七話「『理解』するということ」
「おはよう、香月さん」
「うん、おはよう……」
比奈は誰がどう見てもわかるぐらい衰弱していた。もはや作り笑いすらする余裕がないようだ。
そうなったとしてもおかしくない。この前の恵ちゃんとの再会はあまりにも酷かったからだ。
あれからまだ一日しか経っていない。学校を休んでもおかしくないと考えていただけにまだいい方だろう。
かく言う俺も大きなダメージを負っていた。比奈が受けたショックとは内容が違うが、それでも元気はなく、取り繕う気も湧かなかった。
「カズ、元気出せよ。どっちかが素直になればすぐ元通りになるさ」
机に伏せようとした所で久志がやって来た。隣には直弘もいる。
「……久志が思ってることとは多分違うよ」
「え? 香月さんと喧嘩したんじゃないの?」
やっぱりか。そうやって勝手に決め付けるのはよくないと思う。
「ああ。ちょっと俺たちが共有していることで色々とあってな……」
その色々に比べれば俺と比奈が喧嘩していた方がまだましだと思う。
「すまん、今日だけはちょっと普段のようなテンションでいられる気がしない……」
「そうか……でもあんまり溜め込むなよ。話す気になったらいつでも相談に乗るから」
「ああ、サンキュー」
こういう時、友達の有り難みを思い知る。すぐには無理そうだけど、早く立ち直るよう頑張らないと。あんまり心配はかけていられない。
「…………」
直弘は何か言いたげにこちらを見ていたが、大人しく久志と共に席に戻っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
憂鬱な時に限っては学校の授業は凄くありがたい。嫌なことがあっても集中すればその間は嫌なことを忘れられるからだ。中でも体育は段違いにありがたい。
「よーしお疲れ、高城! 休んだら上がっていいぞ」
授業の締めである長距離走をゴールすると先生から声がかかる。上がった息を整えながら水飲み場まで移動する。運動後の水分補給は気持ちがいい。潤った水がさらさらと喉を流れていく。
「お前も終わったか。お疲れ」
運動後の一時を堪能していると直弘がやって来る。あまり息が上がってないのを見るとペースを落として走ったと見える。力をセーブしたと見るべきか、サボッたと見るべきなのかどっちだろう。
「飲み物買いに行かないか?」
「今飲んだばかりだしいい」
というか水飲んでるの見てたろお前。
「そう固いこと言うな。小さいパックぐらいなら奢ってやるから、来い。風が心地いい素晴らしい場所を知ってるんだ」
「そういうところには女の子を誘ってやれ。ホモ展開はお望みじゃないだろ」
「何でもかんでもホモと決めつけるのはよくない。男の友情というんだ。来てくれるな?」
「乗り気じゃないけど……仕方ないな」
直弘について行く。途中自販機でイチゴオレの紙パックを奢ってもらう。
やって来たのは校舎の裏だった。数メートル先の学外には建物があり、その建物と校舎の間には隙間風が吹いていた。確かに運動後には気持ちのいい涼しい風だった。
「どうだ? 中々いい場所だろう?」
直弘は立ちながら壁に寄りかかる。
俺は彼の隣で座りながら壁に背をつけていた。
「ああ、気持ちいいな……授業サボってなかったらもっと素直に喜べたんだけど」
既に授業開始のチャイムは鳴っている。授業サボってまで来る必要はあったのだろうか。
「まあ、たまにはのんびり二人で話そうじゃないか」
「今期アニメのことか?」
「ああ、今期は某大御所声優が平気で毒を吐く学園推理モノがオススメだが――ゲームをプレイした身となるとネタバレしかなくて何も話せない」
なら何故そのアニメをチョイスした。
「そんなわけでアニメの話はなしだ。ここは素直に違う話をしようじゃないか」
直弘は俺のイチゴオレと一緒に買った紙パックのカフェオレをすする。運動後にカフェオレはどうかと思うぞ。
「――何があったんだ?」
ストローから口を放した直弘は流れるように切り出した。
「……今回ばかりは色々と、しか言えないな。少なくとも俺と比奈が大ダメージをくらう出来事だ」
「……それだけじゃ何が何だかわからん」
「だろうな。俺もだよ。どうしてこんなことになったのか、これからどうしたらいいのか。何もわかんねえ」
だからこうしてあぐねいているのだ。
「……お前、前に言ったな。人間なんて自分から知ろうとしない限り何も知ることは出来ないって」
「俺、そんなこと言ったか?」
全く記憶にない。
「まあそんなことだとは思ったさ。言ってたんだ、昔な。俺と和晃がよく絡むようになったきっかけのあの時のことだ」
ああ、あの時……。そんな大したことない思い出だと思うんだけど。
「悔しいが、その言葉は座右の銘に等しいぐらい価値あるものだ」
「マジかよ」
でも悔しいんだな。
「人間は超能力者じゃない限り他人の心を理解することなんか出来ない。それでも相手を理解するために『言葉』があるんだろう。わからないなら、相手と会話するしかない。相手の話を聞いて、受け入れることでようやく『理解』できるんだ。それこそ、つい先日の香月とクラスの件がいい例だ」
比奈とクラスメイト達の間にあった壁。それを壊すにはどちらも歩み寄る必要があった。
そのためには歓迎会という、無遠慮で話せる場が良い感じに『理解』し合うきっかけとなった。
「和晃の悩みが人と関わるものなら、わからないことを冷静に話し合う必要がある。……話して解決するような問題じゃないかもしれないが」
まあ、と直弘は続け、
「それでも信用する誰かに話すことは出来る。菊池に中里に久志……それと勿論俺にもだ。そうして塞ぎ込んでる間はやきもきしながら待つしかないが、お前らに起きていることを『理解』すれば、俺達が何か出来るかもしれない」
直弘が言っていることは少し前までの俺と比奈と同じだ。恵ちゃんがどうなったかわからなくて、話をしてくれればわかるのに、とモヤモヤしてた時のこと。
そうか、こいつらも俺達と同じなのか。
「まだ心の整理が出来てないなら無理して話す必要はない。だが少しでも協力者や共感者が欲しいと思ったならすぐに言え。俺たちは全力でお前らをサポートする」
――ああ、くそ。そんな簡単なことわかってたじゃないか。馬鹿か俺は。わからないなら、話して聞けばいい。例え本人じゃなくても、考えてくれるぐらいはしてくれるだろ。
「お前、いいところ持ってきやがって。悪いが、直弘がこんないい話してたなんて言わないぞ俺」
「構わん。ディスプレイの中の女の子に裏切られなければそれでいい」
いつもの直弘だ。ただ問題なのは今の言葉が照れ隠しなのか、本気で言ってるのかわからない所だ。
「どうだ。話す気になったか?」
「いや、まだ待ってくれ」
イチゴオレを飲み干す。甘い。糖分が体に伝わり、脳を活性化してくれる。
「誰よりも先に『理解』したいやつが一人いる」