六話「ヒロイン錯乱」
比奈の転校から一週間程経った。彼女に群がる人だかりは日が経つごとに減ってはいるが、なくなることはなかった。
彼女は一見プライベートを上手く過ごしているように見えた。だが、よく観察しているとそうではないことがわかってしまった。
浮かべる笑顔が仕事モード――いわゆる営業スマイル、社交辞令のための笑顔、つまり表面だけの笑顔だったのだ。
クラスメイト達と仲良くしてるように見えて、どこか距離を置いているよ。俺はそんな風に思えた。
普通ならそれに気付いたからといってどうにかするわけではない。しかし彼女の場合は少し事情が違う。このまま黙って見過ごすことはできなかった。
だから俺は思い切って聞いてみることにした。
「そういえばカズ君、私のグッズを集めてくれてるんだよね? 驚いたけど、嬉しかったよ」
ラジオ収録前、本番が始まるまで控え室でいつものように雑談をしていた。
彼女が今見せてくれている笑顔はちょっと照れが入った控え目な笑顔。
この表情を俺だけに見せてくれていると考えるとそれはそれで嬉しいけど……。同時に切ない気持ちにもなった。
「ああ、今じゃ俺も立派なアイドルの香月比奈ファンだからな」
はは、と作り笑いを浮かべる。
このままじゃダメだ。今までのように彼女と話すことが出来ない。
意を決する。
「一つ尋ねたいことがあるんだけど、いいか?」
「何?」
「比奈を見てるとさ、俺以外のクラスメイトと少し距離を置いてるように見えるんだけど、それは俺の勘違いか?」
勘違いならそれに越したことはないんだけど……。
「き、きっと気のせいだよ……!」
彼女は一瞬動揺し、僅かに目を逸らした。それで自分の勘違いではないことがわかってしまった。
本当なら本当と、正直に言ってくれた方がまだ何倍もよかった。こうして嘘をつかれる方が辛い。
「……誤魔化す必要はないよ。比奈を責めるつもりもない。ただ、教えて欲しい。なんで俺に嘘をついてまで皆と偽りの関係を演じるんだ……?」
「カズ君……」
よっぽど酷い顔をしてたのだろう。彼女は俺を見て悲壮な表情になる。
「……わかった。全部話すから、そんな悲しい顔しないで。カズ君は何も悪いことしてないんだから」
優しく宥めるように言われる。
次に彼女は携帯を取り出し、おもむろに操作を始める。
「何で携帯?」
俺の疑問に彼女は答えず、そのまま操作を続ける。
「これを見てくれれば大体わかると思う」
彼女はそう言って携帯を差し出してくる。
見ていいのか? 人の……それもアイドルのプライバシーを覗くのは気が引けるんだけど。
恐る恐る携帯に視線を延ばす。
画面には数人の名前やメールアドレスが書かれている。どうやら連絡帳を開いた画面らしい。
――ん? 数人?
彼女の携帯に手を伸ばし、画面がスクロールしないかどうか液晶に触れる。他の画面に切り替わらないかどうかスワイプもしてみる。だが、表示される画面は全く変わらない。
じゃあ、彼女の連絡帳はこれだけということになるのか? 両親やマネージャーさん、それと片手で数えられるぐらいの申し訳程度の友人らしき人達の連絡先。
……す、少ない!
「えっと、比奈、これって――」
「ふふ、わかった?」
いつの間にか彼女は体育座りをしていた。背中をこちらに向け、声の元気が失われていた。こころなしか彼女の頭上に黒雲が発生して、つむじに向かって雨が降り注いでいるような気がした。
「あ、えっと、その……」
「……ふっ、皆まで言わなくて結構よ」
彼女は薄く笑みを浮かべ、
「見ての通り、私って友達が少ないんだ。滑稽だよね? 国民的アイドルがクラスの同級生達とはまともに付き合えてないんだ。ふふ、笑っちゃうよね、ていうか笑ってちょうだい。あはははは」
比奈が壊れた!?
ま、まずい。このままではヒロインのキャラクター像が崩壊してしまう!
さっきまでの威勢はどこに行ったのか、俺は彼女に完全に翻弄されていた。
「お、落ち着け、比奈。人格崩壊しかけてるから! 色々な意味であられもない姿を晒してるから!」
「ふふ、ぼっちの私には関係ないもん」
「いや、あると思うぞ!?」
ファン達が今の比奈の姿を見たら幻滅するんではなかろうか。中にはこんな比奈たんもいいとかほざくやつもいそうだが。
ど、どうする? どうすればいい? 下手に元気付けようとしても彼女を更に追い込んでしまいそうだし。えっと、えーっと……。
「別に友達が少なくてもいいじゃないか!」
とりあえず力説してみる。
「友達が多いカズ君に言われても……」
俺も別段友達が多いってわけじゃないが……。彼女にしてみれば多いってことなのだろうか。
「友達は量より質だろ!? 比奈には俺がついてる。俺は、俺たちは親友だ!」
言っててもうわけがわからなくなってきた。
だが、思いのほか効いたらしく、
「親友……? カズ君が……?」
「ああ、日は浅いけど、俺たちはこんなにも仲良しじゃないか。これを親友といわず何と言う」
「あは、あはは……ちょっと無理があるけど嬉しいよ」
やっぱり無理ありますよね。
でも彼女も冷静になってきたのかようやく調子が戻ってくる。
しかし無理がある、か。分かってはいるけど、実際言われてみると何か癪に感じるな。
「いや、俺は大真面目に言ってる」
「私たちが親友だってことを?」
頷く。少なくとも彼女は俺の中でただの女友達のカテゴリーにはいない。
「あ、えっと、ありがとうございます?」
彼女は眉をひそめながらお礼を言ってきた。
「俺なんかじゃ頼りないけどさ、俺が比奈に出来ることなら何でもするから。仕事仲間もしくは同級生以上の関係として扱ってくれ。俺もその方が嬉しいし」
これは本音だった。
「俺も男だ。言ったことには責任をもつ。だから、どんとこい」
少し前にも同じようなことを言った気がするが、まあいい。ここは勢いで乗り切るとしよう。
「カズ君……」
彼女は俺を見つめてくる。
「じゃあ、その、私の始めての親友として責任取ってくれる……?」
そして何故か潤んだ瞳で上目遣いして俺を見上げてきた。
彼女の仕草に思わずドキリとする。元々の可愛さもあいまって、とてつもない破壊力を生んでいた。
この子はきっと無意識に行動を起こしている。所謂天然ってやつだろう。
色っぽい会話をしているわけでもないのに、それとなくエロスを感じる。 理性ゲージが高校生男児のキャパシティを完全に超えている。
「じ、自分で言っといて何だが責任を取るって何をすれば……?」
まともに彼女の顔を見れず視線を逸らす。
そんなのお構いなしに、彼女はガシッと俺の両手を掴んで、
「今週末、遊びに行こう!」
さっきとは一転、キラキラした瞳で言い切った。
「あ、でもカズ君に予定あるなら諦めるけど」
「ど、土日は今のところ予定入ってないから大丈夫。比奈こそ仕事とかは入ってないのか?」
「今週の土日はどっちも一日オフだから全然大丈夫! 仕事少なくなってるし!」
何気に胸にグサリと来る一言を放ちつつ、彼女は喜色満面の笑顔を灯す。
先程のロウテンションはどこいったのか、有頂天のご様子だった。
子供みたいで微笑ましい。
「じゃあ、後でどうするか二人で考えるか」
「うん! 今度はちゃんとプライベートのお出かけだね!」
一回目はカメラの前で恋人を演じ、二回目はプライベートだったけど深刻な話しかしていない。純粋に遊びに行くというのはこれが初となる。
でも、出来たら俺と比奈の二人きりじゃなく、俺と比奈も含めた皆で遊ぶのが理想だった。二人でというのも勿論悪くないんだけど、折角ならワイワイ騒ぎたい。
そういえば、肝心なことをを忘れていた。何故彼女は他人との間に壁を作るんだ、という疑問はまだ解決していなかった。
彼女自身が友達が少ないことにコンプレックスを抱いているせいか、彼女の裏の一面を見て戸惑い、そこらへんはすっかり頭から抜けてしまっていた。
現在歓天喜地の彼女にそれを聞くのは流石に気が引ける。本番も近いし、ラジオの収録後に今度こそ訊ねよう。
俺が彼女に対してどう思い、何をするか考えるのはその後だ。
だから今だけは彼女夢見心地な様子を眺めておくだけにした。
ちなみにこの後のラジオの収録で比奈が異常な盛り上がりを見せていたのはまた別のお話。




