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アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
12章 高城和晃編
149/183

九話「それ」

 ――彼はそれをいつでも探していました。

 ――彼は選択を誤ったこともあります。

 ――彼は罪を犯したこともあります。

 ――彼は壊れたこともあります。

 ――彼は何度も悩み、何度も苦しみました。

 ――彼は何度も諦め、何度も逃げました。

 ――彼はそれでも探し続けました。

 ――彼はそれを渇望していたのです。

 ――彼はだからそれをいつも探していたのです。



 体育館のスピーカーからリズムよく流される。これは今から行われる劇の序文だ。昔々、といった御伽噺の前文句が終わると目の前のカーテンが開かれる。演劇はそこからスタートする。

 最後にチラッと舞台裏に待機している比奈に目を向ける。彼女はこっちを見ながらガッツポーズ。どうやら頑張れ、という応援の言葉代わりらしい。

 言われなくても頑張るさ。これが最初で最後の主演なんだから。

 カーテンが真ん中から左右に開かれていく。段々とでかくなっていく隙間から人で埋め尽くされた体育館が一望できる。退屈そうに欠伸している人もいれば、前文句に期待して目を輝かせている人間、興味なさげに下を向く人物、何の感情も見せずただステージを見ている人間……多種多様な観客達がいる。

 たくさんの視線を浴びる。たくさんの人間を見る。たくさんの感情を見る。

 いよいよ最後の公演が始まる。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



『青年(キャスト:高城和晃)は郊外を真剣な面持ちで見廻っていた。

 普段はここまで力を入れて巡回することはない。彼が埃一つ見逃さないぐらいの気迫がこもっているのは彼の生まれた母国であり、彼の家もある王国とかつての親友が暮らしていた隣国と一触即発の状況であるからだった。

 周りの兵士達は青年と違っていつものように呑気な表情で大して警戒もせず首を巡らせ続けている。彼らは戦争なんか起こるはずがない、と心のどこかで考えているのだ。

 青年も周囲の兵士達と同様にお気楽な気分でいたかった。しかし彼は過去の苦い経験からどうしても警戒を厳しくしてしまう。

 もうあんな辛い事は二度とごめんだ。俺と同じ思いを子供達に味合わせたくない。そのためにも苦しみを知る俺が国を守るしかない。だからただの巡回でも気を抜けない。


 幼い頃、彼は親友と可憐な少女の三人でいつも遊んでいた。当時は情勢も安定していて、違う国の子供同士が仲良く遊ぶことも多々あった。特に国と国を結ぶ道は自然に溢れ、子供達の格好の遊び場だったのだ(しかし今は過去の隣国との戦闘で焼け野原と化している)。

 三人は暇さえあればいつも集まり、やんちゃに騒いでいた。しかし子供といえど男女混合。彼と親友は少女に初々しい恋心を持っていた。

 それでも三人の仲は崩れず、運命共同体であった。


 だが、王国と隣国の仲が険悪になるとそれもあっけなく崩れ去った。

 三人の子供達はみな例に漏れず戦火に巻き込まれ、離れ離れになってしまったのだ。

 それから十数年の時が経過したが親友と少女に会うことはおろか、安否さえも分からないでいた。

 青年は二人の友達を失い、酷い悲しみを覚えた。怒りを覚えた。そして二度とこんな思いを誰にもさせないために国を守る騎士となったのだ。


 国を結ぶ道は焼け野原と化したが、そこから少し離れた森はいまだ健在だ。ここは隠れるとしたらうってつけで、隣国からの刺客が潜んでいないか確認するため巡回ルートに入っている。

 今日はたまたま青年がその森の担当だった。スパイがいるかもしれないのに、一人で行かせるといったあたり、上層部にも油断があるのがよくわかる。

 しかし青年はこの日に限って愚かな上層部に感謝することになる。

 

 青年はいつものルートを、しかし鋭い目できびきびした足取りで進む。

 すると茂みに怪しい膨らみがあった。青年はすぐさま腰の鞘に手を伸ばし近づいていく。



「何者だ。名を名乗れ」


 

 返事はない。青年は剣を鞘から抜き取る。ジリジリと近づき、そして茂みを斬り、その先に潜んだ人物の正体を探らんとする。

 開かれた視界の先にいた人物に青年は驚愕する。


 隠れていたのは一人の少女だった。いや、正確には隠れていたというより、茂みに体を半分入れるようにしてそこに倒れこんでいた。

 彼女は純白のドレスをその身に包んでいた。とても一般人が持てる代物ではない。

 ならば貴族だろうか。しかし、何故貴族が郊外に? 逃亡、もしくは亡命でもしようとしていたのだろうか。

 とにかく青年は苦しそうに呼吸を繰り返し、肩を上下させている少女の肩に手をやった。こちら側に引き寄せ、よく見えなかった彼女の顔を正面から確認する。

 そこで再び彼は驚いた。なんと彼女は昔いつも遊んでいたあの可憐な少女(キャスト:中里若菜)その人だったのだから。』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ここまではありきたりな物語の導入部だ。

 一旦幕が閉じられる。場面が変わるので、背景のセットを変えるのだ。

 他の部員達がいそいそと片付け、次のシーンの準備をするのを見守りつつ、ちょっと考えてみる。

 この物語のように運命的な出会いをしたことがあるかどうか。

 すると意外や意外、自分にも思い当たることがある。

 香月比奈との出会いだ。


 次のシーンは主にこの可憐な少女と交流を深めていくことになる。

 その過程でこの青年は少女を救い出したと思い上がる。

 

 比奈と出会って、それから彼女と過ごし、様々な問題にぶち当たってきた。

 その都度自身も協力して問題の解決に至った。

 その度に俺が彼女を救ったんだという自惚れた気持ちがあったかどうかと聞かれたら……正直に白状すると、あった。こんなに可愛いアイドルの女の子を助けたんだって、勝手に英雄気取りしてたのは否定できない。


 青年もそれと同じだ。だから俺にはこの青年がまるで自分のように演じられる。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『青年は誰にもばれぬよう少女を家に運び入れた。自室のベッドに少女を寝かせ、彼女が目覚めるのを待った。

 彼女を見つけたその日の夜、少女はようやくその目をゆっくりと開けた。


「あなたは誰……? ここはどこ……?」


「ここは僕の家だ。それよりも僕の顔に見覚えはあるかい?」



 少女はジッと青年を見る。青年は彼女の純粋で星のような瞳に思わず引き込まれてしまいそうになる。

 


「ううん、ないわ。覚えてない」


「……そうか」


 

 少しガッカリする。

 しかし、少女が思い出せないのも無理は無い。最後に会ったのは十年以上も前だ。あれから声も変わったし、背も伸びた。顔つきも変わっていれば体格だってまるで違う。おまけに外見以外にも中身も大きく変化した。それこそ人に与える印象に影響を及ぼすほどに。



「僕のことは後で話すとしよう。まずは君が何故あの場にいたのかを知らねばならない。あの森で倒れるまでの過程を話してくれ」



 これは検問ではない。青年はあくまで事情を知りたいだけだと優しい声音で訊ねた。

 彼女は目を彷徨わせて、逡巡の色を見せる。



「あの……わからないんです」


「分からない? 話せない、ではなくて?」


「はい。……分からないんです、何も。あなたのことも、私が倒れていたということも。……そもそも、私が誰なのかも分かりません。私は誰なんですか? 私の名前……あなたは知っているんですよね?」



 青年は愕然とした。

 彼女の真っ直ぐすぎる瞳を見るに、嘘をついているとは到底考えられない。ということは、この子は所謂記憶喪失に陥っているというわけで……。

 


「あの……どうかされたんでしょうか?」



 彼女が心配してくれているのが分かる。そこに込められた懸念の気持ちは嘘偽りの無い純真なものである。



「いや……何でもない。今日は遅いからここに泊まりなさい。細かいことは明日話そう」



 青年はショックを隠しきれないでいた。だが同時にある決意をしてみせる。

 きっと今の彼女は比喩でも何でもない、言葉通りの真っ白な少女なのだ。本来彼女は隣国の住人である。その彼女がどうしてかあの森にいた。そこには並々ならぬ事情があるのだろう。もしかしたらこの国に何らかの情報をもたらそうとしたのかもしれない、はたまた亡命しようとしたのかもしれない。内容は陳腐なものしか想像出来ないが、彼女の存在が上層部にばれたら面倒なことになるのは確実である。

 

 彼女は誰かが守らないといけない――。


 ならば、僕が彼女の騎士となろう。

 幼い頃の少女と遊ぶ姿を思い描いて青年は決意する。



 それからの日々は青年にとって安らかなものとなった。

 

 まず、少女のために服を買った。彼女が身に纏っていたドレスは街を出歩くには少々目立つ。なので街の女達の着る簡素な……それでいて青年の考える小奇麗さのある服を少女に与えた。

 幸いにもお金には余裕があった。戦争が起きてからこの日まで、彼はただがむしゃらに生きてきた。失った親友達のため、己の心にぽっかりと空いた穴を埋めるため、娯楽などの誘惑には一切目を向けず、騎士団に所属した後も生真面目に国のために働いてきた。平民よりも高い給金を食品や最低限のレイアウトなど、彼は生きていくうえでの最小限度の出費で過ごしていたのだ。

 記憶を失った少女にとって外は未知の世界だった。目覚めた後も遠慮がちに青年と接していた彼女も外に連れ出せば、子供のように服にしがみついて歩くのだ。そんな彼女に哀れみを感じていたが、同時に彼女が傍にいることの嬉しさを感じるのも事実だった。

 目覚めてからしばらく、少女は青年に言われるまま、されるがままの生活を送っていた。彼女の拠り所は彼と彼の家にしかなかったのだ。

 しかし青年と交流を深めていくと、少女は段々と昔と同じ陽気さを取り戻していった。表情が多彩になり、特に笑顔が増えた。会話自体も多くなって、どこかに感じていた心細さが消えてなくなった。

 また彼女自身から積極的に行動するようにもなった。簡単な家事も青年から教わり、完璧にこなせるようになると家の掃除や料理なんかは少女がするようになった。外の世界にも徐々になれていき、一人で出歩くことも可能になった。仕事で忙しい青年に代わって買い物をすることも多い。仕事から帰ってくる青年のために料理を作って待つ、なんてこともするようになった。もはや彼女は青年の家族そのものだった。


 彼女の傾向は青年にも良い影響を与えた。

 基本的に無愛想で朴念仁だった彼だが、少女と同棲するようになってから同僚にも笑顔を見せることが多くなった。

 考えも前向きになって、何事に対しても希望を持つようになった。それでいて愛国心はさらに高まり、一層仕事に従事した。


 

 そんなある日のことである。



「今日はあなたに言いたいことがあるの」


「何だい?」


「私を救ってくれてありがとう」



 彼女は頬をやや蒸気させて、けれど笑顔を崩さずに言い切った。

 


「前の私がどんな風だったのかはわからないけど、あなたがいてくれたお陰で今の私がいる。例え記憶が戻らなくても私は幸せだわ」



 青年は胸に充足感が満たされるのを感じた。

 相変わらず彼女の記憶は戻らない。それは残念なことだ。でも、彼女があの森にいた真実を知るより、こうして平穏に二人で暮らしている方が幸せなのかもしれない。



「僕は当たり前のことをしたまでだ。昔から君の事を愛していたから」


「あら。今の私は愛してくれないの?」


「そんなことないさ。今の君の方がよっぽど魅力的だよ」


「その言葉が聞けて満足よ。私もあなたのことが好き」

 


 好きな女に感謝され、好意を示されることほど嬉しいことはない。

 これでいい。これで満足だ。あの時失った心の欠片はようやく見つかったんだ。


 青年はこの時までそのように考えていた。

 しかし彼はまだ知らない。彼の探すものはまだ見つかっていないこと。そして、平和は音もなく破られるものであることを。』

 


◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 比奈を救い出してから、彼女とプライベートでも交流するようになった。

 アイドルという、皆の憧れの存在と一緒に過ごせることはとても魅力的で楽しいものだった。

 初めはただ会話して一緒にいられればそれでいいと考えていた。

 でも、それだけじゃ満足できないようになっていた。

 いつしか俺は彼女に恋をしたのだ。

 嬉しいことに彼女も俺のことを好いてくれていて、ほどなく結ばれた。これほど喜ばしかったことは生まれてこの方初めてだったかもしれない。


 比奈といると俺は平穏でいられた。充足感を得られた。ありのままの自分でいられた。

 彼女と共に過ごす日々は幸せだった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『隣国との均衡はあっけなく崩れ去った。元々危ういバランスを保っていただけに、それが失われるとすぐさま状況は一変した。

 青年の状況も以前までとは様変わりした。時には戦場に連れ出され、時には防衛のため街の警備をする。それでもどうにか彼は生きていた。今の彼には少女という支えがあるから、死ぬに死ねないのだ。


 ある日、ついに国の防衛網が突破された。いよいよ街中まで戦渦が広がったのである。

 青年は自ら前線に出ることを希望した。街の中には少女がいる。なんとしてでも少女を守らないといけない。ただそれだけの思いが彼を突き動かした。


 戦場はひどいものだった。隣国の兵士達は一般人でさえ容赦なく身を切り裂き、亡き者にした。青年からしてみれば一方的な嬲りあいにしか感じられなかった。

 炎に包まれた街中を青年は駆ける。すると今まさに人に襲い掛からんとする敵国の兵士がいた。



「やめろ!」



 青年は剣を抜き取ると素早く敵に襲い掛かった。しかし相手も一瞬で剣を横に構え、攻撃を防御した。



「くっ……貴様、騎士団か!」


「その通りだ。お前らにこれ以上好き勝手にはさせられん!」



 キン、と剣と剣がぶつかり合い、甲高い金属音が何度も鳴り響く。

 


「こちらからしてみればお前達の行動は一方的な侵略にしか見えん! お前達には感情というのはないのか!」


「それはこちらの台詞だ! そもそも貴様らが王女を攫わなければこうして街中に火を放つこともなかったのだ!」


「王女を攫った……?」



 青年は思い出す。 

 ここ最近、隣国の王女の身元が不明となったという話は聞いていた。しかし身元が分からぬだけで、攫われたという事実は聞き存じない。

 


「攫われたというのは内偵からの確かな情報だ」



 もう一度剣をぶつけ合うと両者は距離を開ける。青年の向かいに立つ兵士の表情は読めない。というのも、彼は鎧を着ており、その顔にも兜を付けているので表情はおろかまともな顔すら分からない。



「その様子だと貴様らのような下の者には……というか、お前、まさか……」



 だが、マスクの下から驚愕の響きがした。



「そうか。なるほど。よくわかった」


「僕には分からない。ここでねじ伏せて、全て吐き出させてやる」


「殺す気はない、か。昔から甘いやつだなお前は」



 再び二つの剣が交差する。

 何度も立ち位置が入れ替わり、剣戟が振るわれる。

 実力は互いに拮抗していた。

 しかし、青年は一瞬の隙をついた。彼の顔面を――兜を真っ二つにする。

 そこで青年は知る。兜の下に隠された真実を。

 彼の顔には大小の傷がついていた。そこには幾多の困難を乗り越えたことが見て取れる。

 だが、それでも過去の面影は残っていた。一目で青年は正体を察した。



「お前……生きていたのか……」


「それはこちらの台詞だよ」



 かつて少年の頃、共に過ごしていた三人のうちの一人――親友(キャスト:香月比奈)が剣を振り降ろす。

 それを己の得物で受け止める。



「俺がこうしてお前に剣を振るうようにお前にも色々あったんだろう。しかし、今は敵同士だ。甘っちょろいことはできん!」


「確かにそうかもしれない。でも、国同士の因縁はともかく、僕達だけなら和解することが出来るはずだ!」



 敵の正体を知った青年はまともな攻撃をしなくなった。十数年ぶりに再会した親友をどうにか説得し、戦いを収めるためだ。しかし親友は攻めは止まらない。



「いいか。事態は思った以上に切迫してる。王女を攫われた怒りでこちらはお前達の国を丸ごと潰しにかかろうとしている。この戦争をいち早く終わらせるためには王女を取り戻すことが先決なのだ!」


「でもしかし、王女はどこにいるのか検討もついてないんだぞ!?」


「ああ、そうだ。けれど王女の正体はお前も知っている人物だ」


「僕も知ってる人物……?」



 青年はそこで思い当たる。丁度同じ頃だったのだ。隣国の王女が行方不明になった時期と青年が少女を発見した時期。しかも彼女は普通の人が着ないような高級のドレスをしていた。それはつまり、



「……気がついたようだな。それにその表情。王女を匿っているのはやはり……」



 親友の攻撃の手が止む。彼は剣を鞘に納めた。



「お前の考えている通り、昔一緒に遊んでいたあの少女こそ現王女だ。彼女を巡って我々の国とお前達の国は争っているんだ」


「そん……な……」


「それに俺には彼女を何が何でも助けたい理由がある。俺と彼女は婚約を結んでいるんだ。あいつはどうやら昔から俺を慕ってくれてたらしい。今では俺も国の重要な立場にある。もう身を引くことはできないんだ」



 衝撃の事実に打ちひしがれるなか、さらに追撃がやってくる。

 それでも青年は必死に請う。



「そう……かもしれない。けど! まだ何かしらの道は残されてるだろ! だって僕達は親友じゃないか!」


「元、な。今は違う」


「じゃあ、昔のよしみでも構わない。手を取り合おう。これ以上の争いは無意味だ!」


「お前の説得こそ無意味だ。もう遅い。手遅れだ」


「しかし!」


「これ以上付き合ってられん」



 親友は背を向ける。



「この場は見逃してやる。だから、よく考えろ。国にとってお前にとって何が大切なのか。願わくば、次に会ったとき命の応酬がないと祈っている。しかし、お前の選択肢によっては……貴様を殺す」



 親友は最後にその言葉を残して去っていった。

 青年は何も出来ず、去っていく背中を呆然と見つめていた。』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 人間は生まれた瞬間から選択の連続だ。

 それは命が尽き果てる最後の一瞬まで、ずっとだ。

 ただ無限大にも思える選択肢の中にも一際大きなものがある。

 所謂人生の分岐点に値するものだ。


 俺も既に立ち会っている。

 一番簡単な例だと高校進学だ。

 どの高校に進むかで今後の人生が大きく変わる。この国に住むならほとんどの人ががぶち当たる選択肢だろう。

 

 ただ他の人が滅多に当たらない分岐点もある。

 沙良の父親を救うか否かという選択肢。

 このとき、ほぼ選択肢など無意味に思えるほどあっさり結論を出したが、ここでもう少し考えていればまた違う結果が出ていたと考えれば、大きな分岐点に相当するはずだ。

 お陰で高校を入学してから暫くの間、何度も何度も大きな分岐点に晒された。

 けれど俺はその全てにノーを選んだ。道の先に続くたくさんの小枝達をもっと眺めたいと言い張ったのだ。

 その結果、迷宮に迷い込んだ。どの選択肢を選んでも元の道に戻ってしまうようになった。それからしばらく、脇道を一瞥せず目と耳を塞いで一本道を走り続けた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『戦況はなんとか盛り返した。一時は押され気味だったが、今はどうにか平衡状態で戦闘は続いている。

 だが、均衡を保つのみでどちらの国も決定打を与えられないといった状態が続いていた。故に犠牲だけが増えていく。

 

 そんな中、青年はかつての親友に突きつけられた選択肢の答えを悩みあぐねいていた。

 国のため、親友のためを思って少女を差し出すとしたら。戦争は終わり、平和が戻るかもしれない。少女はきっと嫌がるだろうが……。

 では自分のため、少女のためを考えた場合はどうだろう。この場合、幸せになれるのは当事者の二人だけだ。親友はおろか、両国さえ見放すことになる。

 国に仕える騎士であることを考えても、選ぶべき選択肢は確実に少女を差し出すことなのは違いない。そもそも後者の選択肢は独りよがりにもほどがある。天秤にかけたら大多数の人が幸福になれる方を選ぶべきなのだ。

 

 頭の中では分かっていても、青年はその選択肢をどうしても選ぶことが出来なかった。

 選びたくなかった。ずっと少女と一緒にいたいという思いが消えないのだ。

 二人の親友を失ってから青年は死んだような毎日を送っていた。二度と同じ運命を辿らないよう、仕方がなく騎士になった。未来のあてもなく、ただ過去に縛り付けられてた青年は胸に開いた穴にただ風を通していただけだった。

 けれど少女と時を過ごすようになってからは違う。

 青年はようやく国を守ることに誇りを持てた。仕事をするための目的が出来た。

 真面目に仕事をこなしているように見えて、心のどこかでは死に場所を求めていた。

 でも、帰る場所が出来た。生きる意味を見出せた。

 それもこれも全ては少女のため――愛おしい少女をこの手から放したくなかった。


 青年は究極の選択を前にしておおいに悩み、苦しんだ。

 時にその選択の重大さに耐えられなくなり、考えることを拒否したこともある。

 無心になるためにその手を血で染めたこともある。ただひたすらに敵を殺して、生き残ることだけを考える。生きてさえいれば心の拠り所である少女と会える。

 しかし意気揚々と帰り、少女と一時の穏やかな時間を過ごしても、すぐに罪悪感が蘇ってくる。そしてまた青年は思い出すのだ。自分に絡みつく鎖の存在を。』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 俺は一体何が出来るのか。

 俺は一体何が適しているのか。

 俺は一体何がしたいのか。

 俺は一体何をすればいいのか。


 その問いかけを何度も何度も繰り返した。

 けれど答えは出なかった。悩みに悩み、それは徐々に苦しみに変わっていった。

 耐えられなくなって、たった一つの言葉を拠り所とした。

 

 ――逃げちゃえばいいのよ。


 言葉の通り、俺は逃げた。どこまでも逃げた。どこ逃げればいいのか分からないほどに。逃げた先に何も無いことを知っていて。

 そしていつしか、逃げることにも罪を感じた。それがいけないことだと突きつけられた。

 気がつけば俺は逃げ場さえも失ったのだ。

 ただ誤り、悩み、苦しみ、逃げ、そして……俺はその場から動けなくなった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『青年が悩む一方で親友も同じように頭を抱えていた。

 

 あの場では自らの意思を貫かんと懸命に剣を振るった。しかし青年がかつての親友であることを見抜き、一瞬怯んだのは確かだ。

 その後も心の雑念を消すために攻撃の手を緩めなかった。だが青年は昔の心優しい少年のままで、命を奪おうとしたこちらを顧みず、説得を試みた。

 

 彼の甘い幻惑に乗ることが出来たのならどんなに良かったことか。少女の存在さえなければ今頃手を取り合って昔のように語り合えたのかもしれない。

 でもそこに少女がいる以上、簡単には譲れない場面だった。


 国のため、そして自分のためを思えば少女をこちらに差し出すのが一番だろう。親友は隣国の中でも結構な発言力がある。上手く取り計らえば青年の無事は確保できるはずだ。

 だが青年のため、少女のためを思えばどうだろうか。小さい頃から青年が少女を懸想していたのは知っている。そして少女もまた青年に恋心を抱いていたのも。あの時青年に放った言葉は青年のためを思った嘘なのである。

 また、内偵の情報によれば、王女は市民として男性と仲睦まじく街を歩いていたらしい。恐らくその男性とは青年のことだ。経緯は分からないが、少女と青年は互いに想い合っているのだ。

 元々少女を取り合っていた仲として少々恨めしいが、彼となら構わないと考えている自分がいた。


 だからこそ悩んでいる。

 俺は国のため、己のため、二人の親友の幸せを奪い取るのか。はたまた、青年のため、少女のため、全てを犠牲にして親友の幸福を願うか。


 親友もまた究極の選択におおいに悩んだ。

 青年と全く同じように、選択を誤り、悩み、苦しみ、逃げたこともあった。


 考えて考えて考え抜いて、しかし彼は孤独に答えを導き出した。

 己の存在意義は二度と同じ過ちを繰り返さないためにある。もう同じような思いを誰かに味合わせたくないのだ。そのためには悪魔に魂を売ってでも青年から少女を引き剥がす。

 そうして彼は鎖を正面から見据えた。』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 お前は一体何が出来る。

 お前は一体何が適している。

 お前は一体何がしたい。

 お前は一体何をすればいい。


 何度も何度も問いかける。何度も何度も問いかけられる。

 そう、俺は数え切れないぐらい自分自身に詰問した。


 壁にぶち当たったお前はどこに逃げる。

 逃げた先には何がある。

 お前はどこに行くつもりだ。

 お前は未来をどう考えてる。



 ――お前は何を探している。



 問いかけてくる。

 鎖に縛られていない壊れた俺自身が問いかけてくる。

 

 俺は常にもう一つの自分と相対してきた。

 壊れた俺と昔の俺。

 だけど、目の前の現実に愛想を尽き、選ぶことを諦め、幾多の小道を見向きもせずただひたすら逃げ続けたのは――壊れた俺じゃない。昔の俺……そう、未来を待望していたはずの自分なのだ。

 逃げ道をなくすのは当然だ。逃げ道が消えるのは必然だった。だって、鎖に繋がれていたのは壊れていない方の自分自身だったんだから。鎖に繋がれているのに逃げることなんて出来るはずがなかったんだ。


 初めから何もかも間違っていたんだ。

 鎖に繋がれているのはどちらの自分なのか。

 どうして追い詰められているのか。

 どうして――俺は「それ」を見つけられないでいるのか。


 俺は分からぬまま、勝手な認識で独りよがりの答えを導き出していたんだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 


『青年は悩むあまり、どんどん磨耗していった。唯一の太陽のいる我が家に帰れても疲弊しきっていてベッドに倒れこむだけとなる日が続いていた。

 少女も青年の様子には気づいていたが、彼女は青年に何もできなくてただやり切れない思いでいるだけだった。


 しかしそんなある日のことである。



「大事な話があるの」


「大事な話?」


「ええ。思い出したの――何もかも」



 寝ぼけ眼だった青年も少女の言葉に完全に覚醒する。



「思い出したって昔のことも、あの森に倒れていたことも全てかい?」



 少女は頷く。彼女はポツポツとこれまでの経緯(いきさつ)を語り始める。



「国王には二人の子供がいて、私はその妹だったの。姉は正式に王宮で、私は身分を隠して――自身も高位な階級の子供とは知らされずに過ごしてきた。けれど過去の戦争後、姉は病気に罹って亡くなったらしいの。それで私が姉の代わりを引き継ぎ、王女となった」


 

 さらにいえば、少女が王女となる前に親友とは婚約を結んだようだ。その契約は上位階級に成り上がった後も有効に、というより有効にしてもらうよう親友は血も滲む努力をしたそうだ。



「私と彼はあなたを失った悲しみをずっと背負ってたの。かつてのあなたのように。あなたのために、せめて私達は一緒にいようってそう考えてたの。だから、こうしてあなたが無事でいてくれて心からよかったって思うわ」



 少女は改めて喜びを伝える。透明な透き通った涙が彼女の瞼に乗っかっていた。



「王女になった後、私はこの国といい関係でいられるよう手を尽くしたわ。だけど私、聞いてしまったの。深夜、たまたま王室を通りかかったらお父様が話されていて、つい耳に挟んでしまったの。相手は油断してる。侵略するなら今がチャンスだ、と。それを聞いて青ざめたわ。私はすぐさま対策を練る必要があった。けど、お父様に逆らうことはできない。また誰かに告げたら私の身も、話した相手の身も危険に晒される可能性がある。だから考えて、この国に私達の国が攻め入ろうとしてることを伝えようと思ったの。私は隙を見て王宮を抜け出した。そのまま上手く事が運んで国外に逃げることができた。けど追っ手がやってきて……彼らはあろうことか私を殺そうとしてきたわ。必死にあの森を走り回ってた。……そこから記憶がないの。疲れがピークに達して、倒れて頭でも打ったのでしょう。とにかく私が知ってることは以上よ」



 彼女の語る真実は想像以上のものだった。彼女はそれに加え、補足する。



「私が殺されかけたのは多分、証拠を隠滅するためよ。王女が消えた、それはお前達のせいだ、と責任をこの国になすりつけて戦争を仕掛けるつもりだったと思うの。おおかた、この国で攫われたことにするつもりだったのでしょうね。当然私という人物は死んでいるから証拠は無い。本当に私が死んでたら完璧な作戦だったでしょうね。皮肉にも私は生き延びて、攫われたわけではないけどこうして匿われているわ」



 なんてことだ、と青年は思った。

 隣国は最初からこの国を徹底的に破壊し、全てを奪うつもりだった。彼女はその足がかりとして利用されたのだ。そして真実を知らされていない親友も国王の狙いにひっそりと加担させられたことになる。

 だとすると残された時間はもうない。先日、我が国は今後どうするかという動きを耳に入れた。上層部は相当頭にきているらしい。もはやこれは戦争じゃない。殲滅戦だ、と。図らずしもこの国も隣国を徹底的に潰すために行動を開始したのだ。

 すると少女の存在は――非常に重要な立場にある。この国からも、隣国からも命を狙われる。

 青年は逃げ道を失った。もう答えが出せずうじうじしている暇はない。一刻の猶予を争うのだ。少女という存在をどう扱うか。何が正解で、何が間違っているか。この場で選ばなければいけない。

 けれど、やはりどうしたらいいか分からなかった。青年は頭を抱える。もう僕にはどうすることもできないと。



「なあ、聞いてくれるかい。僕はずっと悩んでいたんだ」



 そして耐え切れなくなって、彼女に白状することにした。今まで溜めていた思いがボロボロと零れる。

 少女は青年の言葉をジッと黙って真摯に耳を傾けていた。



「……既にあの人と再会してたのですね。そして、あなたは自分自身を壊すほど思い悩んでいたと」



 青年は無様に頷く。

 少女はそれでも青年を責めなかった。それどころか優しい微笑を携える。



「まず最初に誤解を解いておきましょう。そもそも私は昔からあなたのことを想っておりました。彼もそのことを知っているはずです。ですから、彼は分かってて嘘をついたのです。それは私とあなたの事を考えて発言したのでしょう。私を隣国に差し出せば私も助かり、あなたも保護という名目で救うことが出来る」


「けれどその手はもう使えない」


「はい、その通りです。私が隣国に戻ったところでまた理由をでっち上げてこの国を攻撃し続けます。ですがこの国に姿を現したらまだ何とかなるかもしれません。それは否定できません」



 少女にはまだ人質という価値が残っている。少女の身柄の確保という名分で隣国は動いているのだ。そこで少女の無事な姿を見せれば、彼らは攻撃を中止せざるを得ないはずだ。

 だが、しかし……。



「君はどうすることが正解だと思う」


「分かりません。何が正解で不正解なのか。私はあなたに選んで欲しいのです」



 少女は青年の瞳を正面から捉える。



「幸いなことに私はあなたに出会え、あなたに救われました。私の所有権はあなたが握っているといっても過言ではない。あなたの選んだ答えなら納得できます」


「でも、僕は……」



 少女は苦しげに顔を歪める青年の手を手の平でそっと包み込んだ。



「もしもあなたが自分に欲深い人間なら私といることを選択したでしょう。もしもあなたが真にこの国に忠誠を誓うならあなたは私と離れ離れになっていたでしょう。しかしあなたはそのどちらも選ばなかった。選べなかった……そうではありませんか?」


「……そうかもしれません」


「選べなかったのは、その選択肢に必要なあなたを構成する何かが足りなかったからに違いありません。なら、それを探しにいきましょう」


「探しに行く……?」


「ええ。きっとあなたは苦しんだでしょう。時には逃げもしたでしょう。それでもあなたは悩み続けた。もがき続けた。何故ならあなたはそれを渇望していたのです。そして、それを渇望していたあなたならきっと見つけられるはずです。あなたが求めるそれがある選択肢はどちらなのか。あなたの素直な答えを教えてください」



 青年は目を閉じた。そして過去を回想した。

 

 二人の親友を失ってからの抜け殻のような日々。

 少女と過ごした唯一無二の幸せな時間。

 敵として出会った親友との再会も嬉しくないわけなかった。

 

 ずっと同じ悲劇を繰り返さないことを考えて生きてきた。

 己と同じような悲しみを誰かに与えたくなかったから。

 でもそこに自分を含んでは駄目なんだろうか。

 思えば、いつも心は三人で遊んでいた時の記憶にあった。

 きっと願っていた。再び二人と会うことを。

 何故それを願っていたのか。失った心の欠片を――ずっと探していた「それ」を見つけられると考えていたからだ。



「頼りないでしょうが、あなたには私がいます。私があなたの力になります。それでは駄目ですか?」


「……そんなことないさ。君がいれば僕はきっと何にでもなれるし、きっと何でもできる」



 ようやく笑うことが出来た。愛しい彼女を慈愛のこもった視線で見つめる。その柔らかい手の平をギュッと握り返す。

 答えは出た。



「行こう。……どこまでも進もう。僕と君だけじゃない。あいつも一緒に、どこまでも!」』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 自分ひとりだけだったらその勘違いに気づくことすら出来ずに、罪悪感の過重に押し潰されていたはずだった。

 鎖に巻きつかれてもう二度とも元の自分に戻ることは不可能だったはずだ。


 けど、彼女がいたから。

 彼女がいてくれたから俺は前を見ることが出来た。

 彼女が傍で笑ってくれたから俺は笑うことが出来た。

 彼女が俺を見ていてくれたから、もう一度自分を見直すことはできた。


 なんてことはない。一人だから駄目だった。

 彼女は俺の持ってない何もかもを持っていた。

 だから自然と惹かれていった。


 俺には力がない。演劇をするのにも、祥平の意思を継ぐことすら一人ではままならない。

 けれど彼女が一緒にいてくれたから、こうしてステージに立てている。

 彼女のお陰で俺はようやく一人の主人公になることができるんだ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『青年と少女の二人は逃げ出した。途中、騎士団に顔を見られ、少女の素性もバレた。けど二人にとってそれは計算の範囲内だった。

 少女と一緒にいることがあいつに伝わればあいつはきっとやってくる。

 青年はそのように考えて、あえて情報を流したのだ。そして青年の読みは当たることになった。


 青年は森の中を駆けていた。時々、追っ手を振り切るために剣を振るい、撃破して前に進む。

 また一人、兵士が青年の前に立ちはだかった。幾多もの戦いで擦り切れ始めた体力が青年の動きを鈍くする。兵士の単調な攻撃も消耗した青年には避けることも叶わず――。

 しかし倒れたのは兵士だった。代わりに一人の男が現れた。



「お前はこの選択肢を選んだか」



 親友だった。以前会ったときより彼には覇気がある。覚悟を決めた顔。

 彼の心に付け入る隙は微塵もないのかもしれない。

 それでも青年は望む。



「ああ。……だけど、彼女だけじゃない。君も一緒に僕たちと行こう!」


「ありがたいお誘いだな。けれどそれが叶うことは――ない!」

 


 親友の剣が振り下ろされ、二人の激闘が始まった。



「全員が助かる道はこれしかない! どちらに付いても、もうどうしようもないぐらい事態は悪化している! 君は嵌められたんだ! 目を覚ませ!」


「嵌められた? 何を言ってるのかわからないな!」



 森の中の開けたその地で剣をぶつけ合う音が響き渡る。



「いいか、よく聞け。彼女は自らの意思で逃亡した。君の国の王は僕たちの国を乗っ取るつもりだったんだ。そして怒りに狂った僕たちの国も君たちの国を壊そうとしている。彼女を差し出したら平和が訪れるかもしれない。けど、それは少しの間の仮初の平和だ! 真の平和をもたらすには革命を起こす以外方法はない!」


「お前の言うことが真実だとしても、俺はお前と彼女を引き剥がすと決めた。そうすれば少しの間でも平和は訪れるんだろ? このまま二つの国を放っておけば犠牲者は増える。俺達のような悲しい思いをする人達が大勢出るんだ! 俺は二度とそんな思いをさせないために兵士となった!」


「ああ、分かってる。そんなの分かりきってるさ! でもこの場限りだ。国を根本的に変えない限り、同じことは何度でも起こる。その度に僕達は皆を守らねばならないのか!? その度に僕達はこうして親友と剣を交えないといけないのか!?」



 剣の軌跡を自由自在に変化させ、二人は剣を交差させる。



「いいか、僕も同じだ。僕も君みたいに同じような人間を出したくないと考えて騎士になった。でも、違ったんだよ。いつだって僕は自分自身の救済を望んでいた。独善的で欲深い人間と考えてくれていい。僕は彼女と一緒にいたい。君ともう一度同じ道を歩みたい。全て僕の我侭だ。けど、それでいいんだ。何もせずいるより、目標に向かって前に進むことはきっと美しい! これが僕の選んだ道だ!」


「俺はお前みたいな下劣な人間とは違う!」


「断定できるのか。じゃあどうして君はあの時嘘をついた。咄嗟に思いついただけかもしれないが、あの嘘には僕と彼女が救われてほしいという気持ちがあったんじゃないか! そうだよ、僕達は昔から一緒だったじゃないか。好きな人も一緒だった。君は僕と同じなんだ。君も僕と同じように悩み、苦しみ、そして離別するという答えを導き出したんだろう!?」


「お前に俺の何が分かる!?」



 親友から力強い一撃が繰り出される。



「お前と彼女の幸せは確かに願ったさ。けれど、その選択肢はあまりに残酷で悲惨な結末しか待っていない。二つの国を相手にするのは無茶にも程があるからな。それならお前達を引き剥がして両者を生かしたほうがいいと踏んだんだ。それが例えお前らの幸福を壊すことになったとしてもだ!」


「だからって君は自分自身の幸福すら壊すのか!?」



 しかし青年は渾身の一撃を受け止める。



「だったらどうして僕に選択肢を与えた! あの場では君も困惑していたのかもしれない。が、しかし一度決意した後、わざわざ俺達が動き出すのを待つ必要はなかったはずだ! 僕と彼女が繋がっていることを君は知っていた! それを伝えれば一個師団動かすのぐらい容易かったはずだ! なのに君はこうして僕たちが動き出すのを待っていた。こうして君を誘い出さなければ会うこともなかったかもしれないのに!」


「それは……だが!」


「自分に嘘をつくな!! 自分を否定するな!! 君は答えを出したつもりでいただけだ。勝手な勘違いを君は信じた。だから君は僕たちの前に現れた。けどそのじつ、君はずっと正しい答えを捜し求めていた。その片鱗を僕たちから見出したかった。君は僕達を――答えを教えてくれる人間を求めていた! だから教えてやる! 君と同じこの僕が!」



 青年は剣を弾き返し、親友のバランスを崩す。そして倒れ込んだ彼に剣の切っ先を向ける。



「――僕の勝ちだ」



 青年は勝利を宣言すると剣を鞘にしまう。

 


「……はあ、畜生」



 親友は地面に大の字で寝転び、小さく呟く。



「……壊れていたのは……俺のほうだったか」


「ああ、そうだ。でも君はそれを自覚した」



 青年は昔の名残のある親友を眺める。



「君はもう一人じゃない」



 青年は横たわる青年に手を差し伸べた。



「……ああ、そうだな」



 そしてもう一人の青年は満足げに微笑み、その手を取った。


 二人の戦いを静かに見守っていた少女もそんなやり取りを涙混じりに傍観していたが……。



「見つけたぞ!」



 張りのある声が一帯に響く。

 青年と親友は少女を挟んで背中合わせとなる。

 森の奥から兵士達が現れる。隣国と青年達の国……両国の兵士が三人を取り囲む。



「俺達の力見せてやろうぜ!」


「ああ、いこう!」



 二人は襲い掛かってくる兵士達をなぎ払う。先の戦いでとっくに力は尽き果てていたというのに。それでも彼らは止まらなかった。まるで鬼神のようだった。

 そうして何時間も経過しただろうか。敵が完全にいなくなる頃には日が暮れ始めていた。



「よし、何とか乗り切った」



 一仕事終えたという感慨を味わいながら剣をしまう。



「おい、そっちは――」



 目に飛び込んできた光景は最悪のものだった。

 親友の腹から血が出てる――。

 青年はすぐさま傍に駆け寄る。



「くそ、早く処置をしないと!」


「いや……駄目だ。そんな悠長にしてる暇はねえ……。ぐずぐずしてると……増援が……」


「馬鹿野郎! 君を置いていけるか!」


「そうよ! ようやく昔の三人に戻れたんだから!」


「分かってる……分かってるけどよ……」



 足音が遠くから聞こえてくるのがわかった。まだ距離は離れているが、このままだと見つかるのも時間の問題だ。



「細かい処置は後だ。今は逃げないと」



 青年と少女は親友の腕を肩に回して移動を開始する。

 だがどうしても移動速度は落ちる。どんどん足音が近づいてくる。



「俺のことは……置いてけ。このままじゃ……全滅だ……」


「ふざけるな! そんなの納得――」


「いたぞ!」



 灯りを持った兵士達が姿を現す。

 青年は素早く剣を抜き取ろうとしたが、突如乱暴に地面に投げ出される。



「な――」



 親友に投げ出されたということを理解すると同時、青年と少女を守るようにして立つその背を仰ぐ。彼が兵士達を倒したのだ。



「じきに日が暮れて……夜になる。そうしたら……捜索も困難になるだろう。一晩逃げ切ればお前達……いや俺達の勝ちだ……」


「おい、待て、何をしようと――」


「なあ、親友」



 彼は正面からやってくる邪魔者たちを逃さんと前方を睨んでいた。



「無念がないといったら嘘になる。けど、これでよかった。あそこでお前達を倒していたら……きっと後悔まみれの人生を送るところだった。ありがとう。最後の最後で俺はようやく自分の道を見つけることが出来た」



 彼は片方の手で腹を押さえながら――それでももう片方の手でしっかりと剣を握る。



「お前ら、ちゃんと生きろよ。安住の地を見つけて、俺がイラつくぐらいいちゃついて、子供もたくさん作って……今度こそ幸せになれよ。そんでまあ、覚えてくれていたらでいいんだが……俺の意志を継いでくれたりしないかな」



 彼は恥ずかしそうに声をしぼめながら、そんなことを言う。



「ああ、忘れないとも。君の意志は必ず僕が引き継ぐ」


「そっか……なら安心だ。もう悔いはねえ。じゃあな、親友。それと……」



 次に彼は少女の名を口にした。心から愛してた、と続けた。


 いくつもの足音が連なってやってくる。たくさんの揺らめく赤色の光がどんどん大きくなる。



「ここは任せろ。何が何でも食い止めてやる。だから、行け。どこまでも行け。そしてお前はお前の答えを見つけろ」


「ああ!」


「いい返事だ。それじゃあ、本当にこれが最後のお別れだ……」



 彼は剣を構える。

 その間に青年は少女の手を取り、立ち上がる。



「いっけぇぇぇぇええええええ!!」



 彼は吼えた。同時に二人の人間は闇に染まっていく森の奥へと突き進んでいく。

 青年は最後に一度だけ振り返った。親友の姿を瞳に刻み込む。そして二人はどこまでもどこまでも走り続けた。



 二人は一晩中足を止めることはなかった。あれから一度も追っ手は来なかった。

 段々と薄れていく夜の闇を見ながら前に進み、そして丘に出た。

 二人が丘に到達した時、水平線から太陽が覗きこんできた。薄い光がどんどん広がり、二人は目を細めて世界の始まりを見届ける。

 祝福の光に照らされた二人の男女は肩を寄せ合い、静かに微笑んだ。』



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 この場面を以って親友の出番は終わる。

 最後の別れのシーンはやはりプロの芸能人だけあってか、まるで本当に存在しているかのような熱演だった。俺の代役と言うのがもったいないくらいだ。


 舞台裏に戻った比奈を目で追っていたら、彼女も視線に気づいたらしくこちらを見てくる。

 息も上がるほどに疲れているはずなのに、Vサイン付きで送ってくれた笑顔はあまりにも眩しく、まるで太陽のようだった。


 その太陽は心の中までやってきた。

 暗く陰りのある闇を打ち払い。

 牢獄に囚われた人間すら光で照らし。

 囚人を捕らえた鎖すら浄化した。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



『それから数年の時が経過した。

 青年と少女の二人は手を繋いでとある場所を目指していた。


 あれから現在に至るまでの日々は決して良いことばかりではなかった。けれど共に過ごした時間は確かで、幸せだった。

 双方の国が現在どうなっているのか。それは分からない。しかしいずれどうにかせねばならない問題だった。

 生活がようやく落ち着き、そして本格的に動き始めるつもりだった。

 今日はその決意を表明するために彼らは戻ってきたのだった。


 一晩の死闘を終え、辿りついた小さな丘。あそこは現在、先の戦争で亡くなった人達の墓が建てられているはずだった。噂では彼の名前も刻まれていると……。

 二人は手分けしてそれを探す。

 墓標に刻まれた一つ一つの命をしっかり胸に刻んで、青年は一つの墓の前に立つ。その墓に込められた名前を見て、彼は涙を流した。

 青年の様子に気づいた少女が傍にやってくる。片方の手で花を持ち、空いた手で青年の手を握る。



「そっか、これが……。悲しいわよね。こうして墓を見ちゃうと」


「違うんだ。そうじゃないんだ。悲しくて泣いてるんじゃないんだ」


「じゃあ、一体どうして?」



 青年は溢れる涙を止められなかった。

 

 彼はそれをいつでも探していた。

 彼は選択を誤ったこともある。

 彼は罪を犯したこともある。

 彼は壊れたこともある。

 彼は何度も悩み、何度も苦しんだ。

 彼は何度も諦め、何度も逃げた。

 彼はそれでも探し続けた。

 彼はそれを渇望していた。

 彼はだからそれをいつも探していた。


 青年は、言った。』

 


◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 もうすぐ劇が終わる。

 最初で最後の主演を演じた物語が終わる。

 ステージの上からだと観客の姿が鮮明に映る。退屈そうに欠伸していた人も、期待して目を輝かせていた人も、興味なさげに下を向いていた人も、何の感情も見せずただステージを見ていた人も――誰もが最後の言葉を待ちわびていた。


 演劇って凄いな、と思った。

 あくまで演じているだけなのだ。本物の自分とはまるで違う。どんなに醜い人間でもステージの上に立てば別の人間になりきることが出来る。


 役者を照らす舞台照明はステージの上を輝かせる太陽だ。

 物語の進行に合わせ場を盛り上げる音響はパレードのようだ。

 ステージを彩る背景のセットは人間の手助けをしてくれる妖精のよう。

 そして役者は演じる役そのものだ。


 たくさんの人間が力を合わせて一つの舞台を作る。

 観てくれた観客達は物語の終わりに一つの集結した感情を見せてくれる。

 

 

 ああ、そうか。俺はようやく気づく。馬鹿だなあ、俺。こんなに近くにあったのに今頃気づくのか。

 苦笑いしか出てこない。今は演技中だから、本当に笑うのは終わった後だけど。

 全く、と自分に呆れて。

 でも、と嬉しさが込み上げて。

 

 どこかで鎖の解ける音がした。


 

 俺は、言った。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 






『「ようやく、見つけた」』







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