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七話「IF『アイドルと公開恋愛中!』 その三」

『「わあ、綺麗!」


 ウエディングドレスを身に纏った比奈を見て恵が瞳を輝かせる。



「に、似合ってる?」


「似合うってレベルじゃないよ! 比奈という美しい蝶のために用意された羽みたいな一体感!」


「お、大袈裟だよ」



 過剰ともいえる褒め言葉に比奈は頬を赤く染める。それが一層彼女の美しさを助長するわけなのだが。

 今日は比奈と慶の結婚式が行われる。新婦となる比奈は待機室で白くて華やかなドレスに身を包み、人生で最も幸せだといわれるイベントに乗り込もうとしている。

 比奈と恵がウエディングドレスで盛り上がっているとドアにノックがかかる。開けた先には若菜がいた。



「若菜……。来てくれたんだ」


「……親友の晴れ舞台だから。来ないわけにはいかない」



 若菜は比奈の全身を眺め回す。



「……うん。輝いてるね、比奈」



 先日再会した時と違って若菜は穏やかで優しい微笑を見せる。尾を引く別れかたをしただけに若菜の態度に少々驚いたが比奈も微笑を返す。



「……しつこいけど、最後に聞かせて。ここまで来てしまったけど、本当に未練はない?」



 若菜の問いに比奈は首を横に振る。



「未練が綺麗さっぱりなくなった……って言ったらやっぱり嘘になるよ。今でもどこで間違えたのか、どうすればよかったのかって考えたりもする。けれどいつまでもそのままじゃ駄目だって思ったんだ。過去にしがみついて、その場でずっと沈滞するのが一番してはいけないと思うの。だから今日、私は新たな人生の第一歩を踏み出して生まれ変わる。過去を見ず、未来だけを見る。未練を断ち切るための結婚式にするつもり」


「……そう。なら、私もこれ以上とやかく言わない。素直に祝福する。おめでとう」


「ありがとう」



 比奈はニッコリと微笑んだ。

 恵と若菜を交えて三人で会話しているとまたまたドアがノックされる。恵がドアに近づくと、「入っていいかい?」と甘い音色が聞こえてくる。



「おっと、友人がいたのか。邪魔したかな?」


「邪魔したのは私達のほうです。二人でごゆっくり~」


「……どうも」



 若菜と恵は新郎である慶と一言交わしてそそくさと部屋を出て行く。慶と比奈が部屋に取り残される。



「ドレスの着心地はどうだい、比奈」


「今まで着た衣装の中で一番良いよ。なんだか……幸せそのものに包まれてるみたい」


「それは面白い表現だ。……しかし、ウエディングドレスは女性を美しくするというが、どうやら本当みたいだね。いつも以上に輝いて見えるよ」


「えへへ、嬉しいな」



 比奈は満更でもなく、頬を染めて照れ笑い。慶も自然と頬が緩む。

 部屋の中、二人は見つめあう。手を伸ばせば包み込める距離にいて、心なしか二人の吐息は熱い。慶が比奈の肩をそっと掴む。



「……駄目だな。これ以上いると雰囲気にのまれそうだ。この後の行為は結婚式でやるべきだね」



 と苦笑いを浮かべて肩から手を離す。

 だが次に慶は緩めた頬を引き締め、真面目な表情で比奈に訊ねる。



「それで、比奈。最終確認だ。……本当にいいんだね?」


「はい、構いません。……ううん、違うね。構わない。不束者ですがよろしくお願いします」



 比奈は丁寧に頭を下げる。

 慶は「そうか」とだけ短く呟き、再び口を綻ばせる。



「じゃあ、行こうか、比奈。皆が待ってる」


「うん。行こう、慶」



 慶は比奈の美しく小さな手を掴んで。比奈は慶のたくましい手を握って。

 二人は待機室を出る。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「スタジオの様子はどうだった?」


「予想以上に豪華ですし、皆さん優しい人達ばかりでとても良い雰囲気でした」


「どうだ、凄いだろ?」



 和晃は祥平にニヤリと笑ってみせる。数年かけて作り上げた環境だ。誰もが熱意を持ち、相互に教えあい助け合いをすることで更に力を伸ばしていく。年功序列で厳しくしたりせず、徹底的に自分の目指す道を進むことができる。それが和晃の望んだものである。なのでついつい自慢したくなる。

 和晃は祥平を自分が経営するスタジオに連れて行った。そこで練習している若手の役者や、職種は違えど同じような情熱を持つ声優さんなどの練習風景を見せてあげた。それから少々時間が空いたのでH&C社の社長室に手招きしたというわけである。



「入る気になったか?」


「あれを見せられたら、是非入れてくださいとこちらからお願いするくらいです」


「嬉しいことを言ってくれるな。けどまあ、採用してもらった就職先との折り合いもあるだろ。急かしているようであれだけど、ゆっくり考えろよ。祥平なら今すぐじゃなくても数年後でも大歓迎だから」


「ありがとうございます」



 元後輩としてのよしみではなく、高校時代の彼のひたむきさを知ってるからこその台詞だった。

 


「夢に向かう人の姿を見るのはやっぱり見てて心地良いな。特に俺ぐらいの年になると、安易に自分の進みたい道を目指すってことは出来なくなるしさ。就職先に仕えるのはもちろん、大事な人がいるならその人のためにも働かなきゃいけないってこともあるだろうし。そういえば祥平はそういった大事な人はいるのか?」


「いえ。俺は部活一筋だったんで浮ついた話はありませんでした」


「……ちなみに未だに梨花さんから連絡来てたりしてる?」


「来てますが何か?」


「いや、なんでもない」



 一途に努力してるんだな。めげずに頑張れ。溢れそうになる涙をこらえながらひっそりと不憫な女の子を応援する。



「そういった先輩こそ大事な人はいないんですか?」


「いないよ。俺も仕事が忙しくてさ。これじゃ祥平のこと言えないな」



 和晃は苦笑する。



「……その。つかぬことをお聞きしますが、やっぱり香月先輩のことをまだ……」



 和晃は沙良が煎れてくれたコーヒーを飲もうとして、しかしピタリと動きを止める。ゆっくりとカップをお皿に戻す。



「あのな、祥平。そのことに対する結論はこの前言っただろ?」


「そうですけど、でも……」


「それに何を今更だよ。だって今日、比奈と慶さんが挙式を上げてるはずだしな」


「――え」



 祥平は勢いよく立ち上がり、和晃のことを見下ろす。



「挙式を上げるって、結婚式の真っ最中ってことですよね……?」


「その通りだ」


「こ、こんな所で俺と話してていいんですか!?」


「招待されたけど断ったよ。仕事があるからって」



 和晃は表情一つ変えずにコーヒーを啜る。



「し、仕事って……俺のことなんかどうでもいいから早く行かないと!」


「何を慌ててるんだ。別に何の心配は要らないよ。慶さんとは知人だったんだけど、彼は優しくて気配りが出来る心も体もイケメンな人だ。高校時代の友人も結構な数行ってるから寂しいことはないと思うぞ」


「そういうことではなくて――」


「祝辞は送ろうとしたんだけど、忙しくて書けなかったからな……。後で祝儀はたっぷり渡すつもりだけど」


「いいんですか、先輩はそれで!」



 祥平の怒声が部屋に響き渡る。

 コーヒーカップを置き、祥平を澄ました顔で見上げる。



「いいんですかも何も、間違ったことは何もしてないだろ。うちは世界に名を馳せる大企業で、俺はそのトップで結婚式には忙しくて出れない。後日、個別で祝福はする。それに例え行けたとしても今の俺じゃ大したことは出来ないし」


「……そんな易々と香月先輩を違う男に渡していいんですか?」


「報道されてるように二人は相思相愛だろ。それに俺はもう大人だ。昔と違って責任があるんだ。そうだな、祥平にもアドバイスしておこう。恋愛は学生のうちにしといた方がいいぞ。大人になると色々な都合で純粋な恋愛ってのは出来なくなるから。身近な女の子を挙げるとしたら――」


「――先輩の気持ちはどうなんですか!?」



 和晃の声を遮るように祥平は叫ぶ。



「さっきから先輩は仕事が忙しいだとか、大人だとか、そういった事実だけを述べて自分の感情を一つも出してないじゃないですか。俺が聞きたいのは言い訳じゃなくて先輩の本音です!」


「……それを聞いて今更どうするんだよ」



 和晃はボソリと呟く。



「俺が本音を言って、だからどうするっていうんだ。比奈のことがまだ好きです、と言ったらじゃあ奪い返せってお前は言うのかよ」


「いえ、そういうわけでは……」


「なら必要ないだろ。あのな、祥平。俺の下には何千、何万といった人間がついている。多くの人間の人生を握っているんだ。俺はもう子供じゃない。昔みたいに勝手な行動をして、自分の評価を下げるわけにはいかないんだよ。ただでさえ俺は若い。それだけで舐められてるんだから、もっと厳しく真面目に仕事をしないといつまで経っても認められないんだ。甘いこと考えるなよ」



 言いたいことを言い終えると和晃は再びコーヒーカップに口をつける。そのついでにチラリと祥平を覗くと腕を力なく垂らしていた。少々きつくしすぎたかもしれない。まあ、良い機会だ。もし本当に祥平が事務所に所属するとなったらいつまでも高校時代の先輩後輩でいるわけにはいかないのだ。権威の差というのをどこかで見せる必要がある。



「……ようやく分かりましたよ」



 だが、祥平の真意は別の所にあった。輝きを失った瞳は和晃の無機質な顔へと向けられる。



「先輩は最近、よく"大人"や"仕事"って単語をよく使いませんか?」


「……まあ、使うな」



 けどそれも仕方ない。この年になっても色々な人から過去の事を言及されるのだ。相手に言い聞かせるためにはこれがベストな手段なんだ。



「そうして次に『もう子供じゃないんだ』と言う」


「……はあ」


「先輩のことだからどうせこう言えば相手を納得させられるとでも思ってるんでしょう。でも、本当は違う。あなたは自分自身が"大人"であると"子供じゃない"と認識させるために何度も何度も言うんだ。"大人"である証拠に"仕事"が忙しいと言い聞かせる。あなたは結局、自分の心を覆い隠すためにそうやって皮を被ってきた。――違うか?」


「――違う。そんなはず……ない」



 コーヒーカップを戻そうとする。しかし手が滑ってカップを落としてしまう。カップは粉々に砕け散る。

 動揺してるのだろうか。自分で自分を言い聞かせていた? 違う、そんなはずあるわけない。皆、俺のことを若造という。見た目や手腕を見てまだまだ子供だという。年齢的にはまだまだ若いが俺だって大人だ。責任能力がある。多くの人を支えている。仕事が忙しいのも確かだ。もう子供じゃないんだ。子供じゃないから、大人だから無茶は出来ない。してはいけない。大人は自分のしたいことを何でもかんでも自由にやってはいけないんだ。



「あなたは大人だから、やってはいけない事だと区別して、香月先輩から手を引いたんだ」



 心が見透かされているようだった。自分の考えが読まれている。



「本当はあなたは、香月先輩とずっと一緒にいたかったんじゃないですか。彼女を愛していたんじゃないですか。先輩がこの会社を引き継いでから、H&C社は芸能関係に力を入れている。それはあなたが出来なかったことを他の人にやってもらおうって意志があったのかもしれない。けれど、それは言い換えればまだ過去を引きずっていることに他ならない。あんたはまだ過去を悔いて、そして手を伸ばして香月先輩を捕まえたいと――」


「――黙れ!!」



 一喝すると祥平は口を止める。

 和晃は立ち上がり、祥平の胸元を掴む。



「勝手なことを言うんじゃねえ! 俺が過去を引きずってる? 比奈をまだ愛してる? 何も知らないくせに適当なことを吼えるんじゃねえぞ、餓鬼が」


「売り言葉に買い言葉ですか。それが大人のやることですか?」


「てめえ……!」



 和晃はもう片方の手を握り締める。拳を振り上げ、祥平を殴りかかろうとする。



「――大人だからって感情を抑圧することは違うだろ!」



 だが、その直前で拳を止める。祥平の迫力に圧されたのだ。



「あんたはただ虚勢を張ってるだけだ! 自分に言い訳して、悪い事は考えないようにしてる。都合の悪い事があったら逃げるなんて子供でもかっこ悪いぞ! 自分の心にも向き合えないで何が大人だ!」



 殴りつけようにも、殴れない。祥平の言葉が和晃の胸に突き刺さる。



「もしどんなことに対しても感情を抑えることが大人だっていうなら、俺は願い下げだ! いつまでも子供でいてやる! どうして俺が演劇を続けたか分かるか? 俺は先輩に憧れ続けてたからだよ! 一時期先輩は部活に出ていなかったけど、香月先輩のために一途に行動したじゃないか! 三年生になってから、ちゃんと自分と向き合って部活に出るようになっただろ! 先輩はいつだって目標に向かって進んでいた。どんな逆境でも夢に向かい合ってた! 諦めて逃げた時もあるかもしれない。でも、それは夢を想いすぎた手前はある。あんたは……高城和晃は夢を追い続けた! 俺はそんなあんたに憧れたんだよ!」



 和晃の手が離される。今度は祥平が和晃の胸元を掴み挙げた。



「それがどうだ? 今は大人だ、仕事だと現実から目を逸らして……ただの腑抜け野郎じゃねえか!」


「……仕方ねえだろ。もうどうすることも出来なかったんだよ! ああ、そうだよ! 俺は比奈のことが好きだ! 大好きだ! でももう、遅いんだよ。どんなに気持ちに素直になったって、彼女を取り戻すことは出来ないんだ! しちゃいけないんだよ!」



 和晃は泣き叫ぶように声を張り上げる。

 全て祥平の言うとおりだった。彼女の動向を逐一追い続けていたのだって、想い人として情報を得たかったからだ。

 無残な形で引き裂かれ、でももうその手を取る事は許されなかった。だから和晃は彼女を忘れるために親の定めた道を一心に進んだ。何も考える必要がないように。年月が経過して、社会的責任能力を持つようになれば好き勝手するわけにもいかない。彼の思うままに時は進み、ようやく彼女を突き放す言い訳を完成させたのだ。

 けれど、どうだ。蓋を開いてみれば彼女の事はいつまで経っても忘れられない。気がつけば彼女は違う男と別の人生を歩もうとしていた。お陰でさらなる言い訳が手に入ったが、同時に深く傷つくことになった。

 結局、和晃は夢も追えず、恋も実らず、ただただ自分を傷つけるだけの人生を歩むことになった。子供の頃勝手をした罪の贖罪と考えれば相応なのかもしれない。自分は哀れであると自覚して、心を蝕んだまま時間は流れる。そうして大人にも子供にもなれず、ただ仕事の「責任」だけを持って生涯を終える。

 ……彼はそんな悲劇的な自分にある種、酔っていたのかもしれない。

 

 ただ、そんなの駄目だろ、と訴えるやつがいる。自分を見ることも出来ない愚かな男に憧れ、だからこそ糾弾してくれるやつが目の前にいる。どんなに性根の腐った者でも、必ず見てくれる人間がそこにはいる。



「……先輩は公開恋愛のことを覚えていますか?」


「そりゃ、当然覚えてるさ」


「では、当時何を言っていたかも覚えてますか?」


「……そこまでは」


「"全力で奪いに来い! 略奪愛に寝取られ大歓迎だ!"って言ったんですよ、先輩は」


「馬鹿だな、当時の俺」


「その少し前には"決闘しようじゃありませんか。香月比奈を巡ってな!"と叫びました。微妙に違うかもしれませんが、先輩は恋人を奪われた」



 祥平の言い分に和晃は疑問を浮かべる。何を言おうとしてるんだ、こいつは。



「公開恋愛は香月先輩のごたごたで気がつけば同時に終了した……ように見えるだけで、実は終了宣言は出ていません。つまり、こじつけですけど公開恋愛はまだ続いていると解釈してもいいと思うんです。そして、奪うのも決闘するのも他の男じゃなくて先輩自身も当てはめることは出来るんじゃないですか?」


「え……じゃあ、慶さんから比奈を奪えってお前は言ってるのか?」


「さっきは否定しましたけどね。先輩が本当に彼女を取り戻したいなら行くべきだと思います」


「でも、もう結婚式は始まってるし……」


「まだ式の最中のはずです」



 これまでの全てを傍で傍聴していた沙良がここぞとばかりに出現する。



「誓いのキスさえ終わっていなければ、まだ間に合うのではありませんか?」


「わ、分からん……」


「可能性があるなら行くべきです。ここまで言っておいてあれですが、先輩が行きたいと望むなら」



 祥平の真摯な瞳が和晃を貫いてくる。

 しばしの逡巡。和晃は俯かせた顔をゆっくりと上げる。



「……沙良」


「はい。何でしょう」


「この後の予定はどうなってる?」


「下見が一件、打ち合わせが三件、細かいことを挙げればキリがありません」


「それを全てキャンセルすることは可能か」


「問題ありません」


「式場まで行く足はあるか?」


「ええ、ございます。急げば最短で三十分で到着するかと」


「その時式はまだ続いているか?」


「早急な行動によっては続いているかと」


「……分かった」



 和晃は二人に背を向ける。



「目的地は比奈と慶さんの結婚式場。準備が出来次第すぐに出発だ。いけるな?」


「はい。すぐにご用意いたします。あなたのためならばどこでも何時でも」



 沙良がくすりと微笑んだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 新郎新婦は式の壇上に上がり、熱い視線を交わして見詰め合う。

 そのすぐ横には神父が立っている。神父は誓いの言葉を読み上げる。



「それでは誓約をしていただきます。皆様ご起立下さい」



 参列者は一同に席を立つ。



「河北慶さん。あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか」


「はい、誓います」



 名を上げられた慶は新婦との間を一歩つめる。



「それでは、香月比奈さん。あなたは――」


「ちょーっと待ったー!」



 神父が続きを読み上げようとしたその時、教会の正面の扉が思い切り開かれる。中にいた者は誰もが引かれた扉を振り返った。光がささぐ入り口には一人の男が立っていた。



「な、何者だ!」



 式場を守る警備員が男に近づいていく。

 乱入してきた男は警備員を必死に振りまきながら中央に敷かれたカーペットを進もうとする。警備員を投げ飛ばし、時には蹴り殴り、足を動かすが、腕を絡みとられ、足の動きを封じられ、数人の警備員に押さえつけられることで男は床に伏せられる。

 参列者は突然の事態に困惑していた。中には男の正体を知る者もいたが、彼らは皆一様に驚いていた。



「離せ! 俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ!」



 と抵抗しても離してくれるはずがない。床に押さえつけられ、まともに動けない状況ではあるが、一ミリでも壇上に近づこうと彼はあがきつづける。

 新郎が壇上から降り、男の下へ近づく。しゃがんで彼に話しかける。



「今頃になって来たのかい、和晃君。……何の用だ?」



 和晃は新郎を睨み上げる。



「俺にはやらなきゃいけないことがある! そのためにここに来た!」


「今更? 言っておくが、君の思いがどんなに強くてもアウェイなのは和晃君の方だよ。なのにどうにかできると考えているのかい? ……愚直だね」


「何とでも言え! もう俺は逃げたりしない! 子供と言われても構わない! それでも俺は伝えなきゃいけないんだよ!」


「……そうか」



 新郎はスッと立ち上がる。司会の方を向いて「マイクを貸してくれる?」と問う。司会は戸惑いながらも新郎にマイクを手渡す。新郎は再び和晃の方を向いてしゃがみ、マイクを差し出す。



「なら、君の想いを聞かせてくれ。君の答えを君が伝えたい相手に自分の言葉で話せ」



 新郎は警備員達に彼を話してやってくれ、と言う。警備員達は渋々であるが和晃を解放する。

 和晃は新郎からマイクを奪い取り、壇上を見上げる。しっかりとした足取りでそこを目指す。未だに壇上に立ってうろたえている新婦を一目見て、和晃は優しく微笑んだ。だがすぐに顔を引き締め、厳しい表情で混迷をする参列者を見渡す。

 こんなこと、以前にもあったな、なんて思いつつ彼はゆっくりと息を吸う。

 何、やることは簡単だ。自分の思いをただ言葉にするだけ。

 もう迷いはない。答えを君に伝えよう。


  ―――そして彼は、観客の前に悠然と立ち向かった。』




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