
「……梨花さんに比奈のことを色々聞いた。比奈がまだグループで活動している時のこととか」
そのことを話すと比奈は罰が悪そうな顔をした。視線を逸らされる。
「そうやって視線を逸らすのも、梨花さんと会った時拒絶反応が起きたのも、まだ当時のことが忘れられないってことなんだろう? 同じグループのメンバーだった皆の想いを捨てきれてないんだろう?」
「……そのことは言わないで!」
彼女は耳を塞ごうとする。彼女の手首を掴んでそれを阻止する。
「放して!」
「そうやって逃げるのか?」
俺の言葉に比奈は抵抗を止める。
「そうやって逃げて、時間が経って問題が終わるのを待つのか? 今度は恵ちゃんの想いを忘れないように胸に留めて、一人でまた頑張るつもりなのか?」
「…………」
「それで本当にいいのかよ? 恵ちゃんは夢を諦めた。夢を頓挫した恵ちゃんの想いや苦しみを理解した。じゃあ、彼女の分まで頑張ろう。恵ちゃんの件ははい、これで解決って。……そんなの、恵ちゃんも、比奈も悲しすぎるじゃないか……」
いつの間にか比奈の腕から力が抜けていた。代わりに一筋の涙が彼女の頬を伝う。
「なら、私はどうすればいいの……?」
彼女の静かな問い。俺はうってかわって優しい声で答える。
「……もし比奈がどんなに言っても恵ちゃんの決意が固いのなら、その時はその時だ。でももし恵ちゃんに未練があるんだったら、どうにかなるかもしれない」
彼女がまだアイドルをやりたいと願うならば、まだ可能性はいくらでも残っている。
「恵ちゃんを説得出来るとしたらこの中では比奈、お前しかいない。彼女を一番『理解』しているのは比奈だからだ。他の誰かが言っても説得力は皆無に等しい。――比奈」
優しく彼女の肩を掴む。彼女の顔を正面からしかと見る。涙を浮かべたその姿も端麗だった。
「今回ばかりは比奈には押し付けない。香月比奈が選ぶんだ。君はどうしたい?」
彼女に選択を投げかける。
「私は……」
彼女は暫くの間考え込んだ。
自分の想いと恵ちゃんの想い。そして梨花さんやかつてのメンバーの想い、その当時のメンバーや自分の想い。あるいは比奈を形成してきた彼女の過去全ての想い。その全てと今の香月比奈の心が向き合おうとしている。
その末に出される結論は彼女に何を抱かせるのだろうか。
長いようで短い時間だった。比奈は決意のこもった瞳で顔を上げ、
「私は――」