二話「タイムリミットは一週間」
香月比奈。初めてその名前を聞いたのは友人からだったと思う。
その友人は基本アニメとかギャルゲー等の二次元系が好きだったんだけど、香月比奈については例外だった。久しぶりに三次元でいいと思える子がいたとか言ってたような覚えがある。
学校の女子達も好きな芸能人の話題かなんかで香月比奈の名を口にしていたような。
直弘が珍しく好きになった三次元の子――アイドルだから心の隅に記憶を留めていた。
あとは偶然つけたテレビで彼女を見かけたことがあるぐらいか。ああこれが香月比奈なんだと簡単に確認した。チラッと見ただけであんまり覚えてないんだけど。
彼女についての知識はこんなもんだけど、役者や芸能人にはあまり興味がない自分が名前を覚えているだけで大分凄いと思うから、それだけ彼女は人気のアイドルなのだろう。
そんな国民的人気アイドルが今、俺の隣に座っていた。
会社の応接間のような部屋で俺と香月比奈が隣席し、テーブルを挟んだ向かい側に女運転手――紹介によると香月比奈のマネージャーが着席している。
俺が連れてこられたのはどうやら彼女の芸能事務所らしい。
「……なるほどね。大体事情はわかったわ」
肘をついて手の甲に顎を乗せたマネージャーさんがため息をつきながら言った。
ここに着いてまずどんな経過があったのかを説明した。
香月比奈がチャラ男に絡まれたこと。そこに俺が割って入ったこと。逃げ出して一息ついたところが人気のない細い路地だったこと。そこでシャッター音を聞き、カメラを持った男が逃げていくのを目撃したこと。
香月比奈が何故あの公園にいたのかはこの場で知った。どうやら今日は久しぶりのオフということで、友達とあの場所で待ち合わせをしていたらしい。彼女は予定の時間より少し早く来すぎたみたいで、そこにあの男達が寄ってきたらしい。
「とにかく今の話を聞いて思ったことは」
マネージャーさんは俺に睨みをきかせて、
「貴方が意図的に人気のない路地に入ったんじゃないのかしらってとこね」
「いやいや意図的だなんてとんでもないです」
彼女の睨みがあまりにも怖すぎて全力で首を振る。
事実、意図的ではないのだ。走ったから息が乱れ、男達から身を隠すためにも咄嗟に逃げ込んだのが例の路地だったのだ。
「彩さん、彼の言ってることは本当だと思います」
「わかってるわよそんなの。貴女が香月比奈ってことに気づいたの車の中だし、知った時の驚きはどうみても演技じゃないわ。そんな男が彼女を助け出して好感度が上がったところで食べちゃおうなんてありえないもの。だから一応の確認ってところよ」
何だろう、無実はわかってもらえたけど凄い馬鹿にされた気がする。
「それに今重要なのはこれからのことなのよ。路地に入ったことも、写真を撮られたことも終わったこと。今更あーだこーだ言ったって仕方ないわ」
その通りだ。いつまでも過去のことを話していても問題は一向に解決しない。
「現状を改めて確認するわね。二人が撮られた写真はほぼ間違いなく、交際中の彼氏彼女のスキャンダルとして取り上げられるわ。あとどこの雑誌かにもよるけれど、場所が場所だけに、さらに走って息が上がったところまでばれていたら、白昼に淫らな行為をしていたなんて嘘っぱちを書かれる可能性もありえるわね」
「そんなことまで書かれるんですか!?」
香月比奈が声を上げる。
書かれてもおかしくはないだろう。マスコミはこういったネタをゲットしたら多少の誇張をするのも珍しくないはずだ。
しかもアイドルの不祥事をスクープしたということは、週刊誌の可能性が高い。週刊誌なら特にそういった誇張表現で書かれる可能性が上がるだろう。
マネージャーさんも写真を撮ったのは週刊誌の関係者と仮定して話を進める。
「シャッター音も聞こえて、それでいてカメラを持つ人物を見たということは相当近い距離で撮られたと考えていいわ。となるとかなりはっきりと顔が写っているから、週刊誌といえど本当のスキャンダルと認識される可能性はかなり高いわ」
マネージャーさんの言ってることはどれも的を得ているように思える。こういったことがさっぱりな俺には正しいのかどうかはっきりしないが筋は通っている。
「幸いなことに、週刊誌は昨日発売されたばかりということね。次号の刊行まで……つまり一週間は不祥事が表に出ないはずよ」
逆に言えば一週間したらトップ記事として扱われるわけなんだけど、とマネージャーさんは呟いた。
「あの、その一週間でどうにかすることはできないんですか?」
質問してみる。
素人だからどうしようもないように見えるだけで、事務所の圧力とかそういった大人の事情的なもので写真を差し押さえたりできるんじゃないかと考えたのだ。
「出来るならこうやって呼び出したりしてないわ。でかいネタだから相手も絶対に譲らない。こちらから写真、発刊に関しては打つ手なしね」
それこそ本当にどうしようもない状況だ。
チラッと香月比奈の顔を窺う。
項垂れていた。一言も発さずただ床を見つめていた。
彼女の姿を見て酷い罪悪感に捕らわれる。
過去を振り返ってもどうしようもないとはわかっているが、誤解を生みやすい場所に逃げたことを後悔する。
「正直、今は貴方達二人に出来ることは何もないわ。社長に連絡して今後の対応を考えるのが現状では最善ね。比奈、気持ちはわかるけどあまり落ち込まないで。少なくともあと一週間は今まで通りなんだから。そんな暗い表情でカメラに映ったらそれこそ貴女の芸能生活が終わるわよ」
終わる――今回の件が最悪の事態に発展した場合あり得ることだとは考えていたが、実際に言葉にすると、とてつもなく重い。
「……そうですよね。こんな状態じゃ駄目ですよね。私達のために皆さんが頑張ってるんだから、私が頑張らないと」
香月比奈はその言葉を聞いてもなお顔を上げた。
彼女は追い込まれているはずなのに。心の中はきっと焦りと不安で一杯なはずなのに、それでも前を向いた。
純粋に凄いと思った。彼女がどういった想いや理由を持ってこの仕事に臨んでいるかは知らないが、強い意志を感じることができた。
「ええ、私達もこの一週間で何かしらの対抗策を考えてくるわ。それまではいつもどおりよ。いいわね」
はい、と香月比奈の力強い返事が部屋に響いた。
「さて、と。あと残っていることは――そこの貴方」
思わずヒートアップして立ち上がっていたマネージャーさんが見下ろしてくる。鋭い眼光にビビッて思わず「はい」の返事と共に立ち上がる。
「今後どんな風に転がるかはわからないけれど、とにかく貴方も当事者よ。事によっては今後の人生に影響してくることも十分考えられるわ。何が起こるかわからないし、貴方の連絡先を教えてもらえないかしら? 比奈にはもちろん、貴方にも策が思い浮かび次第連絡するわ」
「はい、わかりました」
「なら、まずは名前を聞かせて頂戴」
「俺の名前は高城和晃です」
それからマネージャーさんにメールアドレスと携帯番号、あと住所や年齢、学校等を教えた。何でも緊急の場合はあちらからやってくるとのことで聞いたらしい。
「高校二年ということは比奈と年が同じなのね」
「そうなんですか?」
確認を取るように香月比奈を見る。彼女はこくんと首を縦に振った。
「後は……一応念のために比奈と連絡先を交換しておいて」
「はい……って、ええ!?」
アイドルと連絡先を交換!? マジでか!?
「念のためによ。ただ私用での連絡はなるべく止めなさいよ」
香月比奈は携帯を取り出して近づいてくる。
「QRコード読み取れます?」
「え、は、はい」
彼女がアイドルということをどうしても意識してしまう。
彼女から見たら弱気な男とか思われてるんだろうな。悲しい。
こうして長い一日は幕を閉じた。
女の子を助けるといった漫画やドラマ的な展開、人気アイドルとの出会い、人気アイドルとのスキャンダル騒動、最後にアイドルとの連絡先交換――。
これだけで大分濃い出来事なのだが、この日から三日後。
自分の携帯に今後の人生を大きく変える連絡が入ってくることになる。