一話「新たな日常」
新学期が始まった。
崎ヶ原高校への通学路は崎ヶ原高生の波で埋まっている。
ただでさえ残暑の気怠さ、学校が始まるという憂鬱さなどによってうんざりさせられているのだが……。今日はいつにも増してうんざりしていた。
周りを見渡すと、ほとんどがこちらをチラチラ視線を寄越しながらヒソヒソ話し合っている。おまけにちょっと目が合うと慌てて視線を外してくる。
自分がこういった好奇の視線に曝されているのには訳がある。
およそ一ヶ月前、俺こと高城和晃はアイドルの香月比奈と出会った。その出会いは少々特殊なもので、その際のトラブルを解決するために恋愛模様をあえて公開するといった『公開恋愛』を彼女とすることになった。それだけでも目立つ理由にはなるが、公開恋愛は一度失敗し、何とか打開しようとテレビでよくわからない宣言をした。それによって俺という存在は全国的に知られるようになったのだ。まあお陰で香月比奈は窮地を脱することができ、いいのか悪いのか公開恋愛も続くことになったんだけど。
ある程度世間に曝されるのは覚悟してたが、こうも同じ学校の生徒に見られまくると流石に不快な気持ちが湧いてくる。
はあとため息をつく。すると肩にぽんと誰かの手が置かれた。
「朝からお疲れじゃないか」
「ああ、久志か」
久志は名前を呼ばれると爽やかな笑顔を浮かべた。こいつのこの笑顔を見ると心が落ち着く。
「人気者っていうのも大変だね」
久志が周りを見る。何故か一部の女子がキャーと黄色い声を挙げた。
「ほんとだよ。今からでも家に戻ってそのまま閉じこもってしまいたい」
「引きこもりになってどうするのさ……。それに通学路を逆走すればそれこそ好奇の視線を浴びるんじゃない?」
「だよなー……。とにかく憂鬱だ」
肩をがっくりと落とす。
「でもこんなのまだ生温い方だと思うよ」
「どこをどう見たら生温いと思えるんだよ」
「俺たちのクラスに入った時のこと考えてみ」
「……あー、うん」
納得した。茶化してくる男子共、詳細を聞いてくる女子達、怒りをぶつけてくる比奈ファン……クラスの三大勢力が迫ってくるのが目に見えるようだ。
「何だか頭が痛くなってきた……」
「心中お察しするよ。ま、いざとなったら事情を知ってる俺たちがフォローするから、少しは元気出しなって」
「わざわざすまない。よろしく頼む」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「アイドルの彼氏がお出ましだー!」
「…………」
事情を知っている側の一人である由香梨はむしろ囃し立ててきやがった。
彼女は面白いものが好きだから、予測は出来たが、しかし……。
離れた位置で見守ってくれている久志を見る。苦笑しながらどうしようもないと手を振った。
俺は今、囃し立てる男子共と何かと質問してくる女子達、怒りの抗議をしてくる比奈のファンに囲まれている。通学中に予想した通りだ。ちなみにそのどれにも属さない同級生達は一応興味はあるようで、こちらの様子を見続けていた。
せっかくの長期休み明けなんだ。夏の思い出とか、もっと他の話に花を咲かせて下さいお願いします。
「おら、チャイム鳴ったぞー。朝のHRやるから静かにしろー」
呑気な声が飛んできた。担任の越塚先生だ。いつもは頼りない先生だけど今日の彼は救世主に思える。
「久しぶりの友達との再会だ。喋りたい気持ちはわかる。だけどしっかりする時はしっかりしろよー。だからほら、静かに。特に高城」
「いやいやいや」
それはおかしい。だんまりを決め込んでたし、俺の周囲に群がるクラスメイトに言うべきだそれは。
生徒達は渋々各自の席に戻る。
「うーっし、全員席着いたな。出席取るから返事しろよー」
先生はやる気のない声で生徒の名前を読み上げていく。
「全員元気そうだな。じゃあ始業式始まるから並んで体育館行けと言いたい所だが一つ連絡だ。皆も知ってると思うが、高城が夏休み中に馬鹿なことをやらかした」
先生がこちらに顔を向けてくる。クラスにドッと笑いが起きる。
「高城のやったことはまだ継続中で、一応芸能人の仲間入り……になったんだよな?」
「ええ、そうですね」
これから先テレビやラジオに出演する機会があるので、比奈と同じ事務所にタレントとして所属することになったのだ。それらに関する対応については夏休み中に学校に話を通してある。
「それでこの先、こいつに仕事がある場合はそちらを優先することになっている。その場合高城は公欠扱いになるから覚えとけ」
先生の話はそれで終わった。相変わらずいい加減な人だ。
「……学校あまり来なくなるの?」
体育館に移動中、若菜ちゃんが聞いてくる。
「いや、マネージャーさんの方針が仕事より学業優先って感じだからどうしてもっていう時以外は休まないよ」
ただでさえ俺は香月比奈の副産物みたいなものなのだ。基本自分が仕事する時は比奈とセットで出る。ラジオも収録は夕方以降だし、滅多に休むことはないはずだ。
「……よかった」
若菜ちゃんはほっと胸を撫で下ろした。出席日数とか気にしてくれたのだろうか。
「心配してくれてありがとな」
彼女の頭をぽんぽんとはたく。
若菜ちゃんは背が一回り小さくて頭に手が置きやすい。だからついついやってしまう。
彼女は顔を真っ赤にして小走りで先に行ってしまう。
「可愛い彼女がいるのに罪な男じゃないか」
どす黒い声を発しながら直弘がやって来る。
「お前も本当の事情を知ってるじゃないか」
「まあな。それでも許せないものは許せん」
めんどくさいやつだ。
「勘弁してくれ。ただでさえ色々な奴に目を付けられてるんだから」
「それがせめてもの報いだ。わはははは」
「直弘は今日も絶好調だな」
思わずため息が出た。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
新学期初日ということで学校は午前中には終わった。いつものメンツで下校する。
「人気者は大変だねー」
由香梨は心底楽しそうに笑う。
「色々な奴に話しかけられてたもんね。中には写メ撮ろうとしてた奴もいたし」
「香月比奈と知り合うことが出来たんだ。これでもお釣りが返ってくるほどだろう」
「……モテモテ」
話題は俺のことで一杯だった。いちいち反応するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
「あら高城君じゃない」
聞き覚えのある声に顔を上げると見知った顔がいた。
「マネージャーさん?」
「奇遇ね。今帰り?」
はい、そうですと頷く。
「一緒にいる子達は高城君のお友達ね」
「はい。あ、こいつらは比奈と俺の事情を知ってる友達です」
「ああ、あの例の協力者達ね」
公開恋愛宣言をする前、マネージャーさんには何をしたか一通り話してある。
マネージャーさんは簡単に自己紹介をし、友人達も彼女に挨拶を交わしていく。
「そういえばどうしてうちの高校にいるんですか?」
「あら、比奈はまだあなたに話してないの?」
俺に話してない? 連絡ミスかな。
聞いてないです、と返答する。
「……そう。だったらここは秘密、ということにさせて貰うわ。そのうち嫌でも理由はわかることでしょうし」
「はあ」
それじゃあ、高城君、次の収録時に会いましょうと意味ありげな笑みを見せてマネージャーさんは校舎に向かっていった。
どうやら俺の知らないところで何かが動き出しているみたい。内容が気になるところだが……後で比奈に連絡を入れてみよう。
「あの人、かっこいいねー」
「……出来る女性って感じ」
女性陣はマネージャーさんへの感想を述べている。
「くそ、和晃め、香月比奈に留まらずクールな美人とも仲良くなってるだと!」
で、何故か地面を叩きながら悔しがっているのは直弘だ。アスファルトは熱くないんだろうか?
「ああいう人と話すところを見ると、改めてカズが遠いところに行った……って表現はちょっと違うか。凄いことしたんだなって思えるよ」
久志の言う通りだ。
夏休み前の自分と今の自分を照らし合わせると、ああいった仕事をしている年上の女性と関わっているなんてまず考えられない。
今までの日常はきっともう戻って来ない。名残り惜しいかどうかと問われれば、そりゃあ名残り惜しいけど……。
でも前の空っぽな自分と比べれば、今こうして何かをしている自分の方が断然マシだ。そういった事を考えると新たにやって来た賑やかな日常も悪くない……と思う。多分だけど。
ぼんやりとそんなことを考えた。