五話「IF『アイドルと公開恋愛中!』 その一」
『「はあ……」
H&C社の社長に新たに就任した高城和晃(キャスト:高城和晃)は深いため息をついた。
「まだ仕事に慣れきっていないのであまり無理はなさらないで下さい」
疲労困憊の和晃とは対照的に秘書である三条沙良(キャスト:菊池由香梨)は余裕な態度で和晃にコーヒーを差し出す。
彼女は前任の社長の時から長年秘書を務めるベテランだ。積んできた経験が違う。彼女からすれば自分なんてまだまだ青二才だな、と和晃は心に浮かべた。
「けど目一杯やらないと仕事終わらないしな。ただでさえミスも多いのに。沙良にフォローしてもらわなかったら会社潰れてたかもな」
「縁起でもないこと言わないで下さい。社長を支えるのは秘書の役目なんですから当然のことをしてるまでです。むしろ私はあなたの負担を減らさないといけないのに、それも出来てなくて……」
「気にしないでくれ。俺がやりたいからやってるんだ。こうでもしないと親父に追いつくことは出来ないし。休むのは俺が一人前になってからだ」
「……気持ちは分かります。けれど私と二人きりの時くらいは心を休ませて下さいね」
沙良の瞳に不安げな気持ちが揺らぐ。
和晃はそれを見ていつも心を痛める。親父に付いてる時はきっとこんなに心配することはなかっただろう。自分が出来損ないであるから沙良にこのような思いを味合わせている。己の不甲斐なさに腹が立ってくる。
けれど和晃は笑う。俺は大丈夫だぞ、とアピールするように。その気遣いが逆に懸念を煽るというのにも気づかずに。
「それで次の予定は?」
「かつて社長が所属していた芸能事務所の下見です」
「ああ、そっか。新しく所属させたい芸能人の卵を見てくれって話だったな」
「これぐらいの仕事なら私一人でも出来ます。アキ君はその間休んで……」
「いいや、駄目だ。それに前にも行ったけど、芸能関係の方に力を注いでいきたいと思ってるからな。直々に赴いてこの目で見たい」
和晃は学生時代の経験からメディアによる力の大きさを直に味わった。そのことから今まで以上に芸能方面に手を伸ばそうと考えていた。ほとんどが前任の父から引き継いだだけという状況だが、これだけは和晃が自身で手につけようとしている。
「……分かりました。しかし無理はしないで下さい」
「はは、任せとけって」
「体調のことだけじゃありません。あなたは……アキ君は過去に痛い目をあっているんですから。それに、その相手は今――」
「やめよう、沙良。その話は」
和晃は苦り切った顔を見せる。沙良は慌てて頭を下げる。
「すいません。出すぎた真似を……」
「沙良が俺のことを大切に思ってくれてる証拠だ。気にしてないよ」
しかし和晃は笑顔を作ることが出来なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「この大学の演劇部にその推薦人物が?」
「はい。たまたま文化祭に訪れて、ステージでやる劇を観てたんです。そしたら一人だけ群を抜いてレベルが高い子がいまして。話も通してあります。今日窺うということも」
とある大学の敷地内を歩きながら情報を確認する。
和晃が学生の頃からH&C社に属する芸能事務所は存在していた。しかし前社長の方針からそこまで注力してなかったのもあり小さな事務所だった。和晃がH&C社のトップになってから大きく変わり、芸能事務所といえど、音楽、声優、演劇、テレビなどマルチメディアに展開するようになった。
だが苦労もやはりあった。仕事に慣れない内は幾度も失敗し、折角のチャンスを逃したこともあった。事務所に所属した文化人達も自ら辞めていく、なんてこともあった。さらに初期から事務所で働いていたとある大人気アイドルが引退したというのもでかい。それに伴い、彼女のマネージャーが退社したのも。
それでも今はどうにか波に乗ることが出来た。そこそこ名も売れてきて、これからは若手を多く抜擢し、未来に繋げる手はずだ。
和晃は校舎に入り、演劇部が活動しているという部屋に案内される。彼もかつて高校の演劇部に所属していたが大学の部活と高校の部活だとやはり規模が違う。部室の大きさが倍近く違うし、個別の練習場なんてのもあった。思わず素で驚いてしまう。
部室を眺め回している間に事務所の社員が部員と思われる学生に話しかける。学生も笑顔で応対し、求めている人物を呼びに行く。
そしてやって来た人物を見て、和晃は仰天した。
「こちらが例の人物です。名前は……」
「いや、いい。名乗らなくても分かる」
「あれ、知っているのですか? 流石社長、お目が早い」
社員はカラカラと笑うが、とてもそんな気分にはなれない。スカウトを受けた学生も和晃と同じように硬直している。
「……久しぶりですね」
「ああ。元気にやってるか、祥平」
目の前に立ち尽くす人物はかつての部活の後輩である黒瀬祥平(キャスト:黒瀬祥平)であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらく二人で話がしたい、と言って沙良にその場を任せて和晃は休憩所にやって来ていた。
「ここなら誰にも邪魔されずにゆっくり話せます」
人目につきにくい場所ではあるが木陰の下にベンチと椅子があり、後ろは緑木が並び、前は開けた通路となっている。時間の流れが穏やかに感じる。絶好の読書ポイントだな、と和晃は思う。
「ビックリしたよ。まさか祥平だったなんて」
「それはこちらの台詞ですよ。かの有名な大企業の社長が直々に会いに来るなんて言われてたんですから。そしたらまさか……知り合いの先輩だなんて誰が予測できますか」
この場に案内されるまで祥平には色々な質問をされた。というより、本当に社長なのかと半信半疑な様子でそれを確かめられたというのが正しい。
「大学でも演劇続けてたんだな」
「やっぱり好きですから。ただ自分としては趣味のつもりでやっていたので、プロからスカウトがかかるなんて夢にも思いませんでしたけど」
「スカウト受けるつもりなのか?」
「今日、その答えを考えるつもりでした。けど先輩の持つ会社の一部となると……」
「その辺は心配しなくて良い。俺は経営方針を指示してるだけで直接関わるわけじゃないからさ。祥平が本気で今後も演劇をやりたいならその場を提供する。そこから先はお前の努力次第だな」
「贔屓とかはないんですね。だったらちょっと考えてみます。答えは後日でも大丈夫ですか?」
「ああ、全然構わない。それに今一番大変な時期だろ? 将来のこととかきちんと見据えた上でどうするか決めろよ」
祥平は現在大学四年生だ。就職活動に明け暮れつつ、空いた時間で卒業論文の準備だったり演劇部の活動に参加したりしている。
「先輩の方は今どうなんですか?」
「何とかやっていけてるよ。大学を飛び級して卒業しろって言われた時はビビッタし、卒業してすぐH&C社に入社して半年も経たずに会長を任せたりして何が何だかって状況だったけど。今もまだ仕事は大変で沙良に怒られてるけどこうしてピンピン動いてる」
二の腕に力を込めて反対の手で力こぶをパンパンと叩く。
「とんでもないことをさらっと言われた気がします……。しかし本当にすごいです。先輩が卒業する時の頃、世間はとんでもなく賑わっていたのに。あの逆境を跳ね除けたんですよね」
「そうだな……あの時期が一番辛かったかもな」
和晃はかつてとあるアイドルと公開恋愛というものをやっていた。さらにいえば、偽の恋人関係から本物の恋人関係に昇華した。三年の途中まで二人は順調だった。
しかし、和晃ととあるアイドルは決別した。和晃は己の未来を自ら閉ざし、それを助けようとしたアイドルは巻き添えをくらって夢だったアイドルを引退した。
そのことで和晃は最後のお節介だといわんばかりにアイドルを擁護した。その方法とは彼女がアイドルを辞めた理由は全部自分の責任であると述べたのだ。
卑怯な手だったと思う。あることないこと言って、非難を全て自分に仕向けるように工作した。
お陰でアイドルは別の事務所に異動という形で落ち着き、今も芸能界で活躍している。
「今も彼女とは連絡を取っているんですか?」
「あれから一度も連絡してないし会ってもいないよ。もう俺と彼女は完全に切り離されたんだ」
「そうですか……」
お互いに気まずい空気が流れる。
「じゃあ、彼女が今どうしているか先輩は知らないんですか?」
「……ん、まあな」
一瞬悩んだが肯定する。
祥平はちょっと待ってください、と携帯を操作する。
「これ見てください」
ある画面を開いて祥平は和晃に見せ付ける。
画面のディスプレイにはあるニュースサイトが映し出されている。ニュースの見出しはこうだ。
――香月比奈、河北慶と婚姻を発表!
和晃は祥平の携帯の画面を見つめながら口を噤む。
別れた後の彼女の情報を知らない、というのは嘘だった。彼女と決別した後も和晃は逐一彼女の動向を追っていた。
だから全て知っている。一年前、かつて師匠と呼んでいた河北慶と交際を始めたことも。数日前、河北慶と婚姻を果たしたことも。何もかも、彼は知り尽くしている。
「幸せ……そうだな」
和晃は笑顔を浮かべたつもりだった。けれど祥平は笑うどころか眉を曇らせこちらを見てくる。
「先輩、やっぱり未練が……」
「そんなのあるわけないだろ。俺とあいつは今や別世界の住人だ」
「……それでいいんですか」
和晃は顔をしかめた。
祥平は自らの行為が愚直であったと気づいたのだろう。目を伏せ、それから一言も発さなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
とある街のとある喫茶店。彼女は目的の人物がいる席を首を巡らせて探す。
「おーい、こっちこっち!」
先にあちらの方が見つけたようだ。小さな女性は年齢不相応な元気な姿を見せる。
彼女は笑顔になるのを堪えられずに席に近づく。
「比奈ー! 久しぶりー!」
「……久しぶり」
「二人ともご無沙汰だね」
彼女――香月比奈(キャスト:香月比奈)はサングラスを取って二人に笑顔を見せる。
久しぶりに親友の安岡恵(キャスト:安岡恵)と中里若菜(キャスト:中里若菜)に会えた喜びと、数年ぶりでも変わらないその姿に安心したのだ。
「あれ、でも由香梨は来てないんだ」
「……由香梨なら海外にいる」
「折角数年ぶりの再会だってのに空気読めない女よねー。ま、どうせ帰ってきたら彼女が召集かけるんでしょうけど」
「……ちなみに来年帰って来るって言ってた」
外見だけではない。中身も高校の頃から変わっていない。比奈は深い安堵を覚える。
「それにしても本当に久しぶりだね」
「ほんとだよ! 比奈はもー超美人になっちゃってさ! 同年代とは思えないこの色気! それに比べ私は……うう」
「……幼児体型好きな変態もこの世にはいるから大丈夫」
「幼児体型ってほどじゃないし、変態っていうのもどうなの!?」
比奈と若菜は笑いあう。比奈はとても懐かしく感じていた。高校の時のあの空気がこの場には満ちている。
「高校卒業してから皆それぞれの道に行っちゃって忙しかったからね。大学生活に慣れず、悪戦苦闘して……」
「……それに比奈はあの時期は大変だったものね」
「……うん」
あの時期――つまりアイドルを引退した時のことだ。別に辞めることに未練は無かった。ただ和晃と離別することになり、それが彼女の心に大きな傷を負わせた。それだけに留まらず、彼は罪を被って比奈をかばってくれた。あの頃の和晃の心情をよく理解している比奈だからこそ、彼の行為に酷く怒りを覚え、寂寥感を募らせた。
彼女の心はおおいに沈み、欝にすらなりかけた。それでも彼女がここまで持ち直したのもひとえに心の芯の強さと前に進むひたむきさがあったからだ。
「そんなことより、二人は最近どうなの?」
強引に話を逸らす。
そこからしばらく雑談に話が咲いた。大学生だった頃の楽しい思い出、仕事に対する現状や不満、高校生の頃の記憶、どうでもいい身近な事柄など、話が尽きることはなかった。
「そうそう、忘れてた。比奈、結婚おめでとう!」
いつしか話は芸能関係にまで飛び火し、恵が思い出したように祝福する。
「まだ結婚してはいないんだけどね。婚姻届を出しただけで」
「もう同じようなもんでしょ。河北さん、優しいしかっこいいもんね。よく捕まえたよ」
「仕事でもう一度会う機会があってね。それから仲良くなったんだ」
芸能界に復帰し、少しずつアイドル稼業から歌手、もしくは女優の道へ彼女は進んでいった。そしてとあるドラマの撮影の際に河北慶と再会したのだ。昔の縁もあり、度々彼とプライベートで付き合うようになり交際に至った。つい先日プロポーズもされた。
「しかしまさか河北さんと結婚するとはね。私はてっきりそのままお兄ちゃんと……」
そこまで言って恵は言葉を切る。
「別に構わないよ、恵。私とカズ君はもう別々の道を歩んでるんだから」
比奈は曖昧に笑う。笑みを浮かべた奥底にどんな感情が秘められているか、恵は図り取ることができないでいた。
「……この際だから聞くけど。比奈、和晃君のこと本当はどう思ってるの?」
だが若菜は恵と違って自ら禁断の言葉を口にする。隣で恵が慌てている。
「今言った通りだよ」
「……そういうことじゃない。和晃君に対してどう思ってるのって聞いてる」
「別に……何とも思ってないよ」
「……じゃあ、どうしてさっき思い出話している最中、彼の名前を一度も口にしなかったの? 逆に不自然。しきりに彼との思い出を話そうとしなかった」
先程の会話中、比奈は和晃の話題を一度も出さなかった。恵と若菜が話の流れで彼のことを口にしても、比奈はだんまりを決め込むだけ。違う話題に移ってようやく口を開いた。
「私はもう結婚するんだよ? 昔の彼氏を忘れたいって思ってても不思議じゃないと思うんだけど」
比奈にしては珍しく怒るような口調で反論する。若菜はそれを意に介しもしない。
「……ふーん。昔はあんなに好き好き言ってたのに。消化不良で関係が終わって、気持ちを断ち切ったのね。彼に助けておいてもらいながら最後には怒りしか残らなかった。二人の恋愛はそんな悲しい結末だったんだ」
「若菜、いい加減本気で怒るよ。昔とは違うんだよ。あれから何年も経って成長した。いつまでも過去を引きずってるわけにはいかないんだよ。……カズ君との終わりはともかくね」
「……過去を引きずってる人間にそんなこと言われたくない」
「ちょ、若菜!」
「……どういう意味?」
比奈は敵意を剥き出しにして若菜をにらみつける。彼女は全く動じない。
「……私は和晃君のことが好きだった。高校生の時、彼の事を一番長い間見てきた。そうなると必然的に彼の隣にいる比奈の姿もたくさん見た。私が嫉妬するくらい幸せな笑顔を貴女は浮かべていた。テレビやラジオでもそう。あの頃の比奈は本当に楽しそうだった。けれど、今の比奈は何か違う。貼り付けた笑顔を浮かべていて、何もかも義務でやっているように見える。イキイキしてない。輝いていない。昔みたいな人を惹きつける魅力が比奈からは感じられない」
「だから私は過去の……彼との事を引きずっているとでも?」
「……その通りよ」
「――ふざけないで!」
比奈はテーブルに手を勢いよく叩きつけて立ち上がる。
「人の頑張りを邪険に扱って、その上私を馬鹿にするの! そんなの最低よ! 過去を引きずってるのは若菜の方じゃない! カズ君の彼女だった私に嫉妬して、その恨みを今になってぶつけてネチネチネチネチと……醜い人間ね」
「……何とでも言って。どうせ私は屑だから。自分の本当の気持ちを曝け出せない、大人な貴女と違って」
「――――っ!」
「ひ、比奈! 若菜! 二人とも落ち着いて!」
恵が割り込むようにして制裁する。が、時既に遅し。
「……ごめん、恵。今日はもう帰る。お金、ここに置いておくから」
「あ、ちょっと……比奈!」
呼び止める声も無視して比奈は店を出る。
「――ふざけないで」
顔を伏せ、肩にかけた荷物の持ち手を強く握る。恨めしそうに、怒りを込めて静かに呟く。
「――そんなの、自分が一番、分かってる」
彼女の叫びは誰にも届くことはなかった。』
最終章突入記念に第二回人気キャラ投票を行います。
完結後のおまけ話に関する質問もございます。
今回もよろしければご協力お願いいたします。
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