四話「変化する日常」
俺は迷っていた。比奈に押されたものの、本当にいいのだろうかと目的地の前で躊躇っていた。
その目的地の前とは自身の所属する部活の活動場所だ。
ドアの先からは大勢の人間が喋る音がする。たまーに寄る時はこんな立ち往生することなんてないのに。
どうして今日は一歩が踏み出せないんだろう。
「……いや、今日はいいや。また後日、日を改めて――」
今日の所は退散しようと振り返った時である。ちょうど部室に向かってきてたらしい祥平と目があった。
「まさかとは思いましたけど先輩でしたか。どうかしたんですか?」
「ああ……いやえーっと」
「えらく歯切れが悪いですね。何かやましいことでもあるんですか?」
「ねーよ! 俺はただ純粋に部活をやるためにここに来ただけで……」
勢いあまっていらんことまで言ってしまった。
祥平は信じられないといった風に驚愕している。
「あの、先輩。今何て言いました? 先輩の口から絶対出ないような言葉が聞こえたような……」
「失礼なやつだな!?」
まあでも仕方あるまい。部活をサボり続けて早一年と半年。まともに出たのは極一部だけでいつも出ている人間からしたらこいつ何言ってるんだ状態だろうし。
はあ、と俺はため息をつく。こうなったら観念して正直に言うしかない。
「だから、俺は部活をやるために来たんだ。冷やかしにきたわけでもないぞ。ただその……ちょっとしたきっかけがあってさ。それのせいで部活やりたいなーなんて思ったりして」
「本当に和晃先輩ですか? 頭打ったりとかしてないですか?」
「うるせーよ! 俺がおかしいことを言ってるなんて自分で百も承知だわ!」
同じような問答をあと何度繰り返すことになるんだろう。今までのツケだろうなあ。
「……悪かったよ。突然邪魔して。お前これから部活だろ? ここで俺と話してる暇があったらさっさと行きな」
どうせ俺には信用なんてありません。落ち込んでいるのを悟られないようにこの場を去ろうとするが……。
「どこ行くんですか、先輩?」
祥平に肩を掴まれる。
「は?」
「行くんでしょう、部活。ほら、一緒に入りましょう」
無理矢理腕を掴まれて引っ張られる。彼が開けた部室のドアの先に俺は連れ込まれるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……つまり和晃君は本物の演劇を見てやりたくなったってこと?」
若菜ちゃんの言葉に頷く。
部室の中に放り込まれ、それのせいで部内は騒然とした。新しく入部した一年生からは「こいつ誰?」みたいな感じだし、俺のことを知ってる二、三年生はさっきの祥平みたいな感じで。まあ、一年の中には「香月比奈の彼氏だ!」なんて言ってるやつもいたけど。
このままじゃ埒が明かないので、俺は前に出て部活に来た理由を明らかにした。
で、今に至る。
「先輩にもそんなことがあるんですね……」
「私、信じられません。こんな先輩の姿を見るなんて」
「お前ら後輩はほんと失礼だな」
祥平に加わり梨花さんも同じようなことをいう始末である。
「……けど私は嬉しい。部活に来てくれて」
「俺もだ! まあ、最初は度肝抜かれたけどな」
無礼な後輩と違って肯定的なのは部長勢だ。今年から女子部長となった若菜ちゃんと新部長の坂田は突然の訪問を受け入れてくれる。
「折角来てくれたのは嬉しいですけど、続ける気はあるんですか?」
「いやそれは……何とも言えないな」
祥平から追撃が来るが、彼のその疑問に対してはまだ答えは見えなかった。
「まあいいんじゃないか? あまり来てないとはいえ高城もちゃんと部員登録されてるし。誰でも来れるアットホームな部活を目指してるのもあるし」
新部長の提案するそれ、ブラックな職場の売り文句みたいですよ。
「そうだよ祥平君。今までのことから部活に参加を続ける保障はないけれど、自分の意思で来てくれたんだから」
梨花さんが祥平を説得している。
というか俺が部活に来ただけでここまで大事になるのか?
「祥平、俺からも言えることはないけど、やってみるよ。自分の気持ちを確かめるためにも。駄目ならまた逆戻りしちゃうかもだけど。けど、今演劇をやりたいって気持ちは本物だと思うんだ。だからしばらくはよろしく頼むよ」
「……文句をつけといてなんですけど、俺が実際に先輩の部活の参加不参加を決められるわけじゃないですし、構いません。ですけど参加するんでしたらちゃんとやってくださいよ?」
「ああ、もちろん!」
というかちゃんとやるために来てるわけだし。
「……そうと決まれば、一年生に自己紹介」
若菜ちゃんに促され、俺は部員の集まりより一歩前に出る。
「俺は三年の高城和晃。演劇部には現部長の坂田にヘルプで出されて、その後女子部長の若菜ちゃんと一緒に入部した。その後は今の会話から察せられるように、サボり続けてた。今後また来なくなるかもしれない。けど参加する限りは一生懸命やろうと思う。いい加減なやつだけどよろしく!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それからまたしばらくの日数が経過した。
あれ以来、俺はきちんと部活に通っている。たまに比奈と仕事だったりで行けない日もあったりするけど、そこは皆に話してあるし、納得もしてくれている。
俺の日常は変化した。といっても変化は放課後に部活といった項目が加わったくらいで、それ以外の変化は何もない。まあ、最近は受験があるということで勉強の時間を多く取ったり、なんてこともあるけど。
朝、比奈と学校に登校して。彼女と同じクラスで授業を受けて。放課後、部活が始まるまでいつもの面子でお喋りをして。その後は若菜ちゃんと部室に向かって(ただ、仕事が休みの日なんかはたまに比奈も見学に来たりする)、祥平とくだらないことで言い合いしながら部活に取り組む。部活後は帰宅。
それが今の日常だ。俺はこの日常を気に入っていた。充実した毎日で、満足していると心から言える。
そんな日々が続いて気がつくと三年生最初の月も終わりを迎えようとしていた。この間に全国を狙った地方の大会が終わったりして部活を引退した者もいる。
時間の流れは早い。心底そう思う。
それでも変わらない日常を過ごせることは幸せなんだと思う。
「……で、ここは――であるからして」
ふと遠くから騒音が聞こえた。窓の方に目をやると遠くにヘリが飛んでいるのが見えた。この辺でヘリとは珍しい。
とはいってもそれ以上気にはならず先生の説明に耳を傾けようとする。
「はい、ここ分かる人ー?」
しかしヘリの音は小さくなるどころか大きくなっていく。どうやら学校の近くを通るらしい。
「――――が…………に」
先生の声が聞こえない。というか、クラスメイトの声すら聞こえない。
何故か。それは先程見えたヘリが学校の頭上でホバリングしてるからだ。
「一体何だよあのヘリ!?」
窓際の席であることを利用して、思わず窓から顔を出してヘリに向かって叫ぶ。
そこで俺は見てしまった。ヘリの側面に描かれたH&C社のロゴを。
「まさかこのヘリ……」
もしも俺の予想が当たっていたならこのヘリには――。
「先生! お腹痛いんで保健室行ってきます!」
「その割には元気そうだが!?」
先生の言葉を無視してダッシュで教室を出る。
「待ってカズ君!」
その後ろを比奈がついてくる。
「比奈!? どうして……!?」
「血相変えて飛び出していくんだもの。気になるよ!」
「……今は怒る余裕もない。ついてこい!」
きっとあのヘリは学校の屋上に着地しようとしているのだろう。二人で階段を目指す。
「あ、和晃!」
その途中、由香梨がいた。
「ねえ、あのヘリって……」
「ああ、多分そうだ」
「やっぱり?」
「何事だ!?」
由香梨と話していると直弘が教室から飛び出してくる。
「……和晃君の声がする」
「な、何が起きてるの!?」
続いて若菜ちゃんと久志も出てくる。いつもの面子勢ぞろいだ。お前ら授業はいいのか。
「説明してる暇はない! 由香梨、後は頼んだ!」
「え、ちょ……」
皆を置いて先に行く。
「と、とにかく細かい説明は後で! 皆和晃に続いて!」
何故促した!? 後ろから聞こえた声に心の中でツッコんでおく。
しかし今は後ろの皆を気にしている余裕はなかった。全速力で屋上に向かう。
屋上に続く扉を開けると予想通りヘリが着地していた。惰性で回っていたプロペラが完全に停止し、ヘリのドアが開けられる。
そこから出てきたのはメイド服に身を包んだポニーテールの少女だった。
「あら、お出迎え……というわけではなさそうですね」
可憐な少女は柔和な笑みを見せる。
彼女が見つめるのは俺の背後だ。息の上がった友人達が傍にやってきていた。
「突然のご来訪失礼しました。その様子ですと、事前に知らされてなかったみたいですね。全く……会長にはきちんと告知しておけって言っていたはずなんですけど。後でお仕置きですね」
彼女は手を前に組んで一糸乱れぬ綺麗なお辞儀を見せる。一連の動作はとても精巧で、その上品な仕草に文句が引っ込んだ。
「ですがこれはこれで僥倖といえます。このご無礼にはいつか謝罪をするとして、今は会長の登場をお待ちしましょう」
メイド服を着た女はドアの横に立つ。ヘリから次の搭乗者が姿を見せる。そいつは少女なんかとは程遠いガタイのいい男だ。
「しゃ、社長!?」
俺が声を上げる前に後ろにいる比奈が叫んだ。
「……社長?」
「うん。私の所属する事務所の社長。多忙って理由であまり顔は合わせたことないんだけど……」
後ろにいる皆は衝撃の事実に驚きを隠せないようだ。しかし俺は恵ちゃんの件の時点で調べはついていた。
「おお、君は比奈君か。君の活躍は常々拝見しているよ。目覚ましい活躍をしているそうじゃないか。これからも頑張ってくれたまえよ」
「は、はい!」
比奈に気づいた男は比奈に激励の言葉を送る。
次に彼は後ろの皆をゆっくりと見回して、
「ふむ……君達は和晃のご学友だね。おお、由香梨ちゃんもいるじゃないか。昔と比べてべっぴんになったもんだ。みな、わざわざありがとう。そしてこれからも和晃と仲良くしてやってくれ」
彼は笑う。その笑顔は相変わらず見ていて人を安心させるようだった。
次に彼がその瞳に映したのは……俺だ。
「そしてお前は相変わらずのようだな」
彼の言葉に応えようとした時、
「ちょ、ちょっと待て! 和晃、あの人と知り合いなのか」
「直弘、あの人が誰だか知ってるのか?」
「知ってるも何もあの人はかの有名な――」
「こほん。そちらの男子生徒のお二方。片方は和晃様の中学からの友人、岩垣様ですね? 横から割り込むのは失礼だと思いますが、この場には何がなんだかわからず混乱をしている者もいます。その方のためにも私達の自己紹介をこちらでさせて下さいませ」
メイド服の女は再び頭を下げる。直弘と久志は彼女の言葉に従って口を止めた。
しかし「和晃様」ね。なるほど、あいつがいる前ではそうなるんだな。
「では僭越ながらまずは私の自己紹介からさせて頂きます」
メイド服の女はすっと俺達の前に立つ。
「私の名前は三条沙良といいます。和晃様と由香梨様の小さい頃からの幼馴染です。また、私の後ろに控える彼――会長の秘書でもあります。以後お見知りおきを」
メイド服の女――沙良はスカートの裾をつまんで優雅に頭を下げる。
「さてお次は会長の紹介です。……ご自分で紹介なされますか?」
「いや、いい。沙良君、引き続きお願いするよ」
「かしこまりました」
沙良は彼に向かって一礼し、再び俺達に向き直る。
そして彼……会長に手の平を向け、口を開く。
「会長は普段、別の名で呼ばれておりますが、この場においては本名で紹介させて頂きます。会長の名前は高城誠司。会長はそこにおられる香月比奈様の事務所の社長を務める他、多大な事業を取り仕切る巨大グループ、H&C社の会長でございます。そして同時に皆様のご学友である高城和晃様の実の父でございます」
沙良の紹介が終わると彼――俺の親父は鋭い目でこちらを威圧してくる。
「久しいな、和晃。……元気にしてたか?」
「ああ、この通り元気だぜ、糞親父」
「それは何よりだ」
こうして俺は数年ぶりに親父と沙良と対峙する。
それは新たな日常の訪れを示していた。