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五話「師弟関係」

 早いものでもう六月になった。既に一年の半分近くが経過したことになる。年を重ねるごとに時間の流れを早く感じるようになる、か。その通りだ。何でだろうねえ。

 親父に啖呵を切ってからはおよそ一ヵ月程度経過したことになる。

 比奈の汚名を晴らすために、そして自身の未来を掴むためにあの日以来部活を休んだ日は一度も無い。

 一日一日を集中して過ごし、少しでも主演を掴み取る可能性を上げるため精進しているが……これだけでは足りない。

 祥平などに比べるとやはり圧倒的に経験の差が足りないのだ。サボりまくっていたから当然っちゃ当然何だけど。自堕落の日々のツケが回ってきてるってことだ。


 そんな俺が活路を見出すには祥平以上の――それこそ高校生の部活レベル以上の技術などが必要なんじゃないかと考えた。

 それを手に入れるにはどうすればいいか。

 思案の末、導き出した答えは――。



「高城君からご指名とは……今日は忘れられない一日になりそうだ」



 いちいちキザな男、河北慶が爽やかに言い放つ。その整った笑顔の周りがキラキラしているような錯覚を覚える。



「……俺にとっても忘れられない一日になりそうだ……」


「ということは今日は二人の記念日になるということかな?」


「ならねえよ!」



 こいつを目の前にするとどうも調子が狂うな。というか、俺のことをどうしてそこまで気に入ってるのかよくわからない。



「うーん、それは残念だ。でも高城君本人が僕を呼び出すなんて本当に珍しい。比奈ちゃんは一緒じゃないのかい?」


「比奈は今日はいないよ。俺だけだ」


「……本当に珍しい」



 河北慶は目を見開いて驚いている。



「つまり今日は君個人の用事ってことか。嬉しいねえ。高城君は僕に対してあまり好感度高くないって思ってたから余計にね」



 あまり好かれてないって分かってたんかい。



「もしくは好きでもない人間にも手を貸してもらわないといけないような状況に陥ってるとかかな? いやでもそれはないか。僕が高城君に出来ることなんて皆無に近いし……」


「一人で結論を急ぐなよ。今回はあんたにしか頼めないことがあって来たんだ」


「それは意外だ。僕にしか頼めないこと……是非話を伺っていいかな」



 さっきまでふざけた口調だった河北慶だが、俺の真剣な雰囲気を感じ取ったのか真面目な顔つきになる。



「俺が演劇部だってことは知ってるんだよな?」


「ああ、君が日夜文化祭で演じる劇のために頑張っているって比奈ちゃんから聞いてるよ」


「なら話は早い。今日はそのことと関係あるんだ」



 正直言うとこいつにこんなこと言うの嫌だけど……今回ばかりは手段を選んでいられない。



「河北慶。俺に――演技の指導をしてくれないか?」



 たとえ毎日部活に顔を出しても、全てを部活の練習にぶつけたとしても、どう足掻いても部活だけじゃ限界が来る。

 その限界を超えて技術を磨きたいなら簡単な方法がある。実際のプロの人間から技術を学べばいい。

 これは別に演劇に限った話じゃない。どんなに一流のスポーツ選手でも最初は自分よりも上手い人間から技術を学び、そこから自分の形を確立していくものだ。

 そのため自分の遥か上の演技力を持つ河北慶に教鞭をふるってもらおうと会いに来たわけである。幸運なことに俺、こいつに好かれてるようだし。癪だけどさ。


 河北慶はニッコリと笑う。そして答えを出す。



「ごめん、断らせてもらうよ」



 あまりにもいい笑顔で言われたもんだから瞬時に言葉を理解できなかった。



「……えっと、すまん。今何て?」


「悪いけど君の提案は断らせてもらうって言ったんだ。僕は君に指導はしない」


「ど、どうして!?」



 自分はてっきり快諾されるかと。なんだかんだでいいやつのこいつなら受け入れてくれると信じていたのに。



「いくつか理由がある。まず一つ目は僕のやり方は独特だからだ」



 彼はテーブルに置かれたコーヒーを一杯啜る。



「前に僕が役者を目指した動機は話したね? 一度聞いているから分かると思うけど、僕がこの職業を目指した理由はかなり特殊だ。動機が特殊ということは、それだけ自分の仕事に対しての見方も他の人とは大きく違うということだ」



 例えば、と彼は続け、



「とある二人の医者がいたとする。技術や知識はほとんど同じくらいで、出身の学校も同じ。お給金も同じだとしよう。それだけ見たらどちらも変わらないただの医者だ。だけど動機が違ったら彼らの視点はそれぞれ違うだろう。一人は医者が儲かることを知っており、金欲しさに患者を診る。かたやもう一人は小さい頃、重い病気にかかって救ってくれた憧れの職業……自分もたくさんの人を救いたいと願って医療の道を志した。前者は一定の仕事はこなしても、そこに情熱や人を救いたいという気持ちは少ないだろう。後者は真逆でお金を頭にいれず、人を救いたいという情熱に溢れているだろう。条件が同じでも動機が違うだけで入れ込み方が違うとよく分かるだろう?」



 長いこと喋ったところで彼はもう一度カップに口を付ける。



「今のはかなり極端な例だけどね。でも根本的な所は同じだ。僕は情熱を持って仕事を取り組んでいるけど……何度も言うように動機は少々特殊だから常人とは考え方や見方が違う。高城君は面白い人間だと思うけど、変人ではないだろう? だとすると僕の変わったやり方は君に合わないと思う」



 そんなことはない、と言おうとして口を開けるが、彼が声を発するのを制止してきた。



「今のはあくまで理由の一つだ。どちらかというと独りよがりな勝手な理由さ。君が納得しないのもわかる。けれどもう一つの理由は君自身も関わってくる」


「俺が……?」



 こくりと彼が頷く。



「君は僕に演技の指導をしてほしいと言った。君が更なる力を求めてやってきたのは分かる。けれど――君が求める力のレベルは、必要となる力をオーバーしすぎてる。こういう言い方をすると怒るかもしれないけど、高城君がやる気を見せているそれは所詮高校生の部活だ。君の高校が演劇で有名な学校で、数々のコンクールで優勝を飾るような学校だったらまた話は別だけど、聞いてる限りそういうわけではないだろう? ということは文化祭が君の部活の最上級の舞台――間違ってないかい?」


「……ああ、その通りだよ」


「ということは他の学校と比べても遜色のない、一般的な演劇というわけだ。また悪いことを言ってしまうけど許しておくれ。まず、僕が活躍している舞台ではお客さんがお金を払って劇を観に来てくれている。僕達は彼らが払ってくれたお金に見合う劇をお届けしないといけない。いかんせんやる気が入るわけだ。けれど君たちはどうだろうか。学校にもよるかもしれないけど、料金を取って劇を行うというわけではないと思う。ぶっちゃけると観客もそこまで期待して観ていない。ほんのちょっとの興味心で観ているのが多数だ。少なくとも僕達と君たち――プロとアマチュアの観客の質は全然違う。それほどの期待はされていない。だけど高城君の求める力は大して期待もしていない観客に大して少々オーバーなんじゃないか、と僕は思うわけだ」



 彼の言うことはよくわかる。

 例えば甲子園に出場するような学校ならプロ野球選手が教えに行く価値があるだろう。しかし毎年地区大会を一回戦で落ちる学校にプロの選手が教えに行く価値があるかといわれたら――多分ない。選手は嬉しいだろうけど、プロからしてみれば教えても飛躍的に力が伸びるわけないと考え、実際の所それで甲子園に出場するのはきっと無理だ。

 俺が欲するものは普通の高校生が必要とする以上のものだ。自分でもそんなこと重々承知してる。その上でここに来ている。



「わかってる……そんなのわかりきってるさ。それでも俺はあんたから演技を教えてもらいたいと思ってる」


「分かっていてなお頼み込んでいるっていうわけか。よっぽどの事情があるみたいだ。しかしどうして僕なんだい? もしかして暇人と思われてるのかな? これでも結構忙しいんだけどね。僕以外にも部活の先輩とか身近な人物に指導を頼むのが堅実だと思うよ」


「かもしれない。でも、俺はどうしてもあんたから教わりたい」


「頑なだねえ。理由は? 何かあるんだよね?」


「あんたが――河北慶が今の俺の憧れで、同時に目標だからだ」



 彼の顔を見てはっきりと言う。



「俺が部活に出るようになったのもあんたの劇を観てからっていうのは知ってるだろ? つまり俺がここにいるのだって原因はあんたが作ったようなもんだ。まだまだひよっこの俺が遥かかなたの実力を持つ人間に教えをこうむりたいなんて虫が良すぎるかもしれないけど――今回だけはその大きな力の一部が必要なんだ」


「ふむ……」



 河北慶は俺の言葉を聞いてあごをさする。その顔には難色が含まれている。



「……それを聞くとなおさらお断りなんだけどね。君は僕を見て部活に顔を出すようになった。そのことは嬉しいんだけどさ」


「ならどうして!?」


「じゃあ聞くが――君が演劇をやりたいという動機は何だい?」



 彼は俺の目をじっと見てくる。射られているような感覚だ。表情はいつもと変わらないのに迫力を感じる。



「僕は前にも言ったはずだ。きっかけと動機は違う。そして夢や目標には内側と外側があると。きっかけが僕であるのは大いに結構。でも僕の演じる姿を見たからという動機はそれは違うだろう? 今の君は外側しかない。外側は大抵の人間が挫折する。内側――しっかりとした動機もなくてただ口先だけの人間に教えるなんて僕は嫌だよ」



 彼はさらに追撃してくる。



「それに僕の目から見たら君は部活に打ち込んでいる人間ではなく、他人の劇を見て興味本位で演劇をやり始めた人間にしか見えない。よくあるだろう。人が何かしているのを見て、これは面白そうだ、なんて言って出来もしないことをするやつ。悪いけど僕には君がそういった軽い人間にしか見えない。動機がなく、ただの興味本位で必要以上の力を求める――そんな人間に僕が教えることは何もないと思うけどね。君が僕のことをどう思うのは構わないけど、あまり舐めてもらっちゃ困るよ」



 彼は言いたいことを全て言い終えたようだ。場に一瞬の静寂が起きる。

 俺は一呼吸おいて、



「……確かに俺には動機がない。興味本位だって思われても仕方ない部分もある。――それどころか俺は自分が本当に演劇をやりたいと思っているのかどうかすらあやふやだ。いつもこれでいいのかって不安が付きまとってる。でも――」



 河北慶がしっかりと俺の目を見て話してくれたように。俺も彼の目を正面から捉えて言葉を突きつける。



「そうやって自分に言い訳を作って何もしないのは嫌だ。あんたに言い負けてすごすご帰って、結局何も出来なかったって後悔するのだけは嫌だ。それなら興味本位のものでも、しっかりとした動機がなくても――可能性が少しでもあるなら俺はそれに賭けたい。あんたが俺に指導してくれても、あんたに見返りはない。それどころかどんなに親身になって教えてくれても、それが全くの無意味である可能性も充分にある」



 そもそも俺はプロの役者になろうとまでは考えていない。あくまで崎高の文化祭を乗り切るまで、もっといえばその前の主役の決定までの目先の未来しか頭にない。



「今までにも驕って、迷って、挫折だって経験した。そんな愚かな俺に笑顔を向けてくれた女の子がいた。怠惰を貪っていた俺のことを信じてくれた女の子がいた。俺はその女の子の期待を裏切りたくない。そんでその女の子が信じてくれた自分自身を裏切りたくない。彼女のため、それと俺自身のために。どうしてもあんたの力が必要なんだ」



 彼女は自分の尊厳すらも犠牲にして俺の意志を守ってくれようとした。彼女のその献身的な思いに応えないでいて、何が彼氏だっていうんだ。



「……まあ、上見すぎっていうのは確かなんだけど。これにはまた別の訳があって……こっちは説明するともっと長くなるんだけど――」



 親父との約束をどう説明するか悩む中、ふと彼を見ると、彼は愉しげに笑っていた。



「……何笑ってるんだ?」


「いや、まさかそんな切り返し方をしてくるとは思わなかったからね。一本取られたよ。ああ、やっぱり高城君は面白いなあ」



 こいつ俺のこと馬鹿にしてんのか?



「何とでも言え。そんなことはともかく、あんたに教えを口授してもらいたい訳を話すから――」


「別に話さなくていいよ。といっても興味はあるから後でゆっくり話してもらうけどね。今は他の事を話しておきたい。僕の負けだよ、高城君。どこまで出来るかわからないけど、君の先生になってあげよう」


「先生って……それ……」


「君の頼みを引き受けると言ってるんだ」



 さっきまでの真剣な表情はどこにもなくて、ご婦人をイチコロで落とす笑みを彼はしていた。



「……本当か?」


「ああ、本当だよ。あ、でも一つだけ条件を付け加えよう」


「条件……倫理的に合法なものなら何でも受け入れる」


「……これでも常識は持ってるつもりなんだけどな」



 彼はしょぼんと落ち込む。



「ここで契約を結んだら僕達はいわゆる師弟関係になるわけだ。今までよりも一つ上の関係になるのにこれまでと同じなんて寂しいじゃないか。だから、師弟っぽく、それでいて親しみのある呼び名を互いに考えよう」



 しかし彼はすぐに復活し、顔の周りにキラキラを発生させる。元気なやつだ。



「何気に難しい注文したな」


「そうかな? 僕はすぐ頭に浮かんだけど」


「言ってみ?」



 河北慶は何が可笑しいのかふっふっふと無駄にもったいぶる。



「なら新しい呼び名を叫ぼう。カズ君、それが新しい――」



「却下っ!!」


「何故!?」


「何故じゃねえよ! 思いっきりかぶってるじゃねえか! 男に彼女と同じ呼び方される俺の気持ち考えろよ!」



 比奈に匹敵する美少女ならまだしも、キザでうざったい男にカズ君なんて言われた日には……。

 ゾクリと全身に鳥肌が立つ。



「渾身の出来だと思ったのに……。じゃあ普通に和晃君でいいよ」


「拗ねるな気持ち悪い」



 何が不満なんだよ一体。



「それはそうと僕のことはどう呼んでくれるんだい?」


「急かすなよ……。少し待てって」



 確かに今までは河北慶とフルネームで呼んでいた。それじゃあ流石に不便すぎるか。

 これから嫌でもこいつにはお世話になる。なら多少は呼びやすい方がいいよな。



「慶さん。こんなんでどうだ?」


「もう一回言って」


「……慶さん」



『……慶さん』



「録音したなお前!?」


「大丈夫。別にネットに流そうなんて考えてないから」


「たとえ流したとしても別になんもねえよ!」



 俺、こいつに頼み込んだの間違いだったんじゃないかな?

 追い詰められてたとはいえ、誤った選択をしてしまったのかもしれない。



「何はともあれ、これからよろしくね。折角やるなら厳しくいくから覚悟するんだよ、和晃君」


「上等だ。ビシバシ頼むぜ、慶さん」



 慶さんとガッシリ握手をする。



 こうしてまた一歩、鎖を断ち切るための布石を進めたのだった。




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