二話「フラグ回収」
二学期が始まってから数日が経った。
未だに俺に群がる人間は多い。けれど初日に比べれば大分穏やかになった。ただ何かある毎に比奈との関係を結びつけるのはちょっと違うと思うんだ。
風呂から上がってリビングに入る。改めて一軒家に一人暮らしはおかしいだろと考える。
親父が仕事の関係で海外に行くことになったのだが、俺は日本に残りたいと伝え、そうなった。まあ、それ以外の事情も大きく絡んでいるのだが……。とにかく、今迄住んでた家にそのまま一人暮らしすることになったのだ。お陰で一人には広すぎる贅沢な生活を送っている。
扇風機の風で涼みながらぼーっとしていたら急に音楽が流れてきた。
この曲は確か……比奈のデビューシングルの曲だ。比奈と出会ってから彼女のCDやグッズを集めている。周りから見れば立派な彼女のファンだ。
しかしテレビもラジオも付けていないのにどうして彼女の曲が流れるんだろうか。思い当たる節を考えてある結論に辿り着く。
「まさか……!」
立ち上がり、音を頼りに携帯電話を探す。見つけた時、やはりそれから歌は流れていた。
携帯の着信音は人によって好きな音楽とかイメージに合った曲に設定している。比奈の曲を着信音に設定しているのは連絡帳の中で一人しかいない。
「も、もしもし」
使われることはないと半ば諦めながら着信音の設定をしていたのだ。まさかの展開に緊張で声が震える。
『あ、カズ君?』
電話の相手は着信音の曲を歌っている本人だ。彼女はこちらの様子に気付くことなくいつもの調子で喋りかけてくる。
「あ、ああ、そうだよ」
『今時間大丈夫?』
「大丈夫。それよりも突然電話なんてどうしたんだ? 何か急な仕事があるとか?」
『いや、仕事の話とかじゃないよ。あくまで私情で少し話したいことがあって」
私情。私情、か。
スタジオでは普通に顔を合わせてる。雑談だってしている。それでも何かこう、アイドルが俺なんかの電話してくると思うと非常に感動的だ。しかも仕事の話じゃなくて、個人的なお話ときた。
無駄に高揚してガッツポーズを取ってしまう。ここ数日間クラスメイト達にいじられた甲斐があるぜ!
「話したいことって何だ?」
あくまで平然とした態度で彼女と会話を続ける。
『うーん、大したことじゃないんだけどね。学校の方はどう?』
「学校の方? まあ、皆の見る目が変わってちょっと苦労してるかな」
『あ、やっぱり? 大変な目に遭ってるかもしれないって思って聞いたんだけど……私も売れ出した頃は色々とあったから』
「芸能人ってやっぱ大変だなあ。まあでも、茶化されたりはするけど、大丈夫だよ。なんだかんだで周りはいいやつばっかだからさ」
ただ、明日以降に電話の履歴を見られたら直弘辺りに殺される可能性がある。全力で携帯を死守せねば……。
『うん、それならよかった』
「比奈の方は? やっぱり慣れたもんか?」
『私? 私は……良くも悪くもいつも通りだよ』
今、比奈の声のトーンが下がったような気がしたけど……気のせい、か?
『学校始まってからずっとそのことが気掛かりだったんだよね。そこまで問題ないみたいでよかったよ』
「話ってこれだけ?」
『そうだけど……迷惑だった?』
「いや、そんなことない! むしろ気にかけてくれて嬉しいぐらいだ」
『ならよかった』
比奈が電話越しに微笑みを浮かべているのが想像出来た。
「実はこっちからも聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
『うん、構わないよ』
「ほんとか? えっと、二つ程あるんだけど」
まず先に学校が再開してから直弘からしきりに促されていることだ。
「友達に比奈の大ファンがいてさ、サイン貰ってきてほしいって言われてるんだけど、そういうのって大丈夫?」
公開恋愛を告白した時に約束した代物だった。忘れてくれていることを期待してたんだけど、そんなことなかった。
『大丈夫……だけど』
「だけど?」
何だか歯切れが悪い。素直に大丈夫って言われるかと思ったけどそうでもないのか。
『その人には今回だけね。あまりサービスし過ぎると止まらなくなっちゃうから』
なるほど。確かに毎回毎回気前よくサインしてたらキリがない。やはりそこら辺のサジ加減はしっかりしてる。
「ん、了解。友達にもそう伝えとく。それであともう一つのことなんだけど」
本当に聞きたかったのはこちらの方だ。直弘の約束はついでに過ぎない。
「実はこの前うちの学校にマネージャーさんが来たんだ。来校した理由を聞いたら比奈が知ってるって言われてさ。やっぱり何か知ってるのか?」
『ああ、多分あのことか……。知ってるよ。けどまだ教えたくはない……かな』
「……え」
教えてくれない……だと……。好感度がまだ足りてないのか……?
『あ、特に悪気があるわけじゃないから心配しないで。そのうち嫌でもわかると思うから。このことは胸にしまって置いてくれるとありがたいかな』
そういやマネージャーさんもそんなこと言ってた気がする。気にはなるけど、そこまで言うなら大人しく事が判明する日を待とう。
「わかった。その日が来るまで楽しみにしてる」
『ありがとう。きっと驚くと思うから覚悟しておいてね』
驚く? ほんと一体何を企んでいるんだろうか。
『そろそろ明日の準備しなきゃ。突然電話してごめんね』
「いやいや、むしろ大歓迎だって。アイドルから電話がかかって来るなんて幸せ者だよ俺は」
クスッと彼女が笑ったのが聞こえた。
『お世辞でも嬉しいな。それじゃあね、カズ君。また明日』
「お世辞なんかじゃないぞ。じゃ、またな」
そこで電話は切れた。しばし彼女との電話の余韻に浸る。
ほわんほわんとつい先程の美少女との通話内容を思い描き――そこでとあることが思考の断片に引っかかった。
明日って比奈と会う用事あったっけ……?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「和晃、昨日何かいいことでもあったの?」
「え?」
翌日。ばったり出会った由香里に突然訊ねられた。
由香里とは家が近いせいか通学路でよく出くわし、一緒に登校する。出る時間とか特に決めてるわけでもないんだけどね。不思議なもんだ。
「何でわかった?」
「見ればわかるわよ、そんなの。伊達に小さい頃から付き合ってないんだから」
顔には出さないよう気は配っていたはずなんだけど。流石幼馴染ってところだろうか。
「何があったの?」
「ああ、実は……」
昨日の夜比奈から電話がかかってきたことを話す。
「それで浮ついてるわけか。あんたは初めて好きな人と電話した中学生か!」
その例えはどうだろう?
「とにかくそんな今にもニヤけそうな顔だと不審に思われるよ」
「そんなの構わないさ」
「少しでもボロが出たら女子に幻滅されるよ」
「わざわざ俺に幻滅する女子なんていないだろうに」
久志とかなら話は別だ。あいつは爽やかイケメンだからな。畜生。
「あれ、あんた自覚ないの? 和晃って女子から結構評判いいんだよ」
「なん……だと……」
冗談かと思ったけど、由香里からふざけている様子は感じられない。
「え、ということは俺のことを好きな子とかいるのか?」
「知ってても言うわけないでしょ。恋する乙女の内情をそう簡単にばらしてたまるか」
「なら俺以外はどうだ? 久志とか直弘とか」
由香里はうーん、と首を少し捻ってから。
「久志君は相変わらず凄い人気だよ。正直モテモテね」
だろうな。久志は運動も出来るし、気配りとかも出来る。何より優しい。あの爽やかな笑顔に癒しを感じると同時に妬みも感じてる俺が言うんだ。間違いない。
問題は直弘だが……。
「直弘君も評判は決して悪くないんだよね」
「そうなのか?」
教室でも平気でギャルゲーだったりアニメの話をするやつだ。顔はともかくそういった所が女子には不評だと思ったんだけど。
「久志君や和晃とつるんでるから少し霞みがちなのよね。あと堂々とアニメとかの話してるのも印象悪くしてる原因かも。でも性格や外見は悪く思われてないわよ。あと趣味がわかる人には結構好印象だし、好きなことを人目も気にせず語れるのは素敵、なんていう人も中にはいるわね」
「それは意外だな」
直弘本人が俺はキモがられてるからな、とか自虐してたけど、あいつの春も案外近いのかもしれない。
「あと若菜ちゃんの男子からの評判は?」
「……何で異性の私にそれを聞いてるのよ」
俺はそういった情報には男女関わらず疎い。大体は直弘や目の前の由香里から情報を仕入れている感じだ。
「わからないのか?」
「……男子からは大人気ね」
「外見?」
「外見」
だよなあと思う。
若菜ちゃんは女子の中でも背が小さいわりに胸がでかい。それに合わせて日本人形のような華麗な容姿である。そんな彼女は当然見境ない男子から目を付けられている。
「一部の男子からは性格も含めていいって人もいるみたい。そういう人は若菜を本気で好きになってもおかしくないかもね。というか見た目だけで告白してくる輩がいたら容赦無く潰す」
由香里の背後に鬼が見えた気がした。
潰すというのは行き過ぎだけど、若菜ちゃんのことは俺たちが守らないといけないって思う。
彼女は元々大人しい性格で、感情をあまり表に出さない。彼女が俺達と友達になったのも、由香里が強引に近づいたからだ。でも今では彼女も大切な友人の一人だ。友達として、彼女を変なやつに明け渡すわけにはいかない。
「さて、聞きたい人物はこれだけかな?」
由香梨はちらっとこっちを見てくる。意図は大体わかる。この流れは由香里自身がどう思われているか聞くべきなんだろう。
「俺は由香里に関しては何の心配もしてないさ。もしお前に好きな人とか、彼氏が出来たりしたら暖かく見守ってやるよ」
「もし私がガラ悪い連中と付き合い始めたら?」
「ぶん殴ってでも正気に戻してやる」
まあそんな心配、するだけ無駄なんだろうけど。
何が可笑しいのか彼女はクスりと可愛らしい笑顔を見せた後、ニヤリとからかうような微笑に変化する。
「和晃はあの時のこと、後悔してる?」
ああ、やっぱりか。彼女が恋愛話をした後に俺に向ける悪戯な笑みはこのことを聞く合図なのだ。
「いや、してないさ」
あの時の選択について後悔はないし、今も正しい判断だったと思ってる。
「……朝から凄く意味深な会話してる」
俺と由香里の間からぬっと若菜ちゃんの顔が出てくる。
「若菜ー! おはよー!」
「……朝から由香里は元気過ぎ」
「俺も若菜ちゃんに同意だ」
さっきまでの湿っぽい空気はどこに行ったのか、三人で賑やかに登校した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
教室に入るといつも以上に騒々しかった。
「今日何かあるのか?」
先に来ていた直弘に訊ねる。
「何でもうちのクラスに転校生がやって来るらしい」
「へえ。どんなやつが来るのか分かってるのか?」
「凄いイケメンな帰国子女とか、超絶可愛いハーフの女の子が来るって噂だね」
傍にいた久志が答えてくれる。
「つまり転校生が来る事しかわかってないのか……」
ただ、教室が賑やかな理由は把握した。まだ見ぬ転校生について皆色々な想像をしているわけだ。妙な期待を懸けられている転校生が気の毒だ。
――また明日。
その時ふと昨夜の電話の言葉が思い出された。いや、そんなまさかな……。
「おらー全員席に着けー。朝のHR始めるぞー」
だが、想像を否定しつつも最近の出来事を思い返すと、一本の線となって繋がっていく。
「この騒ぎっぷりから皆わかっているようだな。今日はHRの前に転校生を紹介するぞー」
ラジオでのやり取り、マネージャーさんの来校、そして昨日の電話を切る前の彼女の言葉。これら一連の出来事が示すことは――。
「先に言っとくが、お前らあまりうるさくし過ぎるなよ。さ、入って来なさい」
先生が声をかけると一人の女の子が教室に入ってくる。
彼女は長く艶やかな黒髪をなびかせ、端麗な横顔を覗かせる。すらっとしたプロポーションに、大きくはないが決して小さくもない胸に、モデルのような長い足。蝶のような美しさを持った彼女はこの小さくて小汚い教室には異端の存在にみえた。
正面を向いた彼女は天使のような微笑みを浮かべ、元気よく頭を下げた。
「始めまして。今日からこの教室で一緒に勉強させてもらいます。香月比奈です。よろしくお願いします」
――ですよねー!