表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルと公開恋愛中!  作者: 高木健人
12章 高城和晃編
148/183

八話「先輩と後輩」

 駆けずにはいられなかった。例え神聖な病院といえど知人が命の危機に瀕している時にゆったり歩けるほどの俺は薄情じゃない。さっきから看護師が走らないで下さいと声をかけてくるが、俺は止まれなかった。

 パニック状態の梨花さんからなんとか聞き出せた近くの大学病院のとある病室。祥平はそこに運び込まれたらしい。

 病室の前に着くとまずは表紙の確認。黒瀬祥平と書かれている。膝に手をついて荒げてた息も現実の光景を目の当たりにすると疲れなんてものは吹っ飛んだ。



「祥平! 死ぬな馬鹿野郎!」



 震える声で、顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶ。

 ついさっきまで俺とあいつはステージの上で舞うように役を演じていた。主演と副主演という立場であったが、息のあった演技で観客達に感嘆のため息をつかせていた。演劇を終えるとへへ、と笑い合って拳をぶつけ合ったりもした。

 どんなに苦手な相手でも、今回のあいつは大事なパートナーだった。後輩だった。それが突然の悲劇に襲われて命を散らすなんてそんなの……納得いかねえ!



「いや、あの……死んでないんですけど」


「ああん!? ……って祥平!? な、なんで? ゾンビって実在したのか?」


「さ、最近ではゾンビっ娘萌えとかもあるくらいだからいてもおかしくないのかも!」


「そ、そうなのか比奈!?」


「二人とも落ち着いてください!」



 あわてふためく俺と比奈に制止の声。声の主は顔色も良く、瞳孔もきちんと閉じられている。さらに動揺から呆れの表情に変化していく過程は死人には出来ないもの……のはず。



「な、なんだ生きてたのか。ビックリしたぞ……」


「ビックリしたのはこっちですよ。いきなり誰か来たと思ったら死んだだのゾンビだの喚かれて……。というか何勝手に殺してるんですか」


「いや、それはだな」



 祥平からの視線をかわすように病室内を所在無く瞳を動かす。祥平の横たわるベッドの傍に目を赤くさせた梨花さんがいた。



「ああ、なるほど」



 俺が梨花さんの存在に気づくと祥平は全て悟ったように相槌を打つ。



「梨花の狼狽ぶりから俺が死んだと勘違いしたんですね?」


「うん、まあ」



 申し訳なさと思い違いの恥ずかしさから祥平をまともに見れなかった。



「全く、梨花は大袈裟なんだから……。少なくとも命に別状はありませんよ。足を骨折したぐらいで、後遺症も残らないと医者が言っていました。ですからそこまで心配する必要はありません」


「そうなのか? そりゃ良かった」



 心の底から安堵する。比奈も強張った表情が軟化している。

 しかし俺達の安心とは別に祥平の顔は晴れていなかった。憂いだ目をしている。声を荒げるほどの元気があったのが嘘に思えるぐらい意気消沈している。

 パッと見た感じ、目立つのは足に巻かれた包帯ぐらいだ。ハチマキのようにおでこにも包帯が巻かれているが血が滲んだりしているわけでもない。祥平の言うとおり、命の心配はない模様。車に轢かれてこの程度で済んだのならマシな方なんじゃないか。

 


「治るまでどれぐらいかかるんだ?」


「全治三ヵ月から四ヶ月程って言ってました。一ヵ月もしたら松葉杖で外を出歩けるそうです。それまでは要安静ですけどね」


「本当にただの骨折って感じなんだな」



 気が抜けてハハ、と笑う。

 だが、と気づく。

 一ヶ月もしたら――。

 祥平は暫く動くことが出来ない。明日なんてもってのほかだ。つまり、つまりそれって……。



「……明日の公演は」


「……はい、無理ですね」



 祥平は自嘲気味に笑い、それから奥歯を噛み締める。

 俺は何て愚かだったんだろう。無事でよかったとか、何だ元気じゃんという慰めや軽い冗談がどれだけ祥平を傷つけたんだろう。

 あいつは三年生のために、自分のために、引退を控えた上級生以上の熱意を持って取り組んできた。誰よりも真剣に、そうプロに頼み込んで教えてもらった俺に打ち勝つほどの努力を積んでいた。

 そして明日は俺達と出来る最後の公演。祥平はきっとこの日のために今まで練習を重ねてきた。なのに、なのに運命は……なんて残酷なんだろう。

 最悪の事実が露見すると病室内は重々しい空気で包まれる。俺は何て声をかけたらいいのか分からず、ただ立ち尽くすことしか出来ないでいた。



「おい、祥平、大丈夫か!」



 沈黙を破るようにして現れたのは越塚先生だった。



「……って何だ、高城達もいたのか?」


「梨花が先輩達に連絡を入れたそうなんです。それで駆けつけてきたらしくて」



 祥平は傍で顔を沈めている梨花を指差した。



「はあ、なるほど。というか思った以上に元気だな。いいことだ。お前の担任に連絡が入ったそうなんだが、忙しくて来れないらしく、代わりに部活の顧問の俺が来たって感じだ。ご両親は?」


「今こちらに向かっているらしいです」



 先生と祥平が会話を繰り広げている。今の俺達は酷く場違いだ。



「あの、先生。俺達一旦外に出てます」


「ん? いや、別にここにいても構わないが」


「いえ、これから両親とか、もしかしたら事故を起こした相手や関係者も来るかもしれないじゃないですか。ですからしばらく退散します。俺達もちょっと落ち着きたいんで」



 先生は俺の様子から何かを感じ取ったのかもしれない。しかし何も言わず、わかったと返すだけだった。

 


「比奈、行こう。……梨花さんも今は俺達と来るんだ」



 比奈はまだきちんとしていたが、梨花さんは操り人形のように力なく立ち上がる。

 病室を抜ける前にもう一度祥平の顔を覗く。淡々と話す彼の瞳には覇気がない。こんな祥平を見るのは初めてだった。あいつは初めて会った時からいつも瞳をギラギラさせていたというのに……。



* * * * *



 二年生になった。クラスには由香梨と中里さんコンビに加え、去年に引き続いて最近よくつるむ久志と同じ中学の直弘の男子達と中々にいい面子が揃った。

 ふと校庭に目をやると活力に溢れる一年生達が部活に取り組んでいる。元気なことだ。去年の今頃は俺も同じようだったのかもしれない。

 今日は新しく入部した一年の自己紹介と俺ら先輩の自己紹介もあるから部活に来いよ、と部長に言われたので久々に部活に出るつもりだった。

 部活に出るのは三週間ぶりくらいか。入学式の後にやる新入生歓迎会で歓迎公演なるものを部活に出席したとカウントするならの話だけど。


 一年生達のほとんどは緊張気味だった。演劇部はどちらかというと文化系の部活だ。運動部みたいな体育会系の人間はあまりいない。その中でも何人かハキハキしたのはいたが。

 お互いの自己紹介を終え、通常業務に戻った時だった。



「高城先輩!」



 あまり聞きなれない声。というか先輩? 一年か?

 振り返ると自己紹介の中で特に元気があった一年生がこちらを見ていた。なんというか忠実な部下って感じだ。憧れの人を見るような瞳で今にも敬礼しそうな雰囲気を醸し出している。



「えっと、確か……」


「黒瀬です。黒瀬祥平」


「ああ、黒瀬か。どうかしたか?」


「あの、俺、歓迎会の劇を観て入部を決めたんです」


「ほお、そうなのか。俺の活躍見てくれた?」



 冗談交じりにニヤニヤ笑う。



「はい、見てました! 先輩の演技する姿、凄くかっこよかったです!」


「……へ?」



 しかし黒瀬は大真面目に、言ってて恥ずかしくなるような言葉をド直球にぶつけてきた。


  

「俺、先輩の演技に憧れて入部したんです。演劇は初めてですけど、精一杯やるんでよろしくお願いします!」



 しかも綺麗に頭を下げてくる。試合前の礼とかでもここまでしっかりしたお辞儀はしないんじゃないか?

 まだ他にやらないといけないことがあるんでまた、と黒瀬は嵐のように立ち去っていく。後姿をポカンと眺めていると誰かが肩に手を置いた。



「あいつ、体験入部の時からやる気に満ち溢れてるんだ。どうやら高城を目標にしてるみたいだな。しかも素人ながらかなり上手い。若手のホープだ。うかうかしてるとお前、あいつに抜かれるぞ?」



 話しかけてきたのは部長だった。

 俺ははあ、と息をついて、



「別に抜かれるのは構わないんですけどね。でも」



 ――先輩って呼ばれるのは悪くない。


 その時は呑気に物を見ていた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 部長が一目置いてるだけあってか、祥平は一年生の中でもぶっちぎりの活躍を見せていた。

 少々生真面目な性格であるが先輩と後輩の立場をわきまえ、言われたことも素直にやるし、練習には誰よりも真摯に取り組む。ホープどころかエースになる日も近いと噂されているほどだ。

 基本的に先輩を誰でも慕う祥平だったが、特に慕っていたのは俺らしかった。やはり入部のきっかけになった俺の演技がその原因らしい。過剰なコンタクトも部員達はやれやれといった感じで見ていた。



「あの、今の演技どうでしたか?」


「こういう時、どんな動きをすればいいでしょうか?」


「流石和晃先輩です」



 ……と。数えればキリがない。

 最初は尊敬されている感じがして悪い気はしなかった。多少だけど調子に乗ってアドバイスしたこともある。

 しかし段々とうっとおしくなってくる。

 練習といっても俺は出来る限り手を抜いてやっているのだが、祥平はそれを見抜いたらしく、



「どうして真剣にやらないんですか?」



 と訊ねてくるわけだ。

 余計なお世話だ、と言いたいところだが、別に怒っているわけでもなく、憧れの先輩が真面目に活動していないことに不満と困惑を抱いているようで指摘することはできなかった。


 またそれ以外にも祥平の真剣すぎる練習風景を眺めていると複雑な気分になるといった現象が発動していた。

 その現象が起こると胸が痛くなり、不快感が湧き上がってきてまともに目も当てられなくなるのだ。

 

 なんだかんだでそれなりに顔を出していた部活だったが、本格的な幽霊部員になるのも時間の問題だった。いつしか部活に足を向けるのも敬遠するようになっていた。

 部活のない生活にも慣れた頃、帰宅を見計らっていたのか、はたまた偶然か、とにかく俺の前に祥平が立ちはだかった。



「先輩、どうして部活来ないんですか?」


「部活以外にもやることが色々あってな。特に最近は忙しくて」



 嘘がスラスラと口を出る。

 祥平はジッとこちらを見ている。不満を感じていますとこちらの瞳を見据える視線が訴えてくる。もしかしたら嘘を見抜かれているのかもしれない。



「……分かりました。ですけど、次はちゃんと出てくださいね」


「出れたらな」


 出るつもりはないけど。

 祥平はまだ何か言いたげだったが身を翻して去っていく。彼の走る方向は部室のある方だ。その先に未踏の地が待っており、探険家がドキドキワクワクしながらその地に向かって駆け出している――そんな風に見えた。

 その後姿がなんだか眩しくて俺は最後まで見ることが出来なかった。



* * * * *



「はい、梨花さん。これ飲みな」


「……ありがとうございます」



 自販機で買ってきたお茶を梨花さんに手渡す。彼女の傍についてくれていた比奈にも同じ物を渡す。

 梨花さんは病室を出た後も変わらず沈痛な表情で床を見ている。これだと梨花さんの方が祥平よりも参ってるように見える。



「梨花さんが落ち込む気持ちも分かるけど、それだと祥平もやりきれないだろ。梨花さんが笑顔を浮かべれば祥平も元気が出て、前向きになれるはずだ。祥平を安心させるためにも、元気を出すんだ。な?」


「はい、分かってます。分かってますけど……」



 梨花さんは手の平に収まった缶ジュースをギュッと握る。

 余計なお節介だというのは分かる。けど祥平に加え梨花さんの痛々しい姿を見ることに耐えられなかったのだ。


 意気消沈した梨花さんから何が起きたのかを聞きだすのには時間がかかった。彼女はゆっくりと鮮明に当時の状況を思い出し、詳細に語ってくれた。

 帰宅途中、おもちゃをぶん回しながら歩く少年がいたらしい。その少年の手からおもちゃがすっぽ抜け道路に落ちてしまった。親の制裁も聞かず、少年は道路に飛び出した。見ると、少年の横からは車が迫ってきていた。危ない、と思った時には隣にいたはずの祥平は少年を助けるために飛び出していた。少年を突き飛ばし、車も急ブレーキをかけたが間に合わず――祥平は車に轢かれた。

 今は治療を施したため、目立った外傷はないが、轢かれた直後は血まみれだったらしい。らしい、というのは梨花さんもパニックになっていたため、この辺は詳しく覚えていないそうなのだ。

 とにかく想い人が目の前で事故に遭う瞬間を見てしまい、酷く動転した。梨花さんが落ち着いたのは治療室から出てきた祥平と会話を交わした後だった。

 俺に電話してきたのは救急車の中だったと思う、と梨花さんは言っていた。



「……明日の事も考えると今日の事故は不幸だった。祥平自身は若干の傷を負ったけど、ピンピンしてる。障害が残るわけじゃない。そういう意味では幸運じゃないか。だから今回はこの程度で済んでよかったよ。それに一番辛いのはあいつなんだ。俺達があいつを支えないと」


「カズ君の言うとおりだよ。残念だけど明日の公演は諦めるしかない。こうして意識があるだけ良かったって考えよう。ね?」



 比奈が優しく梨花さんの肩に手を乗せる。梨花さんは堪えられなくなったのか、小さな泣き声を挙げて涙を流す。



「先輩達の言うことは……よく分かります。私自身もそうしなきゃって心の底でも理解しているんです。でも、分かってても離れないんです……」


「離れない?」



 どういうことだ?



「私が駆けつけた時、祥平君の意識は朦朧としていました。その時彼はある人物に向かって謝っていました。その時の彼の呟きが耳から離れないんです」


「ある人物っていうのは……?」


「……高城先輩ですよ。だから私は救急車の中で先輩に連絡したんです」



 心臓がドクンと跳ねた。



「俺に謝ってた……? なんで……?」


「祥平君は先輩の名を呟いてすいませんと何度も何度も口にしていました。明日できそうにないです、先輩の晴れ舞台を壊してごめんなさいって小さな声で、悔しそうに……意識を失うまでずっと繰り返していたんです」


「なん……だよ、それ」



 祥平、お前は一体何をやってんだ。自分の命の危機かもしれなかったんだぞ。どうしてお前はそんな時でも俺を気遣ってるんだ。違うだろ、そうじゃないだろ。もっと大事なことはたくさんあるだろ。俺なんかに謝るんじゃなくて、心配をかけてる梨花さんとか、不謹慎かもしれないけどご両親のこととか。どうして意識を失う直前まで明日のこと気にしてるんだよ、あいつは!



「この……馬鹿野郎がっ……!」



 言わずにはいられなかった。拳を強く握っても怒りに似た感情は収まらず、体が震える。



「あいつは馬鹿だ! どんなピンチでも最後まで演劇のことを気にする演劇馬鹿だ! なんだよ、それ。ここは漫画やアニメの世界じゃねーぞ? スポ根でもない限り、最後まで部活のことを考えるやつがいるかよ! ああ、馬鹿馬鹿しい! そんな熱血野郎が身近にいたなんて笑っちまう!」


「――先輩。それ以上言ったら、いくらあなたといえど」


「――駄目。今は止めちゃ駄目」



 視界の端に二人の少女が映る。片方が赤く目を腫らした女の子を止めているように見える。

 しかしそんなことには興味が微塵も湧かない。大馬鹿者の祥平に対する怒りと悲しみだけが支配する。



「なーにが俺に憧れて入部しただ。お前の憧れた先輩はクズで怠惰で傲慢な人間なんだ。演劇部にだって目の前の現実から逃げるための、お遊びのために入ったようなもので、元から俺は部活ごっこなんてもん、ハナからする気はなかった。お前が勝手に勘違いして、崇拝しただけに過ぎない。あいつ、演技力はぴか一なのに、見る目がねえな。そういや、分かりやすい好意を示してくれる女の子の想いに気づけないほどの鈍感だから仕方ないことなのか」



 あいつはいつも愚直でまっすぐなやつだった。だから周囲のことには鈍かったんじゃなかろうか。

 やっぱりあいつは大馬鹿者だ。正直すぎて、きっとあいつは将来痛い目を見る。ずる賢い人間達にいいように使われる。

 なんと滑稽なことだろうか。俺は笑う。笑おうとする。どんなに愉快に笑おうとしても頬は笑みを作ってくれなかった。代わりにやり場のない感情がわきあがって、俺はそれを抑えるために口を結んだ。あまりにも強く唇を噛み締めたため、血が溢れてきた。



「そうだよ、あいつは馬鹿だけど、いつもいつも真っ直ぐな瞳を向けていた。どんな時でも悲観なんてものなくて、希望しかあいつの中にはなかった。常に前を向いて目標を見据えて、そこに一直線に突き進んでいた。だから、だから俺は――祥平のことが嫌いだったんだ」



 あいつを見ていると眩しくて目が眩んだ。

 あいつを見ていると羨ましくて嫉妬した。



「あいつは俺なんかと違って、どこまでも高みを目指せる人間だ。俺は祥平と初めて会った時、嫌なことがあったらすぐに逃げ出していた。頑張ることから逃げていた。苦しいことから逃げていた。未来から逃げていた。自分自身からも逃げていた。何かあるたびに目を逸らして、背を向けて……俺はどこまでも愚かで罪深い最低な人間だったんだ……」



 なのに祥平はそんな俺に憧れたと言ってくれた。

 あいつは最後の最後まで俺を慕ってくれていた。



「本当に馬鹿なやつだよ。俺はどこまでも醜い人間なんだ。尊敬されるような人間じゃないんだ。むしろ逆なんだよ。俺は祥平に憧れていた。尊敬していた。だって、あいつは俺が目指していたはずの俺そのものだったんだから」



 * * * * *



 祥平を見てると胸が苦しくなる理由を考えてみたことがあった。

 正直に言えば、俺はあいつのことが嫌いだ。

 でもその嫌いは人間的な意味で嫌いというわけではない。

 何でもかんでも真摯に取り組む姿は見てて心地がいいし、安心感やら期待感やら、とにかく努力してる感じが伝わってくる。

 それは本来好意的に見られるはずだ。けど、多分俺はそれを好意的に見られないのではなかろうか。

 俺は頑張ることは嫌いだ。面倒なことは嫌いだ。苦しいことは嫌いだ。何か一つの目標に向かって取り組むことが嫌いだ。それらを全て悠々とこなせるから祥平のことが嫌いなんだ。


 俺と祥平は正反対のタイプの人間だ。そりゃ釣りあうはずがない。

 壁に真っ向に立ち向かう祥平と、壁から背を向けて逃げ出す俺。


 しかも祥平を見てると俺がいかに下劣であるかをまざまざと見せ付けられるからそれも嫌なんだ。

 だって、俺、何もしなさすぎだ。日常の些細な不幸でさえも現実逃避したくなるんだもの。

 祥平さえ現れなければ俺はそのままでいられたのに、あいつのせいで俺の道徳は酷く壊れたものであると自覚させられたのだ。

 由香梨に向けた笑みが狂気を含んでいたということを。久志に向けた優しさが虚偽であったということを。

 まだ沙良に汚く罵っていた時の方が人間味があったように思える。


 そうだ、丁度俺が鎖に蝕まれ始めたのはその頃じゃないか。

 それまでの俺はどうしていたか。

 この世の森羅万象を知り尽くすぐらいの気合を持って、どんな物事にも挑戦しようと意気込んでいた。それが行き過ぎた故にこうなったわけで。

 本来なら俺は今頃、何か一つ夢中になるものを見つけてそれを極めるために無我夢中に突き進んでいるはずだった。まさにあの祥平みたいに……。

 ああ、そうか。ここまで考えてようやく気がついた。

 

 祥平の真っ直ぐすぎる姿勢は、俺が夢見ていた俺自身なんだ。


 祥平は一つの目標に向けて前に進む。

 未来の俺は一つの目標に向けて前に進む……はずだった。


 あいつはまさに夢想していた自分自身だった。

 だから俺はあいつのことが見れなかったんだ。

 もしかしたら究極的な同属嫌悪だったのかもしれない。


 なんだ。理由さえ分かれば納得だ。


 分かってしまえばもうどうしようもない。

 堕ちてしまった俺に今更祥平のようになることなんて出来ない。

 俺はあいつの成れの果てなんだから。

 これからも潔く、どこまでも立ちはだかる壁から逃げてやろう。


 でも、逃げた先には一体何があるんだろう。

 どんなに逃げても必ずまた壁は立ち現れる。

 このままだと壁に囲まれて俺は動くことすら出来なくなるんじゃないか。

 その時こそ本当に本当のおしまいだ。鎖はついに喉に絡みつき、俺の息の根を止めてしまうだろう。


 誰か俺を助けてくれ。

 もう自分ではどうすることも出来ないんだ。

 逃げるでもない。壁に立ち向かうでもない。

 誰か俺を見知らぬ世界に連れ出してくれ――。



 * * * * *



「カズ君」



 ハッと顔を上げるとアイドルの彼女がこちらを見ていた。



「自分を追い詰めるのはもうやめよう」


「それをやめたら、俺はもう祥平に顔を向けられない。自分を責めるしか自分を許す術がないんだよ」


「本当にそうなのかな?」


「何か……あるっていうのかよ」



 神に縋るように彼女の言葉をただひたすら待つ。



「カズ君の細かい過去は分からない。けれどカズ君は何かしらの罪を背負っていて、それが理由で黒瀬君に慕われていることが納得いかなかった」


「ああ、そうだ」


「だから今回、最後まで気にかけてくれたことに最大限の罪を感じている」


「その通りだ」


「だったら、罪滅ぼしをしようよ」


「え……?」



 罪滅ぼし? 今更俺なんかが贖罪なんて出来るはずが……。



「罪を犯した人間は被害を与えた人に、社会に向けて罪を償おうとする。だったらカズ君も黒瀬君が喜ぶようなことをすれば、それが償いになるんじゃないかな?」


「祥平が……喜ぶこと?」



 あいつが喜ぶことってなんだ。やっぱり演劇か? 明日の公演を完遂させる……とか。

 でも、主演はあいつなんだ。あいつがいないと物語は始まりすらしない。

 それにあいつの意思はどうなんだ。あいつは何を考えていた……?

 あいつは俺にひたすら謝っていた。俺の晴れ舞台を潰してごめんなさいと。主演は祥平なのに俺の晴れ舞台? それはどういうことなんだろう。

 そういえば、文化祭の直前に親父が観に来ることを話していた。その時の祥平はいつも以上に燃えていた。あれはどう考えても祥平自身ではなく、俺のためであると判断していいはずだ。

 じゃあ、あいつはどうして俺のために燃えてくれた? ……なんてことはない。俺はあいつにとっての憧れ人だからじゃないか。

 もしも、だ。もしあいつが俺の活躍の場を壊したことに対し罪を感じているならば。

 明日、これまでの全てを披露するような演技をしろということではなかろうか。

 俺は主人公ではない。あいつの代わりにはなりえない。けれど、役という器を変えてあいつの意志を引き継ぐことは可能なんじゃないか――?



「カズ君」



 彼女の声に導かれ、視線を合わせる。



「私が一緒にいるから」


「――そうだな」



 俺一人じゃ主人公にはなりえない。

 けれど彼女が――香月比奈がいるのなら話は別だ。

 彼女がいてくれれば俺は主人公になることが出来る。



「病室に戻ろう。やらなきゃいけないことが出来た」



 比奈と梨花さんを引き連れて祥平達のいる病室に戻る。中にいたのは祥平と越塚先生の二人だけだ。



「おう、戻ってきたのか。ちょうど良かった。俺も看ててやりたいが、いつまでもここにいるわけにはいかないからな。それにお前らといた方が祥平も安心するだろ」



 先生は脱いだスーツの上着を片手に抱えて立ち上がる。



「あの、先生」


「ん? どうした高城」


「明日の公演はどうなりますか?」


「……残念だが中止だろう。部員達に細かい連絡は俺からしておくから、あまり気にする必要は――」


「中止を取り消してもらうことは出来ますか?」


「は? いや、お前、主演の祥平が……」



 先生はその先を言わず、チラッと祥平を横目で見やっただけだった。代わりに俺が祥平の正面に立つ。



「なあ、祥平」


「はい。何ですか?」


「お前はまだ俺を憧れてくれているか?」


「え……。――はい、先輩は俺の目標です」


「想像していた人物像と違って醜くて汚い愚かな先輩だったとしてもか?」

 

「例え先輩がどんな人物であろうと俺の中の認識は変わりません」


「最低な先輩がそれでも贖罪のために主人公としてステージに踊り出ることを祥平は許してくれるか?」


「新入生歓迎会で魅せてくれたあの時の演技を見せてくれるなら……やってほしいです。先輩に主役を努めてもらいたいんです。例えそこに俺がいなくとも、あの時の先輩をもう一度蘇らせて欲しいです。最高の先輩を観客達に見せてあげてください」


「わかった。――祥平の意思は確かに受け取った」



 もう一度先生に体を向ける。



「祥平がいなくても、俺がいます。一度は主演を志した身です。それに主演の傍でいつも演じていたから台本や動きは完璧に覚えています。だから俺を主演に変更して劇をすることは出来ませんか?」


「いや、しかしそれだとお前の役は……」


「私がやります」



 隣で手を挙げたのは比奈だ。



「私、カズ君の練習に何度も付き合っていたから今回の脚本を全て覚えちゃったんです。それにカズ君が主演を外れちゃった後もずっと傍で見てきました。彼の代わりは私が引き受けます。それでは駄目でしょうか」


「そう言われてもだな……」


『お願いします』



 二人で頭を下げる。



「先生、俺からもお願いします。明日の公演、どうか中止にしないで下さい」


「私からも。彼らにやらせてあげてください」



 後輩達も頭を下げてくれる。先生はがむしゃらに己の髪をかき回すと、投げやりに言う。



「あー、分かったよ。お前らの熱意はよく伝わった。ったく、生徒四人に病室で頭下げられるなんて経験初めてだ」



 しかし先生は決して嫌な顔をしておらず、むしろ頬を緩めていた。



「よし、じゃあ祥平のことも含めて明日の公演を決行することを部員達に伝えておく。香月がやるんなら一回あわせた方がいいだろう。明日はどのクラス・部活よりも早く学校に来い。練習だ。そんでお前らの全て見せ付けてやれ」



 さっきまで鬱々した表情しかなかった梨花さんにも、そして祥平にもパーッと明るい花が咲いた。俺と比奈は言わんでもない。

 ありがとうございます、と高らかに叫んで頭を下げる。


 昔の俺とはもう違う。

 どんなに高い壁があっても逃げたりしない。

 さあ、始めよう。この物語の主人公は俺、高城和晃だ。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ